5-2.
「おやおや。これはこれは」
ハーゲスト伯爵が「好々爺の見本です」みたいな顔をして笑った。「おじいちゃん」って見かけでもないのにね。すごく似合ってる。
朝ご飯(結局、ミルクは私が飲んだ。明人はパンとスープだ。そういえばスープを作ってあった)を食べた後、明人が向かったのは魔法騎士団……ではなく、明人の職場だった。
この姿ではお仕事出来ないから、元に戻るまでお休みさせてください連絡いれないとなぁ。でも、どうやって?
魔術具研究所、という名前のついたそこでは、お祭り期間中なのに何人か出勤していた。働き者の集団かと思えば、顔だけだして出ていく人が多かった。自由人の集団だったか……。
「朝起きたらこの姿でした。さすがに焦りましたよ。事前に聞いていなかったらどうなったことか」
「そうだろうとも」
うんうん、と伯爵と一緒に私も頷く。
事前に教えておいてくれた団長に感謝よね。
明人と伯爵は応接室みたいなところで向かい合っている。そうしないと、つまり本来仕事をする席だといろんな人が入れ替わり立ち替わり、私を見にやってくるので仕事にならん、となったらしい。やってきた中には以前紹介されたエーリヒもいたけれど、触るのは拒否しちゃった。だって前は私のこと否定的だったのに、猫姿にはデレるとか、ないわー。
拒否したら、ショックを受けた顔してたけど知らないんだから。自業自得よね。
というか、たくさん人がいて怖いから、最初のエーリヒを拒否った後はずっと明人にべったりくっついていた。ズボンにしがみついていたら哀れに思ったのか、抱っこしてくれたよ。さすが明人!
応接室に移動した今は落ち着いたので、明人の腕からはおりている。ずっと抱っこしてもらってたら、明人が疲れちゃうからね。ソファに座る明人の足の上でくるんと丸くなっている。時々、喉をごろごろしてくれる幸せポジションだ。
「ただ、何になるかも分からなかったので、調べが十分ではなく。こちらの世界で、猫の飼育に必要なものは何か、教えていただけないでしょうか」
うーん……? 私、猫だけど猫じゃないよ?
「にゃあ!」
喉をくすぐる指をかぷりと甘咬みする。
痛くないはずだけど、「こら」というように、おでこをつんと押された。むぅ。
「そうだねぇ。では、うちに来るといい。確か嫁いでくる前に猫を飼っていたと言っていたはずだ。何かの参考にはなるだろう」
「急に伺って、ご迷惑になりませんか」
耳のつけねを撫でられて、気持ちよさにうにゃんとなる。猫は、溶ける。断言できる。
「構わんよ」
伯爵は鷹揚に頷いた。
「あら、まあ」
明人の腕の中にいる私を見て、夫人は相好を崩した。
夫人のこういう顔、初めて見るかも。いつもはもっと……うーん、なんていうか、感情を隠していたような。自分にも他人にも厳しい人の壁を崩すのだから、猫は偉大だ。決して『私』が可愛いから、なんて思わない。でも『猫』が可愛いから、仕方ないよね。
突然の訪問うんたらかんたらと明人が挨拶を始めたので、私もにゃーんと鳴いて挨拶をする。誘ったのは伯爵だけど、ここで夫人が気を悪くしたら、明人も伯爵も立場悪くなっちゃうからね。私は気を使える猫なのだ。それに挨拶って人間関係の基本だし!
案の定というと変、もしくは夫人に対して失礼だけど。夫人は気にしなくていいと言って、招き入れてくれた。すぐに近くにいた使用人に指示を出した夫人は、私たちを応接室? に案内した。
「降りるか?」
問われたけれど、首を横にふって明人にしがみつく。
一度お茶会に招かれた事があるので、初めての場所ではない。でも殆ど知らない場所だ。さっきの研究所だって私にとっては知らない場所だけど、職場だから明人のテリトリーだった。でもここは、明人にとっても知らない場所。そんなところで明人から離れたくない。
ここが、私の場所なの。
それにうっかり爪でひっかいたりしたら大変なことになりそうな調度品たちが……私このうえで歩けません。案内された部屋だって、もう。明人が座っているソファなんて爪をたてたら弁償できないと思う。請求するほど心の狭い人たちではないと分かっていても、小心者だから気になってしまうのだ。
「珍しいわね」
夫人がぽつりと呟いた。
「多くの『白きもの』は、解放感から自由に歩き回るそうだけど」
白きもの、というのは、団長がいうところの精霊に選ばれた人のことだろう。どの動物になるかは決まっていないので、そういう呼称があっても納得だ。
「別に強制はしていませんよ」
むしろ私がしがみついている。いや、へばりついている?
「見れば分かります」
そういえば団長も、ストレスから逃げ出したって言ってたなぁ。
でも、私には明人から離れる理由なんてない。むしろ猫になることで、より一緒にいられるようになった。職場見学とかね。そう考えるとこれも悪くない。人目を気にせず、堂々とくっついていられるからね。しかも誰からも文句を言われない。なんて素晴らしいのだろう。
感動のまま、ひしっとしがみついた。
「見た目は動物ですが、中身はかなり本人の気質が残っているようですね」
「そういうものだからな」
明人は夫妻と会話をしながら、喉をごろごろしたり背中を撫でたりしてくれる。幸せいっぱいで、三人の会話は殆ど聞いていない。溶けてる最中の猫に多くを望んではいけないのだ。
昔飼っていたミケは明人になついていたけれど、その理由もよく分かる。こんなテクニックもっていたら、そりゃあ、ねぇ。人たらしなだけでなく、猫までメロメロにさせるとは……明人ってば罪な男。なんか違うけど気にしない。
膝のうえで溶ける私をよそに、三人は会話を続ける。
で、結局、今日は魔法騎士団に行って事情を説明……つまりしばらく私はこんなだからお仕事出来ませんよーって言ってくる。
それから明日は、皇太子サマに顔を見せに王宮に行くことになった。……なんで? まあ明人が一緒だからいいか。ここ以上にうっかり爪をたてたりできない場所だから、今みたいに明人にくっついていればいい。うん。じゃあどこでもいいや。
ところで明人さん。あなたのお仕事はいいの?
魔法騎士団はやはりというか当然というか。バタバタとしていたので、団長とシェイラに顔見せだけして帰った。正確に言うと、(明人が私を連れて)団長に挨拶にいったら、その場にシェイラがいた、だけど。
団長は苦笑しながら落ち着くまで休むといいと言ってくれた。……けど忙しいときに無理しなくていいよって、地味に戦力外扱い……? 這ってでも来い、体調悪くても休むな気質の人が多いブラック体質業界が長かっただけに、判断に迷う。
あと、シェイラは即席猫じゃらしみたいなのを作って遊んでくれた。目の前に動くものちらつかせられるとじっとしていられない猫体質が……! 気付けば力いっぱい、じゃれついていた。疲れたよー。そんな悪魔の遊び道具である即席猫じゃらしは帰り際に明人に手渡されていた。その時にシェイラが勝ち誇った顔をしていたけど……なんで?
帰宅したら伯爵からお届けものがあった。猫ベッド、猫トイレ、ミルク、などなど。元に戻ったら捨てて構わないとのコメントつき。
ありがたいけど……猫ベッドは使わないなあ。だって明人と一緒に寝るから。トイレは……うん、必要デスネ。
◇◆◇◆
にゃんこ生活二日目は、明人の上で目が覚めた。
文字通りだ。
猫らしく、ベッドのド真ん中で寝ようと思ったんだけどね……なんか出来なくて。仕方ないなぁって添い寝で妥協することにしたんだけど……何故起きたら明人の上に? しかも、硬い。
脂肪の柔らかさじゃなくて、筋肉の硬さに、辟易して目が覚めた。
なんなの、これ。
明人ってば……とシャツの裾を咥えてたくしあげたら、うっすらわれた腹筋が視界にはいった。うむ。お見事。個人的趣味だけど、がっつりではなくこれぐらいがいいと思います。まる。
「何やってるんだ……」
まだ眠気の残る声をかけられた。あら、起きたのね。
「……寝起きを襲うなら、ひとがたでやってくれ」
襲う!? そんなつもりないです! と、びっくりして、ぴょんと後ずさった……ら、ベッドの下までぺしゃっと落ちてしまう。……猫なのになぜくるりと回って落ちないの私……。つくづく残念な運動神経だ。
「……何やってるんだ」
さっきと同じセリフなのに、口調は全然違う。そんなに笑いをこらえなくたっていいじゃないの!
笑いながら首根っこを掴まれてベッドの上に戻された。
「にゃあ」
笑わないでよとおはようを兼ねて。どうせ猫の声帯なんだから一緒だよね。
挨拶がてら、明人の足にすりすりと頭を押しつける。
「ああ、おはよう」
無事に伝わっていたようで何よりだ。
明人は私の頭を撫でてからベッドから出た。とて、と(今度はしっかりと着地して!)後に続く。
「支度してくるから、あとでな」
そんな私をすくいあげて居間のソファに置いていく。
えー?
一緒にいちゃいけないの?
……なんか、つまらない。
今の姿かたちならずっと一緒にいられると思ったのになぁ。(あ、もちろん、化粧室関連はのぞいて。そこは絶対ダメ。)
ぐれぐれモードでソファにがりがりと爪をたてる……けどすぐにあきた。だってあとで大変なの私だし。
仕方ないから、家のことをしよう。
明人が向かったのは洗面所だから、あとでタオル(というか手ぬぐい? みたいな)を交換しないとね。替えのタオルが入っている引き出しをがんばってあけて、中から一枚取り出そうとして……失敗した。ばふ、と漫画みたいな音をたてて何枚かのタオルとともに床に落ちる。あれ?
「いいからおとなしくしてろ、このお転婆猫」
……。
離れた場所から一部始終を見ていたらしい明人から声がかかる。……えっと、お転婆って言った? 私が?
初めて言われた。
大人しいとか真面目とか静かすぎてつまらないなら多々あるけど、お転婆はない。
あまりにも言われなれないせいで最初はぽかんとしたけど、じわじわと嬉しくなってきた。そんなテンションで、周りのタオルと戯れる。ちょっと奥さん、お聞きになりました? 私がお転婆ですって! みたいな。
「……キャラ変わりすぎだろう」
だってお転婆だもーん。
「にゃー」
「何で、得意気な顔してるんだ」
つんと鼻をつつかれたので、ぱくりと噛みついてから離れた。
「ミー、」
私のこと?
首を傾げると、他にいないだろうと返された。美弥だから、みー。分かるような、分からないような。まぁいいか。
「ほら、お手」
ひょいと手を差し出された。
「にゃ?」
いきなり、なぁに? 仕方ないので前足をのせる。すると、ものすごーく残念な子を見る眼差しが向けられた。
「お前……猫としての矜持はないのか」
予想外にとっちらかってしまい、更新間隔があいてしまいました。
続きは年明けとなります。