裏切り者と巻き込まれた者
プロローグ
あーあ、ホント コイツはどうしょうもない屑だな
棚いっぱいの分厚い本に怪しげな壺やらが散乱している薄暗い地下室。俺が持っているサバイバルナイフから滴り落ちる血が、血だらけの床にまた一滴 滲んだ。
この鉄臭い部屋で行われたのはある男のとてつもなく汚ならしい実験。
その実験内容は、永遠の命、不老不死を求めたものだった。男は死に物狂いで研究した。召喚術で様々な生き物を召喚した。
研究材料として。
契約を結んだ魔物は召喚した者(男)の送還がなければ還れない。その為、男は好き勝手に生き物の命をもて余した。血を抜かれたり、怪しげな薬を打ち込まれたり、切り刻まれたり、新たな召喚の生け贄にされたり、喰われたり、…………実に目も当てられない惨劇がこの地下室で繰り広げられていた。
初め俺はこの光景に思わず嘔吐物を吐き散らしていた。腹の中が空っぽになるまで、胃液までもを吐き出していた。耳に聞こえるは 死にたくないと苦しむ同類達の苦痛の叫びでロクに寝りゃしないし、今でもその光景を、叫び声も垢のように張り付いて剥がれやしない。それぐらいこの男の実験は酷いものだった。
そんな、山になるほどの屍を踏み越えていった男の末路は 自らが弄んでいた実験体………俺に 召喚中に背後から喉を掻き切られるという 随分と呆気ないものだった。
…………いや、呆気なくていい。
これでこの惨劇が幕を下ろせるのならば、これ以上 この男が実験が出来なくなるのであれば、俺はそれで構わない。
例え、もう二度と故郷に還れなくなったとしても。
ぴろりん、とお気楽な音が頭のなかに鳴り響き、無情な声が聞こえた。
――あなたは契約者を殺めました。これにより 称号〈召喚士の魔物Lv30〉が変化し〈裏切り者Lv1〉に変更されました――
男が完全に息の根を止めた事をお気楽な声で確認しながら 男から流れる赤い血が床に画かれた魔方陣にまで広がるのを眺めていた俺は 思いを吹っ切る様に首を振り、この場を去ろうとした。
殺した時に付着してしまった穢わらしい 男の血を流して 忌々しいこの家を燃やしてしまおう。そう思った 瞬間、背後に突如 突風と目端には眩い光が放たれた。
背後を振り向けば床に画かれた魔方陣が発動し チカチカと白い光を放っていた。確かに俺は、あの男を 殺した筈なのに………誤作動か?そう考えていたが ピンと頭のなかにある言葉が浮かんだ。
――――――召喚事故。
俺は舌打ちをした。今肉の塊と化した男は最低だが 実力は中々のものだった。召喚事故だなんて起こしたことが一度たりもなかった。
手に取るように 実験体を召喚していた。最低だが天才だった。
チカチカと光っていた魔方陣がいっそう強い光を放ち始めた。
書物や書類が突風により舞い上がる中、俺は茫然とした。それと同時に膝をついて衝撃に堪えた。
召喚されようとしている者の魔力が高過ぎる。これだけ強大な魔力感じた事などなかった。
故郷に住んでいたかの魔力が高いと有名なドラゴンでさえも 精々息苦しい程度の魔力の圧力なのに、俺は磁石のような重力により膝をついたまま立ち上がろうとするも 立ち上がることが出来ない。
これは………っ、あの男 なんてもんを置き土産にしやがったんだよッ。
身構えながら 突風と光が収まるのを待つと白いもやが噴出し 中に黒い小さな物体が現れる。
恐怖心と好奇心、焦りでぐちゃぐちゃな胸に抱きながらも既に血で染まったサバイバルナイフを片手に俺は恐る恐る 物体へと近付いた。
召喚された正体を確認すると、俺は呆気にとられて息をするのを止めた。
そこには 床に座り込んだ黒い服を身に纏った黒髪の幼さが残る女が くりくりとした瞳と口を大きく開けて俺を見ていた。
それは、白昼夢みたいな出来事だった。
季節は桜が舞い散る―――……と、いうより 前日の雨により 美しい桜の花弁が散った四月、高原あずきはその日 非常に憂鬱でしかなかった。
真新しくなくなった 重いだけの黒いセーラー服に身を包むあずきは小学五年生。もはや、入学式の新鮮味の欠片もない。始業式も運動会も、毎年恒例のめんどくさい年間行事と化している。
目の前にはピカピカの一年生と呼ぶに相応しい子供達が先生に名前を呼ばれ、元気よく返事をしている。あずきは 短すぎる春休みを終え、体育館で入学式をしている最中だった。
そりゃ、あずきも一年生の頃は入学式を楽しみにしていた。CMやアニメの学校生活を謳歌している人は楽しそうで 学校に興味はあったし、赤いランドセルは魅力的だった。入学式前日は遠足前の子供みたくはしゃいで中々寝付けなかった。友達百人……は流石に無理だろうが、少なくともクラスメイトとは仲良くやっていけると希望を抱いていた。学校生活 =《イコール》めっちゃ楽しいものと、そう認識していた。
だが、いざ学校生活に慣れてみればどうだろうか。
勉強はだんだん難しくなり、行事に慣れてくると楽しみから面倒に感じ、クラス替えで一年の頃意気投合した友達は別のクラスメイトと仲良くなった。
早く帰れると楽しみにしていた火曜日と木曜日の四時間授業は 六時間授業に変貌した。下校時間は三時のおやつの時間を越した四時頃という おやつを食べていいのか微妙な時間帯である。それが五日連続、土曜日も登校させようという考えも出てきているらしい。正直 勘弁してほしい。
もはや 学校の楽しみと言ったら もう給食ぐらいしかない。きな粉あげパン万歳。サラダでげ○きのリッチャンサラダうめぇ。
そんな夢と希望を、これからこの学校で知ることとなるであろう きらきらと夢を持つ新入生に同情しながら、あずきは溜め息に見せかけた欠伸をした。先生に睨まれた気がした。
新入生が退場していく様を見て、あずきはまた学校生活が始まったと自覚し、重いため息を吐いた。
キーン コーン カーン コーン――………
入学式の片付けを終え、学校で定番なチャイムが校内に鳴り響く。自分の役割を終えた者から教室で待機と言われたあずきは階段長いと息を荒げながら四階の自分の教室へ入る。ガララッ どこか詰まっているのか開けにくいドアを引くと 既に先客がいた。
「お、終わったのか妖怪」
「お前らはサボりか」
「あんなかったるい」
あずきの事を妖怪呼びしたのはなぜか、なぜか幼稚園の頃からずっと同じクラスにいる男子 鬼無正良と赤木祐吾が机に座り駄弁っていた。
因みに妖怪呼びされているのかと言うと 小学二年生の頃 図書室の先生による読み聞かせの本に妖怪、小豆洗い が出てからだ。それから正良が妖怪 小豆洗いと呼ぶせいで、ごく一部の男子からアダ名が小豆洗いとして定着してしまった(図書室の先生覚えとけよとこっそり呪ったのは秘密だ)。
あずきという名前の由来は お祖母ちゃんからで、戦争中 お祖母ちゃんは最も小豆が食べたくても食べられなかったから「この子には、好きな物が好きなだけ食べられます様に」という想いで名付けられたのだが、あずきは特別 小豆が好きな訳ではない。
この名前が嫌いな訳でもないが、自分が当事食べたかった食べ物の名前を孫娘に名付けるのはどうよ と、あずきは考えたりはした。
これといった会話のネタもなく あずきはこの場凌ぎに「わたしを妖怪って呼ぶの止めろ」と言おうとしたら ダダダダダと廊下を勢いよく走る音が聞こえた。その足音をたてる人物は、此方に向かってきていて ガラッと勢いのまま教室の扉を引いて叫んだ。
「ちょっと祐吾に正良! あんた達なんでサボるのよ!! あんた達の仕事こっちに回ってきたんだからね!!」
「うるせーよ小鳥! 教室に入って早々ピーチク喋るな! あと廊下を走るな!」
現れたのはあずきのクラスメイトである関口小鳥。運動が得意で男勝りな所があるため中々女子扱いされないが そこそこ可愛い部類に入るとあずきは思っている少女。
小鳥の後ろからやってきたのは小鳥に追い付こうとして走ったのであろう息切れを起こしている、赤ぶち眼鏡とおさげがトレードマークの小鳥の友達、本田久美子がいた。
小鳥とは正反対な文学少女の久美子は「こ、ことりちゃ………ろうかは、はしっちゃ……だめだよ………」と言っているがか細く、息切れを起こしている声でそう言われても全然小鳥の耳に届かない。
「小鳥ちゃん、少し落ち着きましょう。久美子ちゃんが何かを申しておりますわよ」
「え? …………って、あ! ごめん久美子!!」
小鳥を注意したのはこのクラスのプリンセス、神園飛鳥。大和撫子と呼ぶに等しいお淑やかな少女で、教室に入ってきた際も静かに入室していた。
目の前で楽し気に会話している五人の前では あずきは完全に空気でしかない。
もういいやと思いながら 大人しく席に座ろうと窓際の自分の席を見ようとしたあずきはふと視界がほんのり暗くなった気がした。四月の入学式といえば晴天のイメージだが春は雨が多いシーズン。
雨は降ってないが今日はずっと冴えない曇り空だった。
四月とはいえまだまだ日が沈むのは早い。雨が降ろうとしているのかと思い、窓ガラスを見て、あずきはその考えを一瞬で捨てた。
雲に覆われた空は、スポットライトのような妖艶な紫色をしていたのだ。ゴロゴロと音をたてている紫色の雷雲。あずきが先生の話を無視し外を眺めていた事は何度もあるが、そのなかで一度もこんな雲を見たことがない。
空がスポットライトのような紫色の雷雲に覆われているということに気付くのはあずきだけではなかった。
その場にいた全員が その空を茫然と、あるいは 不気味そうに眺めていた。
「なにこれ……」
「やだ……こわい」
「天変地異の前触れか何かか?」
ざわざわ……
ざわざわ……
この状況についてこられず不気味がる小鳥達女子や正良と祐吾のしゃぎ声で教室内がざわめく。
あずきはただ何か起こっているという認識だけできた。
「ま、体したことじゃないだろ」
「祐吾の言う通りだぜ。お前ら落ち着けよ」
不気味がる女子を勇気付ける様に祐吾が声を掛けるが、誰も耳を貸さない。寧ろ 右から左へ受け流していたようにも感じる。それぐらいショックを受けていたのだ。
「だ~か~ら~、落ち着けって、大体こんな空だからって必ずしも何か起こるって決まった訳じゃ―――」
「あーはいはい、はーい ちゅうも~く」
正良の言葉を裏切るように、その場に聞き覚えのない女子の声が耳に聞こえてきた。
「聞こえてますかこの星っつーか、この場にいる諸君っつーか、ケツの青い餓鬼共よー」
声がした方向――教卓に顔を勢いよく向けると そこには、やる気無さげなすっごい上から目線な声に呆気にとられる。教卓に腰を下ろし足を組み、ふてぶてしく喋っている少女。年頃は私達より二・三年ぐらい歳の、絵から飛び出してきたような可愛らしい少女がそこにいた。
しかし、明らかにあずき達とは違っていた。
髪はお日様を想わせる金髪で瞳はお日様を浴びた艶々とした葉っぱを連想させる緑。耳は漫画で出てくる一般的なエルフや悪魔のように尖っていて、服装は外国の神様が着ていそうな純白の服。頭には草花で作られた冠があり、年格好からして 神様というより、どちらかといえば天使のコスプレに近いイメージかもしれない。
「はーい、ちゅうも~く。耳ん中かっぽじってよく聞けよ~餓鬼共。お前らはアタシの主様ことメシアティル様に選ばれし勇者達でーす。ほら 拍手~ 」
ペチペチペチ、一人の拍手が体育館に乏しく響き渡るが 誰も拍手に便乗しようとしなかった。現状を把握するのに精一杯だったのだ。
自らを神と称した少女は「ケッ、ノリが悪い連中だぜ」と吐き捨てた。
「な、ちょっと! 誰よあんた! 」
「うわ、なにコイツ超睨んでくる。態度が気に入らないけど…………まぁ、そんぐらいは答えてあげましょ。アタシの名前はアルカティア。今からお前ら餓鬼共全員をアタシと主様がいる異世界に連れていきまーす、拒否権はありませーん」
声をあげた小鳥を呑気に「勇気あんな あいつ」と感心していたが アルカティアと名乗った少女の言葉にあずきは耳を疑った。
異世界に連れてく?拒否権はない?
いえいえ家に帰してください、今日はずっと観たくて録画予約しておいた昼ドラを観たいんだ。ドロドロだぞ、ドロドロでデロデロなんだぞ。延長なんか許さんぞ。
「これ以上質問されても面倒だから、取り敢えずお前ら全員うちの世界にこい」
「はぁ!? なにいって」
「はーい、ごちゃごちゃうるさ~い」
混乱するあずきをよそに祐吾が声を張り上げアルカティアに物申すが、アルカティアは聞く気がないのか 人差し指を生徒達がいる方向に突き付けスライドさせた。
その瞬間、床から髪が逆さになるくらい強い突風と淡い黄緑の光が放たれた。床を見ると黄緑の光が文字なようなものと共に浮かび上がる。教卓や椅子や机があり分かりづらかったであろうが、床に浮かび上がっていたものの形が露になっていた。
それはゲームや漫画等で出てきそうな魔方陣と酷似している。しかし、混乱しているあずきに魔方陣という事が把握できず、非日常な事が起きていると言うことだけが理解でき、
「六名様 ごあんな~い」
ぷちんっと、テレビの電源を切るように 意識が千切れた。
「さてと、誰を生贄にするかね」