仕事の合間に
「ふー……」
手元に組み上がった青い紐。
リョウがその仕上がりを確認し終えて大きくため息をついた。
「お疲れ様です。リョウ様。綺麗に仕上がりましたね」
ハンナがすかさず声をかけてくれる。
午前中の時間をこの紐を組み上げるのに費やすようになって数日。
ようやく本番用の糸を使うことをハンナが許可してくれたところで、かなりの集中力で組み上げた。
我ながら、よくここまで集中したと思う。
ここ最近、午後にはアルフォンスがレンブラントの護衛付きで守護者の館を訪れ、文献に目を通す作業が始まる日課が定着してきた。
一週間の七日のうち六日はそんな毎日だ。週末には休みが入るようになっているがレンブラントは週中溜まった隊の仕事を片付ける必要があってその休みも返上で出掛けることが多い。
それでも一緒にいる時間は格段に多くなったので作業の合間に仕事の話なんかもポツポツとしてくれるようになった。……まぁ、レンブラントが自主的にそんな話をしているというよりは、アルフォンスが上手く聞き出してリョウが話を聞けるように仕向けている、といったところではあるが。
そんな話の中で、近々副隊長を増やそうと思っている、なんて事も聞くことができてリョウもちょっとは安心できている。……何しろレンブラントの仕事量は半端なく多いらしいので。
そんなこんなで毎日午前中の時間と週末、レンブラントが不在の時間を縫って紐を組む練習を重ね、ようやく本番にたどり着き。
「リョウ様。お茶にします? でもそろそろお昼ですわね」
ハンナが微笑みながら立ち上がる。
洗濯室での作業もちょうど片付いたらしく作業に使っていた道具は綺麗に片付いている。
「うわ。もうそんな時間なのね」
リョウがポケットから小さな時計を取り出してそっと見る。
あと一刻もすれば正午だ。
アルフォンスとレンブラントは正午を少し回った頃に到着するのが習慣。二人とも午後の仕事のために毎日少し早めに昼食を済ませて来てくれている。
「お昼にしよう。今日は朝の残りでサンドイッチを作っておいたから」
リョウが出来上がった飾り紐を、用意していた細長い箱にしまいながらそう告げるとハンナが大きく頷いて微笑んだ。
「わぁ……! なにこのケーキ! すごくいい香り!」
ハンナとコーネリアスと三人で小さな食卓を囲んでサンドイッチを食べながら紅茶を飲んでいるところで、不意にハンナが台所から切り分けられたケーキを三切れ、持ってきた。
「奥様がお作りになっていた林檎のお酒がありましたでしょ? あの林檎、勿体無いのでケーキに入れてみたんです。かなり香りがいいので大成功でしたわ」
ハンナがくすくすと笑いながら説明してくれる。
そういえば先日、レンと飲もうと思ってお酒を瓶に移した時、台所の片付けをしていたハンナに「捨ててしまうのならそのまま頂いてもよろしいですか?」と聞かれて頷いた記憶がある……。あの時のハンナのキラリと光る瞳は「良いこと思いついた!」という瞳だった。
「ああ、これは美味いね。……アルコールは抜けているのか?」
コーネリアスが口にするなり賛辞を送り、ちょっと訝しげに一言付け足す。
「ええ、抜けていますよ。混ぜたあとに焼いているんですから。でも香りが残っているのでお酒を頂いているような気分で食べられますでしょ?」
ハンナは得意げだ。
リョウも最初の一口で広がる香りに驚いたが、本当に「これ、お酒がかなり入ってる?」という味だった。
コーネリアスもハンナも酒は一切飲まないので、珍しいな、くらいに思ったのだが。
飲まないといっても「飲めない」わけではないらしい。いってみれば一日中仕事をしているような身分なのであえて飲まないようにしているとの事だ。夜くらいは良いのに……なんてリョウが言うと「夜中に急な用事ができることだって無いとは限りません」ときっぱりと二人から言われて、さすが一流……とびっくりしたものだった。
ふと、コーネリアスがはにかむようにケーキを食べているのに気付き、リョウの口元が緩む。
普段仕事一筋、真面目を絵に描いたようなコーネリアスだが、たまにふと、内側から滲み出るように笑顔になる事がある。
大抵その原因はハンナの表情の変化だ。
子供っぽく笑うとか、得意げに笑うとか、普段は上品な立ち居振る舞いのハンナがたまに見せる素の表情にコーネリアスはそういう笑顔を向ける。
「ねぇ……ハンナとコーネリアスの馴れ初めって聞いても良い?」
リョウがうっとりするような目をコーネリアスに向ける。
絶対ステキな恋愛をしたんだろうなぁ……なんて思うので。
と。
「え……! いや、その……奥様にわざわざお聞かせ出来るようなお話ではありませんよ」
おお! 珍しくコーネリアスが焦っている!
リョウが目を丸くする。
そしてそのまま視線をハンナに向けると。
「……あら、わたくしは構いませんけど……そうですわね……コーネリアスが話す気になったら、お話しする、ということにしておきましょうか?」
「えーーー」
上手くはぐらかされてしまった……残念!
「……リョウ、少し休んだ方がいいですよ」
アルフォンスの声がして両手で抱えるようにしてリョウが読んでいた本が手から抜き取られる。
「え! わぁ! ……い、今の所……もう少しで章の終わりだったのに……」
本があったはずの場所にがっくりと頭を垂れて視線だけあげると、リョウの手から取り上げた本をしげしげと見てから向かいの席に戻ったアルフォンスがやれやれという目でこちらを見下ろしている。
「章の終わりまで読んだら今度は『記載のチェックを入れるから』なんて言ってまた区切れなくなるのが目に見えています」
そう言い放つとアルフォンスはパタンと音を立てて本を閉じ、自分の席に座り直す。
「あーーー」
抗議の視線は受け入れてもらえずに、改めてリョウが頭を抱え込みながら突っ伏した。
「ほら、リョウ。お茶にしましょう」
レンブラントの声と同時にテーブルに突っ伏したリョウのすぐ脇にカップが置かれる音がする。
「うー……」
若干恨めしそうな目つきのまま音のした方に目をあげると、湯気を立てているカップ。
大きめのカップになみなみと注がれているのはミルクティーだ。
「リョウの集中力には目を見張るものがありますね。ほんの少し無理をする、程度の認識なんでしょうけど……この手の書物は精神的に疲弊しますから本当に気をつけてくださいね」
アルフォンスがリョウから取り上げた本に目をやりながら医者の顔をする。
「……うう、でも今のところ、読み切っちゃわないと後で読み始めた時に繋がりを忘れちゃいそうなんだけど……」
リョウがどうしても本は返してもらえそうにないので、諦める方向でミルクティーのカップを両手で包み込むようにして持ち上げながらも食い下がる。
「アルにそんなこと言ったって無駄ですよ。ほら、お茶請け」
レンブラントがリョウの前に揚げパンが山盛りになっている皿を置いた。
「わ! 揚げパン! ……って、あれ? いつのまに?」
お茶のカップを手にしてから言うのもなんだけど、この応接間にお茶が運ばれてきた記憶がない。
リョウがそんなことを思いながら隣の席に腰を下ろしたレンブラントに目をやると。
「……本当に集中していたんですね……」
レンブラントが目を丸くしてリョウをまじまじと見つめる。
「さっき、僕が本を取り上げるまでは名前を呼んでも顔をあげませんでしたからね」
向かいに座っているアルフォンスは呆れたような口調だ。
「そ、そうだったのね……」
そう言われれば、読んでいる最中に話し声が聞こえたような気が……しなくも、ない。
「で、これが、ハンナご推薦の揚げパンなんですね」
リョウの事情のあれこれを完全に無視したアルフォンスの一言は。
……やっぱり付いてる。語尾にハートマーク!
つい先ほどまで眉間にしわを寄せながら、言って見れば知的な雰囲気を振りまいていたアルフォンスが、リョウの期待を全く裏切らない満面の笑みで揚げパンを一口かじった。
「……美味しいでしょ?」
この人の甘いものを食べている時と仕事をしている時のギャップ……! どうしてくれよう……!
なんて思えるのでリョウはついニヤニヤしながら声をかけてしまう。
「これ……パンですか? ああでも、ケーキではありませんね」
唇に砂糖をつけたまま、アルフォンスが呟く。
「そう。卵とミルクとバターが入っているから普通のパンよりお菓子に近いのよね」
リョウが得意げに説明をする。
で、自分も一口。
……わあ。やっぱり揚げたての方が断然美味しい! 表面のパリッと感が半端ない上、中がしっとりふわふわだわ。
「……ああ、今朝食べたパン、なんですね」
レンブラントも軽く頷きながら揚げパンを頬張っている。
リョウがちらりと隣に目をやると、レンブラントもパンにかじりついていたらしく……大の大人が三人揃いも揃って唇に砂糖をキラキラさせながらお茶をしている光景はなかなか……こう、なんというか……いや、絶対おかしいでしょ!
そう思えてしまうからリョウは必死で笑いをこらえる。
このお茶請けはハンナとコーネリアスと一緒の時にしか食べていない。で、コーネリアスは必ず上品にちぎって食べるのでこんな風にかじりつくのはリョウとハンナだけだ。
なのでこうも、キレイ系の男性が唇に砂糖をつけて目を輝かせているというのは、リョウの笑いのツボを刺激する。
だんだん顔が熱くなってくるのでとりあえず一つ目のパンを平らげたところで、お茶を飲んで落ち着こうとカップに手を伸ばし……あ、砂糖が付いたままだ。と、まず唇をペロリと舐め、ついでに行儀が悪いのはわかってるけど指先の砂糖も舐め取ってしまう。
で、改めてカップを手に取ると……。
「……え?」
息を飲むような変な空気感に顔を上げると、まず、目の前のアルフォンスが目を逸らした。で、隣のレンブラントに目をやると顔を真っ赤にして固まっている。
……しまった、見られた。いくらなんでも行儀悪すぎたかな。
リョウがそう思ってレンブラントに申し訳なさそうな視線を送ると。なぜかレンブラントがアルフォンスをきっと睨みつけて。
「……アル……今の……」
「……ええ、僕は何も見てませんよ」
アルフォンスが明後日の方向に目を向けながらカップのミルクティーに口をつけた。よく見ると耳が赤い。
「……ごめんなさい……」
そんなに見苦しかったのか……!
と、リョウは改めて顔を赤くしたが、男性二人が赤面してしまった本当の理由は……知る由もない。
のどかなお茶の時間の後、気を取り直してリョウは再び読むことに専念し……なぜかレンブラントはリョウの隣から離れなかった。
いつもはアルフォンスとリョウのやり取りを邪魔しないように少しテーブルから距離を置いて立っているところを、リョウが手に取ろうとする本をわざわざ取ってくれたり読み終わった本をわざわざ受け取って本の山に戻してくれたりするので、ついにはリョウが訝しげに首を傾げた。
「……そういえばレンのところは副隊長の増員、どうなったんですか?」
もう少し沈黙が続いたらリョウが何か言い出しそう、といったところでアルフォンスが声をかけてきた。
「え……あ、ああ、そうですね。ようやく二人ほど決まりましたよ。来週からは僕の仕事も少し楽になると思うんですが」
「そう。良かった。……君も放って置くと一人で全部やろうとして平気で無理をしますからね。隊長が部下に仕事を任せるのは信頼の表れにもなってお互いの意識が向上しますし……結果的には仕事の質も良くなるんですからちゃんと分担しないとダメですよ」
本から目を上げながらアルフォンスがレンブラントを見やり、軽く微笑んで見せる。
凄いなぁ、アル。ちゃんとみんなに気を配ってる。これは普段から個人個人に関心を持っていないとできないことよね。こんな仕事をしながらでも直接仕事に関係ない分野に気を回せるってすごいと思うわ。
リョウがそんなことを思いながらつい尊敬の眼差しを向けてしまう。
「明日はちゃんと休みが取れましたよ」
そんなリョウの方を向き直ってレンブラントが声のトーンを少し上げた。
「え?」
アルフォンスに向けていた視線をふと逸らして隣に向けるとレンブラントの若干必死な視線と目が合った。
「ああ、良かったですね。それならリョウも一緒に二人で息抜きをしたらいい。二人とも仕事のことは明日は一日考えないように。たまには完全に解放されないと精神的にいずれ追い詰められてしまいますよ」
アルフォンスがゆっくりため息をつきながらどこか楽しそうに手元の本に視線を戻した。




