新しい出逢い
「ああ、そういえば」
朝食を食べたあと、食後の紅茶を手に取ったレンブラントが顔をしかめた。
「……あ、ごめん! レン、このお茶、ダメだった?」
リョウがなんの確認もせずに淹れてしまったのはスパイス入りのミルクティー。
以前、ルーベラと大量に買ってしまった茶葉は案の定香りが落ちてきてしまったので最近はフルーツを入れたアレンジティーが多かったが、朝は少し肌寒くなってきたので数種類のスパイスを入れて煮立てたところに茶葉を入れて多めのミルクで仕立てるこっくりした紅茶を今朝は淹れてみたところだった。
「……え? お茶? あ、ああ、いや。これに問題はないですよ!」
レンブラントとしてはいつもと違うものが出てくるというのは密かに楽しみになりつつあり、カップを手に取る前からそのスパイシーな香りに期待もしていたので、思い出した話題を出す前に取り敢えずひとくち、口にしてみる。で。
「……甘味がほしい」
眉間にわずかにシワを寄せながらリョウの方に目をやる。
と、リョウがぷっ、と吹き出す。
「正解! ミルクティーはね、砂糖を少しでもいいから入れた方が味が引き立つらしいわよ?」
そう言いながらリョウが砂糖の小さな壺と蜂蜜が入った小さな瓶をそっとレンブラントの前に出した。
決して甘党ではない、と思うのだけど、一緒に生活をするようになってレンの食の好みは確実に感化されている。と、リョウはこっそり思っている。
紅茶の味なんて以前は全く分からなかったらしいのに、今は砂糖を追加すべきミルクティーとそうしない方が美味しいアレンジティーの違いも感覚でわかるらしい。
で、迷わず蜂蜜の方に手を伸ばすレンブラントを見てリョウは更にその感覚に目を丸くした。
「ああそうだ、最近都市の北側に仕事で行くことが多いんですが、あそこに蜂蜜の専門店が出来ていましたね。今度買ってきましょうか?」
じっくり味わうように紅茶を飲んでいたレンブラントがカップの中をまじまじと見ながらそんなことを言い出すので。
「え! そうなの? 欲しい! 癖のないタイプのと、なんか変わったやつがいい!」
リョウが身を乗り出す。
以前、ルーベラと買い物をしたときに買ったアカシアの蜂蜜は癖がなくて薬草を漬け込んで香り付けしたら意外に美味しくて、使い勝手も良かったのであっという間に無くなってしまった。
買うとなるとかさばるし重いので、買い足したくても後回しになってしまうのだ。
「……今度一緒に行きましょう。リョウをつれて行った方が楽しそうだ」
レンブラントが笑いをこらえるようにしてそう言うと楽しそうにゆっくり視線をそらす。
「え、あれ? そうなの?」
身を乗り出した勢いをくじかれてリョウが少々脱力する。
……まぁ、一緒に出掛けられるのは嬉しいから……よしとしよう。
「でも、そんなお店まで出てるのね……」
リョウがカップを口に運びながら呟く。
以前は、本当に必要最低限の商売人しかいなかった。
それでも必要最低限とはいえ、ここ西の都市は賑わっている方だったが。
そういう、生活を楽しむ系の店というのはなかなか無かったのだ。皆、今を生きることに精一杯だったのだろう。
「そうですね。最近は娯楽施設も少しずつ出来てきていますしね。劇場とか音楽ホールとか。……そのお陰で僕たちの仕事も複雑にはなってきていますが……まぁ、都市に仕事が増えて民の生活が潤うのは良いことですし」
……わぁ、そうなんだ。
音楽や劇……。
リョウが思わず目を丸くする。
あまり遠出をしないのでそういうことには疎かったのだ。
「ああ、そうだ。……さっきの話なんですけど」
レンブラントが思い出したようにカップをテーブルに置いてリョウの方をまじまじと見る。
「その……使用人を雇うのはどうかと思っているんですが……」
「あ、うん。そうね」
少々言いにくそうに切り出したレンブラントにリョウがあっさり肯定の返事を返したのでレンブラントの目が点になる。
「え? 私、なんか変なこと言った?」
リョウが驚いて聞き返すと。
「え、いや……あの……」
レンブラントがしどろもどろになってそのまま失速し、一旦目を泳がせてから気を取り直したようにリョウの方を見ながら気まずそうに口を開く。
「……一応、気を……遣ってみたんです。リョウの家事は申し分ないしその上で、さらに使用人を雇うなんて言ったらリョウが気を悪くしないかと思いまして。……必要なかったみたいですね」
あ、ああ! そういうことか!
リョウは、少し前にその件についてグリフィスから聞いた時の自分の心境を思い出して納得する。
「ごめんなさい。私、その話、ちょっと前にグリフィスから聞いていたから……確かに、最初に聞いたときは私の家事に至らないところがあるからそんなこと言うのかなって恐縮したけど……そういうわけでもなさそうだったし」
リョウがそう言うと、レンブラントがため息をついて肩の力を抜いたのがわかった。
「……そうでしたか。グリフィスとそんな話をしていたんですね……」
レンブラントはそう言うと一瞬複雑そうな表情を浮かべてから、納得したように頷いたのでリョウが若干慌てた。
「あ、あの! ごめんなさい! 話してなかったわね。あのね……私がセイジのところに行って騒ぎになった日の朝だったと思うんだけど……グリフィスがうちに来てお茶をしたのよ。その時にそんな話をしたの。……でも、確かに最初に聞いたときは私の仕事が行き届いてないからそんなこと言われるのかと思ってヒヤヒヤしたのよ? だから、その……気を遣ってくれて、ありがとう」
なんだかレンブラントに隠し事をしていたような気分になって、リョウが慌てて説明を付け足してみる。
「ええ、大丈夫ですよ。グリフィスがリョウのところに行ったことは知ってました。……ああ、そんなに気にすることはないですよ。大丈夫」
レンブラントはそんなリョウの様子にかえって取り乱しそうになっていた。
なので、気を落ち着けるためなのか一度深く息をついてから。
「……じゃあ、使用人は雇っても大丈夫ですね? 多分今日の午後にはこちらに来ることにはなると思うんですが」
「ええ! 今日! そんなに急に?」
今度はリョウがすっとんきょうな声をあげる。
「その……すみません。……何て切り出したらいいか考えているうちに今日になってしまいました」
レンブラントが視線をそらした。
そんなこんなで、午後。
レンブラントはもちろん仕事で不在。
朝、慌ただしくレンブラントを送り出してから気忙しく家中あちこちを掃除していたリョウはかなり疲れていた。
だいたい、使用人とはいえ初めは客人のようなものだ。
レンが雇ってくれているわけだしここを気に入ってもらえなかったら申し訳ない。
そう思うと、いつもより丁寧に掃除をしなければ気が済まなくて使ったことのない客室まで丁寧に掃除してしまった。
来るって分かっていたら数日に分けてでも計画的にやっておけたのに、この短時間でここまで片付けるなんて……。
……家事って、本気でやると騎士の訓練並にハードかもしれない……。
肩で息をしながら、額の汗を拭ってリョウが心の中で呟く。
掃除道具を片付けて一息入れようとお茶の準備を始めたところで玄関の呼び鈴が鳴った。
「うわ、なんて良いタイミング!」
リョウがいそいそと玄関を開けると。
「レンブラント隊長様よりこの度仕事を世話していただきました」
と深々と頭を下げるのは初老、といっていいくらいの年齢の、夫婦、のようだった。
うん。
一見して夫婦、だと思う。
短い白髪混じりの髪にきちんとした身なりの男性と、同年代の女性。女性の方の身なりもとても清潔感があってきちんとしている。
主な大きい荷物は男性が持ち、女性の方は少し大きめの鞄をひとつ持っている。
荷物の様子と女性が半歩ほど男性の後ろに下がって寄り添うように立つ、その立ち位置と、二人が醸し出す雰囲気でリョウは直感で夫婦、と感じ取って少し安心する。
実は掃除をしながらあれこれ想像して、若い男性とか女性だったらあれこれいらない心配をしそうだと気を揉んでいたのだ。
だって、ねえ。
若い女の子だったら……うっかりレン一人をおいて留守にするの、なんだか嫌だし……うん、これは確実に私のやきもちだけどね。それに女の子だと友達みたいな感覚でうまくやっていくものなのか暫くはものすごく気を遣うと思うし。
逆に若い男の人だと……それって、レンがどういう心境で選んだ人なのか考えるとちょっと怖かった。ちょっと前なら「絶対レンはやきもちをやくからそれは無いだろう」と確信できたけど……一度芽生えてしまった不安な思いは……もし、レンが私を繋ぎ止めるために結婚したのならなんて考えたら……何か別の意図があってそういう人を雇ったんじゃないかなんて……本当に、吐き気がしてきそうな考えが頭をよぎって愕然とした。
それらを払拭したくて一瞬たりとも気を抜かずに家中を掃除した結果。
「あら、あらあら、まあ! なんて綺麗になさってること!」
「あ、おい、こら。まちなさいハンナ! まだ自己紹介もしていないんだぞ!」
……ええ、そうなんです。かなり頑張って、物凄い勢いであちこち雑巾がけして……玄関ホールなんてかなり丁寧に磨きあげちゃったもんだから、いつも以上に綺麗なんです。
リョウが心の中で突っ込みを入れながら、ふと。
「え? ハンナ……さん?」
男性のちょっと後ろにいたはずが、身を乗り出すように家の中を覗き込んで目をキラキラさせている女性をリョウがまじまじと見つめる。
「すみません。妻のハンナです。わたしはコーネリアスと申します」
聞き覚えのある名前に反応して目を丸くしているリョウに、美しい、という形容詞がとても似合うような礼をした、コーネリアスと名乗った男はとても品のいい微笑みを浮かべた。




