計画実行
「……来ちゃった、な……っと」
なんとなくこっそり、リョウが独り言をもらす。
時刻は昼を少し回ったくらい。
散歩がてら家を出てのんびり歩いてきたところ。
アルフォンスに借りていた文献、書類の束を紙の袋に入れて持ってきている。
元、第三駐屯所。
今は都市で、いや、周辺都市にも誇る一番大きな規模の診療所だ。
遠目には以前と何も変わっていないように見えたが、近付いてみると駐屯所として機能していた頃とは若干様子が変わっていた。
まず、門衛がいない。
まぁ、必要なくなったから、ということだろう。
そして、建物と庭を隔てていた塀も無くなっており、庭には植え込みや花壇がある。さらに花壇の間には若木が植えられており、将来的には気持ちのいい木陰で一休みとかが出来そうだ。
おそらくは、ここを利用する患者やその家族が気持ちよく過ごせるようになっているのだろうと思われる。
ザイラの話だと、ここには本当に色々な患者が集まってきており、中にはもう回復の見込みのない者もいるのだとか。
アルフォンスの研究熱心な姿勢に賛同する他の都市や街から集まってきた医師たちが様々な治療法を研究しているので藁にもすがる思いでやって来るらしい。
なんとなく、今ザイラには会わないようにしたいな、なんて思うのでリョウはそれとなく周囲に視線を配ってしまう。
レンブラントは一日仕事で不在だし、黙っていればリョウがここに来たことは、まぁ、バレない。
後でアルフォンスやザイラから聞く、ということはあるかもしれないが。
それで怒られたら、それはそれ。潔く謝って何を聞き出したか話そう。
と、リョウは思っていた。
そんな訳で。
「……お邪魔しまーす。……アル、いるー?」
以前アルフォンスがいつもいた診療所の一室に辿り着いたリョウがドアをノックして、そっと開きながら声をかけてみる。
で。
「あ……れ?」
ドアを開けたところで中の様子がすっかり変わっているのを目の当たりにしてリョウはちょっと戸惑った。
広くてベッドがたくさん並んでいた部屋はその中に壁ができており、ちょっと狭い部屋になっていた。
この感じ、三分の一か四分の一、といったところだろうか。
ザイラの話で、以前診療所だった棟の一階に相変わらずアルフォンスが自分の診療室を持っていてそこに詰めていることやこの時間帯なら、つまり昼時なら、診療を休憩しているらしいことは分かっていたのだが、部屋の様子がこうも変わっているとは予想外だった。
しかも、目的のアルフォンスが、いない。
室内は、相変わらず大きめの窓から入る日差しで明るく清潔感がある。
机には本や書類の束が置かれており、その隣には本が詰まった本棚。
壁には薬品棚が並び、診察台も置かれている。
「タイミング悪かったかなぁ……」
ドアは開けっ放しにしたまま、何となく中に入って窓に近寄りながらリョウが呟く。
窓は換気を兼ねているのか開いていて先程開けたドアに向かって抜けていく風がカーテンを揺らしている。
窓際に立って外を眺めると案外眺めも良い。
「……お客さん? って、あれ? その格好……」
不意にドアの方から知らない男の声がしてリョウが振り返る。
真っ直ぐな癖のない黒髪を後ろで束ねて眼鏡をかけた男。歳は二十代半ば、といったところだろうか。生真面目そうな雰囲気は眼鏡の奥の切れ長の瞳と、リョウと同じくらいの背中まで伸ばした髪を前髪もすべてきれいにきっちり束ねている辺りから漂ってきているのかもしれない。
白衣を着ているので、ここで働いている医師の一人なのだろう。
「あ、あの。勝手に入ってすみません。……リョウと申します。アルフォンス先生に会いに来たんですけど……」
リョウがおずおずと挨拶をすると男がにっこりと微笑んだ。
「ああ、守護者殿、ですよね。アルなら今は席を外していますよ?……少し待ちますか?」
親しみのこもった微笑みに見えないのは……きっとこの人の性格がにじみ出た外見のせいなんだろうな。
リョウはこっそりそんな風に思ってしまった。
男の薄い唇の端を吊り上げた表情は、きっと彼なりの「微笑み」なのだろうがどうにも目が笑っていないような気がして神経質そうに見えてしまう。
「そうですね。……じゃあ、少し待たせてもらおうかな? あの……差し支えないですか?」
せっかくここまで来たんだし、会ってから帰らないと、とは思うところだけど、何しろここの勝手が分からない。いきなり押し掛けてきたのだって不意打ちなのに、帰ってくるのを待ち伏せなんかしてていいんだろうか? という気もするのでリョウは思わず気まずそうに尋ねてみた。
「え、ああ、大丈夫ですよ。その辺に座っててください。……ああ、お茶でも出しますね。 僕の部屋が隣なんですよ」
男はそう言うとそそくさと歩き去っていった。
「……その辺、と言われてもねぇ……」
リョウが辺りを見回してくすり、と笑いをこぼす。
アルフォンスが使っていると思われる机の椅子に座るわけにもいかないし、あとは診察台つまり簡単なベッドだ。
なんだか診察受ける人みたいだな……。
なんて苦笑いしながらリョウはそこに腰掛けながら改めて周りを見回してみる。
手にしていた袋は脇に置いてみて。
きちんと整理された机や本棚はアルフォンスの性格を表しているようだった。本当にきれいに片付いている。
「お待たせしました」
そんな声と共に先程の男が片手にトレイを持って入ってきた。
ごく自然な動きで後ろ手にドアを閉める。
とたんに風が抜けなくなったのでリョウがわずかに残念そうに窓の外に目をやった。
「淹れたてのお茶です。よかったらどうぞ」
男がトレイをアルフォンスの机に置いて乗せてきたカップをリョウの前に差し出した。
ふわりと甘い香りがリョウの鼻をくすぐる。
「あ、いい匂い」
リョウが目を細める。
前にアルフォンスがブレンドしたお茶を飲んだことがあった。
これはあのお茶とはまた違う匂いで、ああやっぱり仕事柄みんななにかしらの薬草茶を作るものなのかな、なんて思わせる。
「そういえば……えーと、お名前を伺っても?」
お茶を口に運びかけてふとリョウが目の前の男に目を向け直した。
さすがに名前も聞かずにもてなしを受けるのは申し訳ない、と思って。
と、男の目と視線が合い、男がふと目を逸らした。
あれ? なんか物凄く、凝視されていたみたいだけど。
しかも、目を逸らされた。
凝視していたのがバレて恥ずかしかったのだろうか。
そんなことを思いながらリョウがなんとなく微笑みかけてみる。
「……ああ、名前ね。セイジといいます」
ぼそりと告げる男、セイジの無愛想さは端正な顔立ちがある意味引き立てているな、などと思えてしまう。
「守護者殿は今日はどういったご用件で?」
軽くため息のような息をつきながらセイジが聞いてきた。ので。
「あ、ああ。そうそう、アルにね、資料を借りていたから返しに来たの。それと……ちょっと聞きたいことがあって」
脇に置いた袋の口から中身を少し見せながらリョウが答える。
その呼び方はやめてほしいな……と思いながらもなんとなくそういう意見を言いにくいのは……やはり彼の雰囲気のせいかもしれない。
リョウはこっそり心の中で苦笑する。
多分、自分も昔はこんな感じだったのではないだろうか、とも思えてしまった。
「ああ、その資料。ご本人の手に渡っていたんですね。それ、僕がアルに持ってきたんですよ」
セイジがわずかに唇の端を上げた。
「え、あ。そうなの? それはありがとうございます。……あ、えーと、それじゃあ……」
途中で抜けているページについて、この人が何か知ってるかもしれない。なんて思い付いたところでリョウは、さて何て切り出したものかと次の言葉が出なくなった。
それはやっぱり、この人の雰囲気のせいだ。
ああ、もう少しフレンドリーな雰囲気なら話しやすいのに……!
と、余計なことまで思ってしまう。
「何か気になる記述でもありましたか?」
セイジが顔色ひとつ変えずに尋ねてくる。
「あ、いや……記述と言うか……ちょっと抜けてるページがあったようなので……」
リョウの目が若干泳いだ。
だってこれ、考えてみたらセイジじゃなくてアルが抜いたのなら彼に聞いたって分からないのよね。
なんて思えてしまって。
言葉に詰まりながらなんとなく手にしていたカップを口に運ぶ。
程よく冷めたお茶は、甘味が強くてその中にわずかな苦味が感じられた。
……不思議な味だな。何に効くんだろ?
そんな思いから、ついまじまじとカップの中を覗き込む。
「ああ、お口に合いませんか? 一応リラックス出来るお茶なんですけど」
セイジがリョウの様子を見守りながら声をかけてくる。
「あ、いえ。……不思議な味だなと思って」
リョウが慌てて笑顔を作って、残りのお茶を飲み干した。
カップも小さめで量はさほど多くもなかったからあっという間だった。
……もっとゆっくり味わうべきだっただろうか、と思えるくらいだ。
「抜けているページ、気になりましたか?」
思いもよらない言葉にリョウがカップから視線を上げた。
目の前のセイジは軽く腕組みをしたままこちらを見下ろして微かに笑みを浮かべている。
「あ、ええ。……てっきりアルが抜いたのかと思っていたんですけど」
リョウが目を瞬かせながら答えると。
「あれなら僕の手元にありますよ。ああ。今は自宅にありますが……」
セイジが不意に言葉を切った。
面と向かって話していたリョウの視線がセイジから外れてドアに向かったので。
そして足音が近づいて来て……ドアが開く。
「あ、アル。お帰りなさーい。お邪魔してます」
部屋に近づいてくる気配を察してドアに目を向けていたリョウが、ドアを開けたところで固まっているアルフォンスに笑顔で声をかけた。
「……リョウ? に……セイジ? 何してるんですか、他人の部屋で」
アルフォンスが一旦部屋から出て回りを見回してから再び入ってきて眉間にシワを寄せた。
うん。そうよね。
自分のいない間に他人がお茶なんか飲んでたら間違って他の人の部屋にでも入ってしまったのかと思うよね。
リョウがそう思いながらつい軽く吹き出す。
「ごめんなさい。アルにこれ、返そうと思って持ってきたの。いなかったから待たせてもらったのよ」
「待たせてもらったって……だいたいリョウ、ここに来るの、レンが反対しませんでしたか?」
アルフォンスが短く整えたプラチナブロンドの頭に手をやりながら言いにくそうに聞いてくる。
「反対されたわよ。レンだけじゃなくてザイラにまで。だからこっそり来たわ」
リョウがちらりと舌を出して見せるとアルフォンスが目を見開いた。
それからゆっくり大きなため息をついて、これまたゆっくり視線をセイジに移動させる。
「で? なんでリョウをここで『待たせる』必要があったんですか?」
「え、あ、いや……もしかしたらアルが帰ってくるかもしれないと思って……」
今度は明らかにセイジが慌て始めた。というより、実のところセイジはアルフォンスが戻ってきた辺りから気まずそうに視線を泳がせてはいたのだ。
「言ってありましたよね? 今日は午後から出掛けると。……資料を忘れたのと、窓を閉め忘れたのを思い出したからちょっと戻ってきただけですよ?」
……?
あれ?
何?
じゃあ、私、ここで待っていても意味がなかったわけ?
二人のやり取りを聞いて状況が掴めたリョウが目を丸くする。
しかも、「忘れ物のために戻ってきた」ということならゆっくりしている時間はないはず。
「あ、やだ! アル、ごめんなさい! 忙しいところ無理に邪魔しちゃったのね! あ……でも、偶然でも会えて良かったわ。これ、読ませていただいたの。参考になりました。これだけでもお返ししなきゃと思っていたから! あの、私、帰るわね!」
なんとなくアルフォンスの事情が分かったところでリョウはそそくさと立ち上がり、持ってきた袋をアルフォンスに差し出す。
ついでに、手にしていた空のカップを「これ、ごちそうさま」と言いながらセイジに渡す。
と、アルフォンスが一瞬眉をしかめた。
「……リョウ、体調が悪いんですか?」
「へっ?」
なんの脈絡もないアルフォンスの台詞にリョウが思わず声をあげた。
「体調? ……やぁね、いたって健康よ? 竜族の健康状態、知ってるでしょ?」
今渡したばかりの袋に目を向けながらリョウが笑って見せる。
「……あ、ああ。そうですよね。失礼……」
アルフォンスが戸惑うような表情を見せ、思い直したようにいつもの笑顔を作った。
「アル、急がなくていいんですか?」
そこにセイジが口を挟んだ。なぜか視線はよそに向けたまま。
で、リョウは、はたと「自分がいるからアルが出掛けられない!」と思い当たって。
「あ、じゃあ、失礼します!」
と、頭を下げてドアに向かって歩き出す。
「ああ、それじゃあ僕も」
セイジがトレイを取り上げてリョウの後に続く。と。
「セイジ。君には話があります」
心なしか冷ややかなアルフォンスの声。
リョウが、おや、と思いながらも流れでドアの外に出て、そのままドアを閉めようとすると。
「あれ? そんなことしてる時間あるんですか? 大丈夫、報告はちゃんとしますよ」
なんていうセイジの声が聞こえて、流れに任せてドアを閉めると同時に。
ガタン!
「……っ?」
大きな音がしてリョウの動きが止まった。
……何事?
戻った方がいいだろうか、とリョウが思って再びドアに手を掛けると部屋の中から押し殺したようなアルフォンスの声がしてなんとなく思いとどまる。
何を話しているか聞き取れないが、割り込むのは気が引ける雰囲気。
……どうしようかな。
立ち去るにも入っていくにも気が引けて立ち聞きも申し訳ないからドアから少し離れてちょっとリョウが考え込んでいると。不意にドアが開いて。
「あれ? まだいたんですか、守護者殿」
何事もなかったような様子でセイジが出てきた。
「……え、あれ? あの……アルは? 今、何か大きな音がしましたけど」
リョウが恐る恐る尋ねると。
「ああ、あなたが気にすることじゃありませんよ。アルなら出掛ける準備をしてますし……ああそうだ」
取り立てて表情を変えるでもなくセイジがリョウに歩み寄る。
「例の足りないページ、気になるようなら明日にでも僕の部屋に来てください。午後なら居ますから。今日みたいに誰にも知られないように来ていただければ助かります。……内容が内容なので」
「え……」
ちょっと固まってしまったリョウには見向きもせず、セイジがそのまま廊下をまっすぐ歩いていってしまう。
リョウが視線だけで追うと先ほど「隣だ」と言っていた自分の部屋に入っていったので。
「まぁ、今日はどうせ自宅にあるらしいし……アルも出掛けるっていうなら……私は帰るしかない、わよね」
ぽそっと、自分に言い聞かせるように独り言を漏らしながら、リョウは小さく肩をすくめると元来た道を戻るべく、踵を返した。




