医師の企み
鼻をつく、薬品の臭い。
カチャカチャという耳障りな音は、金属が軽くぶつかる音だろうか。
それに……。
体がだるい。重い。動かない。
呼吸さえ、苦しいような気がする。
ぼんやりとそんなことを考えながらリョウがうっすらと目を開けてみる。
ここは、さっきのカーテンの内側、だろうな。
棚には何やら怪しげな大小様々な瓶が並び、大きいものは多分、人体の一部か臓器が薬品漬けになっている。そして小さめのものは薬品、かな。
手を動かそうとしてふと、リョウは自分が診療台らしき台の上に「固定」されていることに気づく。
手首と肘、足首と膝の辺りに金属の感触。
……見なくても分かる。枷かなんかでベッドに固定してるな、これ。
囚人じゃないんだからさ……。
そしてさらに、ふと、妙な感触に今度こそ首をちょっと動かして自分の体に目をやってみる。
……うわ。
なんとなく肘の辺りとか背中の辺りがぬるっとすると思ったら……。
血、だ。
いつの間にか服を脱がされて下着姿になっている体の、周囲が血で汚れている。自分の体も血でベッタリ濡れていて……言ってみれば血溜まりの上に横になっている。
私、どのくらい意識がなかったんだろう。
見たところ、出血の元と思われる腹部には傷はなく痛みもないから治癒した後なのだろうが……さっきのセイジの言葉を考えると。
一体、何をどこまでやったんだ?
とりあえず、腕と脚はまだついてる。
それに、感覚もあっという間に戻って来たから大丈夫そう。
それにしてもこの有り様でほったらかしって……どういうつもりなんだろう。そこはかとなく悪意さえ感じるのは気のせいだろうか。……まぁ、研究そのものに没頭するあまり被験者の尊厳とかそういうものにまで気が回らなくなっていたり……するのかも知れないけど……。
こちらに背を向けて作業しているセイジをこっそり盗み見ながらリョウは体の各部に順番に力を入れてみて不自然な異常がないことを確認してみる。
不自然な異常。
どっかの骨が無くなってるとか、筋肉が欠損してるとかあったら物理的に動けないもんね。いや、でもそれなら相当痛むだろうからさすがに分かるか。
で、出血の痕跡は見られるとしても痛みがないってことは、多分、内臓も無事、なんじゃないかな。
それにしても……「火の竜」に滅ぼされた村の出身者。
セイジは確かにそう言った。
考えてみたらあり得る話だった。
私が焼き払ったのは自分の村だったけど、夜襲をかけてきた麓の村人も一緒に焼き払ったのだ。
働き盛りの男たちをそんな形で失った村がそのあとも存続するとは限らない。生き残った者たちは、きっと散り散りになってでも村を捨てて逃げただろう。
そうやって細々と生き長らえた者たちが私に対して持つ感情なんて、容易に想像できる。
そう思うと……医学に役立つなら多少の協力はしてもいいかな、なんて思ってしまうんだけど。……殺す気は無いって言ってたし。ああ、でも、腕とか脚とか無くなるのは遠慮したいな。立場上、都市にいる意味がなくなってしまうかもしれない。
なんてリョウが眉間にシワを寄せながら考えていると。
「あれ、もう目が覚めたんですか?」
驚いたようなセイジの声。
ふと見ると何やら用意が整いました、とでも言わんばかりの様子で銀色のトレーに様々なものを乗せて、それを両手に持ったセイジが唖然とした顔をしてリョウを見下ろしている。
「……ええ、どのくらい寝てたのかしらね、私。てゆーか、何をどこまでやったのかまず、教えてもらってもいい?」
台の上に横たえられて、身動きできない状態にしてはかなり落ち着いたリョウの口調にセイジが小さくため息をついた。
「何って、まだ大したことはしてませんよ。少し傷の回復力を観察したくて腹部を切らせてもらいましたが……本当にキレイに治癒してしまいましたね。ここまで治癒するなら先に臓器も観察しておけばよかった」
そう言うと、手にしていたトレーを脇におき、非常に滑らかな動きで、リョウが警戒する間もなくリョウの腕に針が射し込まれた。
「え、わ! ちょっと……!」
針についた硝子の菅に満たされていた液体があっという間に腕の中に消えていく。
「だって、薬の効き目が継続しないんですから仕方ないですよ。痛みで暴れられても困るので。これでもう少し大人しくしててくださいね。……出来れば今日のうちに幾つかの臓器から分泌物を採取したいんです。それから折角開腹するなら薬品の反応も見たいんですよ。作業の途中で薬が切れたら……それは我慢してもらうとして」
にっこりと。
いとも綺麗ににっこりと笑うセイジの目を見て。
ちょっと、前言撤回、したいかも。
協力はお断りの方向でもいいかな……。
なんか、そこはかとなく、怖い。
リョウが表情を凍りつかせた。
そんなリョウを見下ろすセイジはゆったりと楽しそうですらある。
「でもここに守護者殿を乗せる日がこんなに早く来るとは思いませんでした。この診療台、特注なんですよ? 普段は他所の都市で死刑宣告を受けた囚人なんかを扱うんです。人体実験なんてなかなかできませんからね。……でもある意味、あなたもそれなりに償うべき罪を犯した罪人ですよね」
楽しそうだったセイジの表情が消えた。
リョウはその先に続く言葉を予想して唇を噛む。
「僕の曾祖父はね、火の竜に滅ぼされた村から生き延びた先祖のせいでどこに行ってものけ者だったんですよ。竜の呪いを受けると恐れられて。だからうちの家系は家名も出身地も名乗ることが出来ず、曾祖父の代で家のルーツそのものを失ったんです」
「……あの、それは……」
いつの間にかセイジの視線はリョウに冷たく突き刺さっており、その背後に憎しみや怒りといった感情が見えているように思えてリョウは言葉に詰まった。
「僕が医者でよかったですね。あなたに最も世のため人のためになる償い方を提供できますよ」
セイジがそう言って笑う。
そこまで言われると、リョウとしてもそれを受け入れざるを得ない。断る口実はない、と思えてしまう。
「……あの……そうね。私に出来ることは協力してもいいと思うの。それが本当に役に立つならそれもいいと思う。それはいいんだけど……」
「へぇ、物分かりがいいんですね。やはり、悪いことをしたという自覚はあるんだ?」
セイジが少し意外そうに目を見開いた。
「そりゃ、まぁ……だって私のしたことは……」
こういう関係者の前で話していると思うとリョウの声がわずかに震えた。
「そうですね。ただの人殺しだ。いや、大量虐殺だからそれより悪いですね。……で、それを認めた上でまだ何かあるんですか?」
「あ……え、と……」
冷ややかなセイジの言葉にリョウが思わず口ごもる。
そう、さっき言い掛けたのは。
今さらだけどちょっと気になっていること。
「私、ここにどのくらい居ます? あの、あんまり遅くなると夫が心配するかな、と」
何しろ自分がここに来ることは誰にも話していない。
レンはきっと心配するだろう。
今日のところは一旦帰って、作業内容に合わせてここに通うとか、そういうことは出来ないだろうか。
そんな提案をしてみようと思っていると、セイジが笑い出した。
「はぁ? 何か勘違いしてるみたいですね。あなたがここに来たことは誰も知らないのでしょう? 帰る必要は無いですよ。守護者は仕事もなくなったので都市から消えた、ってことにでもすればいい。だいたい、ここで生きたサンプルになっていただくのに部屋から出られては困るんですよ。まぁ、開腹した状態で起き上がること自体お勧めできませんが、その内、頭蓋も開かせていただこうと思っているんです。死なない程度に作業を進めるつもりですが騒がれても困るので先に声帯は切除しておこうかなと思うんです」
え……。
リョウの脳裏にセイジの言葉がイメージとして描き出され始め、同時に彼の意図が理解できて思考が止まる。
これは、危ない人だ!
間違いなく危ない。断ってもいいんじゃないか……と思う。
リョウが言葉を失い、どう切り出したものかと視線をさ迷わせていると、言葉を発しなくなったことをどう取ったのかセイジが一つ息をついて。
「さて。そろそろ薬も効いてきましたかね。一応、かなり濃くしたので暫くは眠っていられると思いますよ」
そう言って、セイジの手に握られた細身の刃物、その薄い刃先がリョウの喉元に近づいて来た。
で。
カツン。
「……え……?」
セイジが眉をしかめた。
リョウの喉元に吸い込まれるはずの刃先が何かに当たって硬質な音をたてたので。
少し間をおいて気を取り直したセイジにより再び同じ音をたてる刃先に、リョウが申し訳なさそうな顔をする。
「えーと、ね。結界、なの。……これは例の文献には載ってなかったわよね」
何しろ私が個人的に、独自に、開発しちゃった分野でもあるんだし。
うっかり警戒しなかったからこの状況までずるずると来てしまったけど、「火の竜」の名を持つ者がそう簡単に人間の思い通りになる筈がない。
協力する意思がなくなった以上、ここに長居するのもどうかと思う。
なので。
両手両足に取り付けられている金属の枷。
これ、火で溶かしちゃおうかな。
なんて思う。
リョウがそんなことを考えていると。
「……なにが、結界だ……っ!」
叫び声と共に何かが降り下ろされ、その勢いで弾き飛ばされる。
セイジが手近にあった手術で使う道具と思われる物を手に、リョウの上に降り下ろしてくる。
「わ、わ、わっ!」
当たらないということはよく分かっているがリョウはついその都度、反射的に目を閉じてしまう。
本来なら手で自分の身を守る、というような防御の姿勢をとるところが体が台に固定されているのでそんなわけにもいかず……いくら結界で防御しているとはいえ目の前に結構なサイズの刃物や木槌、あげくの果てには椅子なんかが降り下ろされるとなると、たまったもんじゃない。
ので。
「……はい、危ないですよ、っと」
そう言いながらリョウが起き上がると、セイジが後方に一気に後ずさる。
体を固定していた金属の枷はどろどろに溶けて台から床に落ち、その周囲で炎をあげ始めている。
「あ、そうか。ここ、木造か……」
リョウがそう呟きながら台から降り、周囲を見回す。
先ほどの薬はもうすっかり効かなくなったらしい。さすがに三回目ともなると耐性がつくのね。
炎は全部消しちゃうとセイジ避けにならないから、ほどほどで維持しておいて……えーと、私の着るもの……さすがにこの格好は恥ずかしい。
血が流れた場所に横になっていたせいで身に付けている下着はほぼ血染めだ。見た目にも気持ちのいいものではない。だからといって脱ぐわけにもいかないからとにかく、私の服……!
リョウの視線が部屋の隅に向いてちょっと安堵する。棚の向こうに小さな椅子があり、そこに見慣れた深い青色の上着を見つけたので。
で、ああよかった、とばかりにそちらに歩き出した瞬間。
ガタガタガタ! ガタン!
バリバリバリ!
物凄い音がして、リョウが振り返る。
セイジが音がした方向に唖然とした顔のまま目を向けているところを見ると音の発生源はセイジとは無関係。
そもそも厳密にはカーテンの向こうでの音だった。
で、次の瞬間。
カーテンがバサッと切り落とされて。
「セイジ! いますかっ?」
「リョウ! 無事ですかっ?」
二人の男が踏み込んできた。




