wunsch
その翌日、戦地から戻ったばかりで食料の買い置きすらないアドラーは買い出しに出ようとしたのだがその時、ふと思いたって久我中尉とデートでもして気分転換することを思いついたのだった。どうせなら堅苦しい軍服同士で出歩くよりもお互いラフな格好で…特に久我中尉、いや、クリスタには普段滅多に見ることの叶わない女性らしい服装で来てほしいと少しのてれを見せるクリスタを何とか説き伏せて承諾させたアドラーは顔にこそ出さないものの内心で心が微かに踊るのを抑えられなかった。
(らしくないな…まるでガキの頃に戻ったみたいだ)
そう韜晦して自虐してみるものの自身の気持ちはごまかせずどうしてもちらちらと何度か視線を時計に向けてしまう。その動作を何度か繰り返している内にふと彼の視界の隅に革製の女性もののブーツが写り、ハッとして顔を上げると少し赤くなって慣れない女性服が不安なのか若干もじもじしているクリスタが目に入って思わず一瞬目を奪われる。
「そ、その…どうでしょうか?こういう格好久しぶりで…」
「あ、ああ、いや…凄いな、よく似合ってる。」
「…っ!本当ですか、よかった…」
しかし、見とれてしまったことを責めるべきではないだろう。彼氏のひいき目を抜きにしたとしても彼女は美しかった。そのことは物珍しい東洋人であるから、だけでなく道行く人がつい振り向いてしまって中には露骨に見惚れているものすらいた事からも容易にうかがい知れる。
彼の本心からこぼれ出た素直なほめ言葉に花開いたかのような笑顔を微かに頬を紅潮させたまま浮かべる相手に思わず目線を逸らす。
内心動揺してしまった自分にまた自嘲交じりの苦笑をしながらもまた、何とか表面には出さず、代わりに彼女に向かって片手を差し出して笑い掛けてすらみせる。上官との丁々発止のやりたくもないやりとりのせいですっかり内心を隠すのがうまくなった自分にさらに自嘲の度合いを強めつつ。
「宜しければ御手を握らせていただいても?」
「…もう。勿論ですよ」
彼の内心の動揺に気づきもせず、クリスタはその大袈裟な動作に思わずくすりと笑みをこぼして差し出された彼の手をそっと掴む。流石に普通の女性と比して、固くなってはいるものの自分の手より柔らかく、また小さいその手を確かめるように何度か握りなおして、目的の市へと足を運ばせる。
足を運んだ先の市は戦時中とは到底思えぬほどの盛況ぶりを誇っている。それもそのはずで、この時期、戦火は本土に及んでおらず市民たちは戦争の脅威をまじかに感じることもなくあいつぐ戦勝報告にただ沸き立っていたのだ。その市民たちのある意味で世間知れずともいえる様子に前線を知るアドラーはどこか苦み走った笑みを浮かべる。そのことに気づいてふと顔を上げたクリスタが彼のその表情を見てどこか不安そうに首を傾げる。
「…アドラー?」
「…何、平和を実感しているだけさ。」
皮肉めいた、というよりはひねくれたその物言いに思わずクリスタは苦笑する。彼らしい言い草だ、とどこかで納得してそれ以上はもはや何も言わず手を握る力を少しだけ強める。
「大丈夫、そういうものだと理解はしているさ。感情をあらわにするほどガキじゃない」
少しだけ強まった握りしめる力と、彼女の苦笑、恐らく自分の心情を見抜いているであろう彼女に表情を戻してまた笑い掛けながら囁きかける。自分の内心にこうして無言の理解と共感を示してくれるクリスタの事を有りがたく、また掛がいなくも思ってしまう。
「ええと買いたいものは、と…」
片手を彼女とつないだまま器用にメモを取り出して確認する。基本的には食料品がメインだ。一時的な休暇とは言え、戦果を挙げたものに対する恩赦のようなもので、戦況も優位に進んでいるこの時期では一日二日で終わってしまうほど短いものではない。故に、食料や日用品の買い込みは必須となる。味気も何もないと言ってしまってもいいデートではあるが、それでもまるで、前線にいた間の会えない時間をお互い埋め合わそうとするかのように二人は楽しんでいた。
「次は鮭か。魚屋は…」
「あ、あっちみたいですよアドラー。魚を持った人が見えます」
「む…お、本当だ。流石の目の良さだな」
いち早くそのことに気づいた彼女を称賛するようにくしゃくしゃと髪を撫でてやって、子ども扱いに少しだけ拗ねながらもはにかむ相手にウィンクを投げかけつつ人並みに抗うように歩き出す。
「新鮮な魚なんざ、いつぶりかな…」
「…宜しければ何かお作りしましょうかアドラー?お口に合うかはわかりませんが…」
「それはいいな。何、口の方を合わせるさ。」
「…もう、アドラーったら」
目当ての物も一通り買ってゆっくりと帰宅の道を二人でゆっくりとその時間が終わってしまうのを惜しむかのように辿っていた。その時、アドラーの目が銀色の光を捉える。どうやらネックレスやイヤリング、そういった銀細工のアクセサリーを売っている店らしい。戦闘機のりの彼女にしては珍しく気付いていない、或いは特に意識もしていないようで、その様子を見て一つ、案が浮かぶ。
「(贈ってみるか、こういうの。…と、するとこのままサプライズの方がいいか)…悪いクリスタ、市の出口で待っててくれ!」
「ちょ、アドラー…!?」
荷物を抱えたままクリスタへ言い放って自分は人ごみの中へ紛れていく。その後ろ姿を少しだけ見送るものの仕方のない人、と後ろ暗いところのない苦笑を溢して言われたとおりの場所へ向かう。
一方その苦笑されていたアドラーは店へと人ごみをかき分けて何とか近寄ろうとしていたが、その途中で思わず足を止めてしまう。見慣れすぎるほどに見慣れた男の背中があったからだ。
(…レオじゃないか。あいつもそういや休暇だったな)
彼の弟、レオンハルトも実は同時期に休暇を貰えていた、と弟からの手紙に書かれていたことを思い出す。休暇内で会いに行こうと思っていたものの街中で偶然会うとはまさか思っておらずにいたが、折角なのだし声でもかけてからかってみようかと思ったものの、先ほどまで人波に視界を遮られていたせいで彼の手を取って楽しげにしている女性の存在に気づく。
(ほう…奴め、美人と何時の間に。意外とやる。しかし、見覚えのある顔立ち…それに頬の傷。…あれはまさかシュリヒト中尉か?)
彼の隣にいる女性。相当な美人(アドラー自身はクリスタに負けると思っているようだが)のある意味特徴的な容貌にアドラーの記憶に新しい人物の顔が想起される。レオンハルトの副官であるシュリヒト中尉、彼によく似ているのだ。似ていないようで根本で似ているこの兄弟は女性の好みですら似通ってしまったようだ。その自覚のあるアドラーは声を掛けたい衝動に駆られるが、少しだけ思案してその事を気にしないことにする。そもそもレオンハルトが一人ならともかく美人と一緒なのだ。邪魔をするのは野暮というものだろう…当然、あとで問い詰めることは確定事項なのだが。
とはいえ、今はかかわらない決めたのだからいつまでもかかずらう事もあるまい。そう思い直して改めて彼はアクセサリー屋の品ぞろえに目を向ける。彼女によく似合うデザインは何か。そう考えて形の整った顎を指で一撫でした彼の視界の片隅に移った物がある。翼をかたどった銀細工のネックレス。値段も聞かずに殆んど反射的なほどの速度で購入を決めて店主に金を払って渡されたものを挨拶もそこそこに掴んで彼女を待たせている方へと駆け出す。
「悪いクリスタ、待たせたな」
「本当ですよアドラー。それにしても何を?」
「まあ、少しな…」
口元を手で覆うようにして楽しげに笑う相手に頬を掻いて誤魔化すものの彼女の視線が自分からずれたところへ素早く相手の首元へネックレスを掛けてやる。首元の感触に気づいて確認し、驚いたような表情を見せる相手にいたずらっ子のような笑みを向ける。
「あ、アドラー、これは?」
「君に似合うと思ってね。プレゼントだ」
アドラーのやりたかったことにようやく思い至ったようで嬉しそうに、ついで感極まったようで泣きそうになる相手の表情に慌てて抱き寄せて他人に涙を見せないよう配慮しながらも彼女のこんな表情が見れるのは自分だけだと微かな優越感に浸る。これからもずっと見ていたい。そんな些細で、ただこの時代だととてつもなく難しいことになるだろう、その願いをその胸に秘めてただただ自分に比して遥かに華奢な彼女の体を抱きしめていた。