新しい服と 木の下での昼食
蜂蜜の店を出て、近くの他の店を見て回ってから小さな食堂で食事をして帰宅したのはだいぶ遅い時間だった。
何しろ、ひたすら北に向かって歩き進んでしまったので帰り道で同じ距離をまた歩かなければいけないということを、すっかり計算し忘れた。
「明日もレンの仕事が休みでよかった……」
心地よい疲れの余韻に浸りながら寝室のソファに腰掛けたリョウがため息を吐くように呟いた。
レンブラントの翌日の仕事に響くのではないかと心配になりすぎて確認できなくなっていたところにレンブラントが翌日も出かけようかなんて言い出したので、ようやくリョウも安心したのだ。
「今日と明日は続けて休んでもいいことになったんです。あとは追い追い休暇を消化するとして」
明日は何か買い出しに行きたいものがありますか? なんて聞いてくるレンブラントにリョウは、うーん、と考え込んでしまう。
「そろそろ肌寒くなってくるから部屋のカーテンを取り替えようかと思っているんだけど……あれは生地だけ選んであとは届けてもらうようにしないとダメよね。きっと持って帰れる量じゃないだろうから。……あとは何か必要なものあるかしら……」
年間を通じて気候はかなり穏やかな地方なので、それほど切羽詰まった用意の仕方はしなくていいと思われるのだけど……何しろ自分は竜族という体質上、気候の変化で体調がどうこう、ということがない。でもレンを始めハンナやコーネリアスが一緒に住んでいることを考えたらその手のことは一般社会のやり方に合わせなければいけないんだろうな……なんて考えながらリョウが呟くと。
「……えーと、そういう仕事はハンナとコーネリアスがやると思いますけど。そうじゃなくてリョウが個人的に欲しいものがないか、という意味だったんですよ?」
隣に座ったレンブラントが軽く吹き出しながらリョウの方を見ている。
「え……個人的に?」
リョウが思わず聞き返す。
だって、特に何も不自由のない生活をしているので、とりたてて欲しいものというのは、無い。
「例えば……何か新しい服とか。最近ずっと同じような服を着ていますよね? そろそろ新しいものがあってもいいんじゃないかと思うんですが」
「え! ちゃんと毎日違う服に着替えてるわよ?」
レンブラントの言葉に思わずリョウがムキになる。
いくらなんでもちゃんと洗ってるし!
「いや、そうじゃなくて! ……言い方を間違えました。ほら、今日会ったカリンなんて差し入れに来るたびに服装も髪型も違ってて最初の頃は違う子が来たのかと思ったくらいだったんです。そんな話をしたら『いろんな色の服を着ると気分が変わって楽しいし、その服に合わせた髪型をすると何が自分に合っているのか自分探しもできるから、女の子っていうのはそうやって楽しむものなんですよ』なんて言っていたんですよ。そういえばリョウはあそこまで毎日いろんな色の服を着たりしないな、と思ったものですから。……髪型も最近はこんな感じですよね?」
レンブラントがそう言ってリョウの髪に手を伸ばす。
サイドの髪を少し残して残りを緩い三つ編みにしたリョウの髪は左の肩から前に垂らしてある。
そういえば、ちょっと前からワンピースよりもブラウスにスカート、その上にゆったりと編まれた上着かショールを羽織る、という格好が多くなっていた。
「あ……これは……えーと……レン、好きかな、と思って」
リョウが記憶を手繰って口を開く。
そう、ちょっと前にレンが珍しく自分のために用意してくれた服がこんな感じだったから、彼の好みに合わせようと思ってこんな感じの格好をすることが多くなっていたのだ。
あれは……そう、アルが来た日だった。
なんとなく思い出しながらポツポツとリョウが説明すると。途端にレンブラントの顔が赤くなった。
「……いや……あれは……アルが診察に来ることになっていたから……そういう格好の方がいいかと思って出して来ただけ、だったんですけど」
「ええ! そうなのっ?」
リョウが勢いで思わず聞き返す。
「やだ……私、てっきりレンはこういうのが好きなのかと思って……」
続く言葉は恥ずかしさのあまり消え入りそうだった。
と。
「え? ……わ、わ! 何?」
リョウは次の瞬間レンブラントに抱き寄せられそのまま抱き締められて、その腕の中で声を上げていた。
「……いいです。それで。リョウがそんなことを考えてそういう風にしていてくれたなんて……!」
しばらくレンブラントの腕の中で解放してもらえなかったリョウがようやく身を離すと。
「リョウ、明日はリョウの物を何か買いに行きます。服でもなんでもとにかく何か買いますからね! これは決定事項です! 僕が選びますから!」
何かを固く決意したような目で見据えられてリョウは何も答えられず、ただ数回小さく頷いた。
そんなこんなで。
「えーと……レン、ここ、なの?」
早速翌日。
リョウが朝から連れてこられたのは、東の大通りの仕立て屋さん。
「ちゃんとしたものを、と思うとこういう所になりますね」
心なしか楽しそうに自分の手を取って歩くレンブラントにあまり意見はしたくない、と思うのだけど。
ここって、確か本当にきちんとした服を仕立ててくれる店だったはず。それこそ今日着ている守護者の上着はここで仕立ててもらった。レンブラントの結婚式の服なんかもここだった。
つまり……えーと、この店に来た場合、まず、服を買うとは言わない。作ってもらう、が、正しいのよね。そして、ここで作ってもらった場合、その服はいつ着ればいいんだ?
……ど、どうしよう……。
若干涙目になりながら、レンブラントに手を引かれて店に入ったリョウは、店主に丁寧に迎えられ、レンブラントは手際よく店主に話を通す。
「守護者様の採寸は前回そちらの上着をお作りいたしました際に済ませてありますので、今日は生地選びとデザインの指定だけしていただければ結構ですよ」
店主に呼ばれて奥から出て来た女性の店員がリョウに声をかけて、奥の部屋に案内する。
案内された部屋は小ぢんまりとした落ち着いた雰囲気の部屋で棚には色んなものが何かしらの規則性をもってしまわれているようだった。
いろんな、生地や釦の見本と思われるもの。それに装飾品のデザイン画のようなものも束にして置かれている。
真ん中に置かれたテーブルは使い込まれてはいるが品の良い造りの木製でリョウとレンブラントはそこに並んで座るように促される。
女性の店員がてきぱきといくつかの生地見本の台帳のようなものを選んでリョウの前に広げると。
「あ……きれい」
リョウが思わず声をあげると店員が笑顔になった。
「良かった! 普段お召しになる、とお聞きしましたのでこちらは軽めの生地の見本でございます。染色にこだわりがありまして普段使いで定期的に洗っても色が褪せにくいものになっております。織り模様が入っているものもございますのでお気に召したものを教えていただければ生地にあったデザインを提案させていただきます。もしくは先にイメージしているものがあればおっしゃってくださっても結構ですよ」
「わぁ……そうなんだ」
そうか、普段着も作ってもらえるんだ……いやしかし、普段着ってそもそもが「作ってもらう」ものじゃないと思うけど。
きれいなものにはつい目を奪われてしまうので、台帳は食い入るように眺めてしまう。それは仕方がないのだけど。リョウの脳裏には昨日見て回った店の中で「お買い得品」のように吊るされていた服が浮かんで来て仕方ない。
似たようなデザインのワンピースやスカート、ブラウスが色とりどりに所狭しと吊るされていた店では女の子たちが一人で何枚も抱え込むようにして服を買っていたけど……ここで買う服の一着分の値段であの服、何枚買えたんだろう……。
「……この色、良いですね」
レンブラントがリョウの隣でポツリと呟いた。
台帳のそのページに取り付けられたその生地は、深みのあるエンジ色に花の模様が織り込まれていて柄は織り模様の濃淡で表現されている。
そういえば、スイレンのところで用意してもらって着ていた上着がこんな感じの色合いだった。なんてリョウが考えていると。
「お召しになる方のご意見が最優先なのでは?」
くすくすと笑いを漏らす女性店員の声。
「え? あ、ああ! 私? そうよね、私よね! うん、きれいだと思うわよ!」
しまった、うっかり自分用に選ぶという概念を忘れてただ傍観してしまった。
そう思って慌てて肯定したものの……いくらするんだろう、これ。
「……この生地でしたら、これをメインに同系色か、軽い色の生地を組み合わせてワンピースに仕立てても良いですし、スカートとベスト、でもよろしいかと思います」
「スカートとベストで、お願いします」
すかさずレンブラントが口を挟んだ。
あ、やっぱりワンピース派ではないのね。
と、リョウは心の中で確認。
そんなこんなで、リョウが値段を気にして若干無口になりそうになっている間に話は進み、それに合わせてブラウスが何着か用意されることになる。ブラウスと一口に言っても生地の種類や色、柄や刺繍などによってかなり雰囲気が変わるだけでなく、襟や袖のデザインも様々で、ついにリョウは考えることを放棄した。
結局。
「リョウ……本当にあれだけで良かったんですか?」
レンブラントが店の外でリョウの顔を覗き込む。
「うん。だって……今だって服はそこそこあるんだもの」
ここはしっかり意思を伝えておこう。と、リョウがレンブラントの目を見据える。
レンブラントが真っ先に声を上げたエンジ色の生地でスカートとベストを仕立ててもらって、ブラウスは二枚仕立ててもらうことになった。
そして守護者の上着もデザインに少しずつバリエーションを持たせて新しいものを数着作ってくれるということで……うん、結局結構な買い物になってるんじゃないかな。まぁ、上着の方は支給品だからこちらで支払うわけではないけど。
上着に至ってはお針子さんたちがかなり楽しんで作っているらしく、規定は色と着丈、あとは都市を象徴する紋様を入れることくらいなのでその範囲内でどれだけ気に入られるものを作れるか、という職人魂に火がついているのだとか。
「……でも、レン、なんか楽しそうね」
リョウが歩きながらレンブラントの顔を軽く見上げる。
と、レンブラントが視線だけリョウの方に一瞬向けて、慌てたように目をそらしながら。
「そ、そうですか? ……あ、いや、まぁ、嬉しいですよ。僕が選んだ服を着てくれるんだと思ったら、そりゃ……」
後半は聞き取れるか聞き取れないかわからないような、独り言のようなものだったが、気づけばレンブラントの耳が赤い。
「そろそろ食事にしますか?」
一つ咳払いをしてから気を取り直したようにレンブラントが言葉を続ける。
そういえばそろそろ昼だ。
「そうね……また昨日の蜂蜜のお店に行く? あそこ、お昼にはサンドイッチとか焼きたてのパンが食べられるみたいだったけど」
リョウがちょっと考えながら答えてみる。
帰り際に手土産をいくつか持たされながら店の主人がそんな事を教えてくれたのを思い出したので。
「……っ! いや……あそこは……もういいです。今日はやめておきましょう! 都市の外にでも行きますか? 前によく行っていたラウの仕事場の近くの木の下あたりに、何か買って持って行くというのもいいかなと思うんですが」
「え? いいのっ?」
リョウの顔がパッと輝く。
城壁の外に出るってものすごく、久し振りなんだけど!
「じゃあ決まりですね。途中で何か買って行きましょう」
「ああ、ザイラも連れてきてあげたかったなー」
以前と変わらない大きな石と大きな木。
周囲は一面緑に覆われて……と思いきや、流石に最近は子供たちの遊び場と化しているせいか、木の周りは地面が踏み固められて草が少なくなっている。
時期的にもこれから少しずつ肌寒くなってくるから草も最盛期を過ぎたといったところだ。
それでもまだ日中の陽射しは暖かく、空も気持ちよく晴れている。
「僕だけじゃ不満ですか?」
空を見上げて思わず呟いたリョウの隣でレンブラントのちょっと拗ねたような声がした。
慌ててリョウが目をやると思い切り不満そうな瞳と目があった。
「え、あ、やだ! そんなことない! ……こないだ東の森に一緒に行くはず……だったから……つい、その……」
慌てて言い直しながらも、ちょっと嫌な記憶まで蘇ってしまってリョウが語尾を濁す。
どうして都市から出してもらえなかったかは理解できた。それが「手違いによるもの」だったことも。でも、やっぱりあのとき感じた疎外感は感覚として残っている。
なので先ほど都市の門を出るときも門衛の顔を見ることができずに、レンブラントの陰に隠れるようにしながら思わず彼の腕にしがみついてしまったのだ。
「ザイラはラウの顔を見にたまにはこっちに来てると思いますよ。……僕は、リョウと二人でいられるなら他の人はいらないんですけどね」
レンブラントはそう言うと、石の上に並んで座っているリョウの頰に手を伸ばしそのままその手を首筋にゆっくり滑らせる。
俯いていたリョウが顔を上げると、目の前に優しく微笑んだブラウンの瞳があって。
「……!」
リョウが息を飲むのと、唇が重なるのはほぼ同時だった。
「……邪魔ですね」
「……へ?」
半ば硬直したままのリョウから唇を離すなりレンブラントが小さく呟く。
何が起こったか把握するのにちょっと時間を要した上に、予想外の一言に思わず目を見開いたまま聞き返したリョウに。
「ここ……前はもっと静かだったのに、と思って。これじゃ、リョウを独り占めしにくい」
「……っ!」
……そういえば、今、後ろの方できゃーなんていう子供の声が聞こえた……。うん、ここに座る時だって周りには子供を連れたお母さま方が数人ほどいらっしゃいました。
多少遠巻きに、といった程度の距離はありましたけど……。こんな「人目につく」ところでの今の行為は、絶対、子供の教育によろしくない!
リョウが真っ赤になって下を向くとレンブラントがなぜか勝ち誇ったように笑顔になる。
「せっかく二人でいるのに他の人を連れてきたいなんて言った罰です。今日は僕以外の人のことを考えてたらまたキスしますからね」
そう言ってレンブラントがリョウの肩をがしっと抱き寄せるので。
「うわわわ! ……分かった! 分かったから!」
リョウが慌てて両手でレンブラントの体を押しやる。
背後で楽しそうに子供達が声を上げているのが聞こえて、ますます顔を上げられなくなるんだけど! もう、頼むからお母さま方! 今日は引き上げてくださいませんか? この人、多分放っておくと今みたいな唇にちゅってするような軽いキスじゃ収まらなくなる可能性があります! なんとなく、気配的にお母さま方まで楽しんでおられるように感じますが、絶対危険ですよ!
なんていうリョウの心の叫びはきっと誰にも届かない。
「リョウ、もっとこっちに来ませんか?」
昼食後、都市の中を移動するにあたって馬車を捕まえて乗ったはいいが、今度は二人しか乗っていないという状況でリョウがなんとなく間を開けて座っているとレンブラントがにやりと笑いながら声をかけて来る。
昼食中はとにかくあれ以上キスされないように、リョウなりにちょっと必死だった。
ふと気づくとレンブラントの視線が自分の口許に固定されていて、慌てて食べることに専念してしまう……、を繰り返した結果、久しぶりに以前通っていた食堂で買ってきた懐かしいサンドイッチだったのにしっかり味わい損ねてしまった。
その後、レンブラントが「昨日の通りに行って何か買いましょう」なんて言うので、本当はもうこれ以上何かを買ってもらうのは気が引けていたリョウだったが、その場から逃れたい一心でその提案を受け入れていた。
で、行き先が北の大通り、となるとさすがに歩いて行くには距離がありすぎる。ということで、馬車に乗ることにしたはいいが……。
「……何もしない?」
なんとなく確認してしまう。
二人きりであると考えるともう、リョウは涙目である。
「さっきの約束を守ってくれれば」
相変わらずレンブラントは勝ち誇ったような笑顔だ。
「なんなら膝に乗りますか?」
「結構です!」
リョウの顔が一気に真っ赤になる。
「じゃ、もっとこっちにおいで」
「う……」
そんなやりとりの結果、目的地について御者が扉を開けてくれた時にはレンブラントにぴったり寄り添うように座ったリョウは腰をしっかり抱かれた状態になっていた。




