流れ星駆け抜ける星空の下で
星空を見ていた。
とある夏の夜、俺ともう一人で近くにある山から星を見ようという約束を立てて、今日こうして来ているというわけだ。
「星が綺麗だね、亮二」
「あぁ、そうだな、飛鳥」
草が生えている地面に二人で並んで座りながら言葉を交わす。何とも何気ない会話。当たり前だ。何の意味もないのだから。
しかし、俺はそうではなかった。なぜなら、俺は飛鳥のことが大好きだから、そんな何気ない会話でも心臓が高鳴ってしまう。
一方で飛鳥はと言えば、実に楽しいそう星空を眺めている。
「本当に今日は晴れて良かったよね。日頃の行いが良いからかな?」
「……そ、そうだな」
あまりの緊張に受け取り方次第では無愛想そうに聞こえてしまうような返事しか返せない。情けないとは思うが、脳は思った通りには動いてくれないのだから仕方がない。
そんな反応に対して、やはり飛鳥は少し不機嫌になる。
「そうだなって……ちょっと反応が適当じゃない? なに、私と星空を見るのは楽しくないんだ。そうなんだ」
いや、ちょっとどころではなくて結構不機嫌なご様子。
頬をむすっと膨らませているから、これは割と本気でヤバい。とにかく、謝ろう。
「そうじゃないんだ……いや、本当にそうじゃないんだよ。ただ」
やっぱりおいそれと出来るほどの気力は持ち合わせていなかったらしく、俺はぼそぼそとまるで言い訳のように言ってしまった。
これに、また飛鳥はいっそうイライラを募らせたらしく、
「ただなによ。はっきり言いなさいよ。別に嫌なら嫌って言えばいいじゃない。それなら私帰るから」
手をぶんぶんと振り回して、怒りを隠そうとする意思も失ってしまうぐらいに飛鳥は取り乱していた。
それに帰ると言ったからには本当に帰ってしまう。飛鳥は一度言ったことは絶対にやるし、そこには冗談も嘘も、更には情けだって入ってはいない。ある意味で非情とも言えるかも知れない。
それを長い付き合いの中で知っている俺は、やっとそこで落ちついてゆく。いつも、そうなのだ。飛鳥が冗談にもならないほどキレた時に自我を取り戻して、謝るという典型パターン。
俺は荒ぶっている飛鳥の目を見て少しびびるが、真っ直ぐと見つめてこう言った。
「嫌いじゃないよ……むしろ、いやなんでもない。とにかく、嫌いなじゃないから、そこは信じてくれないか? もちろん、二人で星空を見るのも楽しいし、癒される。だから、帰らないでください」
俺は嘘偽りなく本音を飛鳥に言った。ちょっと、台詞が胡散臭い感じであるのは否めないし、あと、言っていることが普通すぎるの個人的には残念ではある。しかし、今はこれが精一杯。
伝わるかな?って心配してるかと聞かれれば、いいえと迷いなく答えることが出来る。なぜと聞かれれば、もちろん理由は教えるけどあまりにも抽象的で説得力がないと思う。だって、それは俺しか分からない飛鳥という隠された人間性のことなのだから。
事実、飛鳥の怒りは一気になりをひそめて一転、少し涙ぐんでいるような掠れた声に変わった。
「ほ、本当?」
「本当だよ。俺は飛鳥と二人で星空を見られて本当に楽しいし、いつも放課後一緒に帰っている時だって楽しい。仮に楽しくないんだったら、そもそもこんな約束しないだろ?」
「うん、そうだよね。ごめんなさい、疑ったりして、怒ったりして、本当ごめんね」
俺の言葉がちゃんと伝わったらしく、飛鳥は鼻をすすって息を整えてから、これ以上ないぐらいの満面の笑みを向けてくれた。
可愛いと素直に思ってしまう。意識していないと思わず、口から漏れてしまいそうになる。俺はそれを必死に我慢しながら、「別にいいよ。こちらこそごめん」と頭を下げて謝る。
そんな風に飛鳥の笑顔に酔いしれていると、その飛鳥がまた少し緊張した様子で尋ねてきた。
「と、ところでさ………」
「う、うん? なに?」
俺が飛鳥の様子の変化に戸惑いながらも反応する。正直、飛鳥に告白されるんじゃないかと思った。でも、それはいくらなんでも妄想のし過ぎだと考え直した。
飛鳥は学校では学力テスト学年一位の成績優良者で学園一の美少女。それに対して俺は容姿も普通だし、誇れるような才能も無ければ、最低限の学力も運動神経さえもない平凡男子。はっきり言って、月とすっぽん。釣り合うという前に、比べることさえおこがましい。
だから、そんな一介の平凡な学生である俺に飛鳥が好意を抱くなんてあり得ない……そう、あり得ないんだ。
そんな風に考えながら、ふと、星空を見上げた時、一筋の光が駆け巡っていた。流れ星だ。
それを見ることが出来た俺は自然と言葉をこぼしてしまった。
「綺麗だ」
「え? え?」
「流れ星が通ったんだよ、今。見えた?」
俺は星空から目を離して飛鳥に尋ねる。
飛鳥はどこか落ち着きを欠いた様子のまま首を振った。どうやら、見えていなかったようだ。
「運が良いよな、俺。飛鳥は残念だったけど……」
俺はそんな風に何気なく話を振ったのだが、飛鳥はまるで金縛りにあったかのように固まってしまい、うんともすんとも反応を返してくれない。それに、心なしか頬が赤みを帯びているような気もする。
急変した飛鳥の様子に俺は少しドキマギしていたが、ここは俺がやるしかないだろうと気合いをいれて話しかける。
「どうしたの? もしかしてどこか具合が痛いの? それとも風邪でも引いたか? さすがに夏とは言っても、夜の山だけは話が別だろうし」
ひゅ~と吹きすさぶ風は夏ということを忘れてしまうぐらい冷たくて俺は気持ちが良いのだが、飛鳥はあまり寒いのが得意ではないから辛いのかも知れない。それでなくとも、飛鳥は重度の冷え性持ちだから、下手したら苦痛レベルなのだろう。
俺はそれを知っていたので、行く前に密かに入れてきたジャンパーを取るために少し離れているところに置いてあるバックの場所まで急いで駆け寄る。移動の中にチラリと飛鳥の様子を見ると、不思議そうな顔でこちらのことを見ている姿が目に入った。
俺はバックのあるところまで来ると、バックの前で腰を下ろした。
「え……と、確かここらへんに入れたはずなんだけど……」
バックのチャックを外して、手を中に入れて目的のジャンパーを探しているのだが、後ろでちぢこまってしまっている飛鳥のことが気になって気になってなかなか見つけられないのだ。まぁ、本当のことを言うと、もう目には入っているのだけれども、どうしても振り向いて、飛鳥の方にかけて上げるための踏ん切りが付かない。
そんなこんなしていると、耳にガサッという草の揺れている音が聞こえてきた。そして続くようにガサガサという草木をかき分けているような音が耳をつんざいてきた。どうやら、飛鳥があまりにも戻ってくるのが遅い俺の様子を心配してこちらに向かっているらしい。
そこで半ばやけくそ気味に踏ん切りを付けて振り返―――。
「ご、ごめんごめん。ちょっと変な場所に入ってたせいで引っかかってたみたい。だから、元の場所に居て―――――!?」
れなかった。何故なら、俺の身体に抱き付くように飛鳥が体を密着させてきたからである。肩から腰にかけての部分に飛鳥の身体の感触が伝わっていく、柔らかくて、暖かくて、そして本能を呼び覚ますような女性の特徴である胸。俺の肩に触れたそれはニュンとまるでスライムのように形を変えて張り付いて、飛鳥の胸の鼓動を伝えてくる。ドクンドクンドクンととても不規則なリズムで律動していて、それで俺は飛鳥がとても緊張していることが分かった。分かったけど……どうして飛鳥はこんなことをするんだろうか。
とにかく、何か反応を返さないと。
そう思った俺ははち切れそうになる心臓を押えながら、情けないぐらいの震える声でおずおずと話しかける。
「あ、あすか? いきなり、どうした、の? そんなに寒かったなら早く言ってくれればいいのにさ、なにも俺みたいなヘタレに抱き付く必要にーーー」
ないのに、と俺が言おうとしたその瞬間、飛鳥の確信の籠っている言葉がそれをさえぎる。
「そ、そんなことないよ。亮二はそこらへんにいる男とは違うし、絶対にヘタレでもないよ。だって、私が困っている時には助けてくれる、自分が分からないことでもなんでも引き受けて呆れるくらいに頑張ってくれる……じゃん」
「そうだけど……。でも、ほとんど解決してやれてないことの方が圧倒的に多いし、逆に手間を増やしてることがあるし。そんなにすごい事じゃないんだよ、普通だよ。普通」
飛鳥が褒めてくれるのは心の底から嬉しいし、ありがたい。でも、別にやっていること自体は誰しもが出来ること。そう、代わりなんていくらでもいて、今回は偶然にも俺であっただけの話なだけなのだ。
けれども、飛鳥はそれでも良いというように、肩によりかけた頭を横に振る。
「その普通のことが出来るのが亮二のいいところなんだよ。確かに、ああいうことをやってくれる男子は他にもいるけど、それは私という人間が欲しいから。私というアクセサリーを身に付けて、自分のことを輝かせたいだけにやってることの方が多いんだよ。もちろん、全員がそうじゃないけどね。それでも、やっぱりよこしまな気持ちで私を見ていることは変わらないの。でも、亮二は違うでしょ? 私のことを心のそこから心配してくれてる、いつも、今までも、そして今も」
「何言うんだよ。俺だって思春期真っ盛りな男子だぞ? よこしまな気持ちぐらい持ってるよ」
「亮二ならいいんだよ、私」
「――――!? あのな……自分の発言が完全に矛盾しているのに気付いてる?」
「気づいてるよ。でも、そうゆうもんでしょ? 人の気持ちなんてさ、やっぱりすべてを平等なんてで見られないんだよ。どこかで、えこひいきしちゃうんだよ。だから、この気持ちは幼なじみひいきだね」
「幼なじみひいきって……」
と、そこで飛鳥はいきなり俺の肩から体を離した。少しの名残惜しさを感じながら、俺はゆっくりと振り返った。視線の先には、小走りでどこかへ向かっていく、飛鳥が映ったので、俺は首を傾げる。
そんな脳内にハテナマークが乱立している俺にお構いなく、飛鳥は少し隆起した場所まで移動すると、ピタリと止まって、尋ねてきた。
「ところでさ、さっき何かを言いかけたよね?」
断定なんだ。いや、そうなんだけどさ。
「何を言おうとしてたのか教えてくれない?」
「そ、それは……」
好きなんだよ、って言おうとしていたなんて口が裂けても言えない。
だから、俺は誤魔化した。
「大して重要ないことだよ」
めちゃくちゃ大事なことです。
「そうなんだ。私のことが好きってことは重要じゃないんだ、ね?」
「いやいや、重要に決まって――――何でもない!忘れてくれ!」
飛鳥はさすがにそれは無理があるよと言いたげな目で見てきていたが、はぁとため息を付いた後、どこか納得している顔になり、
「なんていうのか、亮二らしいよね」
と、まるで天使のように笑いかけてきた。
「ど、どうも」
俺はと言えばこんなつまらない反応しか出来なかった。
「ねぇ、覚えてる?」
「え? なにを?」
唐突に何の脈絡も、具体的な単語もない話を振られたので、俺は少し混乱する。
しかし、飛鳥と俺の思い出が少ないことを考えれば、おのずと話の内容が分かるような気もする。それに、このシチュエーションに関することだという補足を加え、海馬に保存されている記憶を探しだすのなら、簡単に見つかるだろう。
そうして考えて出てきたのは実に懐かしい記憶だった。
「小さい頃にもここに来て一緒に星を見てたよね。その最後に流れ星が見えてから、二人で願いごとをしたこと覚えてる?」
「もちろんだよ。でも、それがどうしたの?」
飛鳥は俺の言い方が気に入らなかったのか、少し顔を歪ませる。
「どうしたのって……。亮二にはその程度のことなんだ……そうなんだ。私にとっては人生で一番大事なことだっていうのに……」
「ごめんよ。いや、あの日のことは大切、というよりもあの願いごとの方が重要なんだろう?」
さすがにそこまで落ち込むとは思っていなかった俺はフォローを入れた上で、更に飛鳥のこれから切り出そうとしているで話を先に振る。
すると、飛鳥の様子が三度急変する。顔は真っ赤になり、手をもじもじさせて、まるで告白する前の女子みたいになった。
「そう、それだよ。知りたい? 願いごとの内容」
知りたい。あの時は「まだ駄目なんて」言って教えてくれなかったし。というか、ここまで露骨なお膳立てをされれば、こんなバカな俺にも分かってしまう。
だから、この先を言わせてはいけないだろう。言わせたら、俺は男じゃない。
恥ずかしくて決心が揺らぎそうになるが、なんとか抑え込んでから告げる。十年越しの想いを。
「知りたいというか、知っているというか、悟ったよ。まったく、本当に不器用だよね、飛鳥って。出来ることはとことん出来るのに、出来ないことは本当に出来ない。言い換るなら、苦手なことに対しては回りくどいやり方になるんだよ。今日のこれがその証拠だよ」
「……」
「わざわざ、こんな見どころのない山を選んだのは、こうやって俺に思い出させるため。結果は思惑通り、俺はあの日のことを思い出して、その先にある願いごとに辿り着いた」
「……」
「あとは、このまま願いごとを伝えるだけだったんだろ? でも、悪いんだけど、それだけはやらせるわけにはいかない」
俺がそう言うと、そこまで下を向いて静かに聞いていた飛鳥がか細い声で言ってきた。
「生意気だよ、りょうくん」
「うるさい、アスカ」
そんな幼いころのやりとり。だからこそ、それは確信を俺に持たせるには十分だった。
と、その時。
飛鳥の背――――つまり、満天の星空に一筋の光――――ではなく、数えきれない程の光が天を横切っていき、そして軌跡を残して消えていく。
ったく、天まで味方をしてくれるとは、俺は意外に運が強いのかも知れないな。
「飛鳥」
「何? 亮二」
満天の星空下、俺は飛鳥と向き合う。
十年前のシーンが蘇る。
もし、十年前に想いを伝えていたのならば、飛鳥は受け入れてくれたのだろうか?
いや、考えるのはよそう。それは、過去のこと。今さら、悔やんでも想像しても変えられないものだ。
だから、俺は未来を素晴らしいものにする方に力を入れる。
そう、未来を。俺の未来を。俺と飛鳥の未来を――――。
「昔からずっと、好きでした。付き合って、俺の彼女になってください!」
シンプルイズベストという考えではなくて、単にそれぐらいしか思いつかなかっただけ。
そんな俺の小学生並みの告白に、飛鳥はブスっと吹き出して笑った後、やんわりとした顔になって返事をしてくれた。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
そして、俺と飛鳥は互いに近寄って唇を重ねた。
星空のもとでいつまでも。いつまでも。