出逢いの余韻(おまけ)
「リョウが楽しそうで良かった」
夕食を済ませて寝室で二人きりになるや、レンブラントが安心したようにソファーに沈み込んでリョウを見上げた。
「え? ……ああ、そうね。なんだか久しぶりに笑いが止まらなかったわ」
リョウは両手で自分の両頬を包むようにしながらふらふらとレンブラントの隣に腰を下ろす。
笑いすぎて……いや、大笑いしていたわけでもないのだが、とにかくずっと笑っていたようで頬の辺りの筋肉が、痛い。その上、笑ったまま表情が固まったような感じだ。
昼間、コーネリアスとハンナが来てからまず、お茶を入れて二人の話を聞いて、家事の手伝いを頼むに当たってやってほしいこととリョウが自分でやりたいことを説明して、二人に使ってもらう部屋の説明をして……なんてやっている間に時間はあっという間に過ぎた。
その間、ハンナとリョウは意気投合してしまい、ついにはコーネリアスがハンナに「自分の主人を名前で呼んではならない」などと注意するまでになった。
リョウは一向に気にしていなかったので名前で呼んでくれて構わないと言い張ったのだが夫妻は以前、きちんとした屋敷で働いていたという経験があって雇われているとのことでリョウを「奥様」と呼ばなければならないと言い張り……そんなくだらない言い合いは笑いの絶えないままレンブラントが帰って来るまで続いたのだ。
「……でも、奥様っていうのは……ちょっと抵抗がありすぎる……」
口許は笑った形でほぼ固まったまま、眉間にシワを寄せたなんとも言いようのない表情でリョウがつぶやく。
口許が笑った状態で発せられる言葉というものは声そのものが明るくなるので、リョウとしては深刻なのだが隣でレンブラントが軽く吹き出したところを見ると、笑い事として捉えられているらしい。
「いいじゃないですか。僕の奥様、なんですから」
なんて言いながらレンブラントがリョウの腰に腕を回して自分の方に引き寄せるのでリョウはそのまま、こてん、と頭をその肩に乗せてみる。
「……レンなんて、旦那様、とか呼ばれるのよ? ……あ、それは別に違和感ないか……」
自分で口に出しておいて「旦那様」という言葉にリョウが赤面する。
やだ。
全然、違和感ない……っていうかむしろ、なんかかっこいい……。
そんなことを思いながら、斜め上に視線を向けるとレンブラントがなぜか明後日の方向を向いている。
「……レン?」
リョウが訝しげに声をかけると、レンブラントの視線がそろそろとリョウの方に戻ってきて。
「……リョウ……今の、もう一回呼んでもらえませんか?」
「え? 旦那、様……?」
リョウが意味がわからなくて上目遣いのままゆっくり区切りながら答えると、途端にレンブラントの耳が真っ赤になった。
「え! レン! 照れてるのっ?」
ここは食いついてやる! いつも私がレンに見とれて赤くなるのをニヤニヤして見られているんだから、ここはしっかり食いついてやる!
とばかりにリョウが嬉々としてレンブラントの顔を覗き込む。で。
「ほらね、ほらね! 照れくさいでしょ! そんな呼ばれ方恥ずかしいでしょ! だから名前呼びを奨励しましょう!」
リョウとしてはもうレンブラントの胸元に掴みかからんばかりの勢いだ。
なのに、なぜかレンブラントは右手で口許を覆いながらリョウを見下ろして沈黙している。
「……?」
妙な間が空くのでリョウが少々神妙な顔になると。
「……いや、他人にどう呼ばれても気になりませんけど……リョウにそう呼ばれるのは……ちょっと……破壊力が……」
え!
見下ろされる視線の質に見覚えがあってリョウが一瞬身構え……。
「わーーーー! ちょ、ちょっと! レン!」
しまった、油断した! 今のは我慢できなくなって抱きついてくる時の視線だった!
そんなことに思い当たった時には時既に遅し、で、リョウは力一杯抱きしめられており……これがしばらく解放されない種類のものである事も理解していた。
「……ねぇ、レン」
ゆったりしたソファの肘掛けに頭を乗せて横になったまま、リョウが自分の胸元に顔を埋めた状態で覆いかぶさっているレンブラントの頭をゆっくり撫でる。
レンブラントの腕が背中から肩に回ってゆるく抱きしめられているのでとても心地いい。
リョウの声にレンブラントがほんの少し頭を動かすがぼんやりしているようで顔を覗き込んでくるほどではない。
そんな様子にリョウが小さく笑いをこぼしながら。
「あの二人を雇うことに決めた理由って……」
囁くような声でそう言いかけるとレンブラントがわずかに顔を上げた。
「……ああ、一応うちで雇う以上は経験者を、ということで何人か候補が上がっていたんですけどね。……僕としては若い人よりある程度経験豊かな熟年層の夫婦を望んでいましたし……あとは……名前、ですかね」
あ、やっぱり。
リョウがゆっくり目を細めた。
ハンナ。偶然にしては出来すぎていると思ったのだ。
まぁ、候補者の中にそんな名前の人がいたという偶然にもびっくりなんだけど。
「リョウの方が僕より長い時間彼らと一緒にいることになるわけだから少しでもリョウが親しみを感じられる人が良いだろうな、と思いまして……。余計なお世話、でしたか?」
レンブラントがリョウの顔を覗き込む。
「え、そんなことない! 凄く嬉しかったの。名前がおんなじだったから最初から会話が弾んだのよ」
ルースの母親の、ハンナ。
レンブラントへの想いを後押ししてくれた、そして、グウィンを理解する取っ掛かりも作ってくれた人。
あんな人がいつもそばにいて色々教えてくれたらいいな、なんて思っていた。
もちろん、コーネリアスの妻のハンナとルースの母親のハンナは別人だから同じことを期待するわけにいかないことも知っている。
でも、どことなく、物腰が似ているような気もしたのだ。
ルースの母親であるハンナは、ルースと同じ黒くてキラキラした瞳だったが、コーネリアスの妻であるハンナは灰色に近い青い瞳をしていた。
黒くてキラキラした瞳は好奇心旺盛な少女のような印象があってつい寄り添いたくなったが、落ち着いた青い瞳は動じることのない優しさを印象付け、そばにいて落ち着く感じだった。髪もきっちり結い上げるというより、ふんわりと結っていて優しさやゆとりを感じさせてくれた。そういう些細なことも全部ひっくるめてリョウは親しみやすさを感じていた。
「……本当に?」
リョウがしばらく込み上げてくる記憶を楽しむように沈黙しているとレンブラントが声をかけてリョウの上に屈むようにして起き上がった。
リョウが背中から引き抜かれた腕に寂しさを感じながらレンブラントの顔を見上げる。
「うん。ありがと」
体から離れた体温が恋しくてその首にしがみつくように腕を巻きつけるとレンブラントが再びリョウの体を抱え込むように腕を回してくる。
「……よかった。……それに、使用人が居てくれれば安心できそうだ」
「え?」
安堵するようにリョウの首筋に顔を埋めるレンブラントの言葉にリョウが微笑みを浮かべたまま小さく聞き返すと。
「リョウが一人でどこかに行っても行き先を聞いておいてもらえれば夜中に探し回らなくて済むでしょう?」
「あ……」
レンブラントに黙ってセイジの所に行った日のことがリョウの脳裏をよぎる。
きっと、レンはあの時のことを言っている。
そんなことは瞬時に理解出来た。
私がいなくなっていて、レンがどれだけ心配したか。セイジの所に行ったという可能性を思い当たった瞬間からどれだけ生きた心地がしなかったか。
そんな思いをするくらいなら、誰かが家にいるようにして、もし万が一私が夜に出掛けることがあってもどこに行ったか、いつ帰ってくるか教えてもらえたらどれだけ安心するか。
そういう意味の言葉であることはすぐに理解できたけれど。
胸の奥に一瞬走った嫌な痛みは……ここ最近、頭の片隅に芽生えてしまった嫌な考えに基づく、不当な疑いゆえの痛み。
「……大丈夫よ。私、どこにも行かないから。レンがここにいろって言うならずっと家から出なくってもいいのよ?」
嫌な痛みの根底にあるものから目を背けたくて、リョウはそっと口許に微笑みを作って腕に力を込める。
「……こら。そこまでしなくてもいいって言ってるでしょう」
レンブラントはくすりと笑みをこぼすとリョウの額に自分の額を寄せて柔らかく微笑み、リョウを抱き上げてベッドに運んだ。




