孤児院の女の子たち②
早くもお腹が膨らみ、眠気がやってきていた。ここの食べ物はどれも味付けが濃く、普段から小食のぼくはすぐにお腹いっぱいになってしまったのだ。
弱ったな。さすがに勝手に席を立つわけにもいかないだろう。
「荒々しい狩人の話よ。興味ある?」
黄緑色の葉っぱをバリバリと噛みながらアンネがぼくに聞いた。
頷くと、アンネはにっこりと笑って「イルシス」と言って、彼女を指差した。
「よしっ」
イルシスは、手に持ったナイフとフォークを握りしめて立ち上がった。
「まず木に登って、耳を傾けル。森の声を聞く。これが大事」
イルシスの言葉はなんとなくわかるが、ちょっと意味不明だ。つい、アンネの方に目線を向ける。すると彼女は葉っぱを飲み込んで頷いた。
「そうね……えーと、鳥たちは夜明け前に声を競っていたの。一番きれいなさえずりを聞かせた鳥が勝ちなのよ」
「獲物を見つけたら。息を消すゾ」
「そこに、獰猛な眼差しの彼女がやってきた。狩人! 血も涙もない捕食者よ。闇にまぎれて、ひたひた、木々を飛び越えて近づくの」
「ぴしゃってナ。おっきな獣がいてナー、そいつにぶすっとやると、ぐわって鳴いてナー、スパッとやるとナ、ぶしゃって、わーー、やえって」
「……とにかく、仕留めたのよ。そして、わたしが料理してこの食卓に並びました。めでたしめでたし」
アンネが言った。イルシスの通訳は諦めたらしい。
「面白かったよ。ありがとう」
ぼくがそう言うと、急にアンネが手を叩いた。
「そうだわ! 明日、一緒に行ってみたらいいんじゃない?」
「えっ」
「聞いてるだけじゃわからないし、つまんないでしょ。大丈夫よ。あたしたちも一緒に行くし」
「でも、悪いよ。ぼくそんなのしたことないし」
イルシスに振り返る。
「もちろん、いいゾ! 次はオスカーも」
「ダメだ、何を言っている」
グロリアが横から口を挟んだ。
「森には危険が多い。ロクな道もない。オスカーには無理だ」
「いいじゃない。せっかく数日はここにいるんだもの。働かざるもの……でしょ」
アンネが軽い口調で言うと、グロリアは首を振った。
「それは私たちの、いやアンネの理屈だ。オスカーには関係がない」
そのグロリアのきっぱりとした物言いのせいで、その場の空気が少し緊張したのがわかった。
「そんな言い方することないでしょ。あたしはただ――」
「彼は客だ。余計なことに巻き込むな」
「本人が行きたいっているんだからいいじゃない。そういうのエゴイズムって言うのよ。あんたがそんなだから、ここに子供が来なくなって……」
「関係のない話だ」
「関係なくないわよ!」
アンネがテーブルを強く叩き、並べられていた食器が音を立てた。
「ストップ! ストップ!」
なんだこの二人。小学生?
「喧嘩はよくないよ。食事中のストレスが一番身体に毒だって、学校のお医者さんも言ってたし」
ぼくのなけなしの言葉は逆効果だった。アンネは勢いよく立ち上がった。
「ああそう、だったら別にいいわ!」
怒り心頭。と言う様子で、自分の食器をキッチンに放り込む。
「片付けくらい自分でしなさいよね。イエス様が見てるわよ!」
言い残すと、さっさと食堂から出て行ってしまった。
「あっ、アンネ、待って」
お肉を頬張ったままイルシスも追いかけた。そして、廊下を歩くふたりの足音は離れていき、やがて聞こえなくなった。
「まったく仕方のないやつらだ」
「ふう」と一息ついてグロリアが言った。
「追いかけた方がいいんじゃ……」
彼女は軽く首を振った。
「大丈夫だ。朝になればけろっとしているさ。あの態度はよくないと何度も言っているのだがな」
そう言うグロリアにも問題があるのではないか。と思った。もちろん口に出したりはしないけどね。
「本当に追いかけなくていいの?」
なにやら上の階で暴れている音が聞こえる。食堂の天井が、ギシギシと揺れた。
ああ、父さんの孤児院が崩れる。
すると、グロリアがじっとぼくの顔を覗き込んでいた。
「ふむ。やはりお父さんに似ているな」
ふと、グロリアがそんなことを言った。
「えっ、なんで?」
「デリンジャーに向かって行っただろう。この町にそんなことができる人間は少ない」
「あれは向こうがどうかしてたんだ。本当はあんなこと」
「ああ、危険なことは慎め。特にこの町ではな」
グロリアはそう言って頷いた。
「だが、少しお父さんを思い出した」
グロリアは少し嬉しそうに見えた。
アンネの件はもうどうでもいいらしい。
「さぁ、残った物は残った人間の物だ」
彼女が笑ったので、ぼくも笑う。きっとその笑顔はひどくぎこちなかったことだろう。ぼくたちは二人で食事を再開したのだった。
食事が終わると父さんの部屋に戻り、ぼくはようやく一人になった。
改めて室内を見渡す。狭いけど、柔らかい寝台と大きな本棚があるいい部屋だった。東向きの窓から大通りが見える。たくさんの灯りが見える。
今日は色んなことがあった。
深呼吸をすると、過ぎた一日が頭のなかに戻ってくる。
魔物に襲われて、グロリアに助けられて、父の遺体と対面して、喧嘩して……。
全ての記憶が頭のなかを駆け巡った。
疲れた。でも――、
マッチを擦り、机のランプに火を付ける。
机には手のひらぐらいの大きさの鏡が立ててあった。これも父さんが使っていたのか。それともグロリアが用意してくれたのだろうか……。
そんなことを考えながら懐から拳銃を取り出す。銀の銃把に炎が写り、ゆらゆらと輝いた。
「知らなかったのよ。本当に慕われていたんだね……」
拳銃を机に置いて寝台にもぐりこむ。どこか遠くから魔物の荒々しい鳴き声が聞こえた。あれは産声だろうか、獲物を捕らえた喜びの声だろうか、それとも断末魔だろうか。
まったく酷い土地にきてしまったものだ。
「お休み、父さん」
ランプを消して、ぼくは夢の中に落ちていった。