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物語の続きをどうぞ  作者: TYOUKO
一、序の章 (続きをどうぞ)
10/207

徒花

 

 

「……リョウ……大丈夫ですか?」

 誰かの声がする。

 

「……リョウ……」

 誰かが呼んでる。

 大好きな声だ。

 

「……リョウ、起きて」

 びくりと、体が大きく震えてリョウの意識が浮上した。

 

「あ……レン……?」

 気付けば目の前にレンブラントの顔。

 カーテンの隙間から射し込む月明かりがぼんやりと照らす室内はまだ暗く、レンブラントの腕に抱き寄せられたまま自分がベッドの中にいる事を認識するのに少し時間がかかった。

 

 手が痛い、と思ったらレンブラントの寝間着の胸元を力一杯握りしめていたようで薄い生地ごと爪が手のひらに食い込んでいるらしい。

 その手を離そうとしたところで自分の腕が震えていることに気づく。

「大丈夫ですか?」

 リョウの体の下に回った左腕でしっかりその体を抱き寄せたまま、レンブラントの右手がリョウの頬に添えられて指先が頬を撫でる。

「……あ、あれ?」

 その指の動きで、リョウは自分の涙に気付いた。

 ……私、泣いてる?夢で?

「大丈夫。何も怖くないですよ。僕がここにいますからね。……リョウ、僕の声聞こえてる?」

 レンブラントの囁くような声に目を上げると心配そうな瞳と目が合った。

「うん……大丈夫。……なんでもない。ちょっと、変な夢見ただけ……」

 なにか、怖い夢を見ていた気がする。

 なんだっけ……なんでこんなに苦しいんだろう。

 レンブラントが深く息をついて、リョウの頬に添えた右手をリョウの握りしめた手に添え直した。

「……ほら、もう怖くないから離しても大丈夫ですよ」

 そう言われて改めて握りしめた手を離せていなかったことに気付き、レンブラントの手の温かさにようやく力が抜ける。

「まだ震えてますね……なんの夢見てたんですか?」

 レンブラントが涙を拭いた後のリョウの目の端にキスをする。それから瞼に。その後ゆっくりと額にも。

 リョウはその温かさと優しい声に思わず腕を伸ばして首にしがみつく。

 

 思い出した。

 この胸の痛み。

 子供の頃の夢を見ていたのだ。

 さっき、湯船でレンブラントとあんな話をしたからだろうか。

 子供に受け継がせてはいけないから、子供を作りたくない、なんて思ったけど……違う。

 本当はそうじゃない。

 私が、思い出したくないのだ。

 あの頃の痛みを。

 心臓を何かで刺し通されるような、ギリギリと締め上げられるような、そんな痛み。

 ずっと忘れていたかった光景を、鮮明に思い出してしまった。

 

「……ふぇ」

 リョウが思わず鳴き声をあげそうになって、ぎりぎりで堪える。

 レンブラントがその様子に左腕に力を入れなおして右手で背中をさすり始めた。

「泣いてもいいんですよ……我慢する必要はない。大丈夫、声を出してごらん」

「平気。怖くない……! もう大丈夫。……レンがいるから平気……!」

 思い出してしまったものを振り切りたくて、さらにしがみつきながら……叫んだ、つもりだった。

 叫ぶくらいの勢いがあったつもりだったのに、かすれ切った、震える自分の声にリョウは自分のことながら驚く。

 そんなリョウの背中をレンブラントの手が優しく撫でる。

「無理しなくていい。ちゃんとそばにいますよ。大丈夫……聞いてるから話してごらん。話した方が楽になりますよ」

 耳元で囁かれる言葉の優しさに、リョウの目から涙が溢れた。

「……ごめんなさい。……私……違うの……子育てが、無理とか……そんな……きれいごとじゃないっ……私が怖いのっ……思い出しそうで……っ」

 背中を撫でるレンブラントの手が止まり、続いて深く息をつきながらゆっくりと抱きしめる腕に力が入ってくる。

「……ねぇ、レン……聞いてくれるって言った?私の過去の話。……本当に聞いてくれる?ねぇ……お願い、助けて」

 もう、自分でも何を言っているのか分からない。

 ただ、しがみついて声を上げているだけ。何か言っていないとズルズルと暗い深みに引きずり込まれそうで。その先の暗闇に何があるのか見たくない。

 ただ本能的にリョウはそう思いながらしがみつく腕に力を込める。

「大丈夫。聞きますよ。リョウの苦しみなら僕が一緒に背負うから、話してごらん。……大丈夫」

 力強い声が、耳元で聞こえた。

 リョウはほんの少し、緊張の糸が緩んだ気がして腕の力を緩めてみる。

「……そう、いい子ですね。大丈夫。僕がちゃんと抱いていてあげるから力を抜いていいですよ」

 レンブラントの声を聞きながら背中に感じる腕の感覚に意識を集中すると、腕の力が抜けた。

 何度も繰り返される「大丈夫」という言葉はまるで魔法のようにリョウの心をなだめていく。

 

「……何から話したらいい?」

 体の力が抜けてぐったりとレンブラントに乗っかるように抱きついたリョウの声は、それでもまだわずかに震えていた。

 レンブラントが、話しやすいようにと少し身を起こして寄りかかれるように枕の位置を変えるわずかな間でさえも不安に駆られてしがみつこうとしてしまう自分が抑えられない。

「何からでも。……思いついた順に話していいですよ。ちゃんと聞いてますからね」

 背中に回ったレンブラントの左腕はしっかりとリョウの体を抱いている。そして右手は、放っておくときつく握りしめて自らの手の平に傷を付けかねないリョウの左手を包み込むように握っている。

 

「……そんなに広くない、板張りの部屋がある家に、いつもいたの」

 リョウが話し始めたのは夢の中で見た過去の記憶。

「そこから出してもらえるのは月に何回かだけ。掃除をしに大人が入ってくるときだけで……食事を届けに来てくれる大人と……力の使い方を教えに来る……先生たち以外は一切入ってこない家だった」

 言葉に詰まってしまうのは、その言葉に伴う感情に胸が苦しくなるから。

「毎日続くのは力の使い方の指導で……言われた通りに炎を操らないと……必ず殴られた……。傷の治りは早いから、頭をぶつけて血が出るとか、口の中を切るとかしても手当の必要なんてないのよね。痣ができてもすぐに消えたし。……怖かったのはむしろ、血が床に落ちて床を汚すことと……服が汚れること。それもひどく怒られたから。……だから火を操り損ねて先生の手に火傷をさせた罰に背中を切られた時は……怖かったの。床にね……血が広がっていくのが……ああ、こんなに汚したらまた殴られるって思って怖かった。……でも怒られなかったの。着ていた服も背中が切れてしまって絶対怒られるはずだったんだけどね……先生たちがそのまま部屋から出て行ってしまったからあの時は本当にホッとしたの」

 言葉に詰まるとレンブラントの手が優しく背中を撫でる。

 話し始めると、レンブラントの手は止まるが、押し殺したようなため息が漏れる。

 そんなことの繰り返し。

「夜中にね、目が覚めたら傷が治ってなくてちょっと驚いたのよね。……痛いことより、次の日に先生たちが来たらまた怒られるんじゃないかって思うと怖かった」

「……リョウ……」

 気遣わしげなレンブラントの声にリョウの言葉が一度途切れた。

 レンブラントが握っていたリョウの左手をそっと持ち上げて指先に口づけする。

「辛かったらいつでも止めていいんですよ」

「平気よ。レンだって私に話してくれたじゃない」

 抑揚のない声でリョウが答える。

 リョウは、話すと決めていた。

 話し始めてから、次々と思い出される情景を吐き出さずにはいられなくなっていたのだ。

「ああ、その夜にね、家の外から……ちょうど壁についた小さな格子戸があってね、そこから声をかけてくれたのがスオウだったの。スイレンのお母様」

 リョウの声にわずかに柔らかい感情が、初めて上乗せされた。

「私のために泣いてくれたのよね……あの時はどうして泣いているのかわからなかったんだけど」

「……そう、ですか。……スイレンの……」

 もう何度目かわからないため息と共にレンブラントが相槌を打つ。

「……うん。優しい声だった。……なんだか安心しちゃって、そのまま眠ったのを覚えてる。次に目が覚めた時には傷はふさがっていたんだけどね、何日か経っていたみたいで……お腹が空いて、いつも食事が置いていかれる場所に行ったら、受け取らなかった食事が幾つも溜まっててびっくりしたのよね。……今思えば、私が死んでいないのは分かっていたから取り敢えず食事だけ置きに来ていたんだと思う」

「……どういう、ことですか?」

 レンブラントが、聞きにくそうに尋ねる。

「あ、うん。竜族の頭って、自然界が存在させているものなのよ。だから私たちは自らの命を絶つ事が出来ないし……事情を知っている他者も命を奪うことは敢えてしないの。……人為的に命を奪われると自然界のバランスが崩れて何かしらの天災が起きるんだって。だからそういう事が起きていなければ、まだ殺されてないってことにもなる。それに、もし私が死んだら……新しく別の子が頭として生まれるから……それも認められないうちは私がまだ生きているって事だったのよね」

「……よく、頑張りましたね」

 心なしかレンブラントの声が震えている。

 リョウの話を聞きながら情景を思い描くレンブラントの瞳に、やり場のない怒りが湧き上がる。

 

 こんな扱いを、どうして耐えてこられたのか。

 まるで動物を飼育でもするかのような扱いじゃないか。いや、それよりもずっと酷い。

 その情景を何の抑揚もなく紡ぎ出すリョウの様子にも愕然とする。

 思い出させるべきではないのかも知れないという思いが湧き上がると同時に、今聞き出してしまわなければこの愛する人を理解するチャンスを逃してしまうという思いがそれを押さえ込むように沸き上り、その度にため息が出る。

 どうにかして、彼女に安心感を与えてやりたい。もう二度と傷付かなくていいように守ってやりたい。

 できる事なら、過去に遡って幼い彼女に「大丈夫。後でたくさん抱きしめてあげるから」と言って慰めてやりたい。

 

「……でもね、私、本当に醜い子供だったのよ。赤い髪も目も、みんなが気味悪がっていたもの。だからみんなは悪くないの。……あれは自然な反応だったのよ。だって私、笑う事も自分から話す事もなくて……可愛らしさの欠片もない……誰からも愛される価値なんかない……ただの……ただの化け物だった……今だって本当は……本質は変わってないのに……」

「リョウ! それは違う! リョウはそんな存在じゃない。僕の愛する可愛い人だ。僕はこんなに美しい女性はいないと思ってる」

 リョウの言葉をレンブラントが途中で遮る。

 ふと気づくとリョウの体が震えていて、過去の周囲の反応を思い出して今の自分に重ねているのが伺えた。

 なので。

「……レン……っ」

 もうこれ以上自分を卑下する言葉を出さなくていいように、レンブラントがリョウの唇を塞ぐ。自らの唇で。

 醜いなどと、欠片も思っていない事を伝えたくてその震える体を抱きしめながら、舌を絡める。

 逃げようとしてもがくが、離さない。逃げる舌を追いかけて捕まえてさらに絡める。

 暫くそれを続けるとリョウが力尽きたのか、諦めたのか、力を抜いた。

 ああ、これでは息が続かないかも知れないと思い直して、少し力を緩め唇を解放してやるととろんとした瞳と目が合った。

「……そんな風に思っていたらこんな事するわけないでしょう? こんなに食べちゃいたいくらい可愛いのに」

 視線を外さずにそう告げるとリョウの目から涙が溢れた。

「愛してる」

 そう言って目の端から溢れる涙を唇で拭う。

 リョウが首にしがみついて小さな声で「うん」と言うのを聞いてレンブラントはもう一度抱きしめる腕に力を込めた。

 

 

「……あのね」

 どれ程沈黙していたのか定かではないが、リョウが思い出したようにしがみつく腕の力を緩めてレンブラントの顔を覗き込んだ。

 リョウの背中に回った腕の力は相変わらず強くて安心させようという意思が感じられる。その心地よさに少しだけ抗うようにリョウが体に力を入れる。

 話す事と、さっきのキスに、気力を使い果たしてしまってうっかりそのまま眠ってしまいそうになったが、でもこれだけは話しておきたいと思う事があったのだ。

「……ん?」

 レンブラントがリョウの背中に回した腕の力を緩めて、右手でその頰に掛かった髪をかき上げるようにしてリョウの顔を覗き込む。

「私がもし、子供を産む事があったら……多分その子が次の『火の竜』を継ぐようになると思うの」

 僅かに見開かれたレンブラントの瞳を確認してからリョウが言葉を続ける。

「……だってね。火の部族は私が焼き滅ぼしてしまったんだもの。私がその生き残りなら……次の代は私が産むしかないのよ。多分。……でも私はできる事ならもう、終わりにしたいの。そんな大役私には無理。次の代の『火の竜』が生まれる時に私は死ぬのかも知れなくて……それは、私の願ってもないことではあるけど……でも、それって同じ事が繰り返されるのと同じだわ」

 

 そう。

 私を産み落とした母親は死んだと村の人たちは言っていたけど、先代つまり父親も死んでいたのだ。

 どうやって死んだのかはわからない。聞いていない。でも。

『火の竜』としての力を持つ者が同時に存在する事はないと思われる。

 もし子供を宿してしまったら、それは自分の命の終わりを意味するのだろうからある意味それは望んでいることなのかもしれないが、あの誰からも愛されずに気味悪がられて育つ、私と同じ経験をする次の『火の竜』が誕生する事をもまた、意味するのだと思うと、怖くて怖くて仕方がない。

 

「……だからね。レンが死ぬ前に……私を殺してほしいの。自分でこの命を絶つ事は出来ないから」

 ああ、前にもそうお願いした事があったな、なんて思い出してリョウの口許に薄い笑いが浮かぶ。

 あの時は、怒られたっけ。なんて思いながら。

「……天変地異を覚悟して、ですか」

 静かな声がした。

 てっきりまた怒られるかと思ったのでリョウが少し身を起こしてレンブラントの顔を覗き込む。

「……リョウを手にかけるなんて僕には考えられない。……でも……そうですね……もし本当にそうする事でしかあなたを安心させられないのなら……覚悟しなくてはいけないんでしょうね」

 深いため息をつきながら、なんとも言い難い表情でレンブラントが言葉を絞り出す。

 リョウがくすりと笑いをこぼした。

「……ああでも、それは本当に最後の手段ですよ。僕はリョウがちゃんと幸せになって笑って生きる事を最後まで諦めませんからね」

「うん。分かった」

 そう言ってリョウがパタリとレンブラントの胸に顔を埋め直す。

 

 口約束でもいいのだ。

 気休めの。

 レンブラントが逝く時に自分が独り残されて、悲しい思いをしなくてもいいという、口約束。

 次の代の『火の竜』なんていう恐ろしいものを作り出さなくてもいいという、口約束。

 それだけで今は胸のつかえが取れるような気がする。

 

「……ああ、だからね」

 リョウがレンブラントの胸に顔を埋めたまま言葉をつないだ。

「……竜族の女が子供を宿す準備が出来た時を見極める方法を知りたいのよね。その時が来たらレン、私に触れちゃダメよ」

「え……」

 レンブラントが軽く固まった。

「どうやって知るんですか、それ?」

 なぜか焦ったように聞いてくるレンブラントに。

「うん……アルが竜族についての文献を持っているらしいから教えてもらいに行こうかなと」

「なっ……っ! アルがっ? ……ちょ、ちょっと待ってくださいね。リョウ、あいつの所に一人で行ったりしたら駄目ですよ?」

 抱きしめていた腕が解けてリョウの両肩が掴まれた。

「あれ? 何? どうしたの?」

 慌てふためくレンブラントにリョウが驚く。

「どうもこうも……リョウ、約束してくださいね。アルの所に一人では決して乗り込まない事!」

「……う、うん。分かった……」

 リョウがつい気迫負けする。

 

 これは……あれだろうか。

 ザイラが言っていた「研究対象だと思うと見境がなくなる」的な。

 思わずザイラの言葉を思い出して頰が緩み「大丈夫。ザイラが本は持ってきてくれるって言っていたから」と伝えようとしたところでリョウの意識が、落ちた。

 

 あまりにも微妙なところですとんと眠りについたリョウを抱え込むように抱きしめたレンブラントがその後、外が明るくなり始めるまで眠れずにいたのは言うまでもない事で……。

 


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