1-5.(終)
それにしても。
「初喧嘩が、働くかどうかって辺り、私たち社畜根性叩き込まれてるというか……真面目よねぇ」
隊長さんにも真面目すぎると言われたばかりだ。
食後のお茶はテーブルではなくソファに並んで座ってとる。食後のデザートは苺だ。
なんとなく、野菜を生で食べることに抵抗がある。衛生管理とかどうなっているのかなあと考えると、どうしても火を通したくなるのだ。壊血病が怖いので、ビタミンCは果物で摂取するようにしている。果物だって一緒なのだけど、こちらの世界にきて最初に食べたものが果物だったので抵抗感はない。ちなみに明人に生野菜も食べたいかと聞いたら、作り手である私に任せると言ってくれた。
外で出されたものは食べているので、我が家の食卓にのるのも時間の問題だろう。少しずつ馴染んでいけばいい。
「社畜って、お前さ」
くつりと明人は笑った。うん。無理にじゃなくて自然に笑えているから私たちは大丈夫。
「だってそうじゃない」
「まあいいけど」
「だからね、私は子供じゃないの。普通に働いていた社会人なのに過保護過ぎるわ」
私が見た目通りの年齢で、明人が実年齢であれば、過保護になるのも分からないでもない。でも、私と明人は同い年なのだ。おかしいに決まってる。
私は三十五歳の社会人だ。こちらに来て一年が過ぎているので、もう三十六歳と言わなければいけないか。明人からみれば頼りなくても、自立した大人であることに変わりはない。大事に囲いこんで、ぐずぐずに溶けるぐらい甘やかしたりするような相手ではないのだ。
「おかげさまで悪意の対処方法は知ってるわ。それに前と違って一人でやり過ごすんじゃなくて、後ろにアキがいてくれるのだから全然違う。私は大丈夫って、アキだって分かってるんでしょう?」
「……分かってはいる」
頑固だなぁ。
「平社員ですけどね。私だって干支一周以上の年数働いてきたのよ。力の入れ方とか、要領なんかは今の外見年齢から想像されるよりずっといいはずなの」
いささか詐欺くさいけどね。
手を抜くといっては聞こえが悪いけれど、常に全力投球は長く続かない。だから適度に様子をみながら力のいれどころを探る必要がある。あとは作業の優先順位の付け方とか。日本でのやり方がそのまま通じるなんて甘い考えは持っていないけれど、心構え的なものは同じなはず。
「大事にしたいっていう気持ちは嬉しいけど、子供扱いは嫌」
そもそも子供じゃないし、対等じゃないから。
「アキは甲斐性とかそんなの、本当はどうでもいいのでしょう? 私がお金を稼いでくるのがアキのプライドを傷つけるというなら、例えばボランティアなら問題ないって話になるけれど、それも嫌だろうし」
「そうなるな」
あっさり頷いた。
「せっかくだし正面から向き合って話そうか」
明人は私が手に持っていた紅茶のはいったカップをとりあげて、机の上に置く。
「そうね」
って、もしもし、明人さん?
「正面って……これが?」
「何か問題あるか?」
大ありです。
当然って顔してるけれど、おかしいの分かってやってる確信犯よね、絶対。
これから真面目にお話しましょうって時に、何故ソファに座る明人の膝の上で抱っこされているのか。そのままでは安定が悪いので、明人の背に手をまわしているし、腰を支えてくれているけれど……なんというか、落ち着かない。
顔が近い。
確かに向き合っているけれどね? 正面から向き合うが、物理的過ぎる。明人の体温を感じる箇所が多くて、ドキドキ感が半端ないのだ。そもそも正面?
「今朝さ。美弥に『私は奴隷じゃない』って言われただろ。あれがクリティカルヒットで一日凹んでた」
「あー……売り言葉に買い言葉だったから……。本心じゃないからね?」
「でもさ、俺がやってることはそう思われても仕方ない事なんだよ。家に閉じ込めて、外に出ずに俺を待っていてほしい。他の世界なんて見せたくない。美弥を構成する全てを俺にしたい」
耳元に息がかかってくすぐったい。
声も、内容も、全部が甘ったるくて、腰のあたりがぞわぞわとした。
「間違ってるのは分かってる。でも、嫌なものは嫌なんだ」
やばい。どうしよう。嬉しい。
我ながらチョロイというか単純というか馬鹿じゃないのって自覚はあるけれど、明人に求められるのは歓喜につながる。
「悪いのは俺だから、美弥の好きにしていいし協力もする。一日かけて気持ちの整理はつけた。一緒に探そうか?」
頬を優しく撫でられる。
「今日、ティアに相談したの。そうしたらあそこで文官見習いとしてどうだって言われたわ。五日の内三日以上、午後だけ。薄給らしいけどね。どうかしら」
「……ああ、あそこか。知り合いもいるから悪くはないが……お前に悪感情を持つ奴もいるのは分かっているか」
イルクートの元部下にとっては私は愉快な相手ではないだろう。私は何もしていなくても、きっかけになった。あの手のタイプの人は「お前が大人しく言うとおりにしていれば」という発想をするものだ。
「そういう人が一切いない場所なんてないわ」
「分かっているならいい。そういや年齢は……今のままで通すのか?」
詐欺だろ、と暗に言われた気がした。
「……あのね。私が三十三の頃よ。女子飲み会があったの。一番若いのが二十五になった子で、上が一つ上、つまり三十四だった一条さん」
「それがどうかしたか?」
「あの子はきっと気をつかってくれたのよね。『全員アラサーですね』って言ったの」
「……」
四捨五入すれば三十歳。だからアラサー。間違いではない、けれど。
「一条さんと私、心は一つだったなぁ。つまり苛っときたのよ。うん、確かにね。同じアラサーよ。でももうすぐ脱アラサーする私たちと彼女では肌の張りとか全然違うしねえ……」
「…………」
「今の私が外見はこんなんですが中身は三十六です。その年齢として扱ってください、って言ったら、同じな気がするの。こんな事で女性の恨みは買いたくないわ」
こちらの十八歳と、日本の十八歳は異なる。でも肌艶がね。うん。
「………………女の年齢問題に口を出した俺が悪かった」
分かればよろしい。
さて。それはそうと。
「ところで、私は理解じゃなくて納得してほしいって言ったはずだけど。まだよね?」
「……」
少しだけ困ったように明人は苦笑した。図星ってことですね。
私の意見通り進む形で会話は進んでいるけれど。
「お互いめんどくさい性格してるよねぇ」
普通はここで一件落着となるのだ。
理解はしても納得しない明人も、意地でも納得してほしい私も、どっちもどっち。
「血は争えないってところか」
何せ従兄妹だから。そして中学の途中から一緒に育てられたので、ある程度考え方は似ている。そうかも、と同意してから、二人で小さく笑った。
それが収まると、明人の雰囲気がかわった。
「それで? 美弥と同じぐらいめんどくさい俺に、どうやって納得させるつもりだ?」
視線を至近距離でしっかりあわせて問われた。
自嘲するような嗤い方は、普段見せない表情で。……思わず縋りついて、どうぞお好きな場所に閉じ込めてくださいと懇願したくなるような危うい魅力がだだもれしていた。駄目なことと分かっていてもこの人の望みを叶えないなんてありえないと思ってしまうような表情は、滅多にみれないだけに耐性がついていない。
「……ばか」
これ以上、この表情を見続けたら危険すぎる。
思わず、右手で明人の頬をつねっていた。一気にシリアスな雰囲気が崩れて、助かった。
「おい、」
「アキが望むことをしたらね。私は案外不自由なく暮らせるわ。でも、そんな私にアキは三年八カ月ぐらいで飽きる」
「……なんだその微妙な数字」
「女の勘。……というのはまあ冗談だけど。根拠は『なんとなく』かしらね」
でも、案外いい線をいっている数字ではないだろうか。『すぐ』でも『ずっと』でもない、キリの悪い微妙な年月。
体の力を抜いて、明人に体を預ける。
「こっちに来たばかりの頃、アキが私に言ったのよ。成長ぐらいしてやろうじゃないかって。だから今更というか今だからというか。頑張ってみようかなって気になれるの」
言葉がちゃんと届きますように。祈るような気持ちで言葉を続ける。
「アキが全ての世界はとても居心地がいいでしょうね。でもね、それじゃ駄目なの。私は、胸をはってアキの隣に立つ人間になりたいわ」
ぎゅっと抱きつくと、抱きしめ返してくれる。
「顔だけで年齢をあてたぐらいだもの。アキは日本での私を覚えているでしょう?」
「もちろんだ」
「じゃあ、当時の私と今の私の差分も、分かる?」
「……分かる」
私以上に細かく把握していることだろう。その記憶力には、正直、引く時がある。同時にそれだけ強く長く想われていた証左のようで嬉しくもある。……ああ、もう本当に、重症だ。お医者さまでも草津の湯でも、で同じみの例の病は一向に落ち着いてくれない。結婚して一緒に暮らして一年近くたつのにね。いつか落ち着くのだろうか。……無理かな。
「それは全てアキの成果よ」
明人は小さく息をのんだ。
「詭弁かしら? でも私はそう思うの。だって、今こうやって暮らしているのはアキがいるからだし、もっとちゃんとした人間になりたいのはアキに相応しくなりたいから。一人だったら流されるまま生きるだけだったはずよ。ほらね。全部アキがもたらしたものよ。それなら、よりいいものにしたいって思わない?」
余談だけど、胸は少し大きくなって、腰回りはスッキリした。それは明人のせいだけど、どうしてそうなったかがアレなので絶対言ってはあげない。言うまでもなく気付いているだろうけれどね。
「それは、いいな」
満更でもない表情。よし、あともうひと押し。
「アキは表情が柔らかくなったわ。気付いてる?」
「そうか?」
明人は小さく首をかしげた。
うん。やっぱりそうだ。記憶にある今より年をとった明人は、今と比べると思いつめた表情をしていた気がする。それほどちゃんと明人を見てはいなかったので『多分』とか『そんな気がする』ではあるけれど。
「まあ、美弥と一緒にいられるからな。あのどうにもならない行き詰まり感はなくなっている所為だろう」
「私の影響なら、嬉しいわ。そして誇らしい」
キツイよりは柔らかいほうがいいに決まっている。それだけ心に余裕があるってことだし。
「それと同じ誇らしさを、アキにも分けてあげる」
わざと上から目線な言い方をしてみる。
「だから貴方は後ろから見ていればいいのよ」
前に立って何もかもから守るのではなく。
「そうか」
丁度いい場所にあったのだろう。耳朶を軽く噛まれた。
「じゃあ見せてもらおうかな」
読んでくださってありがとうございます。その後1はこれで終わりです。