二人の帰宅
「リョウ様! ただいま戻りました!」
午前中、爽やかな風が時折吹き込む中まず玄関から飛び込むように入ってきたのはハンナ。
よそ行きの深緑色のスカートにジャケット、という出で立ちは出発した時と同じだ。ピンタックが施されたブラウスの胸元には翡翠のブローチが付けられている。
「わぁ! おかえりなさい! ハンナ」
入ってきた時の勢いのまま抱きつかれたリョウは戸惑いながらも嬉しくて満面の笑みになる。
「奥様、玄関が全開になっておりましたが、何かされているんですか?」
遅れて荷物を両手に持ったコーネリアスが入ってきていつも通りの柔らかい口調で声をかけてくる。
「ああ、コーネリアス! おかえりなさい!」
ハンナが身を離してくれたのでリョウが満面の笑みのままコーネリアスに声をかけ。
「今ね、玄関ホールの掃除をしているところだと……」
とセリフを続けながらその掃除をしているはずのアイザックを探す。
「はい? 奥様が、ですか? そんなことしなくてもわたくしがやりますよ。そもそも掃除なら出掛ける前に済ませておりましたからこんなところまでやらなくても良かったのですが」
戸惑うような微妙な笑顔になったコーネリアスの後ろから、掃除用具を片付けてきたと思われるアイザックが捲り上げていた袖を直しながら入ってきて。
「ああ、おかえりなさいませ。掃除をしているのはわたしです。しばらくご厄介になりますのでよろしくお願いします」
コーネリアスのすぐ後ろで立ち止まったアイザックがコーネリアスに向かって深々と頭を下げた。
「……アイザック、様?」
コーネリアスが息を飲んで固まり、ハンナもちょっとした驚愕の顔になった。
「と、とりあえず、荷物、部屋に運んじゃいましょうか?」
どこから説明しようかなぁ……と遠い目をしながらリョウが声をかけてみる。
まず、いつも通りの服装に着替え直したコーネリアスは事情を理解してアイザックと日常の作業の分担をすべく早速仕事に戻った。
ハンナは旅行の疲れも考慮して今日一日はゆっくりさせたいとコーネリアスから申し出があって昼食までの間、応接間でリョウと一緒に時間を過ごしている。「コーネリアスだって疲れていると思うんだけど……仕事に対する意識といいハンナへの気遣いといいさすがだな……」なんてリョウは思いつつも、コーネリアスにはアイザックの助けもあるだろうから、と止めなかった。
「 リョウ様、これ、お土産です!」
応接間のソファーに一緒に座るように促すと遠慮がちに浅く腰掛けたハンナがリョウにちょっと大きめの包みを手渡した。
茶色い紙に包まれたそれは一見してなんの形かわからない状態で、リョウが受け取ると手の中で固さも形も不安定。
……箱と、瓶、かな?
リョウが子供のような笑顔になりながら早速それを開けてみると。
「うわ。なにこれ? ……お酒……?」
「はい! 梅の実のお酒はご存知ですか?」
ハンナが目をキラキラさせながら答える。
黒い瓶は果実酒らしい形をしており、それと一緒に紙でできた箱が出てきた。
「梅って……梅干しの、梅?」
リョウがわずかに眉をしかめた。
梅干しは、知っている。塩漬けにした梅。でも確かあの果実は生では食べられないのではなかったっけ。
「そうそう。その梅です。東方では梅干しの他に梅酒という梅の活用法があるんですって。少しいただいたらとても美味しかったのでリョウ様にも買ってまいりました」
「へぇ……」
梅干しの味しか想像できないんだけど……酸っぱいの、だろうか?
「あと、そちらの箱はお菓子です」
言われて蓋をそっと開けると手のひらにおさまるくらいの茶色い丸い菓子が綺麗に並んで入っている。
「わあ、可愛い。なにこれ?」
「名前……何でしたかね……ゲッペイ……? うーん、忘れてしまいました。月を愛でる習慣から出来たお菓子、との事でしたわよ。中の餡がとても美味しかったので旦那様と召し上がられてはいかがかと思いまして」
「わー、すごいわね。月か。だから丸いのね」
旦那様と二人で……というにはちょっと量が多いな。全部で十個入ってるし、結構重い……ってことは中身がしっかり入ってるってことよね。
なんて思いながら。
「こんなにあるんだったら午後の仕事の合間のお茶の時にみんなで食べるというのは……」
「皆様用でしたら別に買って来てございます!」
ハンナが満面の笑みで答えてくれた。
……さすがです。
「そういえばさっきハンナが付けていたブローチ、素敵だったわね。翡翠、だった?」
今はいつもの濃紺のワンピースになっていて、ヨーク部分の切り替えがある胸元はリボンが付いている。
さっき見たのが翡翠なら、確か産地が東方にあったと記憶しているので旅先でコーネリアスに買ってもらったものかな、なんて思ったので尋ねてみた。
途端にハンナが顔を赤らめてスカートのポケットに手を入れた。
「うふ。目ざといですわね! これ、コーネリアスからのプレゼントなんです」
服を着替えても持ち歩いちゃうなんて可愛いなあ、なんて思いながらリョウが視線を落とすと、ハンナの手の中には見覚えのある布の袋。
「あれ?」
レースが縫い付けられて淡いピンク色のリボンが付いている袋の中からハンナがそっと先ほどのブローチを取り出した。
「ふふ。この袋、気に入ってるんですよ。なにを入れようかなぁと思っていましたら丁度よくコーネリアスがこれを買ってくれたので、普段はここに入れておこうと思いまして」
その袋はリョウが少し前にハンナにプレゼントしたクリームのラッピングにヴィオラが付けてくれたものだった。
「うわぁ……使ってくれているのね、これ」
もはやリョウの視線はブローチではなく袋の方に釘付けだ。
「ええ。あのクリームもとても使い心地が良くて! 水仕事の後に使うと手がすべすべになるんです。……わたくしだけあんなものを頂いてしまってコーネリアスに羨ましがられましたわ」
くすりと笑ってハンナが肩をすくめる。
「あー……でもコーネリアスはクリームなんていらないわよねぇ……男の人はあんまりそういうのはつけないだろうし……」
そういえばコーネリアス、歳がいってそうなわりに手が綺麗だったような気がするな。なんてリョウが思い出す。
時々庭掃除もしてくれているから土を触る事もあるわけだし掃除は水仕事でもある。その割に指先までツヤっとしていて……レンみたいに綺麗な手だなって思った記憶がある。手って年齢が出やすい場所じゃなかったっけ……? あれ? てことはお手入れちゃんとしてる……?
「そうなんです! あの人、こういうの一切使わないくせにいつまでたっても肌が綺麗なんですよね! 不公平ですわ!」
隣でハンナがわざとらしくぷっと膨れた。
……ハンナ、色々と表情や仕草が可愛い。
そう思うとリョウもつい笑ってしまう。
「まぁ……それならクリームは……ハンナが綺麗でいることがコーネリアスへのプレゼント、ってことでコーネリアスには特になくていいか」
そう言ってリョウはハンナと目を合わせ、悪戯っぽく笑った。
「ああ! アイザック! ちょっと待って!」
一日の仕事を終えて裏口から帰ろうとするアイザックにリョウが声をかけた。
「はい、なんでしょう」
一日働いて疲れているはずなのに、いつも通りの表情と口調を維持して振り返るというのはちょっと凄い、なんて思いながらリョウがそそくさと歩み寄る。
「これ。ハンナのお土産のお裾分け。アイザックがここにいることはあの二人、知らなかったから何ももらってないでしょ?」
リョウの手にはハンナからもらった菓子が四つばかり紙に包まれている。渡そうとした隙に紙の合わせ目が少しずれたのでついでにちょっと広げて中身を見せながら。
「月を愛でる習慣から出来たお菓子なんだって。今日のお茶の時間にも皆、争奪戦のように食べてたけど……アイザックは食べられてないんじゃないかと思って」
確かあの時間帯はアイザックは外回りの掃除と点検でコーネリアスを手伝っていた。徹底して使用人の立場を越えたことはしない彼のことだから呼んでも一緒にお茶や食事をしないのはなんとなくわかっていたけど、だからといってみんなで美味しくいただいたものを分けてあげないのもどうかと思った。
「……でも、これは守護者殿が貰ったものでしょう。わたしがもらう理由がありません」
目の前に差し出された包みに手を出すこともなく視線をリョウへと移したアイザックが静かに告げるので。
「何? 甘いもの、嫌いなの?」
リョウがつい睨みつける。
「あ……いや、そういうわけでは」
「じゃ、どうぞ。箱に十個も入っていたの。レンと二人でも食べきれないから。美味しいものは美味しいうちに食べなきゃ食べ物に失礼でしょ」
「……っ? 十個……って、じゃあこれはもらいすぎじゃないですか!」
アイザックが眉を顰めて包みにそっと手のひらを向けて拒絶の意を表す。
……ああ、しまった。余計なことを言ったか。
リョウが視線を横に逸らしながら小さくため息をついて口元をひきつらせる。
「いいの! 持って帰りなさいってば。なんなら誰かと一緒に食べたらいいわ」
リョウが強制的にアイザックの手を掴んで包みを持たせると。
「……誰かと、……って。今のわたしの勤務体制で誰かと茶をする時間がどこにあると?」
守護者殿、馬鹿ですか?
という言葉がその後に続きそうな表情と口調でアイザックが答えるので。
「なんなら今からお茶に誘ったらいいんじゃないの? あなたお茶を入れるの上手だし、一息いれる必要がある人がいるでしょ」
なんとなくアイザックの後ろの開いたドアの向こうに目を向ける。
きっと今夜も城の中で一人、時間外労働をしている男がいる筈だ。そしてアイザックが一番側で一緒に仕事をしたい人である筈だし仕事から遠ざけられている今、こういう用事でもあれば顔を出しやすいのではないかという相手でもある筈。
そう思えてリョウが無理やり渡した包みを返されないようにこちらでは腕組みをしてわざとらしくため息をついてみせる。
「今から……ですか」
アイザックが少々ためらいがちに呟くので。
「そ。こういうものはね、誰かとゆっくりいただく方が美味しいし、この人と一緒に時間を過ごしたいって思う人と同じものを一緒に食べるというのは心を豊かにするのよ。人として大事なことよ?」
ここまで言えば最後のひと押しになるかな。と、リョウがニヤッと笑って見せると。
「……わかりました」
アイザックがため息混じりに小さな声で答えた。
「で? なんで今からお茶なんですか?」
「……いや……なんでだろう……」
ぶすっとしたレンブラントが応接間のソファに腰を下ろして隣に座っているリョウに視線を向けてくるのでリョウが宙を見つめながら曖昧に答える。
「別に寝室でリョウが淹れたお茶を飲むっていうなら一向に構いませんよ? むしろ大歓迎だ」
「うん……知ってる」
そもそもリョウだってそのつもりで寝室のテーブルにはお菓子の用意をしてきていたのだ。
「お待たせいたしました。お茶を淹れて参りました。菓子の中に餡が入っているとうかがいましたのでこのお茶でしたら合うと思いますよ」
珍しく薄い笑みを浮かべたアイザックがトレイにティーセットを乗せて部屋に入って来て、不満気なレンブラントの視線を受けてさらに口角を上げた。
「すみません。守護者殿がわたしの淹れるお茶を所望してくださったので隊長殿もお付き合いください」
……なんで通じなかったんだろう。
ああもしかして、アイザックが一緒に時間を過ごしたい人って案外レン、だったりするんだろうか。
なんて思いつつリョウが遠い目をした。




