3-4.
つくづく、魔法騎士団に勤めることが出来たのは幸運だったと思う。
それは私にとってのこちらの世界での行動範囲が狭いだけかもしれないけれど、相当のウェイトをここが占めている。つまりは知己が一番多い場所なのだ。少しずつ行動範囲を広げていきたいけれど、性分として一気には無理だから、知り合いの多いここを起点に出来るのはありがたい。
「それで? わたくしに相談というのは何ですの」
迂遠な言い回しとは無関係に、直球で聞いてきたのはシェイラだ。明人は思うところあるようだけど、私にとって彼女は身近な女性だ。本人がどう思っているか知らないけれど、頼りにさせてもらっている。
仕事中に見かけた彼女に頼みこんで、仕事終わりに時間を作ってもらったのだ。プライベートな話だから、相談まで仕事中にするわけにはいかない。仕事中に出来るのは、時間をとってもらえるようお願いするだけ。
職場である魔法騎士団の近くにある喫茶店のような(要するにイートインコーナーのあるお店で)店舗に入って落ち着くと同時に切り出された。
「うちの玄関に、こういう封書がはりつけられていたの。接着剤は使ってないようだけど、どうやって可能にしたか分かる?」
見せたのは五通目の封書だ。封筒と中身をそっと差し出す。
「……」
「相談は二つあって、どうすれば玄関に貼り付けが可能なのか教えてほしいのと、これの中身について」
えっと……『早く侯爵の前から消えて』という文面を見て、何故昨日の明人みたいに、すこんと感情を削ぎ落したような表情をするのでしょうか。美形がやると作りものめいて怖いんだってば!
私の周囲にいる唯一の侯爵は、つまり団長だ。そんなことぐらいシェイラも分かっているからこその反応だろう。
「あの……?」
「そうですわねぇ。……貼り付け、というからには、文字通り扉にこれがはりついていたんですよね?」
「ええ」
「それ自体は簡単ですわ。魔法でもなんでもなく、商店に行けば道具が手に入りますの」
「道具? そんなのがあるの? 雑貨店で見かけた記憶はないわ」
見かけたことがあれば貼り付けが始まった頃に思い出しただろう。
「行ったのは街の店でしょう。だからですわ。わたくしたちにとっては高くはありませんが、平民が日常使いするようなものではありませんの」
なるほど。客層の違いか。言われてみれば納得だけど、盲点だった。
ということは、やはり犯人は少なくとも金銭的には恵まれた立場にいるのだろう。
「ところで、いつ届けられたものですか?」
「これは昨日ね。でのその前に四通ほど中身をかえて届いていたわ」
「……」
にっこり、という形容そのままにシェイラは微笑んだ。ただし感情が伴っていないので、作りもの感は薄れるどころか深まるばかりだ。慌てて四通の内容を告げた。現物は持ってきていないけれど、中身は覚えている。
「何故、今頃?」
相談をするならもっと早くに来いと、笑顔が告げていた。
「はっきりと要望が書かれたのがこれが初めてでしょう。だから相手の求めるところが分からなくて出方をうかがっていた……かな?」
最初は明人関連だと思っていたので誰かに相談するという発想がなかったとか言えない。
「侯爵、という言葉が出たのもこれが初めてよ。私が多少なりとも接点のある相手で侯爵の地位にあるのは団長しかいないの。団長のことなら貴女に相談するべきかと思ったんだけど……駄目だったかしら?」
わざとらしくても強引に話を戻す。
「駄目でもないし、間違ってもいませんわ。……えぇ、これを実行しそうな者に何名か心当たりはあります」
あら。一気に解決? というか、一人じゃなくて複数人なのね……。
「ところで、わたくしが、あるいはわたくしが誰かに指示をしてこれを行わせたとは考えないんですの?」
「全く考えたことなかったわ。だって、貴女はこんなまどろっこしいことするほど暇じゃないし、何より私が団長の前にいるとか近づいているとか、ましてやそれが迷惑だとか思ってもないでしょう? 迷惑だと思っていたら排除するだろうし」
良くも悪くもそこまでの手間暇をかけるほどの存在ではないはずだ。
「わたくしに話をしたということは、貴女の味方だと思っていますの?」
続けての問いには首を横にふる。
力になってくれた場面も多々あったけれど、明人と離れさせようとしたこともあったし、最初から彼女は私の味方ではない。ではどういう立場かというと……。
「団長のためなら、貴女は動いてくれるかと思って」
彼女は多少思い込みがはげしいところもあるけれど、美人で、能力も高い。それなのに不思議なほど彼女の世界は団長を中心にまわっている。
団長の力になりたい、褒められたい、など。
男女の恋愛ではなく、いっそ崇拝なのではないかと思えるぐらいだ。崇拝というには、団長に認められたい気持ちが強いのでいささか俗っぽいか。いや、それが悪いという話では決してない。それが、魔法騎士団に勤め始めて、彼らの日常に接するようになって分かった、というだけだ。
「私が担っている業務は、言ってしまえば誰でも出来るけれど、今まで誰も専任でやってこなかったことでしょう? だからそれなりに各方面の効率はあがっていると思うの」
任された業務内容は、一つ一つは難しくない。各部署に書類を届けたり、あるいは期限前だからと催促したり。専門書を読みこむだけの単語知識がとぼしいため、本当に簡単なことに限定されるとはいえ、最近は簡単な調べごとも依頼されるようになった。
最初に隊長さんが人手不足で書類はたまる一方、みたいな事を嘆いていたけれど、書類を作成したりという直接的なサポートはしなくても、優先順位が高いものを伝えたりと間接的にフォローしている。
特別な知識や技術は求められない。でもいてくれると便利。そういう立場だ。魔法という、あの組織では必須とされる技術を持っていないからこそ許される立場とも言える。使えたら、あるいは知識が多ければ、もっと別の作業をふられていただろう。
もちろん、日本にいたころの社会人経験も多いに役だっている。世界はかわれど組織は組織だから、応用できる部分は大きいのだ。
つまり、今の魔法騎士団から私が去ると『少し』不便になる。決して業務がまわらなくなることもないし、誰か一人に作業が押しつけられたりもしない。でもまったくの無影響ではない。
たとえば子供が出来たからとか、何か事情があれば『今までお疲れ様』だけで終わるだろう。強く引きとめるほどではないけれど、こんな手紙ごときでやめるのは歓迎されないはず。
ちなみに毎日必要な業務でもない。何せ今まで書類を片付けられなかった人たちだからという理由はいかがなものか。
「こんな手紙で今やめるのは、団にとって……つまり団長にとって少し不利益よね。だから力になってくれないかしら。といっても貴女が忙しいのは分かっているから動いてほしいって訳じゃないのよ。気付いたことがあれば話してほしい程度なの。どうしても私たちはこの世界の常識や考え方に疎いから……」
少しずつ馴染んでいる最中だ。
元が庶民の私たちなので、貴族階級のある社会にはすぐには適応できない。皮膚感覚というか……核となる判断基準がどうしても違っているので、時間をかけて慣らしていくしかない。譲れない考え方もあるけれど、変えていかなくてはいけないところもある。だって私たちはここで生きていくと決めたのだから。
「貴女の判断は正しいですわ」
ここにきて初めてシェイラは感情をこめて笑った。ただその笑みは……無感情ゆえのお人形さん的な怖さとは別の怖さがある。しいてあげれば肉食獣が獲物を見つけた時の笑み? あれ? 何か彼女の地雷を踏んだ?
「先ほど申し上げましたように、心当たりがあります。この件、わたくしに預けていただいても?」
「もちろん」
否といえる雰囲気ではなかった。ましてや首謀者に心当たりがあるなら尚更。
よろしくお願いいたします、以外の発言など出るはずもなかった。
「という訳で、シェイラの力を借りることになったから、報告しておくわね」
「……ああ」
夕食の席で簡単に伝えると、仏頂面で明人は頷いた。
「言いたいことがあるなら聞くだけは聞くけど?」
「いや。個人的には、何も出来ないことで胃がキリキリするほどストレスたまっているし、あの女に助けてもらうのもあまり愉快ではないが……最善なんだろうなということぐらい分かっている」
「……そ、そう」
なんだろう。明人とシェイラの微妙な関係。さすがに嫉妬はないけれど、気になってしまう。
「それはそうと、今回も肩すかしだったわねぇ」
「何が」
続けづらい反応だったので、少し話を変えてみる。
「今度こそ、アキに惚れた女性からと思ったのになぁ」
こちらの世界にきてから今までの間で、私に明人と別れることを示唆したなかに恋愛感情は含まれていない。決して歓迎したいわけじゃないけれど、一切ないのはなんだか腑に落ちない。あと、ちゃんと頑張るぞと待ち構えているだけに「あれ、また違った」的な肩すかしに感じてしまうのだ。
「そりゃあ無いだろうな」
「ええー?」
だって、明人はこんなに素敵なのに?
本人はいたって淡々と告げる。
「条件的に俺が『お買い得物件』でないのはこの前美弥も言ってた通りだし」
夜会の時に、確かに私はそう言った。
「実際、日本でもここでも、俺の稼ぎも資産も多くないしな」
日本では普通のサラリーマン家庭でうまれそだったサラリーマンだったしね。私より役職手当他が多かったとはいえ同じ会社で、当然同じ給与体系なので高級とりと言えるほどでないのは知っている。
ここでは……上をみたらキリがないというか。決して低くはないけれど、高いとも言えない。贅沢しすぎなければ快適に過ごせるので、私には充分だけれど上昇思考の強いお嬢様方には物足りないだろう。
「そもそも日本人な顔立ちがここで受け入れやすい訳でもないだろう」
明人は日本人にしてはハッキリした顔立ちだけれど、両親が日本人なのでこちらの人々と比べると平坦な部類になるのも仕方ない……かもしれない。私に関しては言うまでもない。
でも、明人は雰囲気が華やかなのだ。雰囲気イケメンとはまた違う。自分に自信があるという裏付けの元の堂々とした振る舞いは、人目を惹く。
「美弥の好みにさえ合致していれば、他人の評価なんて俺はどうでもいいし興味もない」
ストレートな言葉に顔が赤くなる。
気持ちを余さず伝えようとするでもなく、改めてたらしこもうとするのでもなく。ただ当然の事実のようにさらっと言われると、どう反応していいか分からない。
「え、あ、うん」
曖昧に頷くと苦笑された。
「それに、周りに女はいないしな」
「さすがにそれはないでしょう。職場には女性の一人や二人ぐらいいるはずよ」
「男だけ。貴族身分の女は働かないらしいじゃないか」
「そっか。うちが多いだけなのよね」
対外的には『昔より魔法を使える人間が減っている。必要な人員を確保するためには男性だけでは難しい』という名目でシェイラを含めた女性を団員にすることを周囲に認めさせているらしい。それをしたのは今の団長だとか。シェイラが何かのおりに「わたくしたちの団長は素晴らしいのです」と自慢げに話してくれた。進歩的な考え方をもっているだけでなく行動にうつせるけれど、革新的すぎない配慮が素晴らしいそうだ。
しかし男性だけだとお茶とか誰がいれてるんだろうか。侯爵家の子息であるエーリヒが自分でいれる姿とか想像出来ない。
「立ちあげたばかりの研究所だから、これから増やしていきたいところだが……しばらくは今のメンバーだ。だから、美弥いわくの肩すかし状態は続くんじゃないか。不満か?」
「ううん。ないならないでいいの。その方が気が楽だしね」
好き好んで大変な目にあいたくもない。
「あまり待ち構えずに、気軽に過ごしていいのね」
深く考えずの言葉だったけれど、明人は黙りこんだ。
「……俺はナルシストじゃないつもりだし、他人が俺をどう思うかはなんともいえないんだが。待ち構えるとか、そんなのせずに堂々としていればいいんじゃないか? 俺が欲しいのはお前だけなんだから」
だから気にするな、離れるな。無意識だろうけど、明人の言葉にはそんな懇願する響きがあった。だから私は安心させるように笑う。
「分かっているわよ。誰に何を言われようと、私がいい、っていうアキの気持ちが一番大事だもの」
明人の気持ちを聞いたばかりの頃は、その気持ち、言葉に嘘偽りはないと分かるのとは別で、少なからず「物好き」とか「奇特」と感じることもあった。でも最近は薄れてきている。なんといっても異世界で、二人で生きているのだ。一緒に暮らすには、姿かたちや能力が優れているだけではうまくいかない。相手を想う気持ちや歩み寄り諸々含めて、誰とでも家族になれるわけではないと実感する。今この世界において、明人にとってくつろげる家庭を一緒に築いていけるのは私が一番だと胸をはって言える。いささか反則気味な理由だけど気にするものか。
「ただね、自分にむけられる悪意とか敵意を受け止めるには、それなりに気構えが必要なのよ」
他人は他人、自分は自分と割り切って堂々としていられる明人と、どうしても他人の目を気にしてしまう私の差だろう。この感覚、頭では分かっても実感は持てないだろうなあ。