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物語の続きをどうぞ  作者: TYOUKO
二、医学の章 (企みと憂悶)
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カミレのミルクティー

 

「ああ、しまった……!」

 リョウが湯船でがっくりと肩を落として呟いた。

「今日は隙だらけですね」

 なんとも楽しそうなレンブラントが隣に滑り込むように入ってくる。

 

 ここ最近、レンブラントは今までよりも早く帰宅するようになった。

 余分に背負っていた仕事が大まかにひと段落した、というのと……リョウとの時間を優先するための本人の努力の成果なのだがその辺の事情はリョウは知らない。

 夕食に間に合う時間に帰ってくるようになったので、一緒に食べて、そこからはリョウに張り付いているといってもいいんじゃないかというくらい一緒にいる。

 ので。

 

 恥ずかしいからなるべくレンブラントが入った後にバスルームを使うように時間をずらして、しかも自分が入ってる間に再び入ってこようとするのを阻止するためにリョウはにっこり笑って牽制する、というのをここ数日欠かさなかったのが……今日は忘れていた。

 しかも、ぼんやりしていたせいで食後、寝室に入ってから「先に入りますか?」なんて言われて何も考えずにバスルームに入ってしまった。

 それもこれも、昼間目を通していたあの本の山のせい。

 

「……これ、いつも思うんですがどうやって留まってるんですか?」

 レンブラントがリョウを背中から片腕で抱え込むようにしながら、まとめている髪に触れてくる。

「え? ……ああ、これ?」

 リョウの髪は一本のスティックで器用にまとめられているのだ。

 洗った髪をまとめたり、湯船に入るのに邪魔な時は大抵そうしている。スティックを引き抜けばはらりと簡単に解けるので一番楽なまとめ方。

「面白いでしょ。カンザシとかって呼ぶ地域もあったわね、このスティック。……こう、適当にくるっと回しながら巻きつけて……こう、差し込むとかなりしっかり留まるのよね……ひゃっ!」

 リョウがレンブラントに背中を向けたまま一度解いた髪をまとめなおすところを実演して見せると……レンブラントが後ろから思い切り抱きしめてきた。

「うん、隙だらけだ」

 髪をまとめるために両腕を上げた状態になったリョウの後ろから伸ばされたレンブラントの両手は普段こういう体勢の時には自らの腕でしっかりガードされているリョウの胸を鷲掴みにしており。

「レ、レン! ちょっと!」

 リョウがレンブラントの腕に手をかけて引き剥がそうとすると、今度はリョウの首筋にレンブラントの小さく笑うような息がかかり、背筋がぞくりとして力が抜ける。

 

「……何かありましたか?」

 ほんのわずかな攻防戦の後、リョウが観念して体の力を抜くと意外に真面目な声が耳元でした。

「……え?」

「食事の時からずっと上の空ですよね。いつもならハンナが料理をした日は料理の感想をあれこれ言うのに今日はそれもなかったし……ハンナもすぐに下がったところを見ると事情を知らないのは僕だけみたいですよね。朝、アイザックが来たのは聞きましたけど……彼に何か言われましたか?」

「あ……えーと……そういうわけじゃないんだけど……」

 そうか、私、そんなに分かりやすかったんだ。

 リョウが少し前の自分の行動を振り返りながら反省する。

 かといって、まだ自分の中で消化しきれていないモヤモヤした何かを言葉にするのもためらわれて、つい言葉を濁す方向の返事になってしまう。

「ふーん……」

 その返事がさも気にくわない、といった感じの声がリョウの耳元でして。

「話す気がないならこのまま続けますか?」

 レンブラントが意地悪な声で囁くと、それまでリョウの胸を包み込んだまま固定していた手をゆっくり柔らかく動かし始める。

「……! ひっ……んっ……あ、やだっ! ……レン……! 分かった! 話す! 話します!」

 リョウが半ば叫びながら上半身をひねってその腕から逃れようとするので。

「ちゃんと話してくれるまで離しませんよ」

 レンブラントが一度リョウの胸から手を離して今度はリョウの腕ごと抱き込み直す。

「早く話さないとのぼせますよ」

 なんて耳元で囁いてくるので。

「アイザックが持ってきた本がね……」

 とりあえず、どんな内容だったかっていうところから話したら良いかな……。

 

 ポツリポツリとリョウが話し始める。

 ザイラが持ってきた断片的な紙束と、この度本の形で手にした専門的な資料の山。

 そこに記されているのは、残酷なくらいの実験が繰り返されたことの証にもなりそうな、竜族の体のつくりの、記録。

 そこから導き出される、筆者の意図にそこはかとない恐怖を感じてしまうという事。

 そう、そこはかとない恐怖。

 それを否定したくて、ずっと否定できそうな根拠を探すように手にした文献を読んでいた。

 でも、どうしても、行き着いてしまうのは。

 

 驚異的な強さを持つ、竜族をどうしたら人が支配できるか。支配するためにどうしたら弱味を掴めるか。もしくは、この種族をどうやって滅ぼすことができるか。

 

 そんな目的で書かれているような気がしてならないのだ。

 おかしい、とも思う。

 もしそんな目的で書かれたものであるなら、よりによって、私にそれを読ませる意味がわからない。

 よりによって。

 四竜の中で火の竜は一番手っ取り早く人間の脅威になる存在ではないだろうか。平たく言って、敵に回して破壊の力を使われたら一番不都合。

 でも、考えれば考えるほど、逃げ場がなくなる。

 人間との和平。覆されることのない、誓約。それに捕らわれている立場。

 それを持ち出されたら、この手の仕事は引き受けざるを得ない。自分たちが脅威にならないことを、こういう形で人間に納得させなければいけない、という意図があっての私の立場と仕事。

 でもそうなると、私は、自分だけじゃない、風や水や土の竜族をも言ってみれば人間に売り渡すような事になるんじゃないだろうか。

 その役割をもし、都市の司が初めから想定していたとしたら……ある意味とても効果的な方法だとも思えてしまった。

 都市の騎士隊隊長、しかも司にとっても近しい存在のレンブラント隊長に好意を持った火の竜をそのまま婚姻という絆で結んで都市に繫ぎ止める。そして、政治に関わらせて近隣都市に対して優位に立つ。それは軍事的な意味でも、政治的な意味でも。火の竜を従えることができたら他の竜族も芋づる式に付いてくる。そう考えたとしても不思議ではない。

 

 と、そこまではっきりした思考にしたことは今までなかったけど、この度、なんとなくそこまで考えてしまったので……。

 

 さすがにそこまでレンブラントに話すわけにもいかず、リョウは筆者の意図が掴めなくて怖い、というところで言葉を切る。

「……随分……酷い内容ですね……そんな仕事になっていたなんて……そこまでは……予想できなかったな……」

 何かを考え込むようにしながらレンブラントがゆっくり言葉を紡ぐ。

 あるいは、リョウが考えているのと同じような結論を自ら導き出したのかもしれない。

「……リョウ、その仕事、断ってもいいんですよ」

 そう言うとレンブラントはリョウの体をぎゅっと抱きしめる。

「う……ん。でも、一度引き受けちゃったからね。……それに、『必要なものがあったら申し出て良い』って言われていたわよね?」

 こんな風に抱きしめられていると、自分は独りじゃないんだ、なんていう根拠のない安心感が湧き上がってくる。

 そんな気がするのでリョウがさらに言葉を重ねる。

「どっちにしても私の独断でどうこう出来る内容じゃないし……何人かメンバーを集めてもらっても良いかな」

「メンバー?」

 レンブラントが静かに聞き返してくる。

「うん。ああいう医学的な内容ならアルがいた方がいいと思う。もしくはアル並みに知識があって信頼されている人。それから……」

 一度リョウが言葉を切る。

 どこまで情報を詳細に人間に提供するか。

 そういう判断を私一人で下すわけにはいかない。

「それから……誰ですか?」

 中途半端なところで言葉を切ったものだからレンブラントが訝しげにリョウの顔を覗き込む。

「……グウィン、かな」

「え? ……ええ! グウィン、ですか……?」

 うん。

 そういう反応すると思ったからちょっとためらったんだけどね。

 愕然とした顔のレンブラントを半分振り返るようにして眺めながらリョウが苦笑した。

 

 

 リョウが髪を乾かして寝室に戻るとレンブラントの気配がなかった。

「あれ、先に寝てると思ったんだけどな」

 くっついているとどさくさに紛れて色々悪戯してくるのでさっさとバスルームを追い出して自分もちょっと落ち着くまで引きこもってしまった。

 

 まあ、お陰で果てしなく落ち込むことが回避できたのだけど……。

 そんなことを考えながらベッドに直行……するのもなんだか落ち着かず、なんとなく窓に歩み寄って外を眺める。

 

「あ、まだ降ってたんだ」

 つい独り言が漏れる。

 朝から降ったり止んだりを繰り返していた雨は夜になったら止むことを諦めたかのように静かに振り続けているようだった。

 窓の外に張り出したスペースも、一応屋根はあるがこの天気の中出て行こうとは思わない。そもそも吹き込んだ雨で水びたしになっているだろうし。

 

「ああ、もう出てきてたんですね」

 ドアが開くと同時にレンブラントの声がかかる。

 リョウが振り向くと、若干呆れたようなレンブラントが。

「……こら。なにか羽織ってくださいって言ってるでしょう」

 そう言いながら手に持っていたカップのトレイをテーブルの上に置いてソファに置いてあったショールを取り、リョウの肩を包む。

「あ、ごめんなさい」

 しまった。忘れていた。見た目が寒い、って言われていたんだっけ。

 リョウが慌てて肩にかけられたショールの前を合わせながら謝ると。

「……雨、見てるの好きですか?」

 小さく笑いをこぼしたレンブラントが尋ねてくる。ので。

「……うん。なんだかこの音が落ち着くのよね。水が流れる音とか雨の音って気持ちよくない?」

 リョウがつられるように微笑む。

「そうですね……。そうか、てっきり何か思い出でもあるのかと思いました……クロード、とか」

「え?」

 思いもよらない言葉にリョウがきょとんとすると。

「今、台所でハンナから聞いたんですよ。リョウがずっと雨を見てたって」

「え、あ……やだ」

 もう、そんなことまで報告しなくても良いのに!

 リョウが顔を赤らめてうつむくと、途端にレンブラントがくすくすと笑いだす。

「子供みたいで可愛かったって言ってましたよ」

「……うわ、恥ずかしー」

 リョウが顔を上げられなくなって、熱くなってきた頰を両手で包み込む。

「……あれ、それ何?」

 視界に入ったのは湯気を立てているカップ二つ。

 レンブラントが「ああ、そうだ」と思い出したようにリョウの肩に手を回してソファに座らせると「はい、どうぞ」とカップの一つをそっと手渡してくる。

 ふわりと広がる香りは。

「……え? これ、カミレ?」

「当たり」

 不思議そうに訊くリョウにレンブラントが得意げに微笑む。

「ミルクで煮出して蜂蜜を入れてあります。ああ、ほら先日カリンのところで手土産にもらった蜂蜜ですよ」

「わぁ、すごい。カミレのお茶ってミルクでも淹れられるのね」

 リョウが目を丸くしてカップの中をまじまじと覗き込み、そっと口にする。

「……うわ。美味しい」

 ミルクで香りがかき消えてしまわないように濃いめに入れたと思われるお茶は、カミレがしっかりと香り、蜂蜜の甘みと独特のコクが薬草茶特有の臭みを消している。

 そういえば、蜂蜜を買う目的で行ったのに店の主人がカリンが騒がせたお詫びにと買うつもりだった蜂蜜を二瓶、手土産に持たせてくれたんだっけ。「美味しかったら改めて買いに来てください」なんて言ってくれたけど……美味しいに決まってるんだから……これはリピーター確実。今度コーネリアスに頼んで買って来てもらおう。

 なんてリョウが考えていると。

「……口に合ったみたいですね。良かった」

 安心したようにレンブラントがリョウの隣でカップに口をつける。

 ……あれ?

「これ、ハンナが作ってくれたんじゃないの?」

 リョウの言葉にレンブラントが顔を上げた。

「ああ、いえ。これは今僕が作ってきたんです。ハンナなら明日の仕込みと、今日の片付けをしていましたよ」

「え! そうなの? レンが作ってくれたの? これ!」

 うわあああああ! なんてレアな! もっと大事に飲まなきゃ!

 リョウが肩を震わせてカップを盛大に見つめるので。

「え……そんなに感動……してくれるんですか……?」

 レンブラントがリョウを凝視する。

「……当たり前じゃない! だって……レンが私にわざわざ作ってきてくれるなんて」

 え。あれ? 感動するのって、おかしかったかな? ……だってなんだか、凄く、嬉しくてどきどきするんだけど。なんだろう、今このタイミングでこういう気遣いって……なんだかストンと心に入ってじわっと広がった、というか……。うん。今、こういうのにすごく飢えていたんだわ私。

 自分の感動を再確認しながら、ちょっと目まで潤ませてしまっているリョウにレンブラントが、ふ、と笑う。

「それならまた作ってあげますよ。……昔ね、グリフィスが時々作ってくれていたので僕の気に入りの飲み方なんです、それ」

「グリフィスが……?」

 意外な名前が出てリョウが我に返った。

「……そう。ああ、ほら、カミレって鎮静効果があるでしょう、安眠効果とか。……僕がまだ子供だった頃、色々あって落ち込んでいたりイライラしたりして眠れずにいる時にグリフィスがよくこのお茶を作って部屋に持ってきてくれたんです。で、僕のとりとめのない話を聞いてくれた……だから……グリフィスと離れて生活するようになってからも疲れている時なんかはこれを飲むのが習慣になっていたんですよね」

 レンブラントが懐かしむようにゆっくりと説明する。

 リョウは、ああ、この人は本当にグリフィスとの時間を大切に記憶しているんだな、と思えてしまう。

「ああそうだ」

 レンブラントが思い出したように声のトーンを少しあげてリョウの顔を覗き込んだ。

「さっきのリョウの話、グリフィスに通しておきますね。アル並みに知識がある上に信頼できる医学の方面の人間は他にいないと思うので、おそらくアルに声がかかると思いますが……あとはグウィンか……レジーナを使って呼び戻すことになるんだろうな」

 後半の台詞はちょっと考え込むようにしながら。

 なので。

「え……? いいの?」

 リョウが恐る恐る聞いてみる。

 だってグウィンを呼ぶの、賛成しかねる、みたいな感じだったのに。

「いいですよ。必要なことはなんでも言ってください。できる限りの事はしますから」

 なぜか満足気なレンブラントの笑顔に、この際リョウは敢えて突っ込んで訊くのはやめて、手の中で湯気を立てている幸せな香りと味を楽しむのに専念することにした。

 

 

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