3-1.
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なんか、凄い。
読書量はそこそこあったはずなのに、目の前の光景を見ての感想はその一言につきた。
「凄い、わね」
確か本日八度目の言葉を呟く。
最初は「そうだな」と返してくれた明人も、今はちらりと視線を向けるだけだった。さっきまでは最低限頷いてくれたのに。
何が凄いのかというと、舞踏会だ。あれ、夜会だっけ。もうどっちでもいいか。
明人が同僚から開催を聞いてきた、私たちは二年に一度半強制参加となる王宮主催の夜会が目の前で行われている。
もちろん私たちも参加者だけれど、壁の花をしている。
だって、仕方ないじゃない。
奥に行けば行くほど爵位の高い人になるらしい。ということは、私たちは入り口付近にいる。そのあたりは一番人が多くて、どうにも息苦しい。じゃあ呼吸しやすい場所、となると端のほう、つまり壁の近く。
他の参加者たちはなんだかんだ言って親戚だったり昔からの付き合いがあるから挨拶をする相手がいるけれど、社交なんてしていない私たちには仕事関係しか知り合いはいない。私は勤め始めてから一カ月ぐらいしか経っていないので長く話しこむような相手はおらず、明人の周りはというと、伯爵家以上の人々が多いらしいのでこの辺りにはいないそうだ。
つまり、することがない。
自然と二人で広間の様子を眺めることになった。
かれこれ一時間ぐらいはいるけれど、飽きはこない。
参加者によって程度の差はあれど色とりどりのドレスの女性や、彼女たちをエスコートする男性の姿は初めて見るもので楽しい。たとえ繰り広げられる会話が腹黒いもので、笑顔を浮かべていても目が笑ってない人が多かったとしても、だ。表面だけを眺める分に害はない。
あと、人数は多くないけれど未婚男女たちの恋いの鞘あては微笑ましい。
ただ、あまりにも華やかすぎて「なんか、すごい」しか出てこないのだ。
うん、やっぱり当事者ではなく傍観者としてなら楽しめる。
音楽にあわせて踊っている人々の動きも目に楽しいし。
「同僚が挨拶にくると言ってたから、それが終わったら帰るか」
「今日のことを教えて、お店を紹介してくれた方?」
「そう」
欠伸をかみころす仕草から察するに、明人は退屈しているようだ。早く帰りたいと全身で訴えている。
日本人の感性だと、お世話になったのは私たちなので向こうに来てもらうのではなく、私たちが挨拶に伺うべきだと思う。でも爵位が高い人のエリアには行けないので、待つしかないのだ。
「私もご挨拶はしたいわ」
今現在は楽しく眺めているけれど、ずっと居たいかというとそうでもない。
「帰ったらアキのその格好が見れなくなるのは残念だけどね」
ちらほらと女性の視線が向けられる先は、当然明人だ。
他の男性と服装は大差ない。どちらかといえば明人のほうがシンプルな……人によっては質素とか簡素と表現するようないでたちだ。黒燕尾っぽい。
明人はオーソドックスな格好、私は流行りのデザインのドレス。要するに周りに似たような人がたくさんいる装いをしている。それなのに全然逆の効果をもたらしている。
明人はシンプルゆえに素材の良さが存分にひきたっていて、思わず視線が奪われる。
対する私は、完全に埋没している。
予想通りというか、なんというか。下手にTPO弁えない格好をして注目を浴びるより、その他大勢として埋もれているほうがよほどいいから不満はない。……けど、明人と比べての見劣りっぷりにため息の一つぐらいはついてもいいだろう。
「お前のその格好は……普段と違うから新鮮でいいし、似合ってはいるけれど。シチュエーションがなぁ」
「普段着としてドレス着てあの家にいたら動きづらいし違和感甚だしいから、シチュエーションに即した格好だと思うんだけど?」
「胸元あきすぎじゃないか」
己の慎ましやかな胸元に視線を落とす。これでも明人のせいで多少サイズアップはしたのだ。
「夜会のドレスはこんなものらしいわよ?」
「俺が見る分には問題ないけれど、他の男に見せるのは嫌だ。第一、それだけ見せられてるのに触れないとか」
「……セクハラ発言禁止」
この程度で発情するのは明人ぐらいだと思います。
「髪型もなぁ」
「変? ちゃんとアップにしてもらったんだけど」
「項に誘われて、困る」
「……それは困るわね」
主に私が。
「まったくだ。キスマークか噛み痕つけたい衝動がな」
「…………」
キスマークはともかく、噛み痕って。
無視しよう。うん。
「基本、俺がみつくろった服は脱がせたいものだけど……それはすごくめんどくさそうだ」
「……コルセット外すの、手伝ってね……」
「色気ゼロの作業だよな……」
そうね。作業になるわね。
脱がせるがどうのという割に、明人のセリフじゃないけれど色気ゼロな会話だ。誰かに聞かれたら大変だけれど、壁の花で近くに人がいないので問題はない。私たちの口の動きは日本語で、この国の言葉ではないから読唇術で読みとられないのが地味な利点だったりする。
とはいえさすがに品性がないので、打ち切ることにした。万が一聞かれたら大変だ。
「あのね。思った以上に今日は楽しいわ」
「そうか?」
端で眺めているだけなのに? 言外にそう告げられた。
「連れてきてくれてありがとう」
「お前と一緒じゃなきゃ誰と来るんだ」
「そうだけど。私一人じゃ来れないじゃない。だからまさか自分がこんな場にいるなんて思いもしなかった……それもずっとアキと一緒」
明人は動きをとめた。
「買い物は別として、二人で外に出るのってあまりないでしょう。でも今日は二人で、しかも結構のんびりできてるから嬉しいかな」
そして明人の盛装がね! もう眼福すぎて。いつでも隣を見たら、いつもと違う魅力にあふれた明人がいるのだ。己の心臓に過剰に負担がかかっている。
「アキとしては不本意だろうけれど、貴方がこちらの世界ではお買い得物件じゃなくてよかったわ。覚悟していたよりは、嫉妬の視線が少ないもの」
思わず視線が吸い寄せられた系の動きはあっても、あれは誰的なやりとりを経て明人に近づこうという人(主に女性)が予想以上にいないのは嬉しい誤算だった。この場にいるような女性にとって嫁ぎ先は自分だけでなく家族にも影響のある事。少しでも安定した、あるいは上を目指せる立場を求めるのは当然のことだ。恋愛結婚ではなく政略結婚が普通の人々でもあるので、初めてみる(=得体のしれない)新興貴族で既婚者の明人にかまけている場合ではないのだ。
おかげで心おきなくずっと明人の隣にいられる。
「褒められてるのか、叱咤激励されてるのか悩むセリフだな」
くすりと笑いながら、頬を撫でられた。
「お好きな方でどうぞ」
素直な感想であって、どちらの意図も意識的にいれたわけではない。でも明人がくみとるのは自由だ。
笑って返す。
「そうだなぁ……」
わざとらしく考え込む様子を見せるけれど、目が笑っているので冗談だと分かる。
その表情が、ふとかわった。一枚仮面をつけたような、でも警戒しきってもない。
明人の視線の先をおうと、目立つ三人がこちらに向かって歩いていた。男性が二人と女性が一人。
全員の装いが一目で上質なものだと……辺りにいる、貴族としては下のほうの立場の人々とは違うのが分かる。有名な人たちなのか、周囲の人々の注目も集めている。
……きっとあの三人が、明人の職場の人なのだろう。
「あいつらだ」
小声で伝えられた内容が、推測を裏付けた。
そっか。女の人もいるのね。……いつものパターンかな。
今日の頑張りどころだと、自分に気合いをいれた。