宿屋の平和
「勝手に使って大丈夫?」
厨房に躊躇うことなく入って行ったクレイアムを追いかけるように同じ厨房に入って行ってリョウが声をかける。
クレイアムが「お茶でも淹れましょう」と三人を食堂のテーブルに座らせて厨房に向かったのだが、主人がいないのに勝手に入ってしまって大丈夫だろうかと心配になったので。
「……ああ、わたしはよく仕事でここには泊まるので時々勝手に使わせてもらってるんですよ。料理は流石にしませんが……食材をここに届ける仕事もしていますから」
「え……そうなの? 随分いろんな仕事するのね」
慣れた手つきで湯を沸かし、ティーポットを用意するクレイアムに目を丸くしながらリョウが答えると。
「ああ、主な仕事がこの宿屋の管理なんですよ。ここは……息子の件があって一般客が寄り付かなくなってしまったのでね、今は主に素性の知れない余所者を泊める宿になってます。もともとあの夫婦は勤勉で仕事ぶりに問題はなかったので営業停止にするのはもったいないということで町で提案した打開策みたいなものなんです。……まぁ、そのせいで客は立場のある者ではないから……収入は激減しますし、町で少しだけ援助してるんですが……そうは言っても限度がありますからね」
ああそうか。リョウがちょっと納得して頷いた。
そういえば、女将さん「資金が足りなくて料理も手が回らない」みたいなことを言ってた。
クレイアムはもともと騎士だったみたいだから泊まり客の中でも要注意人物みたいな者がいれば監視役として泊まり込んだり、町からの援助を届けたり……この場合もしかしたら食材の運搬みたいな事までやっているのだろう。
だから「今は使いっ走り」なんて言っていたのかもしれない。
「じゃあクレイアムの仕事って結構忙しかったりする、の?」
湧いた湯をティーポットに注ぐクレイアムに合わせてカップを用意しながらリョウが尋ねる。
「忙しいですよ。それに……こう言っちゃなんですけど前よりずっと充実してますね」
「え……?」
笑顔で返してくるクレイアムに意表を突かれてリョウが思わず聞き返す。
「だってほら、騎士の仕事って基本的に相手をいかに効率良く倒すかっていう事ばっかり考えて動くじゃないですか。あとは必要以上に規律を重んじるとか。ああいうのって精神衛生上あんまり良くないでしょう? ここの仕事だと……そりゃあ危険人物の監視ならそういうことも考えないといけませんが主にいろんな出身地の人たちと関われる仕事ですし、楽しいですよ?」
「……あ……なる、ほど」
リョウがぽかんとして呟いたらクレイアムが「ぷっ」と吹き出して。
「ああ、仕事が無くなって困っているとか思ったんですよね? あのですね、あんな戦い三昧の毎日が良かったなんて思ってる人はいませんよ。しかもこんな小さな町だとそんなに大掛かりな軍隊なんか持てませんからね、大抵の人は家族を亡くしてますから余計です。平和になったことに感謝こそすれ恨んだりなんかしませんよ」
実に楽しそうにくすくす笑うクレイアムはもはや最初に会った時の印象がすっかり薄れ、柔らかい印象だけが定着している。
リョウが用意したカップをティーポットと共にトレイに乗せて食堂のテーブルに戻るとアウラと先ほどの医師が楽しそうに話し込んでいた。
「ああ、守護者殿! すみません、全部任せてしまいまして。お茶くらいわたしも淹れられたんですが」
慌てて立ち上がった医師にリョウが笑いかける。
「え? ああ、用意してくれたのはクレイアム。私は何もしないで見てただけよ!」
運ぶくらいはやろうと思ったらちょっと誤解された。と、リョウが少々赤面しながら、それでもカップにお茶を注ぎ分けて各自の前に置く。
「あ! リョウさん、聞いてください凄いんですよ! ディルさんってアルと知り合いでした!」
アウラが嬉々として話しかけてきてリョウが顔を上げた。
「あ、いや! 知り合い、って……友達というわけではないですよ。同じ師の元で学んだ間柄だ。あいつはわたしなんかよりずっと優秀だった。若くしてあっという間に資格を身につけたからな」
ちょっと慌てたように言葉を足すところを見ると、この年配の医師が「ディル」という名前なのだろう。
ディルは目の前に湯気を立てているカップが置かれると同時に椅子に座りなおして、照れたような笑みを浮かべた。
「あら、アルのお知り合い! 凄い! こんなところでそんな人に会えるなんて!」
リョウが目を丸くしてディルの顔を覗き込んでから、ああそうだ、と隣に座ったクレイアムの方を向き直って。
「ああ、アルっていうのはね、西の都市のお医者様なの。私がいつも色々お世話になってて、アルフォンスって言うんだけど……」
「ええ! アルフォンス……っ?」
話についてこれるようにと思って説明しかけた途中でクレイアムが声を上げた。
「何……あなたも知り合いなの?」
リョウが眉をしかめた。
なんだ、アルってそんなに顔が広いのか……。
なんて思いつつ。
「え、いや! 知り合いって、まさか! だって西の都市のアルフォンスって言ったら有名な医者じゃないですか! 彼の診療所で診てもらいたがる患者なんて山ほどいますよ。普通の医者に見放されたような病人や怪我人がわざわざ長旅をしてでも行きたがる診療所じゃないですか。……ああ、そうかリョウさんも西の都市の人なんだから知ってて当然か……って、え? 世話になったって……リョウさんも何処か具合が悪いんですか?」
意気込んで説明するクレイアムが後半で心配そうな顔になりリョウの目を見つめてくるので。
「え? ああまさか! 具合が悪くてお世話になってるんじゃなくて……ああ、えーっと……個人的にね、色々手伝ってもらったり、仲良くしてくれたりしてるっていう意味よ?」
リョウが慌てて説明を加えると。
「あ、なるほど。そうか……だってそもそも守護者ですものね、西の都市の。ああ……なんかこう……イメージが崩れるなぁ……。一応ものすごい人物と席を共にしているわけで……うわ!」
「え? 今度は何?」
クレイアムが再び声を上げ、今度は椅子から立ち上がったのでリョウが驚いて見上げると。
「西の都市の守護者! そんな人をこんな宿に泊めてるなんて上に知れたら大変なことになる! あのっ! これから上に報告してきますんでちょっと待っててもらっていいですか? そのあと別の宿を大至急用意しますから!」
そう告げるや否や立ち去ろうとするクレイアムにびっくりしすぎて声も出なかったリョウが。
「……っ! わーーーー! 待って!」
ちょっと遅れて反応して辛うじてその袖を掴み、引き寄せ、腕にしがみついた。
「な、何するんですか! こういうことは一刻も早くですね……!」
「いいから! 報告なんかしなくていいって! なんなら素性の知れない旅人の扱いのままで構わないから、一旦落ち着こう! ほら、冷めちゃうからお茶飲んで?」
リョウの必死さが伝わったのかクレイアムが渋々椅子に座りなおし、同時にくすくす笑いだす声がする。
なのでリョウがそちらに目を向けるとテーブルの向かいでディルが目尻の皺を更に深くして笑っており、隣でアウラが呆れたような顔になっている。
「本当に守護者殿は我々のイメージをことごとく覆してくださる。ちゃんと身分を明かせばそれなりの待遇は受けられるのに」
そんなことを言いつつもディルはとっても楽しそうだ。
なので。
「あら、だってそんな大層なところに泊まったらこんな素敵な出逢いには恵まれなかったでしょう? アルのお知り合いとご一緒できるなんて光栄だし、それに騎士の頃より充実した仕事をしている幸せな役人さんと知り合いになれたのもとっても素敵だわ」
なんて言いながらリョウがふわりと微笑む。
うん、これは、旅の醍醐味。こういう出逢いがあるから人との関わりは楽しいのだ。
「……まぁ、そう言われるとその通りなんすよね」
コホン、と小さく咳払いしたアウラがため息混じりに呟く。
見ると、なぜか頰がちょっと赤い。
「そう、ですね。そういう客が泊まるからわたしも今の仕事が楽しいわけで……」
なんて隣でカップを口に運びながら呟くクレイアムもなぜか耳が赤い。
「若いねぇ……」
なんて呟きながらくすくす笑うディルは二人の反応の意味がわかっているようだが、リョウはさっぱりわからず「ふーん」と小さく頷くしかなかった。
結局、女将と主人が食堂に降りてきたのは四人がお茶をおかわりして暫く会話を楽しんだ後だった。
そして、イグアスに部屋を提供してしまったディルはあいにく今日は満室とのことでリョウたちの部屋に転がり込むこととなり。
あまりにも快く相部屋を承諾する…というより自ら進んで申し出たリョウに、リョウの身分を知った後の宿の主人と女将が慌てるやら恐縮するやらで、再びアウラとクレイアムが苦笑しながらも若干呆れ顔だった、というのは言うまでも無い。
翌朝。
「さーってっと! なんか手伝ってこようかな」
身支度を終えたリョウが腰に手を当ててまとめ終わった荷物を見おろすと隣でクレイアムがギョッとした目を向けてきた。
「手伝うって、何を!」
「へ? 厨房、とか?」
リョウが何を今更、と言った顔でクレイアムを見つめて首をかしげると。
「あなたはじっとしていなさい! 何を言いだすかと思えば! だいたい守護者が厨房に出入りしたりしたらみんな気が気じゃなくなるでしょう!」
クレイアムが勢いよくリョウの意見を却下する。
「あー、多分その人言っても無駄ですよ。そーゆーの」
バスルームのドアが開いて身支度を終えて出てきたアウラがそう言うと、二人には目もくれず自分の荷物をまとめにかかる。
二段ベッドの上からくすくす声がしてディルが暇つぶしに読んでいた本から目を上げた。
「それならイグアスの食事の支度を手伝ってきたらどうだ? あの夫婦は泊まり客のための朝食の支度で他のことをする暇なんてないだろう」
ディルの言葉に納得したリョウはふと、あれ? でもイグアス、ご飯食べられるのかしら。なんて思い「ディル、彼の容体って……?」と尋ねてみる。なんだそうか、ここに主治医がいるじゃない。と思いついて。
「そうだな……昨夜『落ち着いて眠った』とあの二人が言っていたからもう大丈夫だろう。傷に間違った薬草を使っただけではなくて、それで起きた拒否反応を間違った煎じ薬を飲ませて悪化させていたようだから……今日のところはあまり胃に負担がかからない程度に栄養をつけてやればいい。明日には普通に食べられるようになる。わたしも後でもう一度診察しておこう」
「胃に負担がかからないもの、か……」
リョウが呟きながら、いくつかメニューを思い浮かべながら部屋を出る。
「わー! ちょっと! リョウさん! ……ったく、本当に聞かないな、人の話! アウラ君、君は大人しく泊まり客らしくしててくださいね!」
クレイアムが慌ててリョウの後を追い、アウラが「はいはい」なんて呑気に返事を返した。
リョウが「何か手伝いますよ」なんて声をかけながら厨房を覗くと前掛けをした主人が大鍋をかき混ぜながらこちらを振り返る。
食堂の方では女将がテーブルを拭いたり食器を出したりと忙しそうに動き回っていた。
「守護者様! 何とおっしゃいましたかっ?」
主人がギョッとした顔でリョウを見つめ、女将が布巾を手にしたままリョウの方に駆け寄ってきた。
「守護者様! ご用があるならクレイアムにでも言いつけてくださればいいんですよ! ……ってあらクレイアム、あなたも一緒なの?」
後を追ってきたクレイアムに気がついて女将が目を丸くする。
「すみません。この人本当に人の話を聞かなくて! 部屋にいろって言ったんですが」
「おい、守護者様になんて言い方するんだ!」
鍋からすっかり目を離した主人がクレイアムを叱りつけ、改めてリョウに目を向ける。
「守護者様、昨日は色々ありがとうございました。こんな粗末な宿に無理してお引き止めしてしまって申し訳ない。泊まっていただけて本当に光栄です。皆さんの分の朝食は別に作って部屋に持って行きますから部屋でゆっくりしていただいてて構いません。……ゆっくりできるような部屋では無いかと思いますが……」
「あ、いえ! そんなことないです! 昨夜もよく休めましたし」
恐縮してしまっている主人の言葉を遮るようにリョウが声を上げる。
「それに、私が好きでここに泊まらせていただいたんですよ。お礼も兼ねてお手伝いさせてください。それに……お客様の分の食事の支度はさすがに勝手が分かりませんから奥様のお手伝いか……もし良かったらイグアスの朝食でも作らせていただければ、と思ったんですけど」
「ええっ?」
主人が目を丸くして……完全に鍋を混ぜる手が止まった。
リョウの後ろでは女将が絶句しており、クレイアムが遠い目をしながらふっと笑った。
……ああ、これでは埒があかないし、時間がもったいない!
と思ったリョウが。
「ご主人! 手が止まってます! 焦げますよ! クレイアム、あなた料理はできないって言ったわね? 奥さんを手伝って食堂の方の準備して! ご主人、そこにあるお野菜、少しいただいていい? あら、お米もあるのね。イグアスにお粥作ってあげるからちょっと使わせてください。場所は調理台の隅をお借りするだけで構いませんから」
立て続けに指示を出し、皆があわあわとそれぞれに慌てたように動きだす。
主人が了承したので厨房の隅に積んである木箱や袋から野菜を数種類出してきてリョウがそれを洗って調理台に持っていく。
水場も主人が使うので手早く済ませて場所を空けるようにして。
人参とジャガイモと玉ねぎを洗って持ってきて皮をむき、細かく刻む。胃に負担をかけないようにということなら油を避けて、野菜は刻んで柔らかく火を通す、でいいだろう。
野菜を刻みながら主人の動きを目で追って邪魔にならないタイミングを見計らって米を洗う。
「この鍋、お借りしても良いですか?」
多分これはソース用の小鍋。棚の隅でちょっと埃をかぶっている小さめの鍋が目に入り、リョウが声をかけると主人が頷いてくれた。
きっと以前はこういうものを使ってソースの類も作っていたんだろう。ソースがかけられるようなメインディッシュがあるご馳走。でも今、見た限りだとここにある調理器具で使用頻度が高そうなのは大鍋みたいな大量の料理を一気に作るために使う道具ばかり。
昨日聞いた話を裏付けているようで、リョウはなんとなく小さなため息を吐いてしまう。
……まぁ、ね。そういうところを私がどうこう出来るわけじゃないからこれは仕方ない、と割り切らなきゃね。
なんて思いながら鍋を洗って水を入れ、洗った米と刻んだ野菜を入れる。
「……あの、申し訳ないんですが今、火はこちらで使い切ってまして」
申し訳なさそうに主人が声をかけてきた。
確かに大人数分の具沢山のスープは大鍋に三つ。それとそのほかに肉を煮ている大鍋が三つ。どれも火にかけられていて……うん、どう考えてもそれが優先です。
分かってますよ。だから隅っこのスペースをいただいてるんです。
そう思いながらリョウがにっこり微笑む。
「ええ。西の都市の守護者は火の竜だってご存知?」
調理台の上に置いて使えそうな小さな台を見つけてその上に鍋を置き、その下に炎を出す。もちろん周りが燃えないように結界も張る。
「え……え……火が……?」
「はい!」
目を丸くする主人が怖がらないように炎は必要最小限に小さくして、自分はなるべく可愛く見えるように笑顔を作ってみる。可愛く……見えるような歳じゃないのは重々承知! だいたい、これが通用するのはレンくらいだ。いいの、そこは雰囲気で!
そして。
あなたに危害を及ぼすことはありませんよー。って……伝われー! つーたーわーれー!
心の中で念じてみたりして。
と。
「……すごい! 便利ですね、それ!」
思いの外、あっという間に状況を把握した主人が笑顔になった。
お。料理人には受けがいい力なのね! ハンナも同じ視点で喜んでくれたっけ。
なんてリョウがホッとする。
なので。
「じゃあ、こっちはこのまましばらく放置できるので洗い物、片付けちゃいますねー」
なんて言いながら、使った後の調理器具の山に歩み寄る。怖がられなかったので嬉しくなってつい小さくスキップしてしまった。
そんなリョウを、呆気にとられるように眺めていた主人がくすりと笑いをこぼす。
「本当に……型破りなお方ですね、守護者様は」
「はい?」
とても柔らかい微笑みを浮かべられてリョウが思わず手を止めた。
「ああ、いや。昨夜ヒロセがあなたの事を少し話してくれたんです。ヒロセはイグアスとはそこそこ長い付き合いでね。東方の小さな村から親を亡くして流れてきたんですよ。それをうちで面倒を見ていましてね」
鍋をかき混ぜる手を止める事なく主人がゆっくり話し出した。
そんな様子を見てリョウも洗い物を再開し、手を動かしながら耳を傾ける。
「イグアスはあの通り言い出したら聞かない、しかも直感で行動するタイプでしょう? それに比べてヒロセは物事を静観する落ち着きがある。いい組み合わせなんですよ、本当は」
いくつもの鍋に同時に目を配りながら思い出話をする主人の目はとても優しい。
昨日、女将の後ろで何も言わずに、飛び込んできたヒロセを見ていた目つきとはちょっと違うな、とリョウは思った。
「イグアスが盗賊なんぞになり下がってヒロセがそれについて行ったと聞いたときは二人に失望しましたが……本当はそうじゃなかった。イグアスは止めてもらいたがっていて、ヒロセは一番効果的な止める方法を探っていたんだ」
そう言うと主人は「ああ、パンが焼ける頃だ」と呟いて手を止め、オーブンに向かう。
オーブンが開けられると今まで漂っていたパンの匂いがさらに強くなり、次々に焼きあがったパンがオーブンから出されていく。
たくさんのパンが乗った天板を両手に持って次々に調理台の上に出していく作業は力仕事だ。その後オーブンに新しい生地が乗った天板を入れ直す。
この感じだと、パンを焼くのは一日一回。一日分のパンを朝のうちに全部焼き切っているのかもしれない。
しばらく無言で主人が作業を続けた後。
「そのヒロセがね、あなたに感謝していましたよ。西の都市の守護者があなたみたいな型破りな人で良かった、と。本来なら自分たちは殺されても文句が言えない立場なのに一度ならず二度までも救われた、と言っていた。……わたしからも感謝します。あの二人を救ってくれて、本当にありがとうございました」
鍋の方に戻るのかと思いきや調理台のところで動きを止めた主人がそのままリョウに深々と頭を下げた。
「え……! やだ、ちょっと! 頭上げてください! 私、たいしたことしてませんから!」
洗い物が大方済んで布巾で手を拭きながら主人の方に向き直って聞いていたリョウが慌てる。
「いえ。これは親として何もしてやれなかったわたしからも言わなければならないことです。わたしたち夫婦は……あの子たちの力になってやれなかったんです。騎士になると言って出て行くときにはただ見送った。盗賊なんぞになり下がったという話をヒロセから聞いたときには恐ろしくなってただ『二度と帰ってくるな』としか言えなかった。だから本当に……」
「ありがとうございます」
主人の言葉を引き継ぐように厨房の入り口で女将の声がした。
リョウがそちらに目を向けると、布巾を握りしめたまま深々と頭を下げる女将がいる。その後ろでクレイアムが困ったような笑顔でこちらに微笑みかけていて。
ああ、この感謝の言葉は拒否しちゃいけない、受け取らなきゃいけない気持ちのこもった言葉なんだ、とリョウは理解する。
「どういたしまして」
ふわりと微笑んだリョウの口から柔らかくて落ち着いた声がこぼれた。
そんな言葉に反応するように顔を上げた夫婦はお互いに目を合わせ、それからリョウの方に目を向けて安心したようにほっと息を吐く。
二人の笑顔は、極上の笑顔だ。と、リョウは思った。
「さぁーって! お客さんたちが降りてくる前に仕上げちゃいましょう!」
リョウの言葉に各自が再び作業に戻る。
女将が次々に運んでくる皿に主人が料理を盛り付け、それが次々にテーブルに運ばれる。クレイアムは焼きあがったパンを大皿に積み上げテーブルに運んでいく。
そうこうしているうちに泊まり客が徐々に食堂に集まり始め、料理の並んでいるテーブルからあっという間に食事が始まった。
で、リョウは。
「ご主人、卵一個下さい!」
「ああ、そこにありますよ」
教えてもらった棚の上の籠から卵を一つとって自分が担当していた鍋に卵を落とし、くるりとかき混ぜて最後に味をととのえる。
「はい、お粥の出来上がり!」
なんて小さく宣言してみたりして。
細かく刻んだ野菜はすっかり角が取れて米に馴染み、卵が全体を黄色くツヤっと見せている。
……野菜の甘みと最後に加えた塩で、シンプルで美味しい味になっていると思うんだけどどうかな?
なんて思いつつそっと主人の方に視線を送ると、ニコニコしながら近づいてきた主人が手にしていたスプーンで少し掬って味見してくれる。
「ああ、いい味ですね。これならイグアスも元気が出るでしょう」
なんて言ってくれるのでリョウも嬉しくて盛大な笑顔になって。
「じゃ、私、イグアスのところに届けてきますね!」
なんて言いながら一つだけよけておいた皿に鍋の中身を移していると。
「それ、俺が運びますよ」
後ろで声がしてリョウが振り向くと、決まり悪そうにはにかんだヒロセが立っている。確か昨夜はイグアスに付きっきりだった筈だが泊まり客に紛れて降りてきたようだ。
「あいつ、ついさっきケロッとした顔で目を覚まして第一声が『腹減った』なんです」
「あら……じゃあ、お願い」
様子がわかってリョウも安堵の息を吐く。
と。
「おい、ヒロセ。あの親不孝者にその朝食は守護者様の手作りだから心して食べろとよーく言って聞かせろ」
リョウの後ろから主人の声がかかる。
「……ええ! これ……親父さんが作ったんじゃないんですかっ?」
ヒロセが驚愕の顔になって危うく皿を落としそうになった。




