言葉の威力
「じゃ、あたし診療所の手伝いに行ってくるわね!」
食堂で食事を終えたところで勢いよくザイラが立ち上がる。
「はいはい。行ってらっしゃい」
リョウがにっこり笑って見送り、ルーベラが口一杯に頬張ったデザートのケーキを気にして手だけ振る。
ザイラはすっかりアルフォンスの手伝いが板についたようで正式に診療所で働くことになっていた。
腕のいい医師が何人か集まっても来たので第三駐屯所は今ではこの周辺都市に誇る規模の診療所として機能している。
軍の需要が減り、都市に四つあった駐屯所は一つになり騎士隊も縮小された。もちろん数が減った分結構な規模の施設にはなっているようだが。
都市の復興作業はまだ少しずつ行われているが、収束に向かっており都市全体が新しい活気を帯びてきているのだ。
「ルーベラはこの後どうするの?もうそろそろ休暇もなくなるんじゃない?」
ルーベラがお茶をテーブルに置くのを見計らって尋ねる。
戦いで負傷した者たちは三ヶ月の休暇が無条件に与えられていた。セイリュウのおかげで都市にいた戦いで負傷した者たちは完全な治癒を経験していたが精神的なダメージを考えて休暇を取ることが奨励されたのだ。
おかげでこの都市の軍関係者やその家族、または彼らの関わる人たちの、都市のやり方に対する印象は格段によくなり、実際に休暇をとっている者たちに至っては仕事に復帰するのを心待ちにする有様で、なおさら活気につながっているようだ。
「それがですね。うちの隊って今のところの仕事が壊れた民家の再建じゃないですか。女のする仕事じゃないからって、隊長があたしのこと仲間はずれにしようとするんですよね」
「……は?」
思い出したように頬を膨らませるルーベラにリョウの目が点になる。
……仲間はずれ……?
「あ! そうだ! この際リョウさんからも言ってくださいよ! あの人絶対女性を差別してます! 人のこと使い物にならないみたいに扱うのやめてほしいんですよね」
……きっと何かが行き違ってるんだと思うけどな。
そう思いながらリョウが軽くこめかみを押さえる。
「……えーと。具体的に何か言われたの?」
リョウが尋ねると。
「ちょっと待て、って言うんです。せっかく休暇が消化できたのでアウラの手伝いをしようと思ったら、思いっきり止められました。で、次の指示を出すまで待ってろって」
アウラっていうのは、風の部族のあの元気な男の子だろう。
リョウはルーベラがよく話すので新居の改装で風の部族の作業隊が来たときにちょっと確認してみていた。
確かグウィンもその部隊で働いている。
何しろ竜族の力仕事は半端なく捗るから、ハヤトの率いる部隊は本来都市の東側だけを担当していたはずなのに今や活動範囲を広げて元々は第二駐屯所が受け持っていた区域まで手伝っているのだ。
「うーん……で、具体的に何をやろうとしたの?」
なんとなくその先を予想できそうな気がしてリョウが頬を引きつらせながら聞いてみる。
「え? 何って普通に仕事ですよ。みんなみたいに家を建てる仕事!」
キラキラした笑顔でそう言い切るルーベラを見てリョウは。
「……あー、分かった。機会があったらハヤトに言っておくわ……」
とだけ答えてみる。
……うん。この子。多分、竜族の働きっぷりを見て思いっきり何かを誤解している。自分にも同じようにできると思っているに違いない。
だいたい、彼らの体力は瞬発力も持久力も人間のそれとは格段に違う。
しかもその仕事に携わっているのは騎士として肉体的にも訓練された男たちだ。いくら騎士とはいえ人間の女の子が一緒に働けるはずがない。
だいたい、ハヤトの部隊だって人間の騎士たちと竜族の騎士たちはうまく分けて作業に当たらせているように見えた。街で作業している彼らを見かけたときも指示を出すのは正規のハヤトの部隊の一級騎士が任されていたと思うけど、作業自体は竜族と人間が別グループになっている、みたいな感じだったし。
で、彼女、今「アウラを手伝おうとした」って言ったところをみると竜族のグループに加わろうとしたのではないかと思われる。
……あれ?
「ねえ、なんでアウラのいるところに入ろうとしたの?竜族の作業グループに入る必要はないんじゃないの?」
「え? だって、あっちの方が格段に楽しそうなんですよ?どうせなら楽しく仕事したいじゃないですか。それに従来のうちの部隊のメンバーって任されている仕事が少ないから手が足りているんですよ」
……仕事が少ないんじゃなくて、それが人にできる限界量なんだと思うな……。それに、楽しそうにしているのは決して仕事自体が楽だからとかじゃなくて体力が有り余ってるからであって……そりゃ見てるだけなら簡単そうで楽しそうかも知れないけど、女の子が実際に手出ししたら絶対に周りの迷惑になるか……下手したら体壊すわ。
「……それに、やろうと思えばなんだって出来るのに、何もしないでいるっていうの……なんか嫌なんですよね」
ほんの少し声のトーンを落としたルーベラがテーブルに頬杖をついてちょっと不機嫌そうな顔をする。
何かを思い出したように眉間にしわを寄せたその表情にリョウが「ふうん?」と軽く相槌を打つ。
「なんか、ね。そういう人たちを前に見たことがあって。……自分にどこまでできるかわからないのは誰だって同じだと思うんですよ。やろうと思ったことが実は自分の限界を超えていてできないことかも知れない、ってこともあると思うの。でも、それってやってみなきゃわからないじゃないですか。やってもみないで『自分には無理』とか『そういうことは他の人に任せればいいじゃない』みたいに考えるのって人生を無駄にしてると思うんです。それにね、人間って案外本気でやれば大抵のことはできるし、出来なくてもそれなりの結果は出せるもんですよ」
話し出したルーベラは更に勢いづいて話し方にも熱がこもる。
「志半ばで意に反してやりたい事を途中放棄せざるをえなかった人たちだって沢山いるっていうのに……って思うんです。あたしの友達なんて、鍛冶屋の技術を磨いていい剣を作ろうとしていたのにその途中で死んじゃったんですよ? そういう人がいるって事を考えたら、生きていてちゃんと体が動くうちに自分を出し惜しみしないようにできるだけのことはしようって、思うんですよね」
……ああ、そういえば、レンブラントからも聞いていたな。
なんて思い出しながらリョウが頷く。
ルーベラはウィリディスという人を追いかけて旅をした挙句、彼の死を知らされたのだった。その彼を友達、と呼ぶのは……思いを伝え損なったままだったから。そんな話もルーベラはしてくれた。
今更ながらリョウはルーベラの人間性にハッとさせられる。
自分だったらここまできちんと割り切って冷静になれるだろうか。自分の経験を自分の生き方の糧にする、その消化力。潔さ。
まぁ、たまに、本当は考えが浅いんじゃないかとびっくりさせられることもあるんだけれど。
「……強い、わね」
ぽそりと、リョウの口からそんな言葉がこぼれる。
「……ええ? 守護者様に言われるほど強いなんてことはあり得ませんよー?」
途端にルーベラがへらっと笑って首をかしげる。
……ああ、これは。ちょっと、いや、かなり可愛いかも。
薄っぺらな可愛らしさじゃなく、信念を持って本気の生き方をしている子が見せる抜け感。というか。なんだか本気で応援したくなってしまう。
ついリョウは頬が緩む。
「だから、ですね。リョウさんから隊長に言ってやってくださいね。仕事よこせって! ……ふふふふ。いくらあのわからず屋でも守護者様が言うことなら聞くでしょう」
……あ、やっぱり、考えが浅いだけなのかもしれない……。
夜。
リョウがお風呂で髪を洗っていると背後で人の気配がした。
「え、うそ……っ!」
しまった、油断した!
「ふーん……結構詰めが甘いですね」
楽しそうなレンブラントの声。
昼間のルーベラとのやり取りが楽しかったので鼻唄混じりに髪を洗っていたら、最近入ってこようと狙っているから注意していたレンブラントの気配を警戒するのを忘れていた。
しかも今日は先にシャワーを済ませてくれていたから、本当に完全に、油断した……。
そして、多分、今、一番、どうにもならない状況だ。
「……レン……分かったから今こっちに来ないでね。そして、おとなしく湯船に浸かったら、こっち見ちゃダメだからね!」
静かに牽制してみる。
これで騒ぐと後ろから抱き締めてくるような気がしてならない。
髪が泡だらけで身動きがとれないので、とにかく流してしまうことに専念する。
……こっちを見ちゃダメ、って言ったんだけど……視線を感じるのは、きっと気のせいじゃないと思う……。
泡を流して、急いで髪をひとまとめにして浴槽を振り返ると、それと同時にばしゃりと音がしてこちらに背を向けたレンブラントが目に入る。
「……今、こっち、見てたよね……?」
リョウが出来るだけ声のトーンを抑えて聞いてみる。
「あ、見てほしかった、ですか?」
楽しそうにそう言って振り返ろうとするので。
「結構ですっ! 私、先に上がるね!」
なんて思わず口走ってしまう。
「え、わ! それは……駄目です!」
レンブラントが慌てて浴槽の縁に手をかけて立ち上がるので。
「わー! ちょっと待って!」
目のやり場に困るんだってば!
リョウが思い切り後ろを向く。
タオル巻いててくれるのはありがたいです。でも、ですね。レンの場合、そういう問題じゃないんです!
あの筋肉質の体って……なんで隅々まで色っぽく見えるんだろう! っていう、視覚に暴力的な影響を与えるのよ。……本人は絶対自覚してないから余計ヤバい!
そんなこんなで、取り敢えず、一旦背中を向けて端によってもらってからリョウが湯船のレンブラントの隣にそろりと入る。
「……ふぅ」
思わず息をついてしまうのは……お湯に浸かった条件反射だけではなく……やっぱりこの人の隣は安心できるから、なんだろうな。なんて思いながら。
「今日は、何か良いことでもあったんですか?」
レンブラントがリョウの方にくるりと向きを変える。
なので、とっさにリョウはそのレンブラントに背中を向けようとして、はたとこれでは背中の傷が丸見えだということに気づき咄嗟に髪を下ろす。さらに伸ばしかけていた足は膝をたてて抱え込む。
くすり、と笑う気配がしてリョウの両脇にレンブラントの足が伸ばされて後ろから抱き締められる。
この一瞬はどうしても緊張で体が強ばる。
髪を挟むようにしてレンブラントの肌を感じるだけでも緊張感が伝わっているだろうからちょっと恥ずかしい。
「背中……隠さなくていいんですよ?」
レンブラントが耳元で囁く。
「う……ん、でも……」
そうは言われても、間近で見て気持ちのいいものではないことくらいリョウが一番よく知っている。ので、何と答えて良いか分からずに曖昧な返事をしてしまう。
レンブラントが息を吐くような笑みをこぼす気配がする。と、同時にリョウの髪をレンブラントはひとまとめにして左の肩から前に落とした。
それからゆっくり傷痕を指がなぞる。
「……っ!」
リョウが体を更に強ばらせて身をよじる。
そんな反応を楽しんでいるかのようにレンブラントは少しの間をおいて、改めてリョウの体を抱き締めた。
「……大丈夫。何もしませんよ。少し話をしたいと思っただけです」
耳元でレンブラントが囁く。「何もしない」と言いながらも耳に触れるのは囁く息ではなくて確実に唇だ。
なので、リョウの一度強ばった体が再び、びくりと震えて今度はさらに心臓の鼓動が跳ねた。
「……足、少し伸ばしてごらん? 大丈夫、ここからじゃ見えないから」
抱き絞められて上半身が動けないまま耳元で囁かれ、更に耳にキスされ続けると、もうどうにも抵抗すらできそうになく、その言葉だってどこまで信用できるか分からない気はするけれど言われた通りにせざるを得なくなる。
……あ。
言われた通りに足を伸ばすと、同時に深く息を吸い込めて……なんだか気持ちが落ち着いた。
なので、ちょっと体を後ろに預けてみる。
「……そう。いい子ですね」
レンブラントが再び囁くと首筋にキスをしてくるので。
「……っ! 何もしないって言った!」
リョウが軽く後ろを振り向きながらレンブラントを睨み付ける。
「……はいはい」
レンブラントからは聞いてるんだか聞いていないんだか分からないような返事。
リョウはあからさまにため息をひとつついてみて。
「ルーベラがね……」
取り敢えず、今日あったことを話し出してみる。
「あの子って、なんだか無鉄砲なわりになんでも器用にこなしちゃうから面白いなって思ってたんだけど……なんだかちょっと分かった気がして」
「ふうん……どんなことろが?」
レンブラントの相槌はなんだかとろんとして甘い。
「いつも……本気なのよね。あれってすごいと思う。騎士としての仕事だと文字通り命懸けになるから笑い事じゃないんだけど……でも、そういうことが出来たから、今も何をするにも本気で取り組めるんだなと思って」
リョウの心にルーベラの言葉が心地よく引っかかっている。「やってみなきゃ分からない。それをやらずに諦めたら人生を無駄にしているのと同じ」
なんだか、ハンナに言われた言葉を思い出してしまう。
「あんな風に前向きでいられるって、可愛いわよね」
「そうですね」
……あれ。
レンブラントが私の意見に同調してくれるのは嬉しい……けど、なんか今の「そうですね」は。
「……ハヤトってカッコいいわよね」
わざと、ほやんとした声で言ってみる。
「そうです……ね……え?」
あ、ちょっと反応した……。
リョウが微かにため息をつく。
「え? ……リョウ、ハヤトに何か言われたんですか? 今日、ハヤトがリョウのところに行ったんですか? ……カッコいいって……?」
うん。
慌てふためくがいい。
リョウが口許を歪めて笑いをこらえる。
「……リョウ?」
心底、心細そうなレンブラントの声にリョウはついに笑いが堪えられなくなった。
「……あのね! レン、確かにルーベラは可愛いけど、あなたがそれをあんな風に肯定すると私はそういう気持ちになるのよ?」
バスルームで笑うと案外声が大きく聞こえて、冷静になるのも早い。
なので、リョウは一呼吸おいてから上半身を軽く捻ってレンブラントの目を見ながら訴えてみる。
「え……あ、ああ、それは……すみません。そんなつもりではなくて……」
レンブラントが、さらにしどろもどろになるので、リョウはちょっと可哀想に思えてきて。
「分かってるけどね……」
上半身だけでなく体の向きごと横向きになり、レンブラントの胸にもたれ掛かる。
もたれ掛かった胸の鼓動が速いのが伝わってきた。
「え? ……リョウ?」
あら、もはやなんの話をしているか分からなくなっちゃうくらい茫然自失? そうか……ハヤトを誉めるのってそんなに威力があるのか……。うん、覚えておこう。
なんて、密かに思いながら。
「レンのことは信じてるから大丈夫よ、って言ってるの。ルーベラが可愛いのは仕方ないけど、ルーベラが好きっていうのとは違うんでしょ?」
「当たり前です! そんな気持ちが欠片でもあったらリョウと結婚なんかしない! やましいことは何もないから旅の間にあったことだって全部話したんですよ?」
間髪入れずに捲し立てるレンブラントにリョウは思わず微笑む。
「うん。だから信じてる、って言ったの。でも、ちょっとだけ、言葉に気を付けてくれたら……嬉しいかな」
なるべく重くならないようにそっと、言ってみる。
だってね、レン。
あなたは今のところ気付いてないかもしれないけれど。
もしかしたら、いつの日か。
竜族なんかじゃなく、同じ時間を生きる事が出来る人間の女の子を伴侶にした方が良かった、なんて、思う日が来るかもしれないじゃない。
あなたがもし、そんな風に思うようになったとき、私がそれにどう反応するか……私にも予測できそうにない。
だからね。
今の内に、そんなことになったときに私が傷つかないように予防線を張らせてね。不意に出た言葉に傷付いてしまわないように。
「……で、ハヤトは何か言って来たんですか?」
相変わらず心配そうにレンブラントがリョウの顔を覗き混む。
「え、ハヤト?」
リョウがわざとしらを切るように聞き返す。
ふふん。
いつもレンには敵わないと思わされっぱなしなのだ。
ちょっと、焦らしてみよう。
なんて、思ってお湯から上がる。
大きめのタオルを体に巻き付けてドアを閉めると湯船で脱力するレンブラントの気配。
あ、ちょっとがっくりしてる。
仕方ないから、ベッドでゆっくり誤解を解こう。それまでもう少し、落ち込ませてみよう。
リョウは悪戯っぽい笑みを浮かべている自分を鏡の中に見つけた。