北の大通り
「リョウ……」
取り敢えず、先に帰ったクリスとザイラの後を追わせるようにハヤトを見送った後。
「わーーー! レン! 大丈夫だから! 私なら全然平気!」
予想出来るがために振り向くのを暫くためらっていたリョウにレンブラントが声をかけ、反射的に振り返ったリョウの目の前には所在無げに縋り付くような目の……捨て犬なレンブラント。
本当に、捨て犬だ。
と、リョウは思う。
以前は「敵」を恐れて騎士隊や兵士を持たない小さな集落や村では犬を飼う習慣があった。
大抵は番犬として飼われるのだが……飼い主が亡くなるとか仔犬が生まれて世話しきれなくなるとかするとその辺に捨てられていたりした。
もともと人に懐く傾向が強い仔犬などは瞳を潤ませて、小さく震えながら足元に寄ってきたりするからつい抱き上げてしまいたくなるのだが……一度手を出したら完全に懐かれてしまうから責任を持てないのなら目を合わせることもしないほうがいい。
責任を持つつもりがないのなら、手を出してはいけない。
それは、大人たちが子供に言って聞かせる常識の一つ。
「レン……大丈夫よ」
リョウはためらうことなく真っ直ぐに両手を差し出してレンブラントの両頬を包む。
ああ、私は彼を安心させられるように笑えているだろうか。
口角を上げて、目を細める。
そんな表情の作り方を、わざわざ意識するのなんて久しぶりの感覚だ。
そんなことを自覚しながらリョウがレンブラントと目を合わせる。
放っておくとちょっと前にアルフォンスに怒られた時と同じことを繰り返しそうで、今日はそれを阻止してみよう、と思えてならない。
たとえ、私自身の中にはまだ、消化しきれていない不安要素があるとしても。
「私のために、しなくていい仕事をたくさん引き受けて、無理してくれていたのよね?」
なぜだか言葉を一つも発しなくなってしまったレンブラントにリョウがゆっくり話しかける。
「……ええ、まあ。……でも、今思えば、もっとリョウの事を優先すべきだった。リョウのために忙しくしているなんていう考え方はただの自己満足で僕の思い上がりです。仕事にかまけている間にリョウがどんな気持ちでいるかなんて考えていなかった……考える暇がないほどに仕事に……仕事なんかに没頭しすぎていた」
申し訳なさを色濃く映した瞳でレンブラントがリョウの目を覗き込む。
「……ねえ、レン。出掛けない?」
リョウが不意に声のトーンを上げた。
「え?」
「うん、出掛けよう! 私、前に言っていた蜂蜜の店に行きたい!」
一瞬で固まったレンブラントにリョウが畳み掛けるように提案する。
考えてみれば、久しぶりの休みなのだ。
レンブラントは仕事の区切りがついたという事で本来消化していなかった休暇を少しまとめて取ることができる、とのこと。
ハヤトやクリストフは昼食の間だけ、ということで仕事の合間を縫って訪問してきてくれていた。ザイラに至っては、アルフォンスの粋な取り計らいということで急遽、今日は一日休みを振り替えてもらっていたらしい。
リョウの提案を受けて少々ぼんやりしつつも厩舎の方に向かうレンブラントに。
「ねえ、レン。歩いていかない? あなた、最近コハクに乗ってばかりでしょう? 今日は仕事じゃないんだから」
リョウが少し考えながら声をかけた。
なんだか、若干ふらつくように心ここに在らず、な歩き方をするレンブラントを見ているとコハクに跨るや否やいつもの習慣通り颯爽と走り出してしまうのではないかと思えて仕方ない。
今日はゆっくりお喋りでもしながら歩くことの方がメインでいいような気がする。
それこそ蜂蜜の店に行く、というのは取ってつけた理由で目的ではない、というくらいで。
城の敷地の北側にある通用口を通って、都市の北の大通りに出ると意外に小さな店がたくさん軒を連ねていてリョウが目を見張る。
いつもは西の大通りから診療所の方向に向かって以前から使い慣れていた店に行くか、もしくは東の大通り沿いの古くからある店に買い物に行くことが多かった。
特に東側は先の戦いで崩壊した店が多く、復興こそされたがお金を積極的にその辺で使うことによって微力ながらも同じ場所で頑張って商売している人たちの助けになりたい、と思うので。ただ東の大通りは老舗的な店が多くて庶民的な店ではないのでやはり行きなれているのは西の方。しかもあちこちに行くほどの時間もないので、実質的にはまだよく知らないようなものだ。
ちなみに、以前連れていってもらった香水の店。あそこはなれない道を通って小さな路地に入っていったせいで……リョウはもはや一人で辿り着ける自信はない。
「……リョウ、あんまりキョロキョロすると危ないですよ」
レンブラントの声は、いつもの調子を取り戻しているようでリョウが安心したように振り返る。
「……だって、何だか可愛いお店がたくさんあるんだもの」
安心した途端、リョウはいつになく舞い上がった態度を「演じながら」歩いていた自分が少し恥ずかしくなって歩くペースを落としてうつむいた。
そんなリョウの手をレンブラントの手が握る。
「この方が安心ですね。……気になる店があるなら入ってみればいいでしょう」
手を繋いで歩く、というのは周りの目も気になるし少々気恥ずかしく……かといって振りほどくのももったいないのでリョウはおとなしく……何かを諦めた。
色とりどりの生地を店頭に並べて、軒下にも鮮やかな生地を下げている店は裁縫関係の店。かといって東の大通り沿いにある古くからの仕立て屋のような店ではなく本当に生地や糸、それに細工が可愛らしい釦なんかを扱っているだけの店のようだった。
その先には木製の雑貨をずらりと並べた店、ガラス細工をずらりと並べた店、花の苗や切り花を売っている店……と、一見しただけでターゲットを絞ることに抵抗を感じるような店がずっと続いている。
通りを隔てた反対側にも食器を売っている店が数店軒を連ねているが、それぞれ色合いや素材に特徴があるようで店の雰囲気がそれぞれ異なる。
どうやら比較的庶民的な店が主に並んでいるようだ。
リョウはレンブラントに促されてまず最初に足が止まった色とりどりの生地が掛かっている店に入ってみる。
店内は若い女性客が殆どで、皆一様に静かに商品を手に取ったり何かを探したりしている様子。
所狭しと並べられた商品棚に並んでいるのはいろんな素材の生地の反物。それに裁縫道具、色とりどりの糸の束。奥の棚には小さな引き出しがたくさんあって釦の他にも木や陶器、ガラスなどのビーズがあった。
通路が狭いのでさすがに手を繋いだまま歩くわけにはいかないだろうと思いきや、レンブラントが握った手を離すどころかぎゅっと力を入れてくるのでリョウは狭い店内、最終的にはいろんなものを諦める方向で、必要とあらば横歩きをして商品を引っ掛けて落としたりしないように注意しながら歩く。すれ違う女性客が二度見してくるのは……もう仕方ない。
守護者の上着着てますしね。目立ちますよね、邪魔ですよね、本当にごめんなさい。と心の中で謝ってみる。
「わぁ、綺麗……」
思わず立ち止まったのは糸の棚。
木枠にきちんと整理されたかせ糸が素材ごとに色分けして並んでいる。
そのグラデーションも綺麗だが、色彩のバリエーションがなかなか素敵。
鮮やかな色やくすんだ色、明るい色や暗い色と、組み合わせによっては可愛らしくも渋くもなる。
そういえばレンに髪を結ぶのに使う紐を作ってあげようかと思っていたんだった。
なんて事を思い出した所で、折角だから今度こっそり買いに来てこっそり作ろうかな、などと思い直す。
そういえば最近ルーベラと会う機会がほとんどない。仕事が忙しくなったらしいしレンブラントが所属している隊ではないから行動パターンも分からない。……ハンナは紐の組み方なんて知っているだろうか。
「……リョウ、糸が欲しいんですか?」
余りにもまじまじと見ていたせいかレンブラントがリョウの耳元にそっと顔を寄せて訊いてくる。
「あ、ううん。……今のところはいいかな。綺麗だな、と思って」
リョウが思わずにっこり笑ってごまかす。
いけない、いけない。「こっそりプレゼント企画」が早速頓挫するところだった。
いくつかの店を眺めているうちに日差しが暖色を帯びて来た。
「やだ、もうそんな時間なの?」
レンブラントがこっそり懐中時計を出して見ているのに気づきリョウが声を上げる。
「ああ、大丈夫ですよ。コーネリアスには夕食はいらないと伝えてありますからその辺で食べて帰りましょう。そう思えばまだゆっくり見て回れますよ」
レンブラントがそっと時計をしまいながらにっこりと微笑む。
大通り沿いはよくみればガス灯がかなり設置されている。ということは、この辺りの店の閉店時間は遅い、ということなのだろう。
「疲れませんか?」
レンブラントの一言にリョウのお腹が鳴った。
「ごめんなさい……疲れてるわけじゃないんだけど……」
リョウが思わず目を泳がせるとレンブラントが軽く吹き出した。
「だいぶ歩きましたからね。夕食にはまだ早いから……お茶にしましょうか。例の蜂蜜の店は店内で軽食が食べられますよ。その数軒先です」
……蜂蜜のお店で軽食! 何その素敵な組み合わせ!
リョウが一気に目を輝かせたのは言うまでもない。
「わぁ! 可愛い……!」
ちょっと賑やかな店内で小さめのテーブルにレンブラントと向かい合って座ったリョウは目の前に出された小さなカップケーキの盛り合わせに目を輝かせた。
いくつかあるメニューの中から気を遣わないで食べられそうなものを選んだのは……だって、そば粉のガレットとか、木苺のムース、それにワッフルにプディングなんて……名前を聞いただけじゃ形が思い浮かばないから食べ方だって想像つかなかったんだもの。
お店の売りは、全てのメニューに蜂蜜を使用している、という事だったけど隣の席の女の子たちがカップケーキの盛り合わせを楽しそうに摘んでいたのでそれにしたのだ。
「ああ、本当だ。……最近このサイズのカップケーキはあまり見かけなくなりましたしね」
レンブラントがくすりと笑う。
都市の復興作業の間にすっかり定着した、街の人気商品のカップケーキはそのお店の名物として発祥した手のひらと同じくらいと言ってもいい大きい物。その後、パン屋や菓子店でもそれにならって大きいサイズの物を売るようになったので最近は小ぶりなものはあまり見かけない。
手に取ると、ふわっと軽い小さめのカップケーキは、色とりどりのアイシングや砂糖漬けの花で飾られており、チョコレートがかかっているものもある。
濃いめに入れられたミルクティーには蜂蜜が入れられており、案外さっぱりした口当たりのカップケーキとの相性もいい。
「レン、このお店初めて来たの?」
メニューに迷った時にレンブラントも目を泳がせていたのでそんな気がしてリョウが聞いてみる。
「そう、ですね。……この先の路地を入ったところに小さな会堂があるんですけど、そこで古い文献の写本作業をしていたんですよ。作業を監督するためによくそこに行っていたんですが作業の合間の休憩用にここの蜂蜜とパンを届けてくれる人がいたものですから、店は知っていましたけど……入ったのは初めてですね」
「ふーん。休憩用に!」
なんだか素敵なお茶の時間が楽しめそう。そうか、パンに蜂蜜をつけて食べるって発想がなかったけど……美味しそうだな。
などと想像してみる。
「そう、多分ここの店の娘さんなんですけどね、あまりにも『うちの蜂蜜は美味しいです!』って毎回力説するもんだから、じゃあ今度店にも顔を出しますね、なんて言ったんですが……今日はいないみたいですね」
レンブラントがカウンターの方に目をやりながら教えてくれる。
「あら、それじゃ、会ってから帰らないともったいないわね」
リョウも思わずカウンターの方に伸び上がるようにして目をやってみる。
カウンターで働いているのは髭を生やした男性と、キビキビと動く女性。
夫婦、かな。なんて思う。
「ああ、いいですよ、リョウ! 別に約束して来てるわけでもないんだし、会わなきゃいけないというような相手でもないんですから」
レンブラントに制されて、ふーん、とリョウが席に座りなおし。
「だって、レンが仕事の話をすることなんて珍しいじゃない? よっぽど会っておきたいのかと思ったんだけど」
そう言いながらミルクティーのカップを取り上げると、目の前でカップを口元に運んでいたレンブラントがいきなりむせこみ始めた。
「え、大丈夫?」
リョウが腰を浮かせたところでレンブラントが。
「だっ、大丈夫です! 別にそんなんじゃないです! 会っておきたいとかそんなことは断じて!」
声こそ抑えているとはいえかなり焦った様子のレンブラントにリョウが吹き出す。
「別にいいんだけどなー。可愛い娘さんなわけ?」
ニヤリ、と笑って見せたりして。
「……だいたい、仕事の話だって……リョウに聞いてもらえるような面白い話なんて無いんですよ。そもそも僕はリョウみたいに人を楽しませるような話をするのは苦手なんです。僕の話なんか聞いたってつまらないだろうからしないだけで!」
珍しくレンブラントがだんだん必死の形相になって来た。
「えーつまらないなんて思ったことないけど」
リョウは終始くすくす笑いっぱなしだ。
と。
「レ、レンブラント隊長っ?」
結構な声がして一瞬店内が静まり返った。
声がしたのはリョウの斜め後ろ。リョウが反射的に振り返ると声の発生源は店の入り口付近に立ち尽くしている女の子。
「……っ!」
ここでレンブラントが息を飲んだ……ところを見ると、この娘さんが今話していた彼女なんだろうな、と、リョウが察する。
濃いブルーのワンピースに白いエプロンは多分店の手伝いをするための格好だろう。
年の頃は十代後半かせいぜい二十歳。赤に近い濃い金髪は癖が強そうで、背中にきっちり三つ編みにして下げている。色白な肌にそばかすがあって、大きな濃い青い瞳は好奇心の旺盛さ、そして意志の強さを感じさせる。
その大きな瞳は、名前を呼んだレンブラントではなく、なぜかリョウに向かっており……なぜか茫然自失といった表情。
「……こら! カリン! お客様になんだ、その態度は! ……すみません! あ……、守護者様?」
一瞬とはいえ店が静まり返ったので、店主と思われる男性が飛んで来た。
うん。すみません、私のこの格好だと目立ちますよね、ご迷惑だったでしょうか……? なんてリョウが心の中でつぶやいて反射的に出来るだけ小さくなるように身をすくめる。
周りのお客さんたちも、また会話を始めてはいるけれどチラチラとこちらを見ているのがわかる。
「ああ、いいんです。僕がなんの前触れもなくここに来たものだから驚かせてしまったみたいで」
レンブラントが静かに席を立って軽く店主に頭を下げた。
へ? という感じで男性が言葉に詰まっているところを見ると……この二人は初対面なのかな? なんてリョウはおとなしく観察を続ける。
「そこの会堂で写本の作業中にこちらからの差し入れをよく頂きました。とても美味しかったので今日は妻を連れて来たんです」
レンブラントの穏やかな挨拶に店主が何かを思い出したように一旦、先程カリンと呼んだ女の子に目をやりその直後、レンブラントとリョウに深々と頭を下げた。
「そうでしたか、貴方が監督の隊長殿。奥様が守護者様だったんですね。すみません、うちの娘がとんだ失礼を!」
あまりにも恐縮する店主はもはや、こちらが「いえいえ、迷惑なんて……」とかなんとか言っても聞いてはいないようで「何かお詫びの品をお持ちしますのでそのままお待ちください」なんて言いながらカリンを引きずるようにしてカウンターの向こうに消えて行った。
「えーと、カリンちゃん……可愛かった、わね?」
ため息をつきながら席に座りなおしたレンブラントにリョウが話しかける。
うん。あの子、凄く可愛かった。思い出すと頰が緩むけど、表情が凄く変化に富んでいて。
「リョウ……それ、どういう意味で言ってますか?」
テーブルに片肘をついてその手で額の辺りを押さえながら視線だけリョウの方に向けたレンブラントが恨めしそうに答える。
「んー、言葉の通りよ。金髪も綺麗だし、目もぱっちりしていて美人さんだった。……あ、前にハヤトの隊にいた人も金髪に青い目だったけど彼女とはまた違った可愛らしさね。性格も素直そうだったわね」
リョウはまだ皿に残っていたカップケーキを摘み上げて紙のカップ部分をゆっくり剥がしながら素直な感想を言ってみる。ケーキがふわふわだからゆっくり剥がさないと身がもげる、と、つい慎重になりながら。
「……僕は黒髪の方が好みです」
ボソリと、ようやく聞き取れる程度の声量でレンブラントが呟いた。
「……ふ、ふーん?」
どきり、とリョウの心臓が跳ね上がり、それを隠すようにリョウは軽めに受け流す。顔を赤らめているレンブラントを直視してしまうとこちらも赤面してしまいそうなので敢えて目は合わせずに、二つに割ったカップケーキの片方を口に入れる。
うん。檸檬の果汁を使ったアイシングがさっぱりしていて美味しい。
「……瞳の色だって、青なんかじゃなくて……」
「はい、あーん」
リョウが残った片方のカップケーキをにっこり笑ってレンブラントの口元に持っていく。
このまま喋らせたら、なんだか、とてつもなく、恥ずかしい思いをしそうなので。
一瞬ためらったレンブラントが、差し出されたリョウの手を掴んで固定して、ケーキを口に入れた。ついでのようにリョウの指先も舐める。
……しまった。これはこれで、恥ずかしい。
リョウは赤面してうつむいた。




