3-2.
遅くなりました…
男性のうち、一人は四十前後……つまり日本での私たちよりも少し年上だった。逆にもう一人はこちらでの私たちよりも少し年下だろう。表情もまだ幼く、若い青少年だった。十五か十六だろうか。
唯一の女性は、年上の男性の奥様らしい。女性の持つ扇子と、男性の燕尾の胸元に差し込まれたハンカチの刺繍が同じだ。
私たちも、こんな感じで『夫婦です!』と主張しているのかと思うと、面映ゆい。
ハーゲスト伯爵夫妻と、エーリヒ・ノガイトと紹介された彼らは、三者三様に私を観察した。
伯爵は穏やかに、夫人は見定めるように、エーリヒは気にくわない様子で。エーリヒは表面上笑顔なのに目が笑っていないので、遠目だと分からないだろう。でもさすがに正面から相対すれば分かる。若いな。
立場としては、明人が所属する研究所の所長が伯爵、副所長が明人。エーリヒは明人の補佐らしい。
「そちらが奥方ですか」
伯爵が目を細めて明人に話しかける。雰囲気も声も落ち着いて、一緒にいて緊張感を与えない人だなと思った。こういう人が上にいてくれたら、明人もありがたいだろう。
「ああ。妻です」
明人に促されて、半歩前に出た。
以前、魔法騎士団に滞在していた頃に教わった通り挨拶をする。完璧とは言えなくても、まあ合格点はもらえたのではないだろうか。特に何か言われることなく、会話が始まった。といっても、男三人が今日のことについて語り合うのがメインで、夫人や私はそれを一歩引いて聞く立場だ。
私はといえば、今日の事やお店を紹介してくれたお礼を言ったぐらいか。紹介者のエーリヒは「アキト様のためですから」とひねくれた回答を寄越してくれた。気持ちは分かるけれど、それを明人の前で言っちゃ駄目だってば。
「殿方ばかり盛り上がって。あちらで少し、女同士でお話をしませんこと」
そんな扱いで私は問題なかったけれど、もう一人蚊帳の外状態の女性である夫人は違ったようだ。
「ええ。喜んで」
頷くと、少し意外そうな顔をされた。それほど明人にべったりに見えたのだろうか。
その明人はこちらを気にはしているけれど、二人の相手をメインにしている。目があったので小さく頷いて問題ないと伝えてから、夫人に誘われるまま移動した。
「仲がよろしいのね」
通りすがりのスタッフから受け取ったグラスの片方を手渡される。中身はアルコールだろう。……一応、肉体年齢が二十歳になるまでは控えるつもりだったけれど、こちらの飲酒可能年齢は過ぎているので断るのは失礼だろう。礼を言って受け取る。
「よく言われます」
夫人が立ち止まったのは、私たちがいた場所より少し奥だった。明人たちの姿は見えるけれど声は聞こえない。それは先方にとっても同じことだった。穴場(?)なのか、辺りに人は少なく、よほど大声にならない限り会話も聞かれない。もしかしたら意図的にこういった場所が作られているのかもしれない。
ふと考える。
仮に伯爵が四十歳として。今の私たちはこっちに来てから一つずつ年齢を重ねたので、明人が十九歳、私が十八歳だ。夫妻からみたら私たちは子供と同世代でもおかしくないだろう。瞳さんとは年が二十三離れているので、私が十八の時、瞳さんは四十一だから……うん、親世代だ。別の言い方をすれば、夫妻にとって私たちは子供のような年だ。
その夫人は、素敵な年の取り方をしている人だった。特別華やかな装いをしているわけでも、美人でもない。ただ凛としたたたずまいが、こちらの背をまっすぐにさせる。いい意味で緊張というか刺激を与えてくれる。
「昔を思い出すわ」
「今でも夫婦円満そうに見えます」
「当時と今ではさすがに変わるもの」
それはそうだろう。新婚のイチャイチャ時期がずっと続いていたら、それはそれで微妙過ぎる。
「男爵は随分優れた方のようね。夫からいつも話を聞いています」
明人のことを男爵と呼ばれるのは、まだ違和感がある。
「ありがとうございます。きっと夫も喜ぶでしょう。伯爵のことは信頼しているようですから」
お世辞ではなく、本音だ。
ハーゲスト伯爵のことは名前を含め今日初めて知った。でも短時間でのやり取りで、明人が心を許している相手だというのは分かった。懐き方……といったらおかしいけれど、態度が会社で信頼する上司に対するものと似ていたからだ。逆にエーリヒはまだ手のかかる後輩という扱いだった。
「それこそ夫が喜ぶでしょう。あの人は男爵を盛りたてることを今後の生き甲斐にするようです。私たちには子供がいないからその代わりといったら怒るかしら」
「お礼を言うことはあっても、そのようなことはありえません」
立場的にも能力的にも、明人は嫉妬を受けやすい立場にある。あるいは侮られやすい。それだけに実力を認めてくれる上司がいることはありがたいことだ。一人でもどうにかするだろうけれど、認めてくれる人が上にいることに、安心した。明人の様子を見る限り、いい上司なようだし。
「だからね。それを助けるのは私の役目でもあるの」
正面から見据えられる。
「夫は決して言わないでしょう。だから私から言います。貴女、男爵の為に別れなさい」
日本にいたときなら「分かりましたそうします」と言って逃げていただろうな、と思う。そもそも明人の気持ちなんて少しも分かっていなかったのだから、別れるも何も、と憤りすら覚えていただろう。
「お断りします」
それが今では、まっすぐ見つめ返して言える自分が誇らしかった。
もっとも、自分一人の成長では断じてない。
昔は、自分は一人だと思っていた。でも今はそうじゃないことを知っている。それだけの違いだ。
物理的には、今は一人で夫人と会話をしている。でも精神的には明人が支えてくれている。どれだけ力強いことか。
「……そうでしょうね」
「正直なところ、夫人から言われるのは意外です。何故このようなことをとお聞きしても?」
言ってくるとしたら、三人の中ではエーリヒだと思っていた。彼が私を気に入らないのはよく伝わってきたから。
「あら。聞いてくれるの?」
「こちらの回答は変わりませんが」
それは笑ってスルーされた。目線で、グラスの中身を飲むよう促されたので口をつける。色から想像はついたけれど、赤ワインだった。
日本にいたころに飲むのはビールか日本酒が多かったので、ワインはあまり知識がない。だから日本で飲んでいたものと比べてどう、と評することは出来ない。ただ、とても美味しかった。場所が場所なだけに上質なものだろう。もしかすると日本での私の所得では到底望めないランクのものかもしれない。ワインはピンキリが激しくて、安いものはファミレスで百円台からあるし、上をみれば……怖くて値段を聞きたくないものまである。それに比べると日本酒って高くてもせいぜい数万円だから身代を崩すようなお酒ではない……なんてことは今は関係なくて。
「今の男爵という地位のままでは、出来ることに限度があります。身分が全てではないけれど、ある意味余所者である貴方たちが何かをなそうとするなら、立場と後ろだてが必要です。でも、どちらも持っていない」
そこは否定出来ない。
「伯爵が盛りたててくださるのでは?」
そういう問題ではないと分かっているけれど、言ってみた。
「いつまでも現役ではないわ」
ですよね。ええ、分かっていますとも。
「何かやりたいことがあるのでしょう? そのためには今のままでは難しい。上の立場を目指す場合、一番円満な方法は婚姻です。けれど」
「私がいます」
二重婚は認められていない。側室や妾の存在はあっても、正妻は一人だけだ。
これ以上聞いていたくなくて、夫人の言葉を遮った。
「それに、思い違いをなさっているようです。別れたりしたら、夫の為にはなりません」
笑え、と自分に命じる。たとえ虚勢であっても、余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「あらどうしてかしら」
根拠を言えるものなら言ってみろと言外に促された。
「まず、自力では上を目指せない人間だと喧伝することになります」
「波風たてない方法というのよ」
お互い、物は言いようだ。
「でも一番の問題は、私との婚姻を解消することです」
「それだけの価値が、今はただの渡り人である貴女にあると?」
私がかつて何であったかを誰かから聞いたのだろうか。仄めかす言い方をされたが、首を横にふる。
「いいえ。私にではなく、私達の結婚に、です。婚姻届を出す際、他者の承認が必要なのは私が説明するまでもないでしょう。そして別れるのはその方の顔に泥を塗る行為であることも」
日本で言えば仲人が相当する。
「だから届の取り下げには、承認者と同格もしくは上位の取りなしが求められます」
「こちらの制度をよく勉強しているのね。でもそこは問題にはならないわ。男爵の婚姻に、伯爵以上が関わることはまずないでしょう。であれば、夫か、もしくはエーリヒの父君が可能だわ。エーリヒの父君は侯爵なのよ」
これが夫人の自信の根拠か。そして、私にとっての突破口でもある。
普通、男爵の婚姻で侯爵が取り消せないものは殆どないだろう。だけど例外だってある。明人を常識の枠にあてはめてはいけない。
「私たちの婚姻を承認してくださったのは皇太子殿下です」
当時は何を非常識なことしてくれたのかと呆れたけれど、それが今活きてくるとは。
「何を……」
「私達の結婚を承認したのは皇太子殿下ですと申し上げました。ノガイト侯爵は殿下の承認を取り消すような行動をなさる方なのでしょうか。そして今の夫が、殿下が承認した結婚を取り下げて問題にならないとでも?」
「……殿下はお忙しく、人前にあまり出ない方だわ。下位貴族の婚姻に関わるなど……。虚偽にお名前を出すなど許されません。気をつけなさい」
叱責には首を横にふる。
「虚偽ではなく事実です。調べれば簡単に分かる事で嘘をつく程馬鹿ではありません。夫が誰にも文句をつけさせたくないと承認をいただいたのです」
その皇太子からは、明人の相手としては微妙認定されたのは黙っておく。最終的には何も言われなくなったし、嘘はついていないから大丈夫。
「信じられなくて当然でしょうから、明日にでも確認してください」
プライバシーどこいった、と最初は驚いたけれど。正しく届け出のだされた貴族の出産や婚姻の情報は開示されている。貴族階級のみの閲覧制限はかかっているけれど図書館でも確認が可能だからその気になれば家系図ぐらい作れてしまう。
だから私たちの婚姻を誰が承認したのかは、公開されている。
「それでもまだ、別れるべきだと仰いますか?」
「……」
無言が回答だった。
事前に対応を練っておいて良かった。
きっと言ってくるのは、若いお嬢さんか、明人に心酔する男性だろうという予想とは違ったけれど、言われた内容は大差ないので良かった。
「というのが、理論武装した部分です」
ここで終わらせても良かったけれど、落ち着かなかった。
だって、今言ったのは私の言葉じゃない。ただの理屈であって、気持ちじゃない。
「あら。本音でも聞かせてくれるの?」
からかうように笑われた。
「もちろんです。といっても、簡単なことですよ。別れろ、と言ったのが夫本人ではないから、嫌です。受け入れられません」
他人のどんな理屈や美辞麗句よりも、大切なのは明人の言葉であり気持ちだ。
夫人は数度瞬きしてから、苦笑した。
「若いわねぇ」
そうだろうか。こう言ってはなんだけど、この会場の同年代と比べて私は若さはないと思う。華やかさや活力といいかえてもいい。それは中身と外見年齢が違うからではない。リアル女子高生の頃だって、他のクラスメイトみたいな元気はなかったからただの性格、性質だ。
「まぁいいわ。本音に免じて及第点をあげましょう」
及第点?
「何かの試験だったのですか?」
「さあ?」
笑ってかわされた。この辺りのスキルは私は底辺で、夫人は熟練だから勝負にならない。さっきは明人がからんだからこそどうにかなったのだ。ましてや一息ついて気を緩めてしまった今となっては、土俵にすらあがれない。
「立場が上のものの言葉を無暗に遮っては駄目よ。それから真正面から論破するのも賢くないわ。それを侮辱ととる人もいるから」
それは分かる。
「でも、落ち着いているのはいいわ。私にとっては好ましい」
落として上げる方式なのか。
「……ありがとうございます?」
どこか納得しきれない私を見て、夫人は笑った。
「普通はね、初対面の人間にあんなこと言われたら逆上してもおかしくないのよ。冷静に会話を続けられたのは立派よ」
慣れてますから、と言っていいのか悪いのか。判断つけかねて、乾いた笑いを浮かべた。
「さあ、戻りましょう。あちらで殿方たちがやきもきしながら待っているわ」
夫人と同じように、まるで何事もなかったのように笑えるだけの胆力は私にはなかった。
結局この場はなんだったのか。……私が夫人に試されただけの……それこそ試験だったのかもしれない。
及第点と言われたので、一応クリアしたと思っていいのよね?
「随分長く話していたね」
戻ると伯爵が夫人に話しかけた。
「ええ。すっかり話しこんでしまって。でもまだ足りないので、今度我が家にお誘いしたいと思うの。いいかしら?」
伯爵は一瞬驚いた後、破顔して「もちろんだよ」と頷いた。
逆に腑に落ちないという顔をしたのはエーリヒだ。
明人はというと、感情を悟らせない笑顔の仮面をつけて迎えてくれた。他人がいるから、だけでは納得できない表情の原因を知りたくて。でも公共の場では無理だから早く帰りたいと思った。
書く→消す→書く→消す を繰り返した結果、元の想定と違う内容に…。続きは今月中にはアップできます。