救出
切り落とされたカーテンの仕切りを踏み越えて勢いよく入って来た二人の男の後ろを見て、リョウが先程の音の正体に納得する。
ドアが、無惨に壊れてる。
セイジが内側から鍵でもかけていたのだろう。開けるために力ずくで木製のドアをひっぺがすというか、蹴破った感じ。
引き戸、だからね。
結構力が必要だったはず。
で、リョウとしては。
「き、きゃあああああああ!」
うん。
一応、女なので。
もうこの際、セイジに見られていたのは仕方ないとたかをくくっておりましたが。
入って来たのは、一人はカーテンを切り裂いた抜き身の剣を握りしめた「夫」で、もう一人は一応知った顔の「医師」ではあるけど。
血まみれとはいえ、下着姿を平然とさらす度胸は、無い。
リョウの悲鳴に一旦事態が把握できなくなったレンブラントとアルフォンスだったが……まぁ、それも当然と言えば当然で、何しろ血だらけでおまけに血染めの下着を辛うじて着ている状態のリョウが悲鳴なんかあげたら悲鳴の理由に困惑するだろう。一瞬息を飲んだレンブラントが、自分の服を抱え込んだまましゃがみ込んでいるリョウを見て事情を飲み込み、剣を納めて急いで自分の上着を脱ぎながらリョウに駆け寄りリョウを包んだ。
そんな一連の動きを見ていたアルフォンスが、いまだ呆然としているセイジに駆け寄り勢いよく殴り飛ばす。
派手な音がして、棚に激突したセイジがくずおれるとその上から容赦なく棚に並んでいた瓶が落下した。
……あ、あれは……大丈夫かな。薬品の瓶とか、もろに被っちゃってるけど。
リョウがレンブラントの腕に半ば視界を遮られた状態で様子を見ながらちょっと眉をしかめた。
そして。
「……え、あ、レン?」
リョウがセイジとアルフォンスの様子に目を奪われている間に、レンブラントはリョウの体を自分の上着とリョウが抱え込んでいた服で包み込みさっさと抱き上げた。
「レン、あの、私、大丈夫よ? 自分で歩ける……」
「いいから黙ってなさい! ……アル、そっちは任せます!」
レンブラントの、ここまで怒った声は初めて聞いた! というくらい迫力のある声にリョウの体がびくりと震え、言葉が出なくなる。
アルフォンスもそれに短く答えたが、やはり鬼気迫る雰囲気だ。
セイジの部屋を出るとここの医師と思われる白衣姿の男たちが何人か集まってきていたが、リョウの姿とレンブラントの発するただならぬ雰囲気に気圧されたのか無言で道を開け、固唾を飲むようにして見送ってくれた。
リョウはこの段階で外が真っ暗になっていてすっかり夜になっていたことに気付く。
診療所を出るとそこにはコハクがおり、リョウはレンブラントに抱えられたままコハクに乗せられ家に連れ帰られた。
「……あ、あの……レン、私、本当になんともないのよ?」
家について、リョウはレンブラントに抱かれたままバスルームに直行され、浴槽に湯を入れている間その縁に座らされて下着を脱がされた。
レンブラントは終始無言だ。
体のあちこちにこびりついた血も、下着に染み込んだ血も既にほぼ乾いており、リョウとしてもそんな格好でいるのは気持ち悪いから脱ぐのは構わないし、お風呂に入ってさっぱりしたい、とも思うのだが。
「……あの、ねぇ、レン? ……私、自分でちゃんと洗うから大丈夫なんだけど」
脱ぐのを手伝ってくれたのは、ありがたいけど、その後も身体中をくまなく調べるように見られるのがどうにも恥ずかしくて小さく抗議の声をあげてしまう。
足や腕の血がそこに傷があることを示しているのではないことを確認して、さらにこびりついた血のせいで首や肩に張り付いた髪をそっとまとめてそこにも傷がないことを確認しているレンブラントと目が合う。
「これだけの出血……大丈夫なわけないでしょう」
その目は真剣そのものだ。
なので。
「あ、うん。でも私、意識なかったからよくわからないのよ。気が付いたときには傷も塞がっていたし……お腹、切ったって言ってたけど」
リョウのその言葉にレンブラントがさっと青ざめた。そしてその視線がリョウの腹部に降り、両膝をついて屈み込む。
「……あ、やだ……ちょっと」
リョウが恥ずかしさで身をよじるとレンブラントの腕がそれを阻止するように腰を掴む。
「この……傷跡、ですね? 他には何をされたんですか?」
傷跡?
そんなのあったっけ?
と思ってリョウが改めて自分の体に目をやると、レンブラントの右手の指がそっとなぞっている腹部に薄く一筋の跡があることに気づく。
胸の下から臍の上辺りまでに続く跡。もう消えかけてはいるが、切り傷のようになっている。
考えてみたらあれだけの出血があったような傷が、治癒力が尋常ではないとはいえ短時間で跡形もなく消えるはずはない。
それでも昼ちょっと過ぎくらいに行って今が夜であることを考えると……まぁ、この程度の傷跡が残っているくらいならある程度の傷、だったんだろうな。麻酔がかかっていたかなんかで痛みを感じなくて助かったけど……一度開腹されたのかもしれない。開きっぱなしにしていたのでもなければ切ったところはくっつくだろうし、傷はそのまま治癒したのだろう。
なんて想像しながら。
「だ、大丈夫よ。なんか色々聞いてたら怖くなってきたから結界張っちゃったし」
リョウが力なく笑う。
「色々……って?」
「え、あ、うーん、と……」
レンブラントの鋭い視線についしどろもどろになりながら、リョウはとりあえずあったことを簡単に説明してみる。
レンブラントが深い溜め息をひとつついた。
「……あの……レン?」
レンブラントの顔色は先程からだいぶ悪い。
「……リョウ、とにかく汚れを落としましょう」
レンブラントの言葉に振り返ると浴槽には半分よりまだ少ない程度ではあるが湯がたまっていた。
促されるままに洗い場に座るとレンブラントが少しずつ体に湯をかけてくる。
この都市の水道は川から汲み上げている水の他に、地下から汲み上げている温泉水も通している。
すべての家に配備されているわけではないが騎士の家を始め、ある程度の収入がある家ではバスルームで適温の湯が出るのだ。
レンブラントが手でそっとリョウの体を撫でると、こびりついた血が湯に溶け出して血の臭いが周囲に立ち込めてきた。
レンブラントが、リョウの体の他の部分に傷がないことを確認するように、念入りに洗うのでリョウが恥ずかしさに顔を赤らめる。
「……あの、ねぇ……レン、私、自分で洗えるから……」
そこまで言いかけてふとリョウの言葉が途切れた。
石鹸の泡で手のひらを滑らせるようにしてリョウの体を洗うレンブラントの瞳が怖いくらいに真剣なので。
ここに来て、ようやくリョウはハッとさせられた。
とてつもない、心配をかけていたのだ。
こんな傷ひとつでも、真っ青になって言葉も出なくなってしまうほどに。
だって、自分は竜族で、不死身ではないにしてもかなり強靭な体を持っている。自分の身を守ることくらいなんなく出来る。たかが人間が自分を害することなんて出来ない。
だから、そんなに真剣に心配されるなんて想像すらしてなかった。
自分が、そんな風に心配してもらえるような存在だとは考えたことがなかった。
「……レン、あの……ごめんなさい」
念入りに体を洗ってくれるレンブラントの手がわずかに震えていることに気付き、リョウはもうレンブラントの目を見ることができなくなってしまった。
リョウの目に涙が溜まり、あっという間に溢れる。
「ごめんなさい……」
何も答えてくれないレンブラントにそれ以上に言えそうな言葉も見つからずただ、謝ってみる。
レンブラントの手が一瞬止まったように思えた。
それから。
泡だらけの手がリョウの頬を包んだ。
「……リョウが無事で良かった」
顔があげられなくなったリョウと視線を合わせるように目を覗き込んでくるレンブラントはわずかに口許に笑みを作っている。
リョウを安心させるために無理やり作ったような笑顔。
そんなレンブラントを見たらリョウはさらに涙が止まらなくなってしまった。
「……ごめ……なさい……」
言葉が見つからない。
そう思った。
レンブラントの胸にしがみついて泣きたい気分だった。
でもそれは、自分に許される行為ではないような気がして一度レンブラントに向かった自分の手を握りしめて引き戻す。
こんな自分にそんな、甘えたような行為は許されるわけが、ない。
そんな気がして。
「……おいで」
リョウの体がびくりと震える。
次の瞬間、リョウはレンブラントの腕の中にいた。
「レン……ごめんなさい……っ!」
甘えた子供みたいで我ながらずるいと思う。
でも、他に言葉が見つからない。
服を着たままの、レンブラントのシャツを握りしめて、顔をその胸元に埋めてただ謝罪の言葉を繰り返す。
レンブラントの、リョウの体を引き寄せた腕はそのままその体を抱き締めて背中を撫でてくれる。
「……もう謝らなくていいですよ」
少しの沈黙のあと、レンブラントがそう言うとリョウの体をそっと離してリョウの額に自分の額を寄せてきた。
「あなたが強いことは分かってますけどね、あなたが人を信用しすぎて傷つけられるのを黙って見ていられるほど僕は強くないんです。それに……あんな男があなたに触れたのかと思うと冷静でなんかいられない。……リョウの体は僕がきれいにしてあげるからもう少しおとなしくしていてくれますか?」
優しく諭すような口調にリョウが思わず小さく頷く。
レンブラントにすっかり身を任せて洗ってもらうのはとてつもなく気持ちがいい。
体についた泡を流してもらってから、髪も洗ってもらう。
そのくらいは自分で、と、リョウは言いかけたがレンブラントは頑として譲らず、結局リョウは言うことを聞いてしまった。
洗い流してもらいながら再び血の臭いが濃くなって「ああ、これは自分一人で洗っていたら精神的に参ってしまったかもしれない」と思い至り、レンブラントに完全降伏してしまった。
ずぶ濡れになったレンブラントにリョウが再び謝ると、レンブラントは笑って一緒に湯船に入ろうと言い、リョウの目の前で服をすべて脱ぎ捨てた。
その後、普段のリョウなら髪を乾かすのに結構時間をかけるところだが、レンブラントは濡れたリョウの体と髪を念入りに拭いた後、そのまま抱き上げてベッドに直行する。
「……え、レン……自分だけ寝間着着てずるいわ」
ベッドに潜り込んでくるレンブラントはいつも通りの寝間着姿だがリョウは裸のままだ。
「……リョウの体に傷がついていないかちゃんと触れていないと心配なんですよ」
そう言うとレンブラントの体がリョウの肌に密着してくる。
なので。
「……ごめんなさい」
そんなにも心配されるなんて、と思うとリョウはやはり再び謝ってしまう。
その唇をレンブラントが優しくふさいでくる。
リョウが反射的に込み上げてくる涙をこらえながらレンブラントのキスに応えるとそのキスは次第に深くなっていき。
「……リョウ、痛いところとか、無いですか?」
唇を少しだけ離してレンブラントが囁くように尋ねてくる。
「うん。大丈夫。どこも痛くない」
そう言ってリョウが小さく笑う。
本当は、胸が、痛い。
大好きな人が自分のことで、こんなにも必死になってくれた。胸を痛めてくれた。
そう思うとリョウの胸もまた、痛んだ。
でも、その痛みは、嫌な痛みではない。どこか心地よくもあり、恥ずかしくもあり、口にしたら消えてしまいそうで勿体ない、とすら思えてしまう、痛みだ。
なので。
はぐらかすように両腕をレンブラントの首に回して体ごとレンブラントに擦り寄る。
痛みの残る胸をレンブラントの胸にぎゅっと押し付けるとそれが甘い余韻に変わるような気がした。
レンブラントの腕がリョウの背中に回り、ゆっくり力が入ってくる。最終的には簡単には抜けられないようにしっかりと抱き込まれるような強さに。
その力強い腕にリョウが安心するようにゆっくり息を吐き、そしてゆっくりと眠りに落ちていった。




