お茶会の準備
さて……どうしたもんか。
リョウが台所で食材の棚を前に腕組みをする。
ついでに「うーーーーん」と唸ってみる。
昨日、アイザックの治療のために来てくれたアルフォンスがお茶を楽しみながら「北に出かける前の挨拶を兼ねたお茶会、明後日に決まりました」なんて唐突に爆弾を落としてくれた。
そりゃ、もう数日以内に出立するわけだから、そんなに時間のゆとりもなく日取りは決められるだろうとは思っていたけど。
それにしたって、会ったことのない人達との「お茶会」って。しかも「守護者殿がお菓子を持ち込みますって伝えてありますよ」と、アルフォンスはキラキラした目で言い放ってくれたけど。
何を持って行けと言うんだ!
好みとか、場の雰囲気とか、色々あるでしょうが!
場違いなお菓子とか持って行っちゃったら……なんかものすごーく、今後の色々に差し触ったりするよね?
なので。
「どうしよう……」
再び腕を組んだまま考えてみる。
だって。
レンにどういうものを持って行ったらいい? って聞いたところで「リョウが作るものならなんでも大丈夫ですよ」と言われるのはなんとなく、目に見えている。あの人は目に何かのフィルターが付いている気がしてならない。
アルだってある意味そうだ。「甘いものならなんでもオッケー」な返事が返ってくる気がしてならない。
グウィンは……「んなもんなんでもいいだろ? めんどくさけりゃその辺でなんか買って持って行ったらどうだ?」とか、もはやアルがセッティングしたお茶会のコンセプトを無視した発言をしそうだし……アウラは……もう論外な気がする。
で。
となると。
一番、まともな提案をしてくれそうな人ってもう残すところあと一人しかいなくて。
しかも、そういう場面を誰より一番よく知ってて、ものすごく客観的に実用的なアドバイスをしてくれそうなのが残りの一名。
「……なんか昨日の今日で……あんまり近付きたくないんだけどな……」
つい、本音が溢れた。
確かに、アイザック本人は何事もなかったかのように振る舞ってはいたし、あの後本当に体が動くようになったみたいで夕食の支度も難なく手伝ってくれたけど。
帰っていくアルフォンスを見送るレンブラントとグウィンは何やら剣呑な雰囲気だった。……あれは私があからさまに「見ちゃいけないものを見てしまいました」という顔をしていたからだろう。
で、アウラもやたらと同情のこもった眼差しをこちらに向けて来ていた。
「何してるんですか守護者殿」
「ひゃああああああっ!」
背後からいきなり声をかけられてリョウが軽く飛び上がりそうになる。
で、勢いよく振り返ると、不機嫌そうに眉をしかめたアイザック。
「あ、あ、アイザック……ああ、びっくりした!」
いやまさかあなたのこと考えていたもので、とはさすがに言えないけど……ちょっと声かけただけでここまでびっくりされたら不機嫌にはなるわよね。
「そろそろ昼食の仕込みに入りますけど」
冷ややかに告げられて、リョウもああそうかと我に返る。
朝食を終えて、仕事に出かけるレンブラントを見送って、その後の日課。午後にはまた仕事が始まるのでその前に昼食の支度をして午後のお茶用のお茶請けを作る。という行程。
アイザックが動けるようになったおかげで彼が朝早くから掃除を済ませてくれているのだが、その合間に台所も片付けるつもりなのだろう。
「……あ、ねえ。それはいいんだけど、あなた朝ごはん食べたの?」
朝の給仕はそこそこに食堂を出て行ってしまったアイザックに「一緒に食べましょう」と声をかける暇はなかった。合間で食べているだろうかと思いはしたが、まだきっと本調子ではない体で、もう既に朝食を作り、片付けて、家の中の掃除も終わっている。……休憩っていつしてるんだろうという捗り加減。
「わたしのことはお気遣いなく。仕事の合間に済ませますので。それより溜まっている仕事を片付け……」
「ちょっと!」
アイザックの淡々としたセリフをリョウが思わず途中で遮る。
今、「済ませました」とは言わなかったわよね。「済ませます」って。つまりまだ何も食べていないのか……! しかもまだ色々やるつもりでいるらしいし。
「何考えてんの! ど早朝からなにも食べないでこんな時間まで働くって、絶対体に悪いでしょう! 座って!」
「え……いやしかし……」
「いいからほら、座んなさい!」
何かまだ言いたげなアイザックをリョウが引っ張って、調理台の脇にある椅子もついでに引っ張ってきて座らせる。
これはまず休憩させるのが先!
朝食の残りなんてたいしたものはもうない。今日に限って……というかみんなの食べる量を把握したアイザックはみんなが食べきれる分のパンしか焼いてないのでこないだのように揚げパンにして消費しなきゃいけない程のパンが残ることもない。
なので、とりあえずすぐ出来るもの……ああ、パンケーキか。
なんて考えながらリョウが手際よくボウルに材料を入れていく。
パンケーキを焼く隣で簡単にオムレツを作る用意をして……ああこの際、このオムレツ、具沢山にして一度に色々食べられるようにしちゃおう、とばかりに野菜を細かく刻む。……うん、一人分だと量は少なくて済むからあっという間。
朝食の残りのスープが鍋にあるなと横目で確認して……手が離せないので「力」を使って火をつける。で、その隣にもついでに火をつけて具を混ぜ合わせた卵を持って行く。オムレツにゆっくり火を通しながらさらにその隣でパンケーキを焼く……おお、やっぱり手を使わずに火が使えるって便利。火加減の調節なんか目視すら必要ないし。
ハンナならここで「便利ですわねぇ」なんて感嘆の声が出てくるんだけど……。
と、そこまで思い浮かべてからリョウがはたと我に返る。
しまった。ここにいるのは私の「力」を見慣れたハンナじゃなかった……!
そう思い至ったリョウがそーっと後ろに座っているアイザックに目を向けると、予想通り、というかなんというか。目を丸くしてこちらを凝視している……。
「……ご、ごめんなさい。免疫のない人が見たらやっぱり……怖い、わよね」
「え、あ! いえ。……怖いなどということは……」
うかがいを立てるようにおずおずと上目使いのリョウにアイザックが目を泳がせた。
……やっぱり怖いんだわ。……失敗した。
「……っと! 焦げますよ!」
「うわ!」
ちょっと目を離した隙にパンケーキから香ばしい香りがしてきて、アイザックが慌てて立ち上がる。
つられて向き直ったリョウがパンケーキをひっくり返そうとしたところでアイザックが。
「違います! 先に火を弱めないと! 全部余熱で焦げますよ!」
「わあ! そうか!」
広めの天板に同時進行で焼いていたパンケーキが四つあって一つずつひっくり返そうとするリョウをアイザックが止めに入る。
ひっくり返しながらリョウが急いで火に意識を向けると天板の下でふっと一瞬で火が消えた。
うん。便利、だけど。
……アイザックがやっぱり一瞬固まってたような気がしてならない。
「……結局手伝わせちゃったわね。ごめんなさい」
台所でいいと言い張るアイザックを「それじゃ休まらないでしょう」と一喝して隣の部屋に引きずり込み、テーブルに作ったものを並べてからリョウが決まり悪くてへらっと笑う。
パンケーキはギリギリ黒焦げは免れ、ちょっと強めに焼き色がついた、という程度に留められた。でも結局、立ち上がってしまったアイザックはそのまま食器を取ってきたり盛りつけたりと、少しずつ手伝ってくれた。
「いいですよ。どうせわたしが食べる分ですし」
アイザックは小さくため息をつきながら促されるまま席に着く。
いただきます。と小さく頭を下げてから静かに食べ始めるアイザックをリョウはなんとなく観察してしまう。
がっついているわけではないし、とても上品に食べてくれている。うん。上品。食べ方が綺麗なんだわね。でも、手が、止まらない。淡々と、全く淀みなく。それになんだか楽しそうに食べているようにも見える。
これって……。
「……何か?」
あまりにリョウが見つめすぎたせいかアイザックがふと顔を上げた。
「あ……ううん。えっと……お腹、空いていたのよ、ね?」
なんとなく確認してしまうリョウの頰がひくっと引きつった。
途端にアイザックの視線が落ち、眉間にシワがより。
「……ただ次の仕事が残っているので食事に時間をかけていられないだけです」
……ああそうですか。
がっくり肩を落としてリョウがくるりと踵を返す。
「あ……守護者殿っ?」
「お茶、淹れてくるわ」
そうよね。美味しく食べてくれているのかな、なんて期待してしまったけどそうとは限らなかった。……まぁ、あんな力を見ちゃった後じゃそもそもが食事を楽しむなんて言ってる精神的ゆとりなんかないわよね。それに仕事大好き人間に休憩を楽しむなんて発想も、きっとないんだわ。
リョウが紅茶の用意をして隣の部屋に戻るとアイザックはちょうど食べ終えてフォークを置いたところだった。
「ごちそうさまでした」
アイザックは礼儀正しく頭まで軽く下げてくれる。目の前の皿はキレイに空になっていて。
「はい。お茶どうぞ」
ちょうどいいタイミングで淹れられたのでリョウとしてもちょっと気持ちがいい。淹れても相手が食べ終わってないと冷めてしまうかポットの中でお茶が濃くなりすぎてしまうし、食べ終わってしばらく待たせてしまうとカップに注ぐのが急かされているようで落ち着かない、なんてこともある。
ゆったりとカップを手に取るアイザックを眺めながらリョウは先ほどから聞いてみようと思っていたことを切り出す決意を固めてみた。
「あのね。ちょっと聞きたいことがあるんだけど!」
「……え、あ、はい」
向かいに座って若干前のめりに話を切り出したリョウにアイザックが目をあげた。
「明日、北に旅立つ前に挨拶を兼ねたお茶会をするらしいんだけど! しかも私が何かお茶請けを持って行くってことになってるらしいんだけど、何を持って行ったらいいと思う?」
「……は?」
一息に言い切ったリョウにアイザックが目を瞬かせた。
「ああ、そういう事ですか」
あまりに簡略化して訊いたので話が見えなかったらしいアイザックに詳しく話の流れを説明したところ、軽い溜め息とともに紅茶のカップが置かれて。
「そうですね……まあ、メンバーからして堅苦しくする必要はないので簡単な手作りのものでいいと思いますがメインは飲み食いではなくて挨拶でしょうから……切り分けるようなケーキの類より気軽に手にとって食べられるようなもののほうがいいかもしれませんね。あとは食べやすさと見た目に少し気をつければいいんじゃないですか」
「あ、なるほど」
とてもまともな意見が返ってきてリョウがまずホッと胸をなでおろす。
で。
「見た目か……」
クッキーの類だと素朴すぎるだろうか。小さなパイは案外ポロポロこぼれるし。……あ。
こないだアイザックが作った小さなカップケーキ。あれ、見た目もとても良かった。小さいから食べやすいし。あのレシピを教えてもらおう! 材料は今から買いに行っておけば間に合いそうだし。
「ね。こないだのスミレの花の砂糖漬けってどこで買ったの?」
「ああ、あれですか。……あのカップケーキを作るんですか?」
アイザックがちらりと視線を寄越してくるので。
「うん。レシピも教えて!」
リョウはさらに身を乗り出してアイザックを見据えた。
「ダメです。もっとしっかり泡立てないと。こう、泡立て器を持ち上げた時にゆらゆらリボン状に落ちるくらいまでです」
どことなく冷ややかなアイザックの声にリョウの背筋に緊張が走り、分かっているのに手が動かないという現象に拍車がかかる。
夕食の後。
アイザックに少し時間をいただいて昼間に頼んでいたカップケーキの作り方を教えてもらっているところ。
今までリョウが作っていたものは「混ぜ合わせる」が基本で本格的に卵を泡立てるということをあまりしていなかったので加減がわからずアイザックのダメ出しが出る。
そうか、あのふわふわはこの卵の泡立て方のせいなのか。……そういえば前に本を見ながら考えたチョコレートのケーキも卵を湯煎で徹底的に泡立てたっけ。あのくらいを目指すということなのかな……。砂糖を入れた卵というものは割と泡立てやすいはずなんだけど。
「……雑すぎます。もう少し周りに飛び散らないように出来ませんか?」
アイザックが眉を顰めてリョウの手元を凝視してきた。
「あ……すみません……」
「やるならちゃんと集中してください」
……なんだか容赦ないな。
なんてリョウが小さくため息をついたところで。
「アイザック、もう少し優しく教えてやれないんですか? それじゃ覚えたいことも覚えられないでしょう」
ちょっと離れた後方から刺々しい声が飛んでくる。
「わー! 大丈夫! レンは口出ししなくていいから!」
リョウが慌てて背筋を伸ばした。
……そうだった。
アイザックにお菓子の作り方を教えてもらうんだと意気込んでいたらレンブラントが「それなら僕も付き添います」とついてきて最低限邪魔にならないように距離は取ってくれたが、いるのだ。同じ台所という空間に。
……あれは、ヤキモチの一種だろうか。
と思えて仕方ないのでリョウも何も言えなくなっている。
「……十分丁寧に教えているつもりなんですけどね。守護者殿はこういう作業が不向きな人ではありませんからやればできるはずなんです」
調理台に飛び散った卵の泡を布巾で拭きながらアイザックがため息をつく。
……ええ。分かってます。できないわけじゃないです。いつもならちゃんとやってます。ただ緊張するんです! アイザックに見られながらやるのってなんでこんなに緊張するかな! ハンナと大違い! ってくらい緊張するんです! そのせいで動きがギクシャクして必要以上に飛び散るんです!
「……っあ! ごめん!」
そんなことを思っていた矢先、がしゃんと調子っ外れな音を立ててボウルの中の卵の泡が飛び……アイザックの頰にかかった。
「嫌がらせですか?」
「違います!」
そんな器用なことできるもんか!
頰に飛んできた卵の泡をゆっくり指先で拭うアイザックにリョウが思わず涙目になる。
はああああ、と盛大にため息をつかれて手元を覗き込まれ「ちょっと貸してください」とボウルごと取り上げられる。
リョウがアイザックの手元に移動したボウルを見守っている中で。
カシャカシャカシャ……
とても軽やかにリズミカルなを立てながら卵は泡立てられていき……あっという間に「リボン状にゆらゆら落ちる」という表現通りの固さになった。
わあ、すごい! と、目を輝かせるリョウは背後に視線を感じてそっと振り返るとレンブラントのしかめっ面と目が合った。
「レ、レン! ほら、凄いのよアイザック! とっても上手なの!」
「リョウだっていつも上手にやってますよ」
どうにか場を和めようとリョウが明るい声を出したのにレンブラントが不機嫌そうな声で台無しにする。
「いや、あの! あのね!アイザックはこう見えてとっても優しいんだから! 仕事は完璧だしちゃんと気遣いもしてくれるしとってもいい人よ!」
「守護者殿、ちゃんとこちらに集中してください」
リョウがレンブラントに必死に訴えている間に完全に目をそらしていたボウルには小麦粉が振り入れられている。それを木ベラに持ち替えたアイザックの手がサクサクと混ぜ合わせ……。
「ああ、ごめんなさい……」
しまった、目をそらしてる場合じゃなかった。
レンブラントがリョウの後ろで思わせぶりにため息をつくので、思わずリョウはアイザックの顔を盗み見る。
あ……れ?
顔が赤いような気がしますが。ああ、今私がちょっと褒めたから……照れた?
ついその顔に目が行ってリョウがにやぁっと頰を緩ませると。すかさずアイザックが小さく咳払いをして。
「だいたい、なんですかその取ってつけたような褒め言葉。私がいちいちあなたに気遣いなどするはずがないでしょう。ただ仕事をしているだけですよ」
「ふぅん?」
だってねー。
聞いちゃったんだもの。
午前中、アイザックがスミレの花の砂糖漬けを購入したのがおなじみの蜂蜜の店だと分かったので行ってきたのだけど。店頭を見てもそういった商品はなくて。
そりゃ考えてみたら当たり前であの店は蜂蜜が商品なのだ。
カリンちゃんのお父様にその話をしたら。
「ああ、申し訳ありません、あれは売り物ではないんです」
とバッサリ。
おかしいなあ、と思って事情を話したら。
数日前にアイザックがお店で販売している蜂蜜の瓶を持って「これはここの商品ですか」と尋ねに来た、と。少し買い足したいと言うので店主が同じものを出したところ守護者の館の使用人であることがわかって少々雑談をした結果、守護者とその夫の騎士隊隊長が二回ほどお茶をしにきて気に入ったように食べていたのが店の人気商品のカップケーキだという話になり、アイザックは裏で働く菓子職人にわざわざ会って頼み込んで作り方を教わりデコレーション用のスミレの花の砂糖漬けも買って行ったのだという。
それも、同じものを作って主人を喜ばせたいからとわざわざ頭を下げて買い取っていった、と教えてもらった。
そもそもお店のメニューのレシピを教えるなんて非常識だ。それを頼み込んで可能にするって……どれだけ熱心に頭を下げたのかって話になる。
「やっぱり守護者殿は使用人の方々にも大切にされているんですね」
と店主が顔を綻ばせるので聞いていたリョウはもう慌てふためいてしまった。
で、そういうわけで、商品ではないけれどやはり頼み込んでスミレの花の砂糖漬けを購入することに成功したのだ。しかもとても気前のいい店主はヴィオラさんからの試作品、という薔薇の花びらの砂糖漬けまでおまけでつけてくれた。
「だいたいねー、このスミレの花の砂糖漬け、どうやって私が買ってこられたのかって話よねー」
だって商品じゃないのにさ。
なんて意味ありげな視線をちらん、とアイザックに向けてみる。
と、アイザックがちょっと焦ったように視線を泳がせて。
「まさかあの店主……」
「うん。なんか楽しそうに色々教えてくれたけど」
リョウがにっこり笑って言い添える。
「……っ! そんな……だってあの店主、『守護者殿と個人的な話をするほど仲良くはない』と……!」
何やら口の中で呟くようにしながら顔を赤くしておどおどし始めたアイザックに。
……ああ、そうねぇ。それほど仲良くはなかったけど……なんか今回のお買い物でだいぶ仲良くなったかもしれない。なんて笑みを深めてしまうリョウだ。
「……なんの話ですか?」
レンブラントが面白くなさそうな顔をしながら歩み寄ってくるので。
「あ、うん。あのね!」
「守護者殿。次の工程に行きますよ!」
「う、あ……」
勢いづいてレンブラントに説明しようとしたリョウはアイザックの気を取り直したかのようなセリフに留められた。
ケーキの生地づくりは意外に簡単。
砂糖と卵をしっかり泡立てて、小麦粉を振り入れ、混ぜきる前に溶かしたバターを混ぜ込む。以上。
多分お店ではここに蜂蜜を入れるとか、お店独自のアレンジが入るのだろう。だからこっちは基本のレシピ。まぁ、お店のオリジナルレシピそのものを完全に店の外に出すわけがないわよね。
そう思ってリョウもちょっと安心した。
あの店主さん、人が良さそうだからもしかしたらホイホイ教えさせちゃうんじゃないかと変な心配までしてしまったので。
それにしたって。
「守護者殿、いつもその力をそんな風に使っておられるんですか?」
オーブンにケーキの生地を入れた後、相変わらずアイザックが冷ややかに聞いてくる。
この人のこの雰囲気、どうにかならないかな……常に怒られてるみたいで怖いんですけど。
「あ、ごめんなさい。便利なのでつい……」
反射的に恐縮するリョウに。
「悪いと思っていないのにいちいち謝る必要はありません。まったく……どうしてそういう無駄遣いを平然とできるのか理解に苦しみますね」
無駄って……。だって今、この時期にこんな力他に使い道なんてないじゃない。それに力使ったからって私が疲れるとか力が枯渇するとかじゃないんだから問題ないと思うんだけどな。
頭の中で不平不満が形になっても言葉にならないのは、このアイザックの雰囲気のせいだ。口答えを許さない、というような凍てつくような目つきに完全に飲まれている。
……なんか悔しい。
と、上目遣いでアイザックを見やるリョウがふと背後にレンブラントの気配を察し。
あ、しまった。私がやり込められてきたから何か言いたげにし始めた。「口出ししなくていいから」って言って以来アイザックに突っかかるような発言は抑えてくれているけど。さすがに「力」の使い方にまで口出しされたらレンも怒るかもしれない。
「リョウ……なんならこの男、一発だけでも殴らせてもらえますか?」
ふと気づくとリョウのすぐ後ろに歩み寄っていたレンブラントが、リョウの耳元で囁きかけてきた。
「一発だけだとどの程度のダメージになる?」
レンブラントの口調が本気でもなさそうだったのでリョウが悪ノリして聞こえよがしに答えてみる。
「そうですね……まぁ、もう一度アルの世話になるくらいには」
ふうん。
ちらり、と。
アイザックの方を見やると、先ほどまでの余裕のある表情が消え、頰がヒクついている。
「あの治療……なかなか興味深かった、わね……」
つい思い出してしまうリョウの頰が恥じらうように赤く染まった。
だって、一瞬しか目にしなかったとはいえ、少なくとも上半身は確実に裸だった彼の身体の線は決して細くはなく……うん、きっとこの人着痩せするタイプだ。でも色白でちょっと艶めかしかった。それにいつもきちんと後ろに撫で付けている薄い金色の髪がちょっと乱れて前髪が額や頰にかかってたりして、眉間にしわを寄せながら一点を見つめて息を詰めているあの表情は正直、色気がだだ漏れだった。
アルの行為以前にアイザックの姿そのものが「見ちゃいけないもの」と、脳が判断したような気がするし。
「……っ! 守護者殿! 今何を想像しましたかっ?」
慌てふためくアイザックの声にリョウがはた、と我に返り。
「……ああ、そういえばあれはちょっと興味深かったかなと。あれはあれでもう一回くらいなら見てみたい気も……」
赤くなる頰を両手で包み小さく首を傾げながらリョウが呟くとレンブラントが背後で息を飲み、アイザックが消え入りそうな声で「……俗物め」と呟いた。




