過去と向き合う
「リョウ、いるー?」
「わぁ! びっくりした!」
いきなりドアが開いてリョウが反射的に一歩後ずさる。
満面の笑みで開けたドアから顔を出しているのはザイラ。
どうも彼女にはこういう入ってき方が定着してしまったらしい。
「……ああ、いらっしゃい」
リョウも今更、どうこう言う気もないのでにっこり笑って迎える。
まぁ、多少笑顔は引きつるのだが。
大抵は家の外に気配がするから来客は分かる。リョウの場合特に気配を感じる感覚も鋭くて、知っている人ならドアの外でも誰なのかまで分かるので大して問題でないのだが。
今日はちょっと気を抜いていた。
昨夜遅くまでレンブラントに自分の過去について話した事で、朝起きてちょっと自己嫌悪に陥っていたのだ。
多分、夢でうなされて精神的に不安定だっただけなのに、無理矢理大ごとにしてしまった気分。
朝、レンブラントが「今日は仕事を休もうか」なんて言い出したので血の気が引く思いだった。
そんな自責の念に駆られながら家事をこなしていたので家の外の気配に全く気づかなかったのだ。
「どうしたの? 連日なんて珍しいじゃない? 昨日も午後からお休みだったでしょ?」
おなじみの、お茶のセットが常備してある台所の隣の部屋にザイラを通しながら声をかける。
昨日は久しぶりに休みをもらった、と言って午後から遊びにきていたザイラだったが、今までの感じからしてそうしょっちゅう休みが出るとは思えない。
今は昼を少し過ぎた時間。
昨日ザイラが来た時間より若干早いくらいだ。
「そうなのよ! だってね、もー、今朝一番で誰が来たと思う?」
昨日と同じ席に勢いよく座って、隣のもう一つの椅子に荷物をドサッと置いたザイラが、思い切りのいい笑顔で尋ねてくるので。
「え? 誰か担ぎ込まれたの?」
思わず聞き返す。
……いや、ザイラの笑顔からして誰か知っている人が怪我をしたとか病気になったとか、そういう事ではないとは思うけど……万が一って事もあるわよね。
そう思いつつリョウもザイラの向かいに座る。
そういう話ならお茶を入れてる場合じゃない。
「あー、違う違う。めちゃめちゃ元気なおたくの旦那が駆け込んできたの」
半眼の状態で片手をパタパタ振りながらザイラが答える。
「え? レンが?」
リョウが「おたくの旦那」という言葉につい照れ笑いが入ってしまいながら聞き返した。
「そうよー。アルが持ってるって話した文献を見にリョウが一人で来たら大変だから自分が預かりますって。……でもレンは預かったところで夜まではリョウのところに持って帰れないわけじゃない? 待ちきれないリョウがそれを知らずにこっちに来るかもねー、なんて茶化したら、まー慌てる慌てる! 面白いからしばらく見てたんだけど何気にアルが被害者でさ、そこまでして遠ざける必要ないでしょう! って拗ねちゃってー! あー面白かったー」
上機嫌で説明するザイラにリョウがちょっと唖然とする。
「……え、やだ……そんな事になってたの……?」
「ま、気にすることないわよ。ほとんどじゃれてるだけだから、主にアルなんかはね。あの人自分で自分を理解してるから周りで気を遣う必要はほとんどないのよ。……ああ、そんなわけでアルがこれ、リョウに持って行ってあげなさいって」
えーと……なんて言いながらザイラが隣の椅子に置いた荷物の中から紙の束を出してリョウの前に置く。
「……え、これ……?」
紙の、束である。
かなり古そうで、端が黄色く変色しており所々破けている紙の、束。
「そう。これがその文献って奴なの。なんかね、ちょっと前に危うく給食部門の焚付けに使われるところだったらしいんだけど奇跡的に免れたんだって」
わー、そうなんだ。
リョウはてっきり本の形のものだと思っていたので表紙も何も付いていない紙の束に拍子抜けして、それでもそんな経緯を聞くと貴重なものであるということは分かるので恐る恐る手を伸ばす。
「で、ザイラは仕事、どうなってるの?」
パラパラと紙の束をめくりながらリョウが尋ねる。
「あ、うん。この後戻るわよ。とにかくこれを届けて来いって言われて引き受けてきたのよ。ここんとこそんなに忙しくないから途中抜けても大丈夫なのよね」
「あら、じゃあ、お茶淹れても大丈夫?」
ザイラが急いでいる様子でもないので紙の束を脇に置いてリョウが立ち上がる。
「えへへ。ちょっと狙ってたのよね。リョウが淹れるお茶、美味しいから。……あ、これ、差し入れ! 患者さんが沢山くれたの」
照れたように笑いながらザイラが荷物の中から数個のオレンジを出してテーブルに乗せる。
「わぁ、美味しそう! あ、じゃあちょっと待っててね」
リョウはそのオレンジを受け取って抱えるようにしながら台所へ。
お湯を沸かしながらオレンジを切る。
……全部で六個。結構あるな。
なんて思いながらとりあえず二個を切り分けて皮を除いてお皿に盛り付ける。
よく熟しているのでこのままで充分甘いだろう。
小麦粉とバターが沢山手に入っているのでクッキーを焼いて作り置きしていたことを思い出してそれもついでに持ってくる。
残ったオレンジは四個。
そのうちの一個を薄くスライスしてきれいな断面のものを何枚か別皿に取り分けてから、ティーポットにお茶の準備をしてトレイに乗せる。
「はい、お待たせー」
開けっ放しにしていたドアから元の部屋に戻るとザイラが部屋の窓から外を眺めていた。
「……ねぇ、あの白い鳥、レジーナ?」
かなり離れた雑木林の方を見ながらザイラが訊いてくるので。
「あ、うん。……よく見えるわね! 私だって慣れてきた今でこそわかるけど、最初は近くまで行かないと分からなかったのよ?」
なんて言いながらトレイの上の物を一つずつテーブルに並べていく。
「あ、そっか。いきなり目視は無理ね。……聖獣、なんでしょ? なんかね、気配が特徴的なのよ。さっきどこかから飛んできてこの家の上を飛び越してあっちに行ったんだけど。近くに来たら分かるって感じかな」
ああなるほど。
リョウはザイラが見ている窓の方に目をやって納得。
レジーナは日中は自由気ままにどこかに行っていて夜になると裏の雑木林に戻ってきている。もちろん日中もその辺にいることがあるので気が向けば開けている窓枠くらいまでなら近づいてくるのだ。
今日は、たまたまその辺で遊んでいるのかもしれないな、なんて思いながら無意識で笑みが漏れる。
「今度ハナもレジーナもついでにコハクも連れてその辺に遊びに行きたいわね! 駐屯所の厩舎に居なくなっちゃったから寂しいのよね!」
テーブルに戻ってきながらザイラが楽しそうに話す。
「あ、そう言えば駐屯所にいた時にはザイラが時々顔を出してくれてもいたのよね。……そうね、こっちに来てからはあんまり会ってないわよね」
リョウが相槌をうちながら紅茶のカップを温める。
この家に住むようになって、しかも第三駐屯所が診療所として本格的に機能し始めたので、ハナとコハクは城の厩舎に移させた。
ハナはザイラにも懐いていたから……うん、今度一緒にどこかに行くのも悪くないな、なんて思いながらスライスしたオレンジを温めたカップに1枚ずつ入れる。
「わー、何するの?」
ザイラが両手で頬杖をつきながら目を輝かせて訊いてくる。
「ふふ。この上から紅茶を注ぎまーす」
リョウが二杯分ちょうどで作った紅茶をオレンジの上から注ぎ分けて、オレンジがふわりと浮かんだところでカップをザイラの前に出す。
「……わぁ、いい香り!」
カップを持ち上げたザイラが思い切り香りを吸い込んでいるのが微笑ましい。
「でしょ?」
なんてちょっと得意げな笑顔を作るリョウと目を合わせたザイラが一緒に楽しそうに笑う。
たわいもないお喋りにしばらく花を咲かせるそんなひと時もリョウにとってはこの上なく贅沢で。
自分が誰かをもてなす事になるなんて、想像したこともなかった。
自分の家に誰かが遊びに来てくれるなんて、考えたこともなかった。
だから、こんなふわふわした夢のような時間が、現実なのか時々疑わしくもなるのだ。
もしかしたら、私は自分に都合のいい夢を見ているだけなのかもしれない。
でも、もしそうなら……もうこのままずっと覚めないでいてくれたらいいのに、と願う。
夕刻。
夕食の支度を済ませたリョウが寝室のソファーで例の紙の束をゆっくりめくり続けている。
中にはバリバリに変質した紙も混ざっており気を付けないと脆く崩れそうになる箇所がある。
インクの色もかすれて読み取りにくいところがあったので、リョウは照明代わりに手元に小さな炎を出してそれを天井に向かって自分から少し遠ざけてみた。
温度を上げるのでもなければ炎自体に結界を張ることはしないところが、この度は安定した明かりが欲しいので小さな炎に結界を張って、その中で温度を上げる。炎の色が白くなり、部屋全体が明るくなった。
始めの方は、竜族に関する伝説の概略だった。
地方によって様々に語り継がれる竜族の、かなり脚色された物語のような物。
昔、リョウが自分が何者かよく分かっていなかった時にクロードから聞いた話を思い出す。
閉鎖的な小さな村から出て来て人を恐れ、物陰に隠れるようにしながら数日を過ごしたリョウは疲れ果てて眠り込んでいたところをクロードに保護された。
強烈な空腹を感じていても、それで餓死するわけでもない体。
クロードが差し出す食べ物に手を出すまでに数日かかった。
近づいてくる自分より大きな体のものには反射的に後ずさってしまうリョウに困ったような顔をするクロードが忘れられない。
首から下げていた赤い石で何者かを知ったのであろうクロードに名前を聞かれた時「ヒノリュウ」と答えたのは、困ったような顔をする人を初めて見たせいで申し訳ない気持ちが募ったからだった。
「……リョウ?」
クロードがそう答えた。
後になってよくよく考えたら、何日も飲まず食わずで疲れ果てており、人とまともに喋ったこともなかったところで保護されてほぼ初めて発した声だったからかすれて聞き取れなかったのだろう、と思われた。
つまり最初の「火の」は聞き取れないまま「竜」がうまく聞き取れずに「リョウ」となった。
そんな話をしたのはその後だいぶ経ってからだ。
クロードは竜族の頭に生まれついた者に固有名詞が無いことを知らなかったようだった。
それでも、他の人たちと同じように固有名詞である「名前」をつけてもらえたというのはリョウにとっては特別なことであり、名前の由来はともかく、嬉しいことだった。
そんな彼から差し出される物を口にするようになって暫くするとようやく距離が少し縮まり、彼はよく頭を撫でてくれた。
始めはその行為の意味がわからなかったが、頭を撫でてくれる時のクロードの顔が優しくて心地よいものだと思えるようになった。
そうやって少しずつ距離を縮めた頃、クロードが「リョウは普通の人間とは違う」と言ってリョウが住んでいた山を指し示し、そこに住んでいる竜族を麓の人たちがどう考えていたか話してくれた。
クロードとしてはリョウを連れ歩くに当たってリョウ自身が自分で、ある程度身を守る意識を持たせたかったのだろう。
それは子供に聞かせる昔話の形態で、リョウは自分の事として認識出来るほど深く考えもせずに聞いていた。
東の果ての山々には古代から竜の種族が住むと言われている。
世界を統べる、四つの竜の内の二つ。
大地を司り、命を育む「土の竜」の部族。
炎を司り、破壊の力を持つ「火の竜」の部族。
この二つの竜族のおかげで東の地は力のバランスが保たれている、とも信じられていた。
その反面、竜族は自身の力を維持するために人を襲い喰らうという話もあり、時に日照りや疫病は竜族の仕業とされることもあった。
語り継がれる伝説は人間にとって都合のいいように出来ており、人の娘を攫っていく竜族を退治するという武勇伝や、日照りや疫病が続いた時に竜族に村の有志が制裁を加えたという武勇伝、または村の若者をたぶらかす竜族の娘を捕まえて晒し者にしたという話までが美談として語り継がれていた。
クロードがそんな話をあえてしたのは、リョウが迂闊に自分の身分を明かさないようにという警告の意味もあってのことだろうが、当時のリョウにはその真意もあまり通じていなかったのだ。
「……本当に、ただのおとぎ話だと思って聞いていたのよね……」
くすり、とリョウが小さく笑う。
古い文献の中に描かれるのは遠い昔に何度も聞いた物語だった。
クロードの話は面白い。暇さえあれば「あの話をして!」と強請っていた。
自分のことだという認識が無いせいでクロードが毎回微妙な顔をしていたような気がする。
人間の年に換算して二十歳は超えていたが、見た目はまだ十代前半といったリョウは当時、二十歳そこそこだったクロードに半年ほどで懐いたのだった。
卵から孵った雛が最初に見たものを親と思って慕うのと似ていたのかもしれない。
でも、たとえ雛でも、最初に見たものが世話をしてくれなければいずれ離れていく。
クロードは、本当に、本気で世話をしてくれたのだ。
まだ比較的平和な時代だったとはいえ、若者が一人で生きていくのが危険なのは言うまでも無いことで、それは彼自身が身をもって経験していた。だからリョウの子供っぽい行動を心底心配して付きっ切りで守ってくれた。
ぱらり、とめくった次の紙には竜族の伝説に基づく挿絵があった。
文字通り、ドラゴンの絵だ。
それが火を吹いて村を襲う、そんな挿絵。
それが人々が持つ自分への印象だと最初に気付くきっかけになったのは、祭りの夜だった。
風の民が近くに来ていて出発の前夜祭があると聞き、クロードに頼んで連れて行ってもらった。
仲良くしていた子も一緒で、二人でクロードを取り合うように戯れていた。
祭りの夜に成立したカップルは永遠に結ばれるなんていうどこにでもありそうなジンクスに、珍しくその子は本気になっていてクロードに告白しようとしていたのでリョウはカッとなって彼女を突き飛ばしたのだ。
夜通し行われる祭りのためにあちこちに魔除けと称した焚き火があり、よろけた彼女は焚き火に突っ込みそうになった。
……自分が炎で害を受けないから「火が危ない」という感覚がなかった。
危ないと周りの大人が騒ぐ中、何を大袈裟に! とばかりに焚べられている、まだ燃えている焚き木を素手で掴んで「ほら大丈夫じゃない」なんてやったものだから……大騒ぎになった。
ものすごい悲鳴があがり、クロードがすっ飛んできてそこから連れ出してくれた。
その後、クロードに怒られたが……リョウとしては喧嘩した友達から彼を奪い返したくらいの認識で、自分がしたことの重大さには気づいていなかったのかもしれない。
その後、他の町に移動したのは……その村に居づらくなったからだ。
リョウが小さくため息をつく。
なぜ自分が周りから嫌われるのかがわからなくて次の町では周りの人に親切にしようと思った。
炎に対して他の人と自分が異なる事をクロードから説明されて、それじゃあその違いを活かそう。とか、突拍子のない事を考えたりもした。
友達が火の中に落としてしまった物を親切のつもりで拾い上げて、化け物呼ばわりされたこともあった。
いじめられている子供を守ろうとして炎を出した事もあった。
その度に、村や町の主立った人たちがこぞってやって来て、クロードに出て行けと告げる。
……怒らなかったのよね、クロード。
私があんなに突拍子のない事をやらかしていたのに。
怒るのではなく、いつも寂しそうな顔をしていた。私と一緒に傷ついてくれていた。
そんな事を繰り返すたびに私は、自分がクロードを傷つけていることに気づいて、やっぱり自分は存在する価値がないんだと殻に閉じこもるようになってしまったんだった。
全てが空回りして、良かれと思うことが全て裏目にでる、そんな毎日だった、気がする。
ふと、リョウは不思議な感覚に我に返った。
昔の、周りから恐れられた頃の情景をこんなにはっきり思い出しているというのに、胸が痛まない。
むしろ「私、馬鹿だったな……」なんて客観的に思えてきた。
あれ……?
以前はこんな状況を夢に見て怯えるくらい嫌な記憶だったのではなかっただろうか。
この違いは……やっぱり、今の状況が安定しているからなんだろうか。
自分の過去を少しずつ冷静に見られるようになってきた、という変化。
竜族の村での出来事を、レンブラントに聞いてもらった事を思い出してみる。
言葉に出して、説明してみて初めて自分の記憶が整理されたような感じだった。
それに伴う感情も、収まるべきところに一つずつ収まっていくような感覚。
レンがちゃんと聴いてくれる人で良かった。
あんな取り留めのない話でもちゃんと最後まで吐き出させてくれたから……今日の私がある、ということなのかもしれない。




