夢と現実のはざま
私は疲れた。思い通りにならない日々に、健やかに寝ることもままならぬ夜に。
ああどうか。どうかこれは夢であってほしい。これは夢なんだ。現実であるはずがない。いや、これは夢かもしれないが現実なのかもしれない。現実に起こっても何も不思議ではなかった。
先程の私は、あまりにも“私”でありすぎた。他の誰でもない、まぎれもない私だった。
だからこそ恐ろしいのだ。“私”の犯した行為は、まぎれもなく私の心が生みだしたものだった。
いや、もうすでに私は“私”ではなくなっていたのかもしれない。私の心は鬼と化してしまっていた。それが一体どうして“人”と言えるだろうか。あれは人ではなく、人の姿をした、ただの鬼だった。
“鬼”という言葉を使うのは、“あれ”は私ではなかったと誤魔化しているのにすぎないだろう。それほどまでに、私は私が怖くなったのだ。まぎれもない私をそのまま直視することが恐ろしいのだ。自分を、ただの殺人鬼と同じだと認めることが。
これを読んで下さっているあなたは、さぞ不快な気持ちになる事だろう。私が言っていることが意味不明の狂言に聞こえるだろう。犯罪者であることを仄めかしているように、まるで誰かを“殺害”してしまったかのように言葉を綴っているからだ。
しかしそれは私の、“物書き精神”とも思える様な性から来るのに違いない。ある程度おもしろおかしく読んで頂きたいものなのだ。
それはさておき。ここまで読んで下さったあなたのために、これから先ほどの、私の記憶を頼りにお話しよう。思い出すだけでも恐ろしい、消してしまいたいほどの記憶を。
自己弁護のために私は嘘をついてしまうかもしれない。だが、あなたの懐の広さに免じて、お許し頂けるとありがたいものである。
――
――風呂場だろうか。それならこれは浴槽だろう。丸みを帯びた長方形の物体は、液体で満ちている。浴槽なのだから水かお湯だろうが、その温度なんてどうでもよかった。しいて言えばそれはぬるま湯だったのかもしれないが。
ここはマンションの一室にある、別段特徴のない浴室だ。当然窓はない。殺風景な密室空間で、私は殺気にすべてを支配されていた。
『死んでしまえばいいのに』
無我夢中、その一心で。
それで何が起こるか、何が一番恐ろしいのかなどと、考える余裕というものはなかった。なぜなら私は、もうすぐ2歳になる我が子を、水の中に沈めようとしていたのだから。
私は、一糸まとわぬ姿の息子の足を掴んで、水の中に息子を押し込んでいた。もがき、抵抗する足を力づくで掴んでいた。そうして、ゴポゴポと苦しそうに水泡の息をはく息子を水の中に沈めていた。
だがそこで意識を失ってしまいそうな息子に気付いた私は、慌てて息子を抱き上げたのだ。私がしたのは、まぎれもなく殺人未遂行為だった。だが、死なせようとするつもりはなかったのだ。息ができなくなれば死んでしまう。そうしてしまえば相手を殺してしまう。そんな当たり前のことが怖いことをしらなかったのだ。
「ごめん、ごめんね……」
私はその時、心の底から震えていた。自分の犯した罪に気が付き、後悔の念と恐怖に涙が出た。
わたしは愛する我が子を手にかけてしまうところだったのだ。愛していたはずの。いや、愛していたつもりだっただけだ。所詮私は、我が子よりも私の方が大事だったのだ。
ああそれでもどうか。どうかこれは夢であってほしい。今まで非現実的なものと思っていたものは、今非常に現実味を帯びたもののように感じる。
あれは夢であって夢でないかもしれないのだ。
――どうか現実に起こりませんように。そんな風に思ったが、それは全て自分の行動にかかっていた。現実に起こそうと思えばいつでも起こせるのだ。などと考えるだけでもおぞましい。
どうせなら私の方が死ねばよかった。我が子を殺めようとする夢をみるよりは、自分が殺される夢を見た方がいくらかましだと思った。
それは目覚めてしばらく時が経ち、落ち着いてから思ったことで、その“夢”の中ではただ息子を抱きしめる事しか出来なかった。
だから私はこの出来事を、ただの“夢”として終わらせたくなかったのだ。あれは確かに夢なのかもしれないが、私だからこそ見た夢なのだ。“夢”を夢で終わらせられるように。“夢”を現実にしないように。それは私に常に付きまとう、偽りのない現実なのだ。また同じ夢は二度と見たくない。これと同じような現実は見たくない。血のつながりと一言では言えない絆を大切にしたい。“本当”の、本当の意味での親子になるために。
最後に、ここまで読んで下さったあなたに感謝したい。言い訳をさせて頂くと、私はここ数日、我が子について苛立つことが多かった。要するに疲れていたのだ。思うようにはいかない日々に、健やかに寝ることもままならぬ夜に。
“夢からの警告”について私は、少し考える必要がありそうだ。
我が子を本当に愛するために。