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夜に穿つ縁の行方  作者: 一条 灯夜
プロローグ
2/39

2

 打矢って武器がある。

 昔は、前腕と同じぐらいの長さで、弓矢と同じ形状だが鏃が槍の穂先のような刃に変わっているという投擲具だった。

 そう、過去形。現代は銃刀法もあるので、シャーペン三本分ぐらいの太さの鋼鉄製のダーツのような形に俺達の流派では変えている。ダーツの尻尾の部分からは、鋼線が二十メートルほど伸び、手首の鋼のリングと繋がっている。というか、曽祖父が戦後間もない時期にそういう武器に作り変えた。

 俺達の流派では無手での格闘と、打矢による打撃、そして打矢の投擲を組み合わせて戦う。実践武術では寸鉄が一般的なので、少し珍しい部類なのかもしれない。


 微かな風切り音を頼りに、若菜の投げた打矢をかわす。カツン、と、俺の背後の木にぶつかった音がした。

 実戦訓練ではあるが、今は錘を仕込んだ木製の打矢を使っている。流石に、こんな場所ではもしもに対応できないから。……もっとも、本物と同じ重量を錘で担保しているので、まともに当たれば、相当の怪我を負うことにはなるが。

 走りこみの経験を活かし、姿勢を低くして木の根元の窪みや小さな起伏に身を隠しながら駆ける。

 ――いた、見つけた。

 向こうも俺を視界に捉え、すぐさま二投目を放ってきた。

 胸の中心目掛けて飛んでいる打矢だが、手を離れた後の軌道はかなり読み難い。鋼線で――今は釣り糸で代用――手首と繋がっているので、人差し指と中指に革の指サックをつけて操る事も出来るので、鎖分銅のような弧を描かせたり、波打たせたりと、複雑な動きをさせることが出来るから。

 打矢の羽の少し先を握り、若菜の打矢に自分の打矢を合わせ、側面を滑らせて釣り糸を絡め取る。

 すぐさま若菜が打矢を切り離した。

 打矢を一度軽く振り、絡み付いていた若菜の打矢を払い落とす。


 突きに入れる間合いじゃない。若菜が前進し、順手での突きが狙い難い距離に入っている。逆手に持ち直す猶予もない。

 格闘戦の距離。

 若菜の右足の爪先蹴り……いや、フェイントだな、重心が後ろ過ぎる。腰が引けている所を見るに、俺の勢いを殺して側面を取る気だろう。小回りは、若干背が低くて身体が柔軟な若菜の方が利く。腹に一発貰う覚悟で突っ込み、足を抱え込もうとするが、若菜が腕を地面について、左足で俺の顔を狙う方が早かった。

 逆立ちして、両足で交互に蹴りを放つ若菜。突き飛ばすように一直線に伸ばされた若菜の踵が顔に迫る。回避は間に合わない。咄嗟に左腕で受けるが、充分な準備が出来ていなかったので大きく姿勢を崩されてしまった。

 畳み掛けられる!

 仰け反ってしまった態勢を立て直す前に、若菜に足で身体を挟まれた。組み付かれる。若菜が、挟んだ足をきつく締め、腕で近くの木の幹をつかみ、腕力で引っ張るようにして俺の重心を前に崩し、右手で俺の左腕を極めにかかり――。

「一歩遅かったな」

 若菜の無防備な脇腹を、逆手に持ち直した打矢で突いた。

 本物のように針になっているわけじゃないが、木製でも先端はそれなりに鋭い。そんなので、側筋の弱いところを突かれた若菜は――。

「ンニャ!」

 猫みたいな悲鳴を上げた若菜は、脇腹なのでくすぐったさもあるのか、背中を大きく仰け反らせ……。

 一呼吸後、トスン、と、操り糸が切れた人形のように、俺に巻き付いていた身体が地面に落ちた。


「あれ? 私、匠の打矢、蹴り飛ばさなかったっけ?」

 横向きで地面に横たわったまま、顔だけを上に向けて俺を真下から仰ぎ見る若菜。

「右足で? 脇の下辺りをかすりはしてたけど」

 左手で右腕や脇腹を改めてみるけど、ダメージは無さそうだった。肋骨もいかれてない。左腕は、蹴りをもろに受けたのでノーダメージとはいえな言えないものの、怪我というような状況ではない。

 若菜は、なんの手応えと間違ったんだ?

「しかし、若菜は、打矢の使い方下手だよな」

「うるさいなぁ」

 不貞腐れたような顔で、若菜が立ち上がる。木の根とか小石もあるので、地面に落ちただけと油断は出来ない。怪我を確認している若菜の背中側を見るけど、特に問題は無さそうだ。泥は付いているが血の跡は無い。

 パンパン、と、土汚れを払っている若菜にダメだしをする。

「不意打ちなら予備の打矢を紐無しで投げた方が良いし、向き合ってて隙が衝けないなら棍として打ち合った方が良くない?」

 指摘した途端、若菜に物凄く嫌そうな顔で睨まれた。

「……昨日、それで打ち負けた」

 そういえばそうか。

 でも、得物を持った人間に真正面から突っ込んでいくっていうのも、正解じゃないと思う。いくら身のこなしに自信があったとしても。

「組み手なら、まだ五分なんだけどね」

 負け惜しみを言う若菜に軽く溜息を吐き、腕を組んだ。

 性格の面もあるかもしれないけど、俺は距離を取って少しずつ体力を削って、接近するのは止めのようなスタイルが好きなんだけど、若菜は接近するための目くらましとしてちょっと打矢を使う程度で、すぐさま首狙いの絞め技に持ち込もうとする。男女の体格差を自覚してそうなのかもしれないけど、筋力の差を自覚しているなら、投げ物の技術を高めた方が効率的じゃないかとも思う。

 まあ、その辺り、なにかこだわりがあるのかもしれないけど……。

 もしかしなくても、俺に対する反発から、なのか? 同じスタイルは嫌だとか、そういうの。

「もう一回、やっとくか。離れる距離は五百で、開始地点はさっきと同じ場所」

 野外での実戦訓練で、お互いが視界に入る範囲で戦っても仕方が無い。これは、足音や衣擦れの音、木や草の不自然な動き、移動の痕跡、匂い、五感をフルに使っての、索敵も含めた訓練だ。

 今回は、最終的には勝ったものの、当初予定していた待ち伏せには失敗していたので、もう少し工夫してみるつもりで提案してみた。

 ちなみに、若菜はきちんとダメだししてくれないので、なにが悪くて気付かれたのかは、自分で考えるしかない。多分、風向きの関係だったんじゃないかと思うけど……。

 次は、痕跡を風上側に残して、誘導やフェイントを工夫してみるつもりだ。

 しかし、若菜は、空を見上げた後、首を横に振った。

「多分、もうすぐ十六時になるよ。明日の食料とか、薪とかそういうの集めたら、十八時ぐらいになっちゃうじゃん。今日はもうお仕舞い」

 戦っている時の威勢や思いっきりの良さはどこえやら、怖いのを誤魔化すようにちょっと不機嫌な顔で言った若菜は、まるで普通の年頃の女の子みたいだった。

 いや、現代の女子は夜なんか全然平気で、深夜でもコンビニ周辺を徘徊する生き物なのかもしれないけど、男子のイメージというか憧れとして、ちょっと暗いのを怖がっているのは、なんとなくグッと来るものがある。

 ただ……。

 こんなキャンプも、もう何度目かも分からないぐらいだ。流石に慣れるんじゃないだろうか?

「まだ夜が怖いのか?」

 からかうつもりじゃなかったが、言い方はそうなってしまったように思う。

 しかし、若菜はその辺りはどうでも良かったらしく――多分、気にする余裕が無かったんだろう――、胸を張って宣言してから俺の背後をとって背中を両手で押し始めた。

「……当たり前じゃん。匠! 夕暮れには、テント戻らなかったら承知しないからね。いや、いいや! アンタ、時々当てにならないし。一緒に行動するよ。ほら、キビキビ動く!」

 やれやれ、と、打矢を腰のホルスターに仕舞う。若菜も、自分の打矢を回収していなかったのに気付いたのか、背中の気配が少し離れ、一拍後に横に並んだ。

 すれ違う際に肩に掛かった若菜の息は、熱い。

 いや、さっきまで動いていたので、俺もだろうけど。

「どうするの?」

「ん?」

 なにが『どうするの?』なのか分からなかったので、若菜の方を向くが、若菜は口を軽くへの字にしているだけで答えなかった。

「森で薪拾いながら川に出よう。そこからテントの場所まで下りながら、適当に採取」

 予定を聞いているんだと勝手に解釈して答えると、若菜は再び前へと視線を向け、足元の小枝なんかを物色し始めた。

 木は、なんでも燃えるってわけじゃない。落ちている枝も、水分を含んでいて内部が腐っているものや、折れて間もない物なんかは、燃えにくいし煙が酷い。生木でも扱いやすいのは竹ぐらいで、後は手に持った感じで充分に乾燥している枝を拾っていく。針葉樹の茶色に乾いた葉は、火を大きくするのに使うので、これも拾うけど、広葉樹の葉は使い道が無いので拾わない。

 適当に薪になりそうな物を小脇に抱えながら歩いていると、不意に鮮やかな緑色のなにかが、視界を横切った。

「あ、アマガエル。……食う?」

 森の下生えのヒョロっとした細長い暗い緑の草の上に乗っている蛙を指差すと、若菜に殴られた。

「バカバカ、バカバカバカ!」

 目を細めて睨む。が、若菜の気迫の方が強かった。

「アンタね。分かってるの?」

「なにが?」

 分かっていないので素直に聞き返してみると、予想と斜め上の返事が返って来た。

「アンタは、うちの一族で爺さん以外にただひとりの二重なんだよ⁉」

「どんな理由⁉」

 変な突っかかられ方にツッコミを返すと、若菜に恨みがましい視線を向けられてしまう。

「私も二重になりたかった!」

 噛み付くように短く叫んだ若菜。身長差のせいか、下顎の犬歯がチラリと覗き見える。

 若菜の顔は、彫りは深くない。柔らかそうな頬の輪郭があって、すっとした鼻の上に、若干アンバランスな鋭い瞳がある。いっつも怒ってばっかりなので細くなったんじゃないか、なんて、言った瞬間に目玉を抉られそうな冗談がふと頭に浮かんで、少しだけ笑ってしまった。

 ……しかし、二重って、そんなにいいものなんだろうか? 俺はこれまで生きていて、二重で得したな、なんて思う瞬間はなかったんだけど。

 それに、個人的な好みを言うなら、むしろ――。

「……俺は、つり目が良い」

 大きな目って、なんだか子供っぽいような気がする。鍛えている人間としては、鋭すぎるぐらいが丁度良いと思う。男なら特に。

 ……いや、それだけじゃなくて、俺を見詰めてくる視線が、ちょっと鋭くて切れ長の気の強い眼差しだったから、もうそれに慣れてしまっているせいだろう。うん。若菜は、今のままがいいと思う。

 あっそ、とでも言いたそうに顔を背け、薪拾いに戻った若菜。

 そういえば、蛙でバカバカ言われた理由を訊きそびれたな。多分、仮にも許婚がゲテモノを食うとか、鍋に蛙を放り込まれて自分も食う羽目になるのがいやだったとか、そんな理由だろうけど。

 何事も経験だし、毒じゃなきゃなんでもいいとおもうんだけどな、なんて考えていたら、目の前の若菜に危うくぶつかりかけた。

 仁王立ちで、俺の前に立ちふさがった若菜。

 ここでもう一戦か? と、身構えそうになった三秒後。

「つり目が良いって、どういう意味?」

 必死で怒った顔をしていて、でも、真っ赤な頬までは隠せない若菜に、思いっきり噴出してしまった。

「だから、そういう意味なんじゃない? ……思わせぶりな態度が、若菜だけの特権だと思うなよ」

 笑いながらそう告げると、若菜は余計に照れ怒りの顔になって――。

「匠のは、思わせぶりとかじゃなくて、ただの天然の不意打ちなのに」

 なんて捨て台詞を残して、背中を向けてしまった。


 やれやれ、と、口元に笑みを残したまま中腰になって薪拾いの作業に戻ると、若菜の声だけが今度は聞こえて来た。

「匠、さっきなに言ったか分かってるの?」

 若菜が近付いてこないので、俺も顔を向けずに返事する。

「分かってるよ」

「分かってないよ!」

「だから、なにが」

「そういう態度を取るんだから、匠は無自覚だって言ってるの! だから、匠はダメなんだよ」

 まいった……。

 なんでここまで怒っているのか分からないが、そもそも、俺はさっきなにか失言したか? 多分、しれっとした顔で、言い返されたのが気に食わないだけなんだと思うが。

 どうしたものかな、と、腰を上げて嘆息すると、同じように立ち上がった若菜に叫ばれた。

「思わせぶり、の意味を、帰ったら辞書で引け!」

 はいはい、そうします、と、両手を挙げて降参してから、薪を充分に集められたので川に向かって歩き始めた。


 思わせぶりの意味、ね。

 多分、気になってるのかな、とか誤解しやすい態度でからかうって意味だと思うけど……。それがなにか問題なんだろうか? もっと別の意味があるとかか?

 若菜の背中を盗み見るけど、肩を怒らせて歩く様からは、素直に教えてくれそうもなかった。

 仕方ない、帰ってから自力で調べるか。

 もっとも、それまで覚えていたらだけどな。


 お互いの気持ちも確認しないまま、許婚って名前だけつけられた関係性では、どこまでなら許されているのか、俺には理解出来ない問題なのかもしれない。

 もっとも――。

 若菜だって、気分次第で距離を変えているんだから、俺だけを怒るのはフェアじゃないと思うんだけどな。

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