2-1.
時系列としては、前話より前となります。
「私、指フェチかもしれない」
ぼそっと呟いたら、リビングで本を読んでいた明人は「はあ?」と言って振り返った。
私たちの住処は、庭無し一戸建て(地下倉庫つき)、といったところだ。
一階には玄関と応接室、そして客室。ちなみに応接室も客室も稼働したことはない。お客様のおもてなしは一階で、というのがこの国の基本的な考え方なのだとか。
家人のためのスペースが二階で、オープンキッチンとリビング、水周り、そして部屋が三つ。
三つの部屋は(正確には違うだろうけど)八畳ほどの広さの部屋が一つと、六畳ほどの部屋が二つになっている。八畳の部屋を寝室として使っていて、普段の着替えなんかもここに置いている。クローゼットとか押入れという考えはないらしく、地味に不便だ。
残る二部屋は、お互いの私室としている。主に荷物置きだけど。いくら夫婦とはいえプライバシーは大事だから相手の部屋には入らないようにしているので明人がどう使っているのかは知らない。
一番広いのがキッチンとリビングで三分の一ほどのスペースを使っている。基本的には私たちはここにいることが多いので、一番広いのは妥当だろう。キッチンはオープンキッチンなので、私がご飯を作りながら会話出来るのがありがたい。
ちなみに洗浄の魔法具が普及しているので、家にお風呂を持つのは珍しいらしい。でも日本人としては譲れなかったので、改築してつけてもらった。
この家に住み始めてからそろそろ三か月になる。暮らしのペースも大分つかめてきた。
「だから、私が指フェチかもって話」
「……そう思った根拠は? って聞いていいのか?」
明人は体ごと向きをかえて、台所に立つ私に向き合った。といっても調理中なので私が明人を見る時間は短い。
「アキの手っていうか、指って、綺麗でしょ。指が長くて、男らしくごつっとした感じもあって」
キャベツをざく切りにしながら言う。
ざく切りにし終わったキャベツはボウルにうつす。そこには既に切ってある人参やしいたけがはいっている。ピーラー無の下ごしらえにもだいぶ慣れてきた。
「……そうか?」
まじまじと自分の手を眺める明人。
「そうなのよ。で、特に仕種がね。いいの」
ボウルの中を簡単にまぜてから、フライパンに油をしく。火をつけて、油が馴染んだ頃に、まずは豚肉を投入した。肉にはしっかりと火をとおしたい派です。
「どこがって上手く言えないんだけど。こう、結構、きゅんきゅんくる感じが凄くするの。つい見ちゃう」
「…………」
軽く火が通った頃に、野菜たちを投入する。
今日のメニューは簡単に野菜メニューだ。軽く塩コショウで味付けして出来あがり。
勿論これだけだと寂しいので、ベーコンとたまねぎのスープと、オムレツも出す。一汁三菜がベストなのだけど、実際は一汁二菜になってしまうなあ。常備菜を充実させたいところだ。そこらへんはまだ研究中。ローストビーフでも作っておくとか? まだこちらの調味料に慣れたとは言えないので、試行錯誤でやっている。醤油と味噌がないのがつくづく不便だ。
「やっぱり指フェチなのかしら。どう思う? あ、そろそろ出来るからテーブルの上片付けてね」
さっきちらっと見たら、テーブルの上には本が何冊かあったのでお願いする。
「ああ、うん」
「あとお皿取りにきて」
明人に運んでもらっている間に、調理器具たちを洗浄する。
そう、洗浄だ。
フライパンを洗うとかではなく、洗浄。決められた範囲の汚れをとってくれる魔法具で一気に綺麗になる。
こちらの世界で暮らすにあたって一番感動したのが、この洗浄の魔法具だ。勿論それまでも使っていた(というか効果をかけてもらっていた)のだけど、生活にこれほど役立つものだったとは。正直、感動した。
洗濯、掃除、料理の家事はやったそばから振り出しに戻る無現ループ系の作業だ。このうち特にめんどくさい洗濯、掃除、料理の後片付けをすべて魔法具がやってくれるのだ。感動するしかない。いっそ愛してるレベルで重宝していると明人に告げたら、すごく微妙な顔をされた。仕方ないじゃない。もうこれ無しの生活には戻れないのだから。
食後はソファへ移動するのが恒例だ。
今日は明人がソファに座って、私は床に直接座っている。明人の足にもたれかかるのが結構好きなのだ。時々頭を撫でたり、髪に指をからめたりされるのも好きだ。
ちなみに、こちらの風習では家にあがっても靴はぬがないのだけれど、二階は日本式で靴を脱ぐようにしている。お客様をむかえる一階は現地のやり方にあわせるけれど、プライベートスペースである二階では好きに過ごしたい。
日本だったらテレビでも見て、という時間なのだけど、ここにはそんなものはない。
お互い好き勝手に過ごしている。私は本を読むことが多い。たまに服のほつれを直したりもしているけれど、基本は昼間に終わらせている。
「明日、何食べたい?」
図書館で借りてきたレシピ本をぱらぱらとめくりながら尋ねる。そろそろ『手に入る材料で作れる料理』ではなく『こちらの料理』も覚えていきたいところだ。レパートリー増やさないとキツイし。失敗もするから最初は一人用のお昼から、かなあ。
「そうだなぁ……久しぶりにジャンクフード系とか」
何を食べたいかの問いに対する一番嫌な答え「なんでもいい」を明人は決して言わない。具体的なメニューの時もあれば、さっぱりしたもの、がっつり系、といった曖昧な時もあるけれど、何かしらのリクエストは出してくれる。当然といえば当然だけれど、実践してくれるのはありがたい限りだ。
「うーん……じゃあポテトフライにチャレンジしてみようかなあ。油に対しても洗浄使えるか試してみたいし」
揚げ物は得意じゃない(だって一人分の揚げ物って、手間暇しかかからないから滅多に作らない)けれど、得手不得手以上に油の後始末が一番めんどくさい。そこで試したいのが洗浄だ。これ使えるんじゃない? と。
「あとは……なんちゃってハンバーガー?」
「出来るのか?」
まじまじと視線が向けられたのが分かった。
「パン屋でマフィンっぽいの見かけたし。後はハンバーグを薄めにして、目玉焼きと……生野菜はまだ怖いから、千切りキャベツを湯通しして。……うん、なんかそれっぽいのは出来ると思う」
ついでにハンバーグのたねを余分に作って翌日用にすれば楽も出来る。
うん。そうしよう。
「お前、ほんっと器用だよな」
感心と呆れを半々にした声と共に、髪をくしゃっとかき回される。
「ちょっと、」
「お前がいてくれて本当に助かってるよ」
「器用じゃないし家事ぐらいしかしてないわよ。その家事だって日本よりかなり楽だし」
掃除洗濯不要な家事って素敵だと思います。
「それを言うなら、アキが稼いでくれてるから助かってるわ」
いずれは私もと考えているけれど、今のところは主婦に徹しさせてほしい。私も明人も、もっと慣れて落ち着いたら。幸いなことにお金には困っていない。急ぐ必要はないのだ。
「だからお互い様よ。私もアキも、自分に出来る事をして、相手に感謝しましょうってだけ」
この感謝の気持ちを忘れてはうまくいかない。
「なるほどね」
小さく笑ってから、明人はソファを滑るようにして隣にやってきた。
「どうしたの?」
「左手、貸して」
「? はい」
何故かお手状態になってしまう。明人は笑いながら、指をからめるようにした。
夕食前の会話ではないけれど、その仕種にはドキドキしてしまう。
「遅くなってごめんな」
どこから取り出したのか、薬指に光るものが填められた。
銀色のリングに一つの白石が立て爪で配された、これぞエンゲージリング、というデザインだ。
「婚約指輪には今さらだから、感謝の印かな。結婚指輪はいつか二人で見に行こう」
してやったり、みたいな笑みを浮かべて、薬指を撫でられる。
その満足そうな顔がおかしくて、つい吹き出してしまった。
「笑うところかよ」
「ごめんなさい、違うのよ」
おかしなツボにはまったのか、笑いがひかない中言っても説得力ないのだけど。
「すごく、満足そうっていうか自慢げなアキの顔がね。可愛くて」
「……ふぅん?」
明人は分かりやすく拗ねている。うん、どこをどうとっても悪いのは私だ。
ご機嫌とりじゃないけれど、ぎゅっと抱きつく。
「こっちの習慣にないから、無しだと思ってたの。すごく嬉しい」
婚約指輪、結婚指輪という習慣はこちらにはない。過去の渡り人が広めようとしたらしいのだけど、定着しなかったのだとか。指輪を日ごろつける習慣があるのは貴族で、渡り人は基本平民扱いになることを考えると仕方ないのかもしれない。
ではこちらではどうしているかというと、結婚する時に男性は家紋のはいった扇子を、女性は相手の(つまり嫁ぎ先の)家紋を刺繍したハンカチを贈るのだとか。ちなみにこれらをどこで使うかというと、夜会だ。家紋入りのそれらを身につけているのは既婚者ですよという印になるらしい。ちなみに私たちは一度も出たことがないけれど、贈り合っている。急に必要になった時に持っていなくて独身扱いされるのはお互い嫌だったからだ。
余談だけどハンカチは時々新しいものにかえている。刺繍なんてしたことがなかったので、最初の頃の出来映えは結構残念なものだったからだ。昼間の主な時間のつかい方です。今は一応見れるものになったと思う。
家紋については、聞いた時、二人そろってで悩んだ。両親の葬儀の時、あるいはお墓で見ているのでぼんやりとした形は分かるけれど、詳細までは思い出せない。葬儀の時は私が茫然としている間に明さんたちが色々手配してくれたし。
大事なのは気持ちだろと割り切って、明人が新しい形を提案してくれた。
楕円のなかに鍵が入ったデザインだ。
鍵にはこちらに来てからのやりとり含めて思い入れがあるので、嬉しかった。
そう、私たちは結婚に際しての贈り物はすでに済ませている。その中に指輪はなかった。だからこのままかなぁって思っていたのだ。
「散々時間かけといてなんだけど、俺が無しで済ませる訳ないだろう?」
「そういうもの?」
「最初の頃に『ここに俺のものって印をつけたい』って言ったはずだけど。言った事、特にお前に対して言ったことは守るぞ」
ああ、そういえば。そして軽く噛まれて歯型をつけられたのだった。
思いだすと懐かしい。当時は当時で楽しかったけれど、今だって相当充実している。
右手は明人の背中にまわしたまま、左手を伸ばす。指輪はまるで定位置のようにしっくり薬指に馴染んでいる。ずっと見ていても飽きないけれど、腕が疲れたのでおろす。
「すごく、嬉しいわ」
順番がおかしいことなんて言わない。説明なく署名しろといわれたのが結婚届だった時点で、気にしたら駄目だ。十年後に結婚式を挙げようって言われても呆れはしても驚かない自信だってある。
とにかく、後追いでも贈ってくれる気持ちが嬉しい。
「なかなかそれらしいのが見つけられなくてな。時間がかかって結局初任給で買ったものがこれになった。もっと早く贈りたかったんだけど、結果的には良かったのかな?」
先月から明人は勤めに出ている。皇太子から紹介のあった研究所といっていたので怪しいところではないようだけど具体的に何をしているのかは聞いていない。その分の給与が支払われたのか。
うん、やっぱりいつかは私も働こう。そして明人に何か贈るのだ。
「ありがとう。嬉しい事だらけで、何からお礼言っていいか分からないぐらい」
「こっちの習慣ではなくても俺の心情としてマーキングしておきたいだけだから、礼なんていらない」
マーキングって。犬じゃないのだから。
「まったく……素直にお礼ぐらい受け取ってよね」
少し体をはなして、明人の両頬をぷに、とつねった。
「まあそういうことなら、私もマーキングしたいから結婚指輪を買いにいきましょう。明後日は休みでしょう?」
明日の昼間にでも予算を試算しておこう。
「あと、夜会用の衣装と小物一式な」
「……は?」
夜会?