1-4.
明人は優しい。
私のことを甘やかしすぎじゃないかってぐらいに大切にしてくれている。溺愛、という言葉がしっくりくる。
私が嫌がることはしないと宣言してその通りにしてくれている。(例外はベッドの上だけだ。あのエロ魔神だけはどうにかしてほしい。わりと切実に。)
間違いは指摘して正してくれるけれど、じゃあ明人が私の上に立っているかというと違う。あくまでも対等の立場として接している。スペック差があるので難しいところもあるけれど、明人と私が出来る事はあまり重ならないのでうまくいっていると思う。
そんな明人が、初めて、私の希望を頭ごなしに否定した。
駄目と言われたことよりも、聞く耳をもたない態度のほうが嫌だったこともあって、売り言葉に買い言葉じゃないけれどつい私もエキサイトした結果が、喧嘩だ。
私だけでなく明人も今日一日は、それを考えたはずだ。
何が正しいのか。自分は、そして相手はどうしたいのか。それは何故か。
その結論が私は交渉材料を揃えての話し合いで、明人は譲歩だった。
でも、譲歩では私たちの為にならないよね。
「じゃあ、明日の朝ご飯はアキに作ってもらおうかしら」
「……」
料理の腕が壊滅的だった明人だけれど、ここで暮らし始めてから少しだけ上達した。朝食の支度をするようになったのだ。
夜のうちに作っておいたスープを温める。パンを軽く火で炙ってハムとチーズを挟む。こんな感じのメニューだけど、日本での生活を知っているだけに素晴らしいと思えてしまう。スープは私が作ったやつだけどね。でも今まで朝ご飯=外で買うものだった明人が自分で作ろうと思うだけでかなりの前進なのだ。
何故朝食かというと、誰かさんのせいで朝の私が死んでる率が高いからという事情には全力で目をそむけておく。
「それでいいのか」
「うん」
髪を梳く指が首筋にふれるのがくすぐったい。
「今朝のは、ちゃんと話をしましょう。一方的に譲歩されても嬉しくないわ。理解じゃなくて、納得してほしいの」
ぺたりと明人にくっつきながら言う。
明人は気付いているだろうか。あれが私たちが初めてした喧嘩だということに。
日本では、私は正面から明人と向き合わなかった。逃げていたのだから、喧嘩になりようがない。こっちに来てからは基本力をあわせて頑張りましょうだった(というか主に明人が頑張りましょうだったわけですが)。そんな訳で、初喧嘩。仲直り方法はお互い手探りだ。
根本解決はしていないけれど、気まずい空気は払しょくできた。初めての仲直りにしてはいい出だしと言えるだろう。
「そうだな」
「じゃあご飯にしましょうか」
ひとまず合意を得られたところで、気持ちを切り替えた。
「今日は、鶏肉の香草焼きにしたの」
野菜の詰め物をして焼き上げた鶏肉は自信作だ。つけあわせは人参のグラッセ。
あとは半端ものの野菜を時間をかけて煮込んだコンソメスープもどき。単純だけど時間をかけた分味は保証出来る。
とりあえず台所に戻って支度をしようと顔をあげたら、丁度明人と視線があった。
途端、明人の顔が驚愕で歪む。
……え? 何? 何か顔についてた系の反応じゃないよね?
「……っ」
「ちょっと、痛いっ」
無意識だろう。手首を掴む力が強くなって、悲鳴をあげた。
「悪かった!」
「……は?」
いや、そこまで謝ってもらうほどの痛みではない。そりゃあ少し痕はついただろうけれど。
「泣かせるつもりはなかったんだ。そこまでは……」
は? 泣くって?
「えっと……泣いてはないけど……」
「気遣ってくれなくてもいい。眼が赤くなってるから分かる」
……。
ああ、なるほど。
明人の表情が真摯なだけに、誤解されたままにしてはいけない。
「ものすごーく言いづらいのだけどね。玉葱三個」
「………………………………うん?」
「いつもの八百屋さんで買い物したら、玉葱をおまけしてもらったの。それを、明日以降使う時のためにみじん切りにしていたから、その……」
玉葱は切ると涙がでてくるからねぇ。冷やしてから切ればいいのだけど、その手間を惜しんだ。
……シリアスな雰囲気が台無しだ。
玉葱をみじん切りにして炒めたものは、使い道がたくさんあるので重宝するのだ。冷凍庫もどきを明人が作ってくれたので(関西人ではないけれど思わず「なんでやねん」と呟いた私は悪くないと思います。あなたは一体何やってるんですかと問いただす気力もなく、ありがたく使わせてもらっている。)まとめて作って、必要な都度解凍して使おうとしたのだ。
「なんていうか、その……驚かせてごめんなさい?」
その後、気が抜けたらしい明人にぎゅうぎゅうに抱きしめられて苦しかったけど、さすがに文句は言えませんでした。
日本では一人暮らしをしていたので、自炊歴はそれなりにある。でも、自分だけのために作るのと、誰かのために作るのは全然違うと実感するここでの生活だ。
確かに一人暮らしを始める前だって手伝いで台所に立っていた。休みの日は私が食事を作る時もあった。でもあの家の台所の主は私ではなくて瞳さんだったので、少し違う。うまく言えないのだけど、お手伝い気分がなくならなかった、が一番近いかも。
一人暮らしの部屋と、ここでの台所は私の領域だ。明人が台所に立つことはあっても、台所の主は私。鍋や調味料は、私が使いやすいように配置してある。
そんな場所で、明人と自分の食事を作るのは、とても楽しい。
今日は何にしようか。今ある食材はこれだからシチューかなぁとか、肉が続いたから魚も食べたいとか、放っておくと肉ばかり明人は食べるので野菜も食べやすくしないととか、考えて作って。美味しそうに食べてる姿をみると、作った甲斐があると幸せになれるのだ。
だけど、今日の食事はちょっぴり微妙だった。
いえ、味付けじゃないですよ? この世界の食材や調味料にも慣れてきたので、殆ど失敗はない。
問題は気分だ。
喧嘩した。お互い仲直りする気はある。……でも、まだ仲直りしていない。というか、喧嘩の原因になったことが解決していない。
二人ともそれを意識してしまうので、若干、会話のテンポがずれてしまう。
「時々、日本食が懐かしくならない?」
いつもは今日の出来事とか話したりするけれど、今日は無理。なので選べる話題は限られてくる。
「あー、なる。なんかさあ、頭は切干大根とか漬物食べたいって思うんだけど、実際に手が伸びるのは肉とかがっつり系なんだよな」
それはちょっと違うと思いますが。明人が言っているのは日本食ではなく健康食だよね。
「思考はアラフォーだけど、体は若いからね。大学時代の食の好みを考えたら、和食ではないよね」
「大学生か。……そうだよなぁ。あの頃は質より量だった。あ、いや、今は質も量も満たしてもらってるけどな」
慌ててフォローいれる様子がおかしくて、つい笑ってしまった。
「お漬物食べたいの? 糠漬けは無理だけど、胡瓜の塩漬けぐらいならいつでも作れるから言ってね」
胡瓜と塩さえあれば作れる代物だ。適当な大きさに切って……というか断面を広くしたいので手で割って、塩をもみこんで、冷暗所で一晩ねかせれば完成。夕食のおかずを一品増やすのにいいかも。
ただ、どうせなら白いご飯や、冷えた日本酒とあわせて味わいたい。米にあう一品なのだ。
まあ日本酒は冗談としても(一応、今の体は未成年なのでまだお酒を飲んではいけない。)ご飯は欲しいよねぇ。こっちの世界で米を見かけたことないから無理だけど。
調味料の基本として、さしすせそ、がある。砂糖、塩、酢、醤油、味噌。このうち見かけたことがあるのは最初の三つだけだ。といっても酢は果実酢とバルサミコ酢っぽいものだから、日本にいて「酢」という言葉から連想する穀物酢ではないから同じようには使えない。
「ワインと漬物ってあうかな?」
明人の言葉を受けて首を傾げる。
「ピクルスっぽい感じで? でも塩漬けならせめてビール……麦酒じゃないかしら」
ワインと麦酒が主なアルコール飲料らしい。しかし……。
「でも、私たち、まだ未成年だから飲めないからね?」
二人ともが二十歳をこえたら、また料理の幅が広がりそうだ。お酒を飲むようになると食の好みが変わるからね。さっき明人が言った切干大根にしたって子供の頃はあまり好きではなかった。でもお酒をたしなむようになってから大好きになったメニューの一つだ。
「俺より酒飲みの美弥にそれを言われるとはなぁ」
うるさいやい。