今日も君が死んだ
R15はGLの為に付けました。
君を殺す妄想をする。
二月になって、一段と冷え込むようになった。これで暦の上では『春』だというのだから理解に苦しむ。何が春か、雪までチラつくこの時期は、毎年どんな月よりも冬らしいというのに。
昔の人は何を想って『春』を決めたのだろう。それとも昔は、今頃にはすでに春の温かさを感じられていたのか。疑問に思うが、わざわざスマートフォンを取り出して調べてみようと思うほどの興味も無かった。
「いっちゃん、さーむーいー!」
隣を歩く理沙子が鼻の頭を真っ赤にして、不満を口にする。赤色のチェックのマフラーに顔を埋め、鼻から上しか覗いていないが、それでも彼女の可愛らしい容姿は十分に伝わる事だろう。同じ制服を着ているのに、私とは雲泥の差だった。
丸く大きな、ぱっちりとした二重に、綺麗に上を向いた長い睫毛。新雪のように白い肌が、今は寒さによって林檎のように赤く染まっている。
「我慢しなよ。すぐに駅に着くし。中に入ったらちょっとはマシでしょ」
「ホームに行ったら一緒だよー!もう、やだやだ!だから冬なんて嫌い!」
理沙子はそう言いながら、私の腕に甘えるように自身の腕に絡ませた。
彼女はとても分かりやすい性格をしている。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。そして、少しばかり我儘だ。真夏の頃には暑いから嫌い!早く冬になって欲しい!と文句を言っていた。その癖屋内に入るとクーラーが冷えるのだとまた不満を漏らす。
「歩きにくいから放して」
「やーだー!いっちゃん、温めて?」
「そういうのは男に言いなよ。彼氏でも呼べば?」
我儘と言っても、理沙子に限ってはその愛らしい容姿を引きたてるスパイスにしかならない。彼女と付き合いたいと言う男はいくらでも湧いて出たし、また、彼女自身移り気で恋多き女だった。
「別れちゃったから、今フリーですぅ」
「………何で?この間付き合ったばっかりじゃん」
「んー、何か違うかな、って。ごめんね、せっかくいっちゃんが紹介してくれたのに」
理沙子は上目遣いに私を見詰め、申し訳なさそうにそう口にする。彼女の元彼には私の友達が何人か含まれており、今別れたと聞かされた彼もそうだった。
「別に。私には関係ないし。本人達の自由でしょ」
元々理沙子の彼氏のサイクルは短く、三ヶ月保った今回は長い方だった。短かった人だと一週間を切っていた気がする。
彼女はいつも燃えるように熱い恋をする。そして、燃え尽きるのも早かった。
「ごめんね、ごめんね。いっちゃんがそう言ってくれるから、ちょっと気持ちも楽」
そう言って、彼女は気恥ずかしそうに笑う。その癖、くさい台詞を、その愛らしい容姿に似合う綺麗な言葉で人に投げつけるのだ。
「ありがとう。いっちゃんがそばにいてくれて良かった」
だから私は、君を殺す妄想をする。
女子トイレには悪意が詰まっている。
個室に籠り、便座に腰掛けた状態でそんな事を考える。おそらく同じような状況で『彼女ら』はペンを取ったのだろう。
『体育マジダルイ』
『あー、彼氏欲しい!』
『テスト死んだ』
たぶん、初めは誰かのちょっとした悪戯心だった。それが伝播していくかのように、多種多様の文字で本音や鬱屈した感情が広がっていく。壁に書かれた文字を辿り、トイレットペーパーで死角になる部分へ目を向ける。私はそこで、悪意を見付けた。
『二年三組のビッチ死ね』
『R子だよね?マジキモい』
『騙される男もウザい』
『あいつ自分が可愛いとでも思ってんの?』
二年三組にRのイニシャルが付く女子は理沙子しかいなかった。
理沙子は可愛い。けれどそれは可愛いだけで、特別に美人という訳ではなかった。か弱くも愛らしい容姿に、どこかつたなく女の子らしい仕草が彼女の『可愛さ』を引き立て、男性には魅力的に映る。しかし、甘え上手な性格も言葉遣いも何もかも、女子には反感を買う要素でしかなかった。
だから、絶えず彼氏のいる理沙子だが、女友達と言える存在は私しかいない。
『和泉さん、って言うの?名前みたいな名字だね』
そう、屈託なく彼女が話しかけて来た日から、理沙子は私の事を友達と呼び、今では誰に対しても『親友』だと紹介する。
私が、君を殺す妄想をしているとも、知らず。
「いっちゃんはー、クールだけど優しいよねー」
「何の話?」
一緒に下校していると、また甘えるように私に擦り寄りながら理沙子は嬉しそうにそう呟く。特に構ってもあげてもいないのに、彼女は何がそんなに楽しいのか、いつもにこにこと笑っていた。
「あたし、どうしてか女の子によく嫌われるんだけど、いっちゃんはあたしと一緒にいてくれるもん」
「理沙子が寄ってくるだけでしょ」
「そうだけどー、いっちゃん、嫌がらずに好きにさせてくれるでしょ?」
私の腕を両手でぎゅうと抱きしめて、そう口にする。彼女のそういう甘えるような仕草を見る度に、どういう風に育てばこんな子になるのだろうか、と思う。
「いっちゃんがいれば彼氏もいらないな、って思うもん」
以前彼氏と別れてから、珍しく理沙子に三週間も新しい彼氏が出来ていなかった。いつも、早ければ次の日には新しい男といちゃついているのに。別の男に囁いていた愛を、次の日にはまた別の男へ向けられる理沙子のその身軽さは尊敬に値すると思う。真似しようとは全く思えないが。
「無理でしょ。あんた基本的に男好きじゃん」
「そうだけどー、違うもん」
理沙子はそう言って唇を尖らせる。そんな子どもっぽい仕草さえどこか似合って、愛らしく感じさせた。
「あたしの幸せには、包み込んでくれる男の子が必要だけど、なかなか運命の人?的な?人を見付けられないだけだもん」
そう拗ねていた理沙子は、三日後にはまた新しい彼氏を作った。今度は、以前偶然外で出会ったときに紹介した、私の幼馴染だった。
見慣れていたはずの幼馴染の顔に、見慣れない愛情の滲んだ笑顔を浮かべさせながらニコニコと笑う理沙子を見て、私はまた妄想をする。
そして今日も一人、君が死んだ。
私の幼馴染と付き合って二ヶ月が経った頃だった。冬はとうに過ぎ去り、桜が咲いては散り、すっかり穏やかな陽気が当たり前になった頃、理沙子から電話があった。
時刻は夜十時を回っている。私の家の近所の公園にいるという理沙子の電話を受け、上着を羽織ってすぐに家を出た。
街灯に照らされるだけの公園は、子ども達が遊ぶ日中の微笑ましさから反比例するように、少し不気味だと思う。暗闇の中に浮かび上がる遊具は、別の何かのように見えた。
理沙子はブランコに座って涙を拭う事もなく泣いていた。以前、メイクが崩れるから涙を拭きたくない、と言っていたのを思い出す。泣いているときくらい、自身を魅せる事を止めれば良いのに。
「風邪引くよ」
理沙子はいつも少し薄着だ。今日だって、まだ朝晩は冷える日もあるというのに、シミ一つないほっそりとした素足を晒している。彼女の肩が、少しだけ揺れた。
「い、いっちゃん……」
俯きがちだった顔を上げて、理沙子は泣きながら目の前に立つ私を見上げた。こんな時間にこんな薄着で無人の公園で泣いているなんて、何かあればどうするつもりなのだろう。
「あたしね、好きだったんだよ」
「あいつの事?」
うん、と理沙子は小さく頷いた。どうやらとうとう私の幼馴染とも別れたらしい。電話の声はすでに泣いていて、その事は予想出来ていた。コロコロと男を換える癖に、彼女は律義にもこうして別れる度に涙を流す。それならば、もう少し大事にすれば良いのに、と思った。
「ちゃんと好きだったんだよ。優しくて頼りになって、でも私には少しだけ甘えてくれて、すごくすごく好きだったんだよ」
「見てたら分かるよ、そんな事」
「それなのに、どうして―――――――」
理沙子は、大粒の涙を溢れさせる。眉尻を下げた情けない泣き顔すら可愛らしくて、妬ましく思うのも仕方がないかな、とクラスの女子達に思った。
「どうしてこんなに、上手くいかないんだろう………っ」
ただ幸せになりたいだけなのに、理沙子はそう、大袈裟に嘆いた。
理沙子はみっともないくらい、幸せに対して貪欲だった。そして、それを求める事になり振り構わない所がある。だからこそ、例え何と罵られても男を求める事を止めないし、いつだって一瞬の恋に全身全霊を注ぐ。そして、そうまでした恋を失うとき、彼女は堪えよう無い痛みに喘ぐ。
「………縁がなかったんだよ」
私はその度に涙声の理沙子から同じ事を聞かされ、その度に何も解決しない慰めの言葉を口にする。
「あんたはちゃんと相手を好きで、愛情を注いでたし、あいつだって理沙子を大切にしようとしてた。ただそれが、ほんの少し噛みあわなかっただけだよ」
理沙子はまた、うん、と頷いた。その拍子に、目尻に溜まっていた涙が彼女の膝に降り注ぐ。街灯に照らされる涙さえ理沙子の魅力の一つのように見えた。
いっちゃん、と彼女は消え入りそうな声で私を呼ぶ。
「あたし、こんなので、ごめんね。いっちゃん、ありがとう。いっちゃん、いつも本当にありがとう」
いっちゃん、いっちゃん、いっちゃん。理沙子は何度もそう甘えるように、あるいは縋るように私を呼んだ。手のひらで、涙で濡れた顔を覆い、俯く彼女の旋毛に手を伸ばそうとして、止めた。
「理沙子には、もっとぴったりな人が別にいるよ」
だから代わりに、こんな下手な慰めを口にする。けれどそれは、彼女を労わってではない。理沙子の悲しみに同情した訳でもない。本気でそんな事思っていない。私は――――
理沙子の幸せなんて見付かなければ良いのに、と思っている。
理沙子が幸せになんてならなければ良い、理沙子を包み込んでくれる彼氏なんていなければ良い、理沙子のそばの男なんて皆消え失せればいい。
そう、けして口には出さずに心の中で繰り返し繰り返し、唱え続ける。そんな日はけして訪れないと理解しながら、私は彼女が男と別れる度に祈らずにはいられない。
私は、理沙子の事が好きだった。
私に甘えてくれる理沙子が好きだ。私を呼ぶ舌足らずな声が好きだ。私を見詰める大きな目が好きだ。私の手を握る温かい手が好きだ。私の腕に擦り寄せる頬の赤さが好きだ。私とは違う、小さく華奢な理沙子の憎らしい程の愛らしさが、好きだ。
こんな事、口に出して言えるはずがない。この国での同性愛への不理解は目に見えており、理沙子が私を好きになる訳が無い事も分かっている。
理沙子は不変の愛情というものを求めているが、その対象はいつだって男のみに限られる。私が女で在る限り、理沙子へこの想いを告げる資格さえ与えてもらえないのだ。もっとも、そんなものが存在したとして、それでも私がこの想いを告げる事はないだろう。
今だって別に、例えば拘束されている訳でも、何かしら告白を阻まれている訳ではない。私はただ、保身の為に自ら口を閉ざしているだけなのである。
男か女であるかの前に、こんな保守的な恋が、理沙子の求める愛に相応しいはずがないのだ。
「いっちゃん、ありがとう。私にはもう、いっちゃんしかいないよ」
そう言いながら、きっと君は明日にでも新しい男を見付けるのだろう。そんな君が愛しくて、愛しくて、愛しくて、愛しくて、愛しくて。
私はまた、君を殺す妄想をした。
この世界に私と理沙子しかいなければ、理沙子は私を愛してくれるだろうか?
そんな妄想をした事もあったけれど、あまりに不毛なのですぐに止めた。それはあまりにリアリティがなく、絶望的で、また、それでも男を探そうとする理沙子が想像ついてしまった。
そんな私が始めた、あまりに不謹慎な新しい妄想が、理沙子を殺す事だった。
私は、冷たい印象の顔立ちをしている為か、人に冷静沈着なイメージを抱かれているらしい。滅多な事では動揺しないと思われているようだが、それは単に感情表現が下手なだけできちんと些細な事で感情は動く。理沙子が笑うだけで、この心臓が跳ねるくらいだ。
そんな私は、例え冗談としても理沙子に『好き』だと告げる事など出来なかった。冗談など言わないと思われている私がそれを口にすれば、これまで築いてきた理沙子との関係も、全て崩壊する事だろう。だから私は、この感情を生涯口にするつもりはない。何より、
『気持ち悪い』
そう理沙子に言われれば、私はきっと耐えられないから。
けれど、秘密の恋心を抱えていれば、時々どうしようもなくそれを曝け出したくなる。堪らなくなって、滅茶苦茶に愛していると叫びたくなるときがあった。
そんなときに、私は君を殺す妄想をする。
イメージするのは、お棺に入った理沙子。死体とは思えないような、眠るように綺麗な理沙子を想像して、その死体に向かって泣き叫びながら愛を告げる。
さすがに彼女が死んだ時ならば、多少過剰な愛を叫んだ所で、錯乱しているから、と許される気がした。
なんて不謹慎な妄想だろう。なんて醜い願望だろう。ただ自分が楽になりたい為に、それを叫びたいが為に、相手の死に顔を想像するなんて、こんなものは恋でも愛でも無い。否、恋であっても愛であってもいけない。そんな事は、いくら私でも分かっている。
ただ、理沙子に新しい彼氏ができたとき、理沙子が彼氏と別れたとき、理沙子が私に腕を絡めてきたとき、理沙子が私を好きだと口にしたとき。
そんな妄想をしなければ、堪え難いほどの苦痛だった。だから私は、最低に醜悪だと自覚しながらも、君を殺す妄想をする。
『和泉さん、いっちゃんって呼んでも良い?』
馬鹿みたいな一目惚れだった。女子が嫌うはずの彼女の愛らしさを、純粋に可愛いと素直に受け止めてしまったのが全ての間違いだった。他の女の子達と同じように、ただ男好きだと言って、嫌ってしまえれば良かった。
「いっちゃん、新しい彼氏ができたの。今度紹介するね!だっていっちゃんは、あたしのたった一人の親友だから」
世界一可愛い理沙子。誰よりも愛らしい理沙子。私の、理沙子。
理沙子の事が憎らしいほどに好きだ。
だから私は今日も、君を殺す妄想をする。
読んで頂きありがとうござます。
特に救いも無く、綺麗でもない片思いのお話でした。好きになった人に好きになってもらう事はただでさえとても難しいのに、その相手が同性ともなるとその難易度に絶望的な気持ちになってしまいそうです。
警告タグがネタばれになっているのが何ともいえない塩梅となりました。