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3-3.



 夫人とは、ワインを飲みながら会話をかわしただけ。とはいえ緊張していたこともあって、すごく疲れた。

 その疲れが癒されたのは帰宅してからだ。ちなみに伯爵の家の馬車で送ってもらいました。感謝。

「おつかれ」

「ん、おつかれさま」

 着替える前に、ぎゅっと抱きしめられた。

「ねえ、離れてる間、何があったの? 何か……変よ」

 どこが、とは上手く言えないけれど。

 安心させるように背中をとんとんと軽くたたいた。

「何もない。……ない、けど」

 けれど?

「手出しできずに遠くで見ているだけは、昔を思い出して落ち着かない」

 思わず苦笑した。

 日本での事がトラウマになっているのはお互い様なのだと、こういう折々に知らされる。当事者だった私だけでなく、当事者になれなかった明人だって何も思わない訳ではない。主に言葉や態度だけで、肉体的危害を加えられてはいないけれど、一つ一つは地味で小さくても、長年積み重なればそれなりになる。あれだ。塵も積もれば山となる。

 私のトラウマはコンプレックスに形をかえている。対して明人は、繰り返すのではないかという懸念を払しょくしきれずに。頭では分かっているのだろう。ただ、長年積み重なった堆積はそう簡単にクリアにならない。十年どころではない年数だから当然だ。異世界なんて土地で結婚したって、無かったことにはならない。私たちの生き方に大きく影響を与えてきた事だから、物語のように「めでたし、めでたし」で溶けてなくなるほど単純ではない。……単に柔軟性がないだけかもしれない。

「何言ってるのよ。前とは全然違うでしょう」

 私は逃げてもいないし、何より一人じゃない。

 だから同じ会話の繰り返しになっても、少しずつ、解消していくしかないのだ。氷に熱湯をかけるような荒療治は出来ないから、手の平で温めて溶かしていく。冷えた手は、もう一人が温める。そうやって時間をかけて穏やかに溶かしている最中だ。

「知ってる」

 頷くわりに、明人は抱擁をとこうとしない。

 そんなに私を送りだすのが嫌なら……あるいは怖いのなら、止めればいいじゃないか。そう思う人もいるかもしれない。実際、明人には監禁願望(?)があって、叶うことなら実行したいと言われたことは一度や二度ではない。それをしないのが、出来ないのが明人だ。良くも悪くも、出来ていたら今頃こんなところにいない。

「大丈夫よ。本人が明人に執着してるわけじゃないから、そうたいしたやりとりでもなかったの。逆に少しは気に入ってもらえたんじゃないかしら」

「……」

「若者らしくなくて、落ちついているのがいいんですって」

 わざと冗談めかして言うと、ようやく明人も笑った気配がした。

「それは昔からだな」

「うん」

 もう大丈夫そうなので、少し強めに背中をたたいて「さあ、着替えてのんびりしましょう」と声をかけた。

 コルセットを外すのに苦戦した明人が妙に悔しがって、スムーズな着脱できるように練習させろと冗談半分で言いだしたのが厄介だった。普段からつけるような格好しませんってば。




 そんなこんなで当日はわりと平穏に終わったのだけれど、そのまま何事もなく……とはいかなかった。

 発言通り、ハーゲスト伯爵夫人がお茶会に招待してくれたのは問題ない。無事に乗り切ったし、夫人からは好意的な発言ももらっている。

 職場のほうは大きな失敗もなくこなせている。

 明人との生活も前と変わらず良好だ。

 問題なのは……。

 

「今日も、ある」

 玄関前で、ため息を一つ。

 この世界では郵便配達の仕組みは整っていない。そもそも識字率自体、平民の間では低いので文字を届ける必要性が認識されていないのだ。貴族はというと、人を使って手紙を届けたり、遠距離だと魔法を使って届けたりと、個別対応のやり方となる。

 だから、郵便受けはない。

 そのかわりこれみよがしに扉に封書がはりつけられている。糊やテープもないのにどうやってと思うけれど、なんでも魔法で解決できる世界(に、思える。実際はたくさんの制約があるようだ。)だから何か方法があるのだろう。

 真っ白の無地の封筒のなかに入っているのは一枚のカード。そうと分かるのは、これが五通目だからだ。

 一度封筒もカードも透かして確認したけれど、黒のインクで書かれた文字以外は何もなかった。他の文字が書かれた圧もなく、これはないだろうと分かっていて確認した炙り出しも、なかった。

 書かれている内容は毎回違う。



 ・貴女には勿体ない

 ・身の程をわきまえなさい

 ・みんな迷惑している

 ・まだ分からないの



 文面だけでは何に対する文句? 警告? なのか分からない。

 差出人が直接的な危害を加えてくるわけでもない。

 ただ、気分のいいものではない。まして、これが張り付けられるタイミングがはかったように『私が仕事に出て明人が迎えに来ない日』なのだ。つまり私だけが気付ける時にだけある。それは私の……いや、私たちのスケジュールが把握されているようで不気味だ。

「今日は何が書いてあるのかしらね」

 玄関から封書をはがして呟きながら中をみる。

「……」

 そろそろ明人に伝えておくべきか。




「ああ、そうだ。相談? 確認? 報告? それを足して三で割ったような話があるんだけどいい?」

「もちろん」

 食後に居間のソファーに移動してから切り出すと明人は「いきなりなんだ」と首を傾げながらも頷いた。

「最近、一人で帰ってくるとこういうのが届いているんだけど、アキの方も何かある?」

 棚の引き出しからあの封書を取り出して、明人の前に並べる。

「これは?」

「うーん……私宛のお手紙……かなぁ?」

 首を傾げながら隣に座る。

「上から届いた順になってるの。最初に届いたのは、夜会の二日後」


 ・貴女には勿体ない


「……」

 明人の顔から表情がすとんと抜け落ちた。……ええと怖いんですが?

「これだとね。いつものだと思ったの」

 なんといっても『貴女には勿体ない』だ。

 貴女の時点で私宛と確定したうえに勿体ないときたら、明人関連と考えるだけの経験(?)を積んできている。余談だけど、こちらの言葉では英語の「you」にあたる単語が男女で違う。日本語でかけば『貴女』と『貴男』。そうかと思えば『貴方』もあるのでややこしい。

「真っ先に連想したのは、アキ関連ね。でもこの時点だと、手紙が一通だけでしょう。どうしようもないから、様子を見ることにしたの。二通目は三日後に届いたわ」

「……ふぅん?」

 言葉少なに明人は二通目を開く。


 ・身の程をわきまえなさい


「……なんで端が焦げてるんだ?」

「炙り出しで何か書かれてないかしらって試したの」

「……書いてあったのか?」

「ううん。何も。透かしても、他の筆圧もついていなくて、本当にこの一文だけ」

 炙り出し、の単語で明人が苦笑した。そりゃないだろうって思うけど、ないことの確認ぐらいとっておきたかったのだ。

「次は翌日」


 ・みんな迷惑している


「この時点で、あれ? ってなって」

「何かおかしいか? いや、こんなもの寄越す時点でおかしいのは確かだが」

 あー、明人は気付かないか。まあ仕方ないよね。

 基本的に明人が受け取ってきた悪意というのは、例えばモテない男性からの僻みだったり、勉強スポーツ仕事問わず出来ない人間からの八つ当たりだったりと、明人が上の立場にいるからこその感情だった。対して私はといえば、その人より下に見えるのに、上の明人が近くに居させようとしているのが気にくわないという、下と思われていたからの悪意だった。

 上とか下とか馬鹿らしいけれど、私自身が明人は上等な人間だと思っているので批判は出来ない。

 要するに、質も量も、受けてきた悪感情の内容が違うのだという話なだけで。

「アキ関連だと、迷惑だというなら『工藤明人は迷惑している』になるはずなのよ」

 私の豊富な経験上。

「工藤君は優しいから自分から言い出さないだけ、内心では迷惑している。工藤君の優しさにつけこんだりして、悪いと思わないの。こんな感じであくまでも被害者はアキだと……」

 隣から冷気にも似た怒気が噴出して、言葉の途中で思わず体を引いた。

「それをお前に言ったのは、誰だ」

 普段より低い声が明人の怒りを如実に表している。

「だ、誰だったかしら……もう覚えてないし、良くも悪くも一生会わない人だから、誰でもいいじゃない」

「……今はそういうことにしておこうか」

 今はってことは、後では違うの!?

 じりじりと距離をとろうとしたら、簡単に抱き寄せられた。捕獲と表現したいぐらい、腰をしっかりと抱えられている。

「ええと、とにかく、ここでようやくアキ関連ではないのかもって気付いたの」

 とにかく話を進めてしまおう。

 私にむけられる嫉妬は全部明人絡みだと思い込んでいた。

「あと、精神的には子供だなって。ほら、よくいう『みんな』って、本当に全員ではないでしょ。あれと同じ」

 小学生の頃、『みんなやってるから私もやりたい』と両親にねだった事がある人は少なくないだろう。もちろん私だってある。何故それが珠算だったのかは我ながら謎だ。いや、当時仲良しだった女の子が習い始めたから一緒が良かっただけなんだけど。

「そして四つ目は、二日後」


 ・まだ分からないの


 どこか子供の癇癪にも似た感情がある。

「……お前が言いたいことは分かるが……」

 苦虫をかみつぶしたような、という表現がとても似合う顔で呟かれましてもですねえ。その感情の向け先が私でなくても怖いのでやめていただきたい。

「ちなみに読んだ後に『分かる訳ないでしょう』と言った私は悪くないと思うの」

「……ノーコメント」

 だって本当に分からないんだから。

「それで、今日届いたのがこれよ」



 ・早く侯爵の前から消えて



 はい、明人関連、キレイサッパリ消えましたー。

「こいつ馬鹿だろ」

「それこそノーコメントだわ」

 五つ目のカードをテーブルの上に放り投げて、明人は大きくため息をついた。

「相談だけじゃなかった辺り、これをどうするかの道筋はつけてあるんだろ」

「まあね」

「そこも聞きたいけど、その前に」

 何だろう?

 隣の明人を見上げて……後悔した。見なきゃ良かった。目が笑っていない満面の笑みが怖い。

「とりあえず、床に正座」

「……」

 なんで? とか、聞ける雰囲気じゃなかった。

 言われた通り、床(我が家の二階は土足厳禁だ)に正座しても、明人は一分ぐらい無言だった。ちなみに明人は真正面であぐらをかいている。スペースを作るためにテーブルを移動する手間とか時間が間抜けだなとか思っても口に出せる雰囲気ではない。

「ええと……明人サン?」

 沈黙に耐えかねて、おそるおそる声を出す。

「今日、話をしたのは俺絡みじゃないことが確定したからか?」

「……ハイ」

「俺絡みの可能性があるうちは何故黙っていた」

「……」

 何故って言われても、ねぇ。

 長年の習慣とか、一人でどうにかしてみたかったとか、まだ相談出来るだけの材料がそろっていなかったとか、あげようと思えばいくらでもある。

 でも……。

「美弥」

 無理やり感情をねじふせた、平坦な声で名前を呼ばれた。そんな声を出させたい訳ではなかったのに。

「だって、アキのトラウマになってるでしょう。それを刺激したくなかったの」

 沈黙で逃げ切れる相手ではない。素直に一番の理由を告げた。

「俺のためとでも?」

「違うわ。私自身のためよ」

 誰が好き好んで大切な人が苦しむ姿を見たいものか。だから明人のためではなく自分のための行動だ。

 ついでに自力でどうにか出来たら、明人のトラウマ解消にも一役かうのでは、と目論んだのは内緒だ。ほらね、大丈夫でしょう、と知らせたかった。言葉を重ねるのも大事だけど行動でも見せないと説得力がない。

 そう開き直って真正面から明人を見た。その明人はといえば、苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

「あとで知らされる方が怖い」

 表情を見せたくないとでもいうように、左手で顔を覆う。

「トラウマか。ああ、そうだな。トラウマだろうな。頭の理解と感情が乖離してるのも分かってる」

 いつか以前のように逃げていくのではないかと。

 昔と今は違う。この状況で、前みたいなことはありえないと分かっていても……。

「だから自分でどうにかして、あなたのトラウマ解消の力にもなりたかったのよ。口先だけで大丈夫って言っても信憑性はないでしょう?」

 手を前について身を乗り出す。

「私のワガママ、エゴかもしれない。でもそうしたいの」

 だから、お願い。そう続ける前に、ついていた手を引っ張られてバランスを崩す。こける前に明人に抱きとめられた。というか、そのために手を引っ張られた。

「美弥の気持ちは分かったし、俺を想っての行動なのも嬉しく思う」

 よかった、分かってくれた。ほっとして体の力が抜ける。

「でも、それとこれとは話が別だ」

 ええ? っていうかいつの間にか声の調子が戻っている。表情は見えないけどこちらも同様だろう。

「なんでよ」

「喩え話をしようか。今の俺の立場が気にいらないでもなんでもいい。とにかく俺を気にくわない奴がいるとする。そいつが俺をはめようと画策していた。割と頭のまわるやつだし、俺はこっちの習慣もさほど身についていないから危なかったが、まあなんとか対処することが出来た。今まで黙っていたのは心配かけたくなかっただけだがもう大丈夫だ。……そんな話を聞かされたらどう思う?」

「どうって……」

 いいわけないでしょう。と言いかけて、私がやったことと同じだと気付く。気付いたからには何も言えない。

「……せめて何が起きているのか知らせてほしかったって思うでしょうね。出来ることがあるかもしれないし、ないかもしれない。でも話を聞くぐらいは出来るし……」

「そうだな。そっくり返すよ」

 ブーメランか。

「分かったわよ……」

「気持ちはありがたいよ」

 ぽん、と頭に手をのせて慰められた。何故こうなった……。気付いたら逆転してるんですけど?

「さて。このまま放置って訳にもいかないだろ。これからどうするつもりなのか、話ぐらいは聞かせてくれるんだろう?」



もう少し続きます。

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