森へ
目が覚めた時、外はまだ薄暗かった。日が昇るよりも先に勝手に目が覚めるなんて東部の生活じゃ考えられない。以前の魔物に襲われて以来、長時間の睡眠が苦手になってしまった。
ぼくは身体を起こして、左右に腰を捻った。
「うーん……」
さて、起きていてもやることないな……。父さんの本棚は昨日漁ってみたけど、特に面白い内容のものはなかった。
そういえば。とグロリアに貰った父の手記を鞄から取り出し、開いてみる。なにやらたくさんの数字が並んでいた。おそらく町の収支の帳簿でもつけていたのだろう。マイナス、マイナス、プラス、マイナス、でっかいマイナス……ひどいものだ。こんな町がよくここまで……。
そんなことを考えていると、扉の向こうでバタバタと廊下を駆ける音が響いた。
こんな時間にいったい誰が起きているのか。
そっと、扉を開けて顔を出すと真っ黒い大きな瞳が覗き込んでいた。
「うわっ」
「わははは、やっぱ起きてたカ」
思わずひっくり返ったぼくを見て、イルシスが腹を抱えて笑った。
「いったいなんの用」
頭にきたが、ぼくも子供じゃない。相手の言い分を聞こうじゃないか。聞いた上でこの原住民を野に帰してやる。
「さあ、オスカーも行こウ!」
能天気な原住民は瞳を輝かせてそんなことを言った。
「どこに行くの?」
「早ク! 準備しロ!」
相変わらず、まったく要領を得ない。
「あのさ、イルシス。まずどこに行くかを教えてくれないと」
「食料の調達に決まってるでしょ。あんたもってあたしが言ったの」
イルシスの後ろからアンネが顔を出した。
「食料の調達って、この前言ってた森のことだよね」
「行くでしょ」
「だって、グロリアが……」
行くなと言っていた。
「はぁ?」
アンネは見るからに不愉快そうになった。
「グロリアが言ったからなんなのよ。あんたはあんたでしょ。言っておくけどわたしはあんたを特別扱いする気はないからね。ついてこなかったら、ご飯抜きよ。いいの? 嫌でしょ? だったら行くでしょ」
「わかったよ。行く。行けばいいんだろ」
彼女はグロリアのこととなるとむきなる。下手に反対しても時間と労力の無駄だ。
「その代わり、グロリアが起きてくる前に帰るからね」
「意気地なし」
「はぁ……」
まだ言葉の通じないイルシス相手の方が話できる気がするよ。ぼくは隣で相変わらず無邪気な笑顔の彼女を見てそう思った。
◇ ◇ ◇
「こっち、こっち」
イルシスが大きな声で呼んだ。先導を務める彼女はずっと離れたところまで走っては、ぼくたちが追いつくのを待っている。
こんな獣道をよく軽やかに走れるものだ。ぼくとアンネは転ばないように注意しながらゆっくりと彼女を追った。
孤児院を出てから裏通り北に進むと町から渓谷へと続く細い道があり、ここをずっと下りていくと、狩場である広い原生林が広がっているらしいのだが……。
「でも、そんなところにぼくが行っても役に立つとは思えないよ」
「別に期待してないわ。でも、何事もしないよりはしてみた方がいいわ」
「……そんなものかな」
「わたしなんかはうんざりするけど、あんたには新鮮だろうし。きっと楽しいわよ。感謝しなさい」
そういうアンネが、一番楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「~~~♪」
イルシスはいつも通りだけど……。
岩の多い地肌から、低い木がまだらに生えている。暗いせいで道の先もよく見えない。
「こんなところで動物なんて本当にいるの?」
居たとしてもコヨーテか、痩せた鳥ぐらいのものだろう。
「あはは、オスカーも底が浅いナー」
「まったくこれだから」
わざとらしくため息を付くアンネ。
「ほら、ちょっと目を閉じて耳をすませてみて。植物の匂い、水の音、わからない?」
「……わかんないよ」
「やれやれね」
彼女は本当にわかってるのか。
「わかったよ。でも嘘だったら、許さないからね」
ぼくは力強く踏み出した。
◇ ◇ ◇
しばらくして、アンネの言葉が本当だったと知った。斜面を進んでいるうちに少しずつ緑が増えていき、
「本当にあった」
そこは、息を漏らしてしまうほど綺麗な場所だった。見下ろした谷合には、青い草原が広がり、大きな緑葉樹林は太陽を反射してキラキラと輝いていた。林の中央は木々が拓けた場所があって、そこには大きな湖が覗いていた。すごく小さいが、動物の姿も見える。
ずっと乾いた大地しか見ていなかったぼくの心は否が応にも高鳴った。
今となっては彼女の言う水の音も、植物の匂いも確かに感じることができる。
「町に居たんじゃ見ることのできなかった景色でしょ」
アンネが得意気に言った。
「それじゃ、ババッと済ませるゾ!」
「はぐれないようについて来なさいよ」
平らな谷底まで下りると、二人は林に向かっていった。




