贈り物
「リョウ……何ですか、これ……」
仕事を終えて帰ってきたレンブラントが目を丸くした。
新居である城の離れの、一階。
奥に広めに造った台所の片隅にしゃがみこんで黙々と作業をしているのはリョウ。
「え、あれっ? レン、もう帰ってきたの? ……って、もうそんな時間?」
顔をあげたリョウの頬にはご丁寧にも白い粉がついている。
騎士として戦っていたときからはちょっと想像がつかない……何しろ本人が一番想像できなかったワンピースにエプロンなんていう出で立ちで、髪は後ろにひとまとめにしていかにも台所仕事をしています、という雰囲気。
しかも、夕方で少し薄暗くなりかけているとはいえ髪にもうっすらと白い粉が付いているのが分かる。
そんな状態で、ただいまリョウはせっせと床に散らばった粉を片付けようと集めているところらしいのだ。
リョウが料理をしたいと言い出したので、初めは小さかった台所は隣の小部屋を潰して広げた。広げられた場所には収納用の棚を造って道具類を揃えることもできた。
もともと西の都市には各家庭で料理をするという文化が定着していなかったので、家庭用の調理器具は簡易的なものしか無かったのだが、ここ最近様々なものが都市に入ってきている。
復興作業の流れで各地から様々な食材の流入が定着してきており、さらに調理器具も入ってきているのだ。もともとこの都市にいる者よりも、よそから入ってきて定住する者がかなりいるからなのだろう。
それでリョウもその流れに乗っかって色々と仕入れ始めたところだった。
そして、今朝、レンブラントが出掛けたあとルーベラが遊びに来て、東の食材を沢山扱う市場を見付けたからとリョウを連れて買い出しに行くこととなり、ルーベラの馬とハナは積めるだけの荷物を積んでここまで来る羽目になった。
「えーと、食事はできてるのよ? あ、でも食べてきてる?」
都市の習慣で、大抵の人は仕事のあと食堂に寄って食事は済ませるもの。
それでもレンブラントは、リョウが食事を作るので帰ってきてから食べるようにしてくれている。時々、仕事仲間と一緒だと仕事の話をする都合上一緒に食べてくることもあるとはいえ。
そんな事情もあるから、リョウとしては一応は食べてきたか聞くのが習慣になりつつあった。
「……いえ、今日はまっすぐ帰ってきたんですが……食事よりそっちを手伝った方が良さそうですね」
レンブラントが軽く吹き出しながら答えた。
というのは。
台所の有り様が。
調理台の上には土がついたままの根菜類が麻袋に入ったまま乗せられて、そのうちの幾つかは倒れて中身が転がり出ている。
その脇にかなりの数の瓶が並んでおり……恐らくは調味料の類い。
その中に混ざっている幾つかの缶は、最近リョウがはまっている「紅茶」であろう、とレンブラントは察する。
さてはルーベラと買い出しに行ったな……。彼女は思いきりがいいというか……いいものを見つけると手当たり次第に買いあさるとザイラが言っていた。
などと思いながらレンブラントが苦笑する。
で。
「何をしたらそんなに真っ白になるんですか?」
調理台の下に屈み込んでいるリョウの隣にしゃがみながらレンブラントが声をかけると。
「……あー……これが、ね……」
リョウが気まずそうに床に散らばった白い粉を必死で片付けようとかき集めている手を止めてレンブラントにおずおずと視線を向けた。
そう。調理台の上に荷物があることも、その量がちょっとびっくりする量であることも、言ってみればさほど問題ではないのだ。
問題はそれらの上にうっすらと積もる白い粉。
原因とおぼしき物はリョウの隣の大きな袋。
「小麦粉……ちょっと重すぎて、手が滑ったの……」
……なるほど。
一袋で人間一人分の重量はあろうかと思われるこの袋を……落として、中身がこぼれて舞い上がった……と。
「で、この袋、破けちゃったからこっちの壺に入れかえようと思ってて」
さらに脇にある壺は子供ならすっぽり入れそうなくらいのサイズ。そこに袋の破れ目を押さえながら器用に残った中身を移しかえようとするリョウを見て。
「うわ、待ちなさい! そんな力仕事、一人でやったら……」
「え、大丈夫よ、このくらい……っと! わぁ!」
レンブラントの制止は間に合わず……破れ目から一度こぼれ始めた粉は袋の裂け目をさらに大きくして。
「……で、何回これをやったんですか?」
周りに積もる白い粉を見ながらレンブラントが尋ねてくる。
「……えーと、三回、ほど」
レンブラントの手により、ざっと壺に収まる粉。そのあと手際よく片付けられていく破けた袋や大きな壺、そして、散らばった粉さえも片付けられていく様子を見守りながらリョウが気まずそうに答える。
……だって……。
買いすぎたのは自覚してたんだもの。ついルーベラに乗せられて……あ、いやいや、人のせいにしてはいけない。つい、楽しくてあれこれ買い込んでしまってここまで運び込んでから量の多さを自覚したのだ。
なので、レンが帰ってくる前に片付けてしまいたかった。
一応、きちんと収納してしまえばそれなりに収まる量ではあるはずだし、日持ちするものしか大量購入はしていない。
でも、急がなきゃと思ったとたん、手が滑る。を、繰り返してしまった……。
「まぁ……あなたに言うまでもないことだと思いますけど……粉塵爆発って知ってますよね?」
やれやれ、という感じで息をつきながらレンブラントがリョウの方に目をやる。
「……だっ、大丈夫よ! こんな状態で火なんか使わないから!」
なんとなくリョウが自分の後ろの出来上がった料理が入っている鍋の方に目を向ける。
「そっちの火ではありません……」
じとっ、とレンブラントがリョウを眺める。
「……あ、う……。分かってます。こんなとこで火なんか出しません」
しまった。
最近の、安易に自分の力を使ってしまう傾向が裏目に出た。
「火の竜」としての力は、今まで人前で使うことなんかなかったのだけど。
どうもここ最近、この力が周りに受け入れられているという現実が嬉しくてつい、使ってしまうのだ。
ちょっと明かりが欲しいときとか、料理を温めたいときとか……でもやっぱり、主には明かり。
各部屋についている照明はオイルを使ったランプだ。慣れてしまえばそれで十分だしそれが常識的な夜の室内の照明なのだが。
リョウの場合、自分の力でいくらでも明るくできるという都合上「ちょっと暗いなー」と思うとどこでも手当たり次第に炎を出してしまう。温度を上げて相当明るい照明にしようと思ったら勿論きちんと炎には結界を張るのだが。
こんな薄暗い時間帯には無意識に明かりがわりにあちこちに「普通の火」を出してしまうことがあって……数日前はレンブラントが火傷しかけた。
なので、今は自粛しているのだけど。
そんなことを考えつつ反省の意を表そうとうつ向いたままでいるリョウに軽いため息が聞こえた。
「……まぁ、分かってるならいいんですけどね。……リョウ、おいで」
そう言うと不意にレンブラントが柔らかく微笑んでリョウの腕を引き寄せる、ので。
「……え、あの……?」
リョウの鼓動が跳ね、一瞬背中が震えた。
反射的にレンブラントの顔を見上げるとその笑顔に視線が釘付けになる。
……不意討ち!
その笑顔は不意打ちです!
リョウは顔が熱くなるのを自覚しながらレンブラントと視線を合わせ、というより視線がはずせなくなりどぎまぎする。
そんなリョウを見つめるレンブラントはそのまま意地悪そうな笑顔になって両手でリョウの顔を包み込むようにしながらその上気した頬を軽く撫でて。
「取り敢えず、粉はとれましたよ。……おや、何を期待してたんですか? 顔が真っ赤ですけど」
とぼけたようなレンブラントの声に。
「……っ! べ、別にっ!」
リョウが慌てて体の向きを変えて視線を反らす。
……なんだ、そうか。顔についた小麦粉を拭ってくれたのね。
はぁ、無駄にときめいてしまった……。本当に、この人の笑顔も、思わせ振りな言葉も、心臓に悪い……。
そう思いながらリョウは無意識に胸を両手で押さえて深く息をついた。
と。
「ああ、忘れてました」
思いもよらず耳のすぐ近くでレンブラントの囁くような声がしてリョウが顔を向けると。
「……っ!」
この度はレンブラントの右手がリョウの頬を捕らえて唇が柔らかいもので塞がれた。
リョウの瞳は一瞬だけ見開かれて、そのままとろりと半分閉じた状態になり、つい体ごとレンブラントに寄りかかりその胸元にしがみついてしまう。これはもう、条件反射。
そんな反応を熟知したレンブラントは右手をリョウの首に回して左腕をその背中に回して支えながらちょっと長いキスを楽しむ。
「……ただいまのキス。し損ねてしまったので」
息がかかるくらいの至近距離でレンブラントが囁いて笑う。
……絶対、わざとやってる!
そんなのいつもする訳じゃないくせに……!
唇を解放されたリョウはつい恨みがましい目を向けてしまうのだが。
それでもやはり。
この人には勝てない。どう口答えしても最後には負ける、気がする……。ので。
「……お帰りなさい……」
と答えるしかないのだ。
台所の隣にドアひとつを隔てて食事をしたりお茶を飲んだり出来る部屋を造ってもらったのは、ハンナとルースの家に憧れたから。
この部屋はリョウのお気に入りだ。
台所で沸かしたお湯を最短距離で運んでお茶が入れられるようにささやかではあるが茶器を並べた小さな棚もある。
この部屋に入ると、ハンナと夜中から明け方までお茶を飲みながらおしゃべりしたことを思い出してリョウはつい口許が緩む。
ハンナとお茶を飲みながら奥の方でドアひとつ隔ててルースがパンを作っていたのを思い出してしまうので、意味もなくドアの方に目をやってみてはレンブラントが訝しげな顔をする、というのもここ最近はちょっとした決まりごとのようにもなっていた。
「これ、おにぎり、ですか?」
レンブラントがわずかに目を輝かせた。
なので、リョウが思わずにんまり笑う。
うふふ。そういう反応、大好きなのよね。
「そう! 診療所で出てたっていうやつ、レンが食べたいって言っていたでしょ? 今日、お米を売ってるところ見付けたから炊いてみたの。ここに前からあったお米は炊くっていうよりスープの具材やサラダに使うような品種だったものね」
リョウは食堂で食べていたパラパラした食感の米を思い出してみる。
自分自身、昔、過ごした時期が長かった東方の食生活には馴染みがある。そこにもってきてここ最近、ルーベラが南の都市出身とはいえ両親が東方の出身で子供の頃から東の食生活に近いものに馴染んでいたことがわかり妙に意気投合しているのだ。
「……ルーベラが駐屯所で食べたおにぎりの話を何度もするものですから……あれは洗脳されますね」
レンブラントが苦笑しながら大きめの皿に並べたおにぎりを手に取る。
「そうね。ルーベラの食べ物の話ってなんだかこう……本当に美味しそうに聞こえるのよね」
リョウはルーベラの話し方を思い出しながら、今日買ってきたばかりの味噌で作った味噌汁に口をつける。
うん。美味しい。鰹節なんて売ってると思わなかったけどあんなものまで揃うんだったら無敵よね。
「ああ、これが梅干し……っ……!」
おもむろにレンブラントが顔をしかめた。
なので、リョウはもう反射的に笑い出す。
「想像以上に酸っぱいでしょ? 駄目なら残していいわよ?」
「……いえ、大丈夫です。こういう味だと分かっていれば……なるほど、食が進みますね」
改めておにぎりを頬張るレンブラントを眺めていると、なんだか笑いが込み上げてくる。
なんだろう、こういう感覚。
ふわふわと、つかみ所がない……でも空虚な感じではなく、むしろ充足感。
そんなことを考えているとレンブラントと目が合った。
「どうしました?」
「あ、いや! ……こっちも食べてね!」
なんだか急に照れ臭くなってリョウは目の前の皿をずい、とレンブラントの前に押し出す。
大量に買い込んだじゃがいもと、玉ねぎを肉と一緒に煮込んだもの。
肉は長期保存しないので買ってきたらその日のうちに使いきるか保存用に干し肉を作るのが一般的。今日は干し肉を仕込むなんて暇がなかったので煮たり揚げたりしてとにかく消費してしまった。
煮込んだ料理の他にテーブルに乗っている大皿には肉を素揚げにしてから野菜と一緒に甘辛く味付けしてとろみをつけたもの。これは食堂でも定番だった料理だ。
買いすぎた調味料を持っていって食堂の女将さんにこっそり味付けを教えてもらった。というのはルーベラがいたからできたこと。私にはそんなことする勇気はない。
そんなことを思い出すとつい顔がにやけてしまう。
「……楽しそうでよかった」
そんな言葉にリョウがハッとして顔をあげる。
正面に、安心したような笑顔のレンブラント。
「……え?」
思わず聞き返す。
「いえね、騎士隊を離れて家に収まるなんてリョウらしくないような気がして……ちょっと心配だったんですよ」
「あ、ああ。……そっか。ありがと。……そうね、この生活にまだ慣れてないから……いつまで続くかわからないけど今のところ楽しいわよ?」
戦いのためにいつも緊張していた生活とは違うこんな毎日。
確かに、ちょっと気が抜けるのも事実。
守護者としての立場も今やただの肩書きだ。
騎士隊も以前ほど必要がなくなってあの時点で三級だった者たちは次の仕事に就けるよう保証をもらって全員解任されたらしいし。二級騎士も半数以上減らされていると聞く。
そういえばルーベラはいつの間にか一級騎士になっていた。
そんな生活の変化にさりげなく気を遣ってもらえていたことが嬉しい。
……自分のことは自分でどうにかしなければ。他人に頼っていてはいけない。そう考えるのが当たり前だったからなんだか妙な気分。
「じゃあ、生活をもう少し楽しめるように」
くすり、と笑ってレンブラントが小さな箱を出す。
「……何?」
レンブラントがプレゼントを持って帰って来るなんて珍しい。
というより、リョウは基本的にやんわり拒否していたのだ。
結婚してすぐ、何か身に付けるものを、と装飾品を見に行こうというレンブラントに笑って断ったことがあった。
あのときは「今までそういうものを身に付けるような格好をしたことがないから買ってもらってもつけないと思う」と言って断った。豪華な花嫁衣装を見たあとだったしスイレンの正装も見ていたせいか、かなり残念そうな顔をレンブラントがするのを見て、リョウは罪悪感を感じた。
本当は。
形に残るものをまだ、持つ気になれないのだ。
これは我が儘、なんだと思う。
形に残る物を持ってしまうと思い出が残る。
人は時と共に姿を変え、命は消えて行く。でも物は、下手したらずっと残る。レンブラントがいなくなったあと、そういうものに囲まれて生きていくのは嫌だと思った。
そういうものを、残したくない。
まだ、そういう覚悟はできていない。
なので。
目の前に差し出された小さな箱に口許がひきつる。それを自覚して、隠すように下唇を噛んでしまう。
「……リョウ?」
心配そうな声にリョウは慌てて笑顔を作る。
「あ、ごめんなさい」
軽く謝って箱に手を伸ばす。
微かに指先が震えているのは……気づかれませんように。
「使ってもらえたら嬉しいんですけど……大丈夫ですか? 何か気に障ることでもありましたか?」
相変わらず心配そうな声。
なんとなく、罪悪感からか顔をあげられない。
なので、ゆっくり箱を開けてみる。
手のひらに乗る小さくて簡素な白い紙製の箱。リボンも無く、包装紙もない。でもサイズのわりに重さがある。
「わぁ、可愛い……!」
思わずリョウが小さく声をあげる。
中身は時計だった。
金色の簡単な装飾が施された懐中時計。一般的な物より小さくて、女性用なのかな、と思わせる。
時計は贅沢品で、皆が持っているわけではない。
軍の上層部なら仕事柄持ち歩くが、都市の者は太陽の位置で大体の時間を知る。公共広場や公の施設には大抵日時計がある。
リョウはレンブラントと生活するようになってふと、時間がわからないのが不便だと感じることが多くなっていた。
レンブラントは仕事の関係で時間を区切って行動する。その日によって帰宅時刻はまちまちで昼日中に一度帰ってくる、ということもある。
貴重な空き時間をリョウと過ごそうとわざわざ帰ってきてくれるのに、時間の当たりがつけられずにすれ違うことがあったりすると……かなり凹んだ。
「それがあったら、もう少し一緒にいられるかな、と思ったんですが……気に入りませんか?」
再び心配そうな声がして、リョウが今度は顔をあげた。
「ううん。嬉しい……! ありがとう」
箱から出した小さな時計を握りしめる。
レンの、気持ちが嬉しい。
一緒にいる時間を少しでも増やそうとしてくれる。誠実に。
思い入れの強い物を持ってしまうと、縛られてしまう。あとで辛くなる。
そんな気がしていたけど、これは特別、ということにしよう。
そっと自分に言い聞かせてみる。