助言者
応接室のソファに座ったリョウの前でアルフォンスが膝をつく。
レンブラントはソファのすぐ後ろに立ってリョウから一瞬たりとも目を離さない。
「気分が悪い、ということはないですか?」
アルフォンスが尋ねながらリョウの両手首を軽く握り込んだり脈拍を計ったりする。
「ええ、特に何もないですけど」
午後の少し遅い時間。
もう少ししたら夕方なんていう時間帯だが約束通り往診という名目で訪問してくれたアルフォンスを応接室に通して、リョウは診察を受けることになった。
すぐ後ろにいるレンブラントの視線をずっと感じているのでなんとなく居心地が悪くてリョウの視線が泳ぐ。
だって……ザイラの話とかグリフィスの話とかを総合した上で、ちょっと前のレンの反応とかを考えると……アルが私を診察するのを目の当たりにするのってレンの心境にあんまりいい影響がないような気が、するんだけど。
でも、言い出したのは彼本人なのよね……。
そんなことを考えている間にアルはなれた手つきで「ちょっと失礼」なんて言いながら両手で顔を包むようにして目を覗き込んで、その手を下に滑らせて首筋辺りを押さえたり……と診察を進めていく。
「いつもよりだるいとか、寒気がするとか、異常に眠い、とかは?」
「んー……特に何もない……と思うんだけど」
リョウが少し考えるようにしながら答えると。
「でも今朝はいつもよりかなり遅くまで寝てましたよ。それに夕べはかなり体温が低かった」
と、背後からレンブラントが心配そうに付け足してくる。
ああ、そういえば。今朝は、気づいたらかなり寝過ごしていたっけ……あれ?
「わー! 忘れてた! レンって、今日の仕事どうなってるのっ?」
リョウが飛び上がるような勢いで振り向く。
どうしよう! いくらなんでもこんな時間まで気づきもしなかったなんて! ……あり得ない! 自分のことで頭が一杯過ぎた!
「え、あ、ああ。大丈夫ですよ。今日は休みをもらってますから」
レンブラントがリョウの勢いに軽くのけぞりながら答えた。
「え、休み……? そうなの? ……大丈夫、なの?」
それってつまり、私のせいで職場にまで迷惑かけているということ、なのだろうか。
「……リョウ、レンのことはこの際ちょっと置いておきましょう。ちょっと横になって」
一気に落ち込みかけたリョウの気持ちを遮るように、少し呆れたようなアルフォンスの声がかかる。
「え、あ? ……横に?」
「このソファでいいですよ。折角だからちゃんと診ます。触診しますからスカートを緩めてブラウスを少しだけ上げてくださいね」
あ、そうか。内蔵の様子とかって、お腹の触診になるのね。
リョウが納得して素直に横になると、思いっきりしかめっ面のレンブラントと目が合った。
あ、なんか、これって……。
「レン! 診察だから! アルはお医者さん!」
微妙に吹き出しそうになりながらリョウがレンブラントに声をかける。声をかける、というより半ば叫んでいる、といった方が正しいかもしれない。
「はいはい。お医者さんが触診しますよー」
便乗するようにアルフォンスが声をあげる。でも、眼差しは真剣なのでリョウも思わず真顔に戻った。
「分かってますよ! アルだから診察も許可したんですから!」
レンブラントがふてくされたように視線だけ脇にそらして言い捨てた。
そんな様子にリョウはくすりと笑いをこぼしてしまいながら。
……あれ?
アルだから許可した?
「……アルのところに行くなって言ったくせに」
思わずリョウが小さく口を尖らせた。
「え? ……あ、あれは……」
とたんにレンブラントが気まずそうにリョウとアルフォンスの間で視線をさ迷わせ始めた。
「……なるほどね。……リョウ、今押したところで痛いところはなかったんですよね?」
二人のやり取りの間、黙々とリョウの腹部をさすったり押したりしていたアルフォンスが顔をあげてリョウの顔を改めて覗き込む。
「え、あ、はい」
しまった。レンの様子ばっかり気になって診察受けてるのを忘れかけてた。
そう思いながらリョウが急いで返事をする。
「じゃあ、診察終了。服は戻していいですよ」
ふぅ、と息をつきながらアルフォンスが立ち上がる。
なので、リョウも服を整えながら起き上がって座り直し、そこにすかさず隣にレンブラントが座る。
アルフォンスは持ってきていた鞄の中から紙の束を取り出してそこに何かを書き付けてテーブルを挟んだ向かい側のソファに腰を下ろした。
「……取り敢えず、今、現時点でリョウは健康ですよ。なんの問題もない」
紙の束から目をあげたアルフォンスの第一声。
リョウは隣でレンブラントが安堵のため息をつくのを感じ取って、ふ、と笑みがこぼれる。
「ありがたいことにセイジが自分がやったことを逐一記録に残していたので比較しますとね、昨夜体温が低かったというのは……まぁ、あれだけ出血があったわけですから主にはそのせいでしょう。普通の人間ではあり得ないことですが、その間に恐らく物凄い勢いで失われた血液を体が再生産していたのでしょうね。眠りが深かったのは薬を解毒するのに体力を費やしていたからだと思いますよ。……以前に怪我で診療所に居たことがあったでしょう?」
アルフォンスがふとリョウに目を向けた。
「え、あ。……はい。そうえいば」
そんなことがあったな、なんて思いながら。
「あの時の治癒の様子と今回のことを併せて考えても……そういうことだと思います。この度リョウに投与された薬も、リョウに飲ませた薬も、我々医学者の間では考えられない量の言ってみれば毒、です。それをこれだけ早く解毒するなんて竜族の体の造りには驚くばかりですが……今の状態を診た限りでは完全に解毒している。もっと詳しく分析させてもらえるなら、少し採血させてもらいたいところなんですけどね。……でも、今したところで結果は同じだと思うんですよ」
「あ、解毒しちゃってるから?」
リョウが答える。
「その通り。わたしとしては、研究のためにもう一度毒を摂取してもらってその前と後で採血させてもらえればかなりいい研究データが取れるのでお願いしたいところですが」
「その必要、ありますか?」
「よければどうぞ?」
冷ややかなレンブラントの声と物怖じしない平坦なリョウの声が同時に発せられ。
「リョウっ?」
慌てたようにレンブラントがリョウの方を向く。
「え、だって……私なんかの体で役に立つことがあるなら別にいいかなって」
ねえ? とでも言うような視線をリョウがアルフォンスに送る。
と、アルフォンスがなんとも言えない顔をして片手で顔を覆った。
「……リョウ、君ね。……ああ、なるほど。だからセイジの所からすぐに逃げ出さなかったのか……」
リョウの隣でレンブラントが軽く息を飲んだ。
「おかしいと思ったんですよ。君ほどの力のある人が、セイジみたいな腕力だってたいしてない人間に、どうしてあそこまでされるがままでいたのかって。その気になればいくらでも逃げられただろうし、一矢報いる気になればそれだってたいして難しいことではなかったでしょう」
アルフォンスの言葉は純粋に疑問に思っていた、というニュアンスだ。責めているような口調では決してない。
でも、つい、リョウは叱られた子供のようにうつ向いてしまう。
確かにアルフォンスの言う通りなのだ。
そして、逃げようと思わなかった、いや、思えなかった理由はセイジの背景について聞いてしまったから。
「リョウ。彼がどんな生まれ育ちだとしても今、君が責任を感じる必要は無いですよ」
ふと、リョウが顔をあげるとアルフォンスの真っ直ぐな視線が自分に向けられていて思わず固まってしまう。
「どんなに理不尽な扱いを受けてきたとしても、その中で立派に生きている人はたくさんいる。誰かを恨むのではなく、愛することで成長している人はたくさんいる。君自身がそれをよく知っているでしょう? 君も含めて君の周りにはそんな人がたくさんいるのではないですか? それとも君や他の皆がそれぞれの過去のために誰かに復讐することが皆の幸せだと思いますか?」
「あ……」
アルフォンスの言葉にふと、数人の友の顔がリョウの脳裏に浮かぶ。そして隣の愛する夫の顔もまた。
彼らが自分の幸せのために誰かに復讐するところなんて想像できない。
でも。
そんな風に自分を正当化してもいいものだろうか、とも思う。
「……償う機会があるなら、償うべき、ではない?」
いつの間にかリョウの視線は下に落ちており、その先にある自分の手が真っ白になるくらいきつく握り締められて、そこにそっと隣からレンブラントの手が重なるのを他人事のように眺めている。
「リョウ……」
心配そうなレンブラントの声はどこか遠くで聞こえるような気がする。
「君は十分償ったでしょう」
そんなアルフォンスの言葉にリョウが顔をあげた。
「ああ、レン。そんな顔しなくて良いですよ。リョウに君がこう言ったとしても身内が言う言葉ではリョウの心には響かないでしょう。それだけ君はリョウにとって、もはや他人ではない、ということです。……リョウ。君は既にこの都市を救って、更には世界を救ったんですよ。どれだけの命を救ったか分かりますか? もう償うには十分の事をした。そうでなければ司殿だって君をここに留めたりなんかしない」
「え……でも……」
そんな言葉を鵜呑みにしてしまって良いのだろうか。そんな、自分に都合のいい考え方をしてもいいのだろうか。
リョウの眉間に深いシワがよる。
「わたしが言うんだから間違いない。こう見えて司殿だけじゃない、都市のあらゆる立場の人たちの意見が耳に入ってくる役職なんですよ? それに、そういう意見をさておいたとしても、客観的に見て君は十分な働きをしている。セイジみたいな単なる一研究者の犠牲になっていい存在じゃない」
そんな言葉が紡ぎ出されて、リョウはノロノロとアルフォンスと視線を合わせる。
リョウと目を合わせるとアルフォンスはゆったりと笑って見せた。
その笑顔はやはり、丸っと信じてしまいたくなるような、そして心底から癒されるような、そんな笑顔。
なので。
「……ありがとう、ございます」
半ば放心状態でリョウが呟く。
そんな風に、考えてもいいのか。
それは、単に、自分を甘やかしていることではないのか。
……自分を肯定しても、いいんだ。
そんな考えが頭の中を巡り、軽い目眩さえする。
「で、さてレンブラント」
リョウが自分の考えとそれに伴う感情を整理するためにちょっと呆けているところに、アルフォンスの少し引き締めた声が届く。
今までの優しい柔らかい口調とはほんの少し違う声。
なので反射的にリョウが顔をあげると、アルフォンスの視線は隣のレンブラントに向けられている。
「わたしのところに、来ないように、とリョウに言ったんですね?」
なぜかその口許がわずかにひきつっていたりして。
「え……それは、まぁ……」
そしてレンブラントがしどろもどろになり始めた。
リョウには全くついていけない展開だ。
「君は夫婦の意志疎通ってものが分かってないのかな? どうしてちゃんと説明しなかったんですか」
腕を組んで軽くレンブラントを睨み付けるアルフォンスはまるで子供を叱りつける親のようだ。
「いや、しかし……セイジについては、ですね。説明って……」
「おおかた『こんなことを話したらリョウが傷つくんじゃないか』とか変な気を回したんでしょう? それならそれで傷付いた妻を支えるのが夫でしょう! 隠し事をしてどうするんですか!」
レンブラントの歯切れの悪い返事を最後まで待たずにアルフォンスが返してくる。
「え? 何? ……何の話? 隠し事って……」
隣で聞いているリョウは気が気ではない。
レンブラントとしてはちょっと前のやり取りで、自分がリョウにセイジという「危険人物」の存在をあえて明かさずに、言ってみればアルフォンスをだしに使うような形でリョウを診療所から遠ざけようとしていた事がアルフォンス本人にばれてしまい、何か言われるのではないかと思ってはいた。
そのあと、リョウが自分のしたことを償うためにセイジの言うなりになっていたという事実にショックを受け、更には自分の言葉ではもはや落ち込んだリョウを慰めてやれず、アルフォンスの世話にならなければいけないという事実を目の当たりにして愕然とし、うっかり気を抜いたところにアルフォンスから静かに雷が落とされた、といったところだ。
「……すみません」
何をどう説明していいかすら分からなくなったレンブラントがようやく謝罪の言葉を口にする。
「ほう、それで済むとでも?」
アルフォンスの声はいたって冷ややかだ。
「え、あの! ごめんなさい、話が全然見えないんだけど!」
こんなレンなんて見てられない!
とばかりにリョウが悲痛な声をあげた。
と、アルフォンスがゆっくりと息をついてからリョウの方に向き直り、表情を和らげる。
「リョウは今のレンブラント隊長の仕事内容について聞いてますか?」
「え? 騎士隊隊長、でしょ?」
他に何があるんだろう。
と、リョウが思いながら聞き返す。
「なるほどね」
あれ? なんかアルの口許がまたちょっとひきつった?
なんてリョウが目を見開くと。
「只今、第二騎士隊を率いるように部隊を調整されたレンブラント隊長はね、部隊が担当する都市の安全維持の他に我々が属する診療所の統括も任せられているんですよ」
リョウに対するアルフォンスの口調はやはり柔らかくなる。
「え、あ……そうなの?」
そういう話は聞いたことがなかった。
なんだ、そんなこと。早く言ってくれたら良かったのに。ザイラも特に言ってなかったし。……まぁ、知ってると思えば敢えて話さないかな、何て思いながら。
でも、だからってレンを責める気なんか全くもって無いんだけど。
仕事を家庭に持ち込まないっていうだけのこと、よね?
そう思うからリョウはなんとなく首を傾げてみる。
「つまりね、レンブラントはセイジのことを知っていて、リョウに言わなかったってことですよ。あれを直接採用したのは責任者であるわたしですが、許可したのはレンブラント隊長だ。あれの背景も知っていた。だからリョウには診療所に近づかせるときには注意が必要だろうというのはわたしたちの暗黙の了解だったんです。まぁ、事が起こってもいないのに優秀な研究者を差別するわけにはいかないので警戒するのは責任者であるわたしと、うちの統括を任されているレンブラント隊長くらいでしたが」
「あ、そうだったの……あ、じゃあザイラも?」
何となく状況が把握しきれなくて思いつくままにリョウが尋ねる。
「え、ザイラ? いや、彼女は何も知らないと思いますよ? 彼女の仕事内容は本当に診療に関係した雑用だけですからセイジを始め他の研究者と個人的に知り合うことも殆どないはずです」
……あ、そうなんだ。
あれ? じゃあ、ザイラがアルについて言っていたのは、彼女の純粋な、本心……?
リョウは思わず視線を泳がせてしまったのだが。
「まぁ、何はともあれ、ですね。レンブラント、君は重要なことを彼女に説明していなかった。それが何よりの今回の不祥事の原因です。しかも君がきちんと説明すべき正当な立場にいたんですよ? 自覚してますか?」
「……はい。申し訳ありませんでした」
レンブラントが素直にそう言って項垂れると。
「わたしに謝ってどうするんですか」
アルフォンスの冷ややかな声。
その声にハッとしたレンブラントが慌ててリョウの方に向き直る。
「リョウ、あなたに、ちゃんと謝らせてほしい。僕がきちんと説明していなかったせいであなたに怖い思いをさせた。危険な目に遭わせた。……本当に、すまなかった」
え、わ、どうしよう!
リョウの体に緊張が走る。
だめだめだめ! こんな、捨て犬みたいな目、この人にさせちゃダメだ!
「違うの! レンは悪くないの! だってアルのところに行くなって言われたのを最初に守っていたら、それかせめて行く前に相談していたらそもそもがこうはならなかったんだから、元凶は私なの!」
リョウは思わず叫んでいた。
「おや、奥さまの方はとっても素直ですね」
不意にアルフォンスの声がしてリョウとレンブラントが顔をあげる。
なんとなればそのアルフォンスの声はさっきまでと違い、ちょっと笑みを含んだ楽しそうな声なので。
「つまりね、そういうことなんですよ。レンは夫として妻が従いやすいように配慮しなければいけない。リョウは妻として夫を信頼しなければいけない。どちらかが欠けると歯車が一気に合わなくなってトラブルに発展するんです。それでも夫婦間の問題の主な原因は夫の責務放棄ですからね。リョウよりよっぽどレンの方が責任重大ですよ?」
そんな楽しそうなアルフォンスの言葉に改めてレンブラントががっくりと項垂れ「すみません」と呟くと、当のアルフォンスはリョウと視線を合わせて器用にウィンクして見せた。
それはまるで「わたしは飽くまでレンブラントよりリョウの味方ですよ」とでも言っているかのようで。
あ、えーと。
どうしよう……。
リョウはつい苦笑いでごまかした。




