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物語の続きをどうぞ  作者: TYOUKO
一、序の章 (続きをどうぞ)
2/207

同じ時を計る物

 


 リョウがいつもより念入りに髪を洗う。

 少なくとも一回は、かなりまともに頭から小麦粉をかぶっている。

 時間がかかるからといってレンブラントには先にシャワーを済ませてもらっている。

 なので、ゆっくりお風呂に入れそう。なんて思いながら湯船に湯を張る。


 湯船に浸かるというのも西の都市には馴染みのない文化だった。

 城壁にあった騎士のための住まいにもシャワーはついていたが湯船はなかった。レンブラントも湯船という発想はなかったようでこの住まいが完成して住み始めて一週間はそういう物も無いまま生活していたがリョウがふと「お風呂に入ったほうが疲れが取れる」なんて言ったら改装してくれたのだ。

 その流れで台所も改装することになった。


 都市の復興作業が完全に終わっているわけではないのでリョウが断ったのだが、どうやら予定よりずっと早く進む作業の間に「新婚の守護者(ガーディアン)と騎士隊隊長」の生活に関われた、ということは作業する者たちの励みにもなり、そういう者たちが自分の家の修復に関わってくれることで都市の民も喜ぶ、という現象が起こっていることを知ってリョウも渋々承諾した。

 そもそもが、新居の改装なんていう作業自体、本来の仕事が休まれる夕方から夜間に行われたのだから……風の部族の体力にリョウもレンブラントも驚愕したものだ。



「……ふう」

 少しぬるめの湯船に浸かって息をつく。

 ……この湯船、本当はレンの疲れを取るのが目的だったんだけどな。

 なんて思う。

 私は回復力が人並みじゃないからどっちかというと精神的な疲れを癒したいだけ。レンは隊長として一日労働してるんだから帰ってきたときにちゃんと休めたほうがいい、と思ったのに。

 結局、使い慣れていないからなのかシャワーだけで出てくることのほうが多い。というよりゆっくり湯船に浸かっている気配がない。なんだか私が居心地良く居られるように思いつく限りの事をしてくれようとしているみたいだ。


 レンブラントは本当に色々気を遣ってくれる。

 それは嬉しいことでもあり、くすぐったい気分にもなる。

 でも、それに慣れてしまわないように一線おこうとしている自分がいる。

 所詮、相手は人間。私は竜族。寿命も体のつくりも違う。種族そのものが異なるのだ。そんなことが常に頭のどこかにある。

 さっきの時計も。

 嬉しいのだ。純粋に。

 でもやはり。それを使ってレンが帰ってくる時間を気にしている自分を思い描いて幸せな気分になる一方で、彼亡き後、残された時計を見るたびにそれを思い出すのかと思うと使わないままのほうがいいのではないかとも思ってしまう。

「……はぁ……性格がひねくれてるのかな、私……」

 声にならないような声で呟いて膝を抱える。

 思わぬ幸せを手に入れたから、不安で仕方ないだけなのかもしれない。今までこんなに不安要素のない生活なんてしたことがなかったのだから。


「……?」

 ふとドアの方で微かな気配がしたような気がして目を向ける。

「……レン?」

 磨り硝子をはめ込んだドアの向こうでレンブラントの気配がする。

「……一緒に入ってもいいですか?」

「え? ええええっ?」

 わずかに笑いを含んだような声がかけられてリョウが身構える。

 ざばっと派手な音を立てて立ち上がりかけ、これでドアを開けられたらまずい! と慌てて湯船に沈み直し。

「……だっ、だめだめだめ!」

 叫ぶと同時に。

「……っ! ……やられた……」

 ドアの外でがっくりとうなだれるレンブラントの気配。

 ドアの外に結界を、張ってみた。これでドアには近づけないはず。

 リョウがドキドキする胸を押さえながら精一杯湯船の中でドアから離れた側でちぢこまる。

 ドアの外に集中するとレンブラントはあからさまなため息をついてドアから遠ざかっていく様子。

「はああああああっ」

 大きく息をついて肩の力を抜く。

 ああ、びっくりした! ホントにびっくりした!


 ……そういえば、一回だけ一緒に入ったことがあった。

 バスルームを改装した最初の夜。

 一緒に湯船に入って、背中から抱きしめられた感覚が温かくて安心感もあって、ずっとこうしていたい、なんて思ったっけ。

 あの時は、ついついいろんなことを話してしまった。不安に思うことも感謝してることも割とすんなり言葉にできて……心が軽くなったのを覚えている。

「……あ……」

 小さく声を上げてしまう。

 だからか。

 多分、さっき、時計を受け取った時の様子を察したんだ。

 それで、私が自由に気持ちを話して安心できるように一緒に入ろうなんて言ってきたのかも……。

「……どこまで優しいんだっ」

 小さく叫んで、両手ですくったお湯を顔にかけてそのまま顔を包み込んでみる。

 そして……そんなことに気づいてしまったら……ますます出て行きにくくなってしまったじゃないの!


 しまった……長く入りすぎた……ちょっとふらつくわ……。

 などと思いながら寝間着に着替える。

 守護者(ガーディアン)の肩書きになってから、騎士服のような格好をすることがなくなり日中もスカートを履くようになっている。大抵はワンピースなのだが、外に出る時は立場を表す丈の長い上着を合わせるのが決まりとなっている。これは元老院からの指示。

 守護者(ガーディアン)が都市で生活していることを民に印象付けたいのだとか。

 そんなこんなで騎士の生活をしていた時はあまり着用していなかった裾にフリルなんかついている寝間着は初めは気恥ずかしかったが、まぁ、慣れた。

 今まで丈の長いシャツみたいなので夜は寝ていたからなぁ……。

 それでも、かなり控えめなデザインにはしている。一般的な奥様方というものはどうやらもう少し露出度が高かったり透け感があったり、とにかくひらひらしたものを着て寝ているらしい、という事を買い物に行って知った時はちょっとめまいがしたものだ。

 とにかく、新婚の守護者(ガーディアン)というのは都市中に知れ渡っているから何を買いに行ってもそれなりのものを向こうから勧めてくるのだ。

 肩の出し方を胸元の紐の絞り加減で調節できるらしい寝間着の胸元をなるべく鎖骨あたりまで隠すように結ぶ。

 ……肩とか出す必要は、無い。

 一度、お店の女主人に言われたように肩を出して紐を結んだらレンブラントが抑えられなくなってすぐに脱がされた。

 ……あれはちょっと、恥ずかしかった。

 リョウの場合、胸がそんなにないせいか肩を出した状態からさらに紐を解くとそのままスルッと寝間着が落ちてしまうのだ。

 軽くため息をついて頭を振り、髪をとかし直す。

 少し広めの脱衣所には座って身だしなみを整えるための場所も作ってある。

 鏡に映る自分が普通に笑えるようになっているのを確認してみる。

 これ以上レンに気を遣わせないようにしなきゃ。ただでさえ忙しい一日を過ごしてきたはずなのだ。


 脱衣所のドアを開けるとベッドの上で、仕事の続きなのか書類の束に目を落としていたレンブラントが顔を上げる。

「わ、まだ仕事してたの?」

 リョウが眉を寄せてベッドに近寄ると、レンブラントが持っていた書類の束をあっさりとサイドテーブルに置いた。

「……あ、いえ。こういうのを読んでいれば先に寝てしまわずにいられそうだったので」

 そう言ってにっこりと微笑むレンブラントにリョウが絶句する。

 ……先に寝ていてくれて良かったのに……! だからゆっくりお風呂に入っていたのに!

「そんな顔しないでください。リョウ……ほら、こっちにおいで」

 リョウの背中がぞくり、と震える。

 レンブラントに柔らかく微笑まれながら「おいで」と言われることに、リョウはどうにも弱かった。

 居場所がないときに、自分の身の置き場がわからなくて泣きそうなときに「ここにおいで」「ここがあなたの居場所ですよ」と言ってもらえているようで全てを忘れてしがみつきたくなる衝動に駆られる。

 ……今、私、泣きそうな顔をしているかもしれない。

 そう思いながら左手を差し出しているレンブラントに近寄り隣に滑り込む。

 レンブラントが柔らかく微笑んだままリョウの肩を抱いて引き寄せるので、リョウはそのままその胸に顔を埋めた。

 温かさを感じながらリョウが深く息をつく。

「……あの時計、無理に使わなくていいですよ」

 ぽつりとレンブラントが呟いた。

 一瞬リョウの肩に力が入った。

 そんなリョウの心を読み取ったかのようにレンブラントの手がそっと優しくリョウの背中を撫でる。

「あなたには自由にしていてほしい。……時計なんて持っていたら時間に縛られて好きなことも自由にできなくなってしまいますよね」

 ……あ。違う。

 リョウの肩にさらに力が入った。

 しまった。違う意味に取られてしまった。そういうつもりで受け取りたくなかったわけじゃない。

「……愛してる、リョウ」

 レンブラントがリョウの頭に口付けしながら囁く。

「違うの」

 本当のことを言わないと誤解されたままになってしまう。でも本当のことを言うのもまた気を遣わせてしまいそうで怖い。

 そう思うと声が震えた。

「……リョウ?」

 次の言葉が出てこなくなってしまったリョウにレンブラントが優しく呼びかける。

 こうなるともう涙がこらえ切れなくなる。

「……あの、ね。……違うの。時間に縛られるとか、レンの予定に合わせるせいで自由がなくなるとか、そんな事思ったこと無い。むしろ一緒に居られる時間が増えるなら嬉しいの」

「……そう、なんですか?」

 意外そうなレンブラントの声に思わずリョウは顔を上げる。

 ここはちゃんと力説しなくては。

「そうよ。決まってるじゃない。こないだだってレンが昼過ぎに少しだけ帰ってこられるって聞いていたから一緒にお茶するお茶請けに、評判のいいカップケーキを買って用意しようと思って並んで買ったのよ。並ぶのにあんなに時間がかかるなんて思わなかったから間に合わなくて……すごくがっかりしたんだから」

 結局、そのカップケーキは一緒に食べるのではなく、駐屯所に持って行ってもらって仕事仲間と食べてもらったのだ。

「え、じゃああれは僕に持たせるためじゃなくて一緒に食べるために買ってきてたんですか?」

「……うん」

 ちょっと恥ずかしかったので黙っていたのだ。

 行列に並んでまで買ったものの、結局どの味が一番レンの気に入るかわからなくて、五種類もあるカップケーキを全て二個ずつ買ってしまった。しかも一つのサイズが結構大きかったから到底二人で食べる量には見えなかったのだ。

「だって……あの量……僕はてっきり……」

「……うう、あれはつい、買いすぎたの! 失敗したの! だから持って行って、って言ってごまかしたの! もう忘れて」

 そう言いながらリョウは再びレンブラントの胸に顔を埋める。

 本当はもっとかっこよく、家で淹れたてのお茶を出しながら「ねえ、街で評判のカップケーキがあるのよ。どう?」なんて言いながら一緒に食べたかったのだ。

「……ぷっ」

 案の定、レンブラントが吹き出した。

 うん。予想はしていたけどね。

 そして背中に回っていたレンブラントの手が今度はリョウの頭を優しく撫で始めた。

「僕の奥さんは本当に可愛いですね」

 笑いを含んだ優しい口調にリョウの恥ずかしさが少し和らぐ。

「……じゃあ、あの時計は……」

 話題が時計に戻ってしまった。

 リョウは、軽くため息をつく。

 ああ、でも今のやりとりのおかげで話しやすくなった気がする。少なくとも涙は引っ込んだ。

「……あのね。ただ……形ある物を持つのに抵抗があるの。それだけ」

「形ある物?」

 ああ、やっぱり説明しなきゃダメか……そりゃそうよね。

 なんて思いながら、ちょっと息を整える。涙声でなんか話したら絶対気を遣わせる。もう少し軽く聞き流してもらえるような話し方をしなきゃ。

「……えーと、ね。いずれ思い出の品になってしまう物。って事。今は幸せでも、いつかその幸せを思い出して悲しくなる要素を増やしたくないの。……だってね、ほら、私ってばレンが年取って死んじゃってもその後も生きていかなきゃいけないじゃない?」

 うん。こんな声の調子なら深刻には聞こえないだろう。

 そう思った時、ずきりとリョウの胸が痛んだ。

「……リョウ」

 リョウの肩に置かれたレンブラントの手に力が入った。

「ああ、だからね。まだそういう思い出の品は作らなくてもいいかなー、と。もう少ししたら私にも覚悟ってものができるかもしれないし……」

「リョウ、もういい」

 おどけたような口調を保ちながら説明するリョウの言葉が遮られる。

 レンブラントの強くて静かな言葉によって。

 そして肩に置かれたレンブラントの手に更に力が入り、もう片方の手で上を向かされる。

 あ、駄目だ。涙が出そう。

 リョウがそう思った瞬間、レンブラントが優しく口付けてきた。

 唇と唇が触れた瞬間、リョウが微かに震える。

 不安な気持ちを拭うような、深い口付け。

 リョウも思わず、それに応える。不安要素を一切合切、忘れてしまいたくて。


「……ごめん。リョウ……そんな事にも気付いてやれなかったなんて」

 唇が離れても額をくっつけた至近距離でレンブラントが囁くように謝る。

 言葉がうまく出てこないままリョウは目を伏せ、その目尻から溢れる涙は包み込むように添えられたレンブラントの手が拭う。

 言葉が出ないのでリョウは軽く首を横に振って「気にしないで」という意思を伝えてみようと試みる。

 レンブラントはそんなリョウの頭を再び胸元に引き寄せて、その体を両腕で抱きしめ、軽く息をつく。

「……まったく……僕は見当違いな気を遣っていたんですね……周りの意見も鵜呑みになんかするもんじゃないな……」

「……周りの意見?」

 意外な言葉にリョウが思わず聞き返す。

「クリスですよ。……軍上層部の人間は大抵妻に時計を送るのが習わしなんです。まぁ……夫の仕事を支えるのに必要って事もあるんですが。で、クリスのところはその習わしが結婚生活初の夫婦喧嘩の引き金だったらしいですよ」

「……え?」

 なんのことだろう。

 いきなりの話題にリョウの頭がついていけなくなる。

「つまり、ですね。クリスは習わしに従ってザイラに時計をプレゼントしたそうなんです。それはそれは上等な箱に入れてきちんと包んでもらったものを。で、ザイラは開けるなり怒り出したそうです。妻を拘束するものをよくもこんなに綺麗に包んだものだと。……考えてみたらザイラは南方の出身でしょう? 南方には自由を愛する気質の文化が根強い街が多い。だから時計を持たされて夫の予定に逐一合わせなければいけないというのは屈辱的だったのでしょうね。……うちの駐屯所の隊長仲間では唯一の妻帯者が彼でしたから色々吹き込んでくるんですよ」

「あ……」

 なるほど。

 それで、あの時計は簡素な箱に入った状態だったのか。

 それで、レンは誤解したのか。思いっきり違う方向に。

 そう思うとリョウはつい、くすりと笑いを漏らす。

「……ああ、ようやく笑いましたね」

 レンブラントが安堵の息をつく。

「リョウ……そういう事ですから、その。あの時計はもし辛いようなら当分は僕が預かっておきますよ? それに、もっと沢山あなたの話を聞かないといけませんね、僕は」

 レンブラントが顔を覗き込んでくるので。

「……うん。大丈夫。一緒に沢山時間を過ごすためにも時計、必要だもの」

 なんて答えてみる。今度はうまく笑って言えた。

「じゃあ、明日からは一緒にお風呂にも入りますか?」

 いたずらっぽく笑いながら囁くレンブラントにリョウが一瞬固まって。

「そ……それは却下! 毎日とかは結構ですから!」

 恥ずかしすぎる!

「……ふーん。グウィンは良くて僕は駄目なんですか?」

 思わぬ名前が出てリョウが勢い良く顔を上げる。目が合ったレンブラントの顔は思いの外真剣だ。

「なんでグウィンが出てくるの?」

「あいつが言ってたんですよ。……リョウと入浴したときに背中の傷も見たって」

 ……違う!

 何かがものすごい勢いで間違ってる!

 ガバッとリョウが起き上がる。

「……レン、それ……まさか鵜呑みにしてないよね?」

 恐る恐る聞いてみるリョウに。

「……鵜呑みにしなくていいように、色々説明してもらえるんですか?」

 意地悪そうな笑いを浮かべたレンブラントがリョウの胸元で結ばれた紐をするりと解いた。

「……色々説明って……」

 途端に顔が熱くなるのをリョウは自覚する。


 今宵もまた、夜が長くなりそうだ……。



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