提案
「支度が出来たら下においで。……ゆっくりでいいですよ」
レンブラントはそう言うと、リョウに服を渡して額にキスを落として、ゆっくり部屋を出ていった。
こんなときでもレンは限りなく優しい。
そう思うとリョウは気持ちが沈むのに歯止めがかけられなくなっていく。
私が、悪いのに。
レンは何も悪くない。
なのに、体調を悪くするほどに心配をかけた。そして、これはもう確認しなくても分かることだけど、きっと他の人も巻き込んで迷惑をかけている。
なのに、レンは怒らなかった。
怒ってくれていいのに。
知らず知らずのうちにため息が漏れる。
レンブラントが置いていった服はブラウスとスカートで、いつもリョウが楽だからと好んで着ているワンピースではなかった。
ゆっくりとブラウスのボタンを止めながら、くすり、と小さな笑いが漏れた。
……レンって、こういう服の方が好きだったのかな。
生成り色のブラウスの胸元に付いたリボンを結んで焦げ茶色のスカートと同系色の茶色寄りなベージュ色の糸で編まれた薄手の上着を羽織る。毛糸ではなく綿の糸で編まれたそれはさらりとしていて全体的に透かし編みが入っており、ゆったりした上品なデザインだ。
いつものしっかりした生地のワンピースより柔らかい雰囲気。
街で買ったもののなかなか袖を通さずにしまっている服はいくつかあってだいたいこんな感じの服だ。
……レンの服の好みなんて考えたことなかったな。
今はそんな些細なことにも涙が出そうになる。
顔を洗っても正面の鏡に映る自分の顔が正視できなかった。
ひどい顔をしているであろうことは自覚しているので。
髪に変な癖が少しついているように感じるのは……昨日ちゃんと乾かさないで寝てしまったからだろう。
なので少しだけ濡らして癖をとってからひとまとめにして左側で緩く三つ編みにしてみる。
肩から前に垂らせば服の印象通り柔らかいイメージになるだろうか、なんて思ったので。
「ああ、良かった。呼びにいこうと思っていたんですよ」
一階に降りて台所の隣の部屋のドアを開けるとシンプルな前掛けをしたレンブラントがスープの皿をテーブルに置きながら顔をあげて微笑んだ。
なのでリョウも軽く微笑んで見せる。
……ぎこちない笑顔になっていないだろうか。
なんて思ってしまうので目が合わせられない。
白にかなり近い生成り色の前掛けは以前からレンブラント自身が使っていたもので、何度も洗われてこなれた感があるが目立った汚れもなく、そんな前掛けの紐を後ろからくるりと回して前で縛った姿はとても様になっている。
普段のリョウならまじまじと観察して顔を赤らめて慌てて目をそらす……というお約束の行動パターンに陥るところだが、今日はそんな心の余裕はない。
取り敢えずテーブルを見渡すとパンケーキにオムレツ、その横に軽く焼いた薄切りのベーコンが添えてあって、あとは簡単なサラダと湯気をたてているスープ。
食後にお茶を淹れるとしても今のところはもう手伝うこともなさそう。
「ほら、リョウ座って。お腹空いてるでしょう?」
立ち尽くしてしまったリョウに椅子を引いて座るようにレンブラントが促す。
「あ、うん。……ありがとう」
リョウが席につくとレンブラントが前掛けを外しながらテーブルの角を挟んだ隣の席に座った。
あれ?
リョウが思わず顔をあげた。
小さめ、とはいえ長方形のテーブル。
椅子は四脚あるけど詰めれば六人座れるようなテーブルで、いつもは向かい合って座っているのにレンブラントは隣に席を作ったようだ。
つまり、いつもは長方形の長い辺に当たるところに二脚ずつ置いていた椅子を一つ、わざわざ移動させてリョウがいつも座っている場所の角を挟んだ隣に自分の席を作っている。
「今日はここの方がいいかなと思いまして」
リョウの視線の意味が分かったようでレンブラントが照れたように笑いながら一言加えた。
確かに。
近くにいてくれてなんとなく安心できる、と、リョウも思った。
隣に並んだ椅子の方ではなくて、角を挟んだ隣。体の向きを変えなくても顔をあげるだけで難なく相手の表情が見える位置だ。
向かい合っているよりも距離がないから変な緊張感がない。
「その服、似合ってますよ。その髪も」
そんな声にふとリョウが目をあげるとテーブルに両肘をついて組んだ手の上に顎をのせたレンブラントがこちらを見ながら目を細めている。
「え、あ……そう? 良かった」
さすがにこうはっきり言われると照れ臭い。会話を続けるにもなんて言ったらいいか分からなくなって、取り敢えず小さな声で「いただきます」と言って食事に手をつけてみる。
「ああ、それ。リョウがよく作るパンケーキを真似してみたんです。野菜とか卵とか、挟んで食べてみてくださいね」
薄く焼いてあるパンケーキに目をやりながらレンブラントが説明する。
「あ、うん」
なんて返事をしながら。
ああ、そうか。
昨日は、夜は外食でもしようと思っていたから、いつもなら翌朝用のパンの仕込みも一緒にする夕食の準備はしていなかったし、今朝は遅くまで寝ていたから買いにいくわけにもいかず……パンケーキになったんだ。
リョウはそんなことに思い当たる。
パンケーキに葉物野菜とベーコンを一切れ乗せ、オムレツをフォークで切って乗せると半熟状態のオムレツがトロリとかかってちょっとした卵のソースのようになる。
ああ、なんてキレイなオムレツ……。
そんなことをぼんやり思いながらパンケーキを半分に折って具材を挟み込んで一口頬張る。
「うん、美味しい……」
リョウがゆっくり最初の一口を飲み込んでから感想を口にすると、レンブラントが嬉しそうに笑って、自分の分を食べ始めた。
レンブラントの視線から解放されて、ちょっと気が抜けたリョウは。
……あ、駄目だ。
視界がぼやけてきて、涙が溢れてきたことを自覚した。
自分がさんざん迷惑をかけたのに、何事もなかったように優しく接してくれるレンブラントに、泣きそうになったのをまずこらえた。
だけど料理を目の前にして、その出来映えを目の当たりにしたら。
本当に心のこもった朝食だ、と思ったのだ。パンケーキの味やサイズも、野菜の切り方も、オムレツの火の通り加減も、スープの味付けも私がいつも作る、言ってみれば私の好みに合ったものになっている。
何も考えないでこんな風に作れるわけが、ない。
こんな私のことですら、ちゃんと考えてくれている、と思うともう、涙が溢れてきて堪えきれなくなってしまった。
でも、今、ここで涙を拭くなんていう仕草をするとせっかく食事に専念しているレンの注意を引いてしまう。
なんて考えると……あ……本当に、駄目だ。どうしよう。何事もないかのように食べ続けようと思ったけど、視界がぼやけすぎて無理だ。
「え……リョウ? だ、大丈夫ですか? 食べられないものが入ってた? ……いや、そんなはずは無いんだけどな……どこか痛いところでもある?」
大して間を置くこともなくリョウの異変に気付いたレンブラントが案の定うろたえ始めた。
ううん、違う。
そう言いたいのに、ちゃんと謝りたいのに、言葉を出そうとすると不自然にしゃくりあげそうになってリョウはとにかく首を横に振ってみる。
フォークを握りしめたままのリョウの右手がふわりと温かくなってレンブラントの左手が重なった。
リョウは思わず空いている左手の甲を涙を隠すように右の頬に当ててレンブラントから顔をそらした。
「……違うの。どこもなんともない。お料理もすごく美味しい」
取り敢えず、それだけはようやく声になってくれた。
「本当に? リョウ、無理しなくていいんですよ?」
レンブラントが手に力を込めながらリョウの顔を覗き込もうとする。
「……どうして、怒らないの?」
目を合わせないままリョウが囁くように答えた。
「私、レンにも他の人にも凄く迷惑かけたよね? ……どうしてそんなに優しくするの?」
そこまでどうにか言葉にしてみてようやくリョウはレンブラントの方を向いた。
レンブラントは。
なんとも言えない表情で、それでも口許にゆっくり笑みを作りながらどこかほっとしたように肩の力を抜いて。
「……昔ね、僕が子供の頃、周りの仕打ちがあまりにも酷くてささやかながら反撃に出たことがあったんですよ」
「……え?」
唐突な話題にリョウが固まった。
そんなリョウを見てレンブラントがやんわりと笑う。
「まぁ、まだ子供でしたからね。練習試合で相手の剣を落としたあとでさらに一撃を加える、それも剣が手から離れる瞬間を狙うから周りからはすぐには気付かれない。その一撃がどんなに酷くてもね。しかも、万が一訴えられても『騎士とは最後まで気を抜かないものです』と言って誤魔化すつもりだった。……それを続けたんです」
「……そんなの、相手は騎士なんだから卑怯だと訴えたらすぐにばれる、わよね?」
リョウが唖然として答える。
この人がそんなことをするとは思えない。
練習試合なんて剣を落としたら決着がついた、と考えるもの。自分の手から剣が落ちる瞬間に練習中の騎士たちは敗けを認めて集中力も解くものだ。そこにつけ込むなんて、はっきり言って卑劣極まりない行為。誇り高き騎士を目指す者がそんなことをするとはまず考えられない。
そもそも、繰り返し卑怯者と訴えられたら事実上、騎士として終わりだ。悪評が定着した騎士なんてどの隊にいても厄介者だ。下手したら戦いの際に意図的に見放されて文字通り存在を消されて片付けられることだってある。よほど肉体的にも精神的にも強くないと生き残れなくなってしまう。……そういう扱いには、不本意ながら身に覚えがある。
「皆、僕を蔑んでいましたからね。負け惜しみだと思われたくないから訴えたりはしなかったんですよ。僕もそれを狙っていたんですが。でも……訴えるべきだった。何人かは二度と剣を持てない体になったし僕は……酷く後悔した」
レンブラントの笑顔がふと消えて、眉がしかめられ、視線がそらされた。
「グリフィスがね、ああ、彼は当時は隊長だったんですが、怪我をした隊員たちに特別手当てを出して世話をしたんですよ。自分の給料の中から。で、僕に嫌がらせをしてきた者たちはそれ以降表向きは大人しくなった」
なるほど。
嫌がらせをしていた者たちは自分にも非がある、というかまず自分が姑息で卑怯なけしかけ方をしたわけだからそれをレンブラントの親でもある隊長が理解した上で世話してくれたらそれ以上の事は出来なくなるだろう。自分の行いが上にバレた上に憐れみをかけられた、ということなのだから。
レンブラントが言葉を続ける。
「僕自身も何らかの罰を受ける筈だったのに、ああ……いや、一応表向きの罰は受けたんですがね。グリフィスは僕を叱らなかった。……むしろ満足そうに笑っていたんですよ」
そう言ってレンブラントがリョウの目を見た。
「既に反省している者を叱る必要がどこにある、って言うんですよね」
「あ……」
リョウの視線がすとんとテーブルに落ちた。
それで……敢えて叱らなかったのか。
「自分のしたことをちゃんと後悔して、なおかつ、必要以上に落ち込んでいる人にしてあげられることは叱ることじゃない。むしろ慰めることでしょう?」
リョウの手に重なっている手が優しく握り込まれてレンブラントが椅子から腰を浮かせた。
なんとなく顔をあげたリョウはレンブラントの顔がすぐ近くに迫ってきていることにびっくりして一瞬ぎゅっと目を閉じる。と、その顎がレンブラントの右手に捉えられて頬に軽くくちづけされた。
「だからね、取り敢えず食べましょう。それとも本当はこれ以上食べたくないほど不味い?」
にやりと笑うレンブラントに。
「……え、いや! まさか! 美味しいわよ! いただきます!」
リョウが慌てて食事を再開する。
そうか、私の気持ちを解った上で、敢えて叱らずに、ただただ優しかったのか。
そう思うと、リョウは再び涙が溢れそうになり、それをごまかすようにスープをすすってみたりして。
「それでね、リョウ。これは提案、なんですけど」
食後のお茶くらいは淹れようと思ったのに「こんな日くらいは」と、止められてレンブラントが薬草のお茶を淹れるのを眺めているとちょっと改まったような声がかけられた。
鎮静作用、リラックス効果のある、カミレのお茶。
カップに注がれて目の前に出されると林檎に似た香りがふわりと広がる。摘みたての花なら淡い黄緑がかったお茶だが、今日のは黄色が強い。
摘んでからリョウが乾燥させておいたもので淹れたらしい。乾燥させたものの方がこの薬草の持つ薬効がより濃く出るのだ。
「提案?」
リョウが聞き返しながらレンブラントの顔を見上げる。
レンブラントはゆっくり自分の席に座りながら一度視線を泳がせてからリョウの方に向き直り。
「……昨日、セイジがリョウにした事がちょっと心配なんですよ。竜族は免疫や耐性が人並みではないとはいえ不死身って訳じゃない。もし、リョウが嫌でなければ後でアルの診察を受けませんか?」
「え……アルの?」
それ、レンが嫌がっていたことではなかっただろうか?
そんな気がしてリョウが耳を疑う。
「あ、いや。無理にとは言いません。あんなことがあったあとに診察なんて気持ちのいいことではないでしょうし……一応、僕も同席はしますが」
「……うん、レンがそれでいいなら私は別に構わないけど」
リョウの言葉に、レンブラントが安心したようにため息をついた。




