ピーちゃんの脱獄計画
ピーちゃんは小鳥である。
ミカちゃんのお家で買われている愛玩動物である。
ピーちゃんには友達がたくさんいる。
スズメさんにカラスさんに渡り鳥であるビタキさんとも仲が良い。
なので、外界の情報もたくさん知っている。
スズメさんは人間のおじいさんが公園でよく米粒をまいているとか。
カラスさんは近所のどこそこのゴミ捨て場が狙いやすいとか緑色のネットが邪魔だとか教えてくれる。
ビタキさんは優雅で、北から越冬のために南へ渡る最中や北へ戻るときにわざわざ寄って世間話をしてくれる。森の動物の話をしてくれて、こことは全然ちがうことに感動した。
だから。
だから、ピーちゃんは憧れてしまったのだ。
ピーちゃんは今までお外に出たことないから。
生まれてずっと人間に飼われてきたから。
ピーちゃんはお外に憧れてしまった。
自分もおじいさんの米粒を食べてみたい。
自分もゴミ捨て場のゴミを漁ってみたい。
自分もビタキさんの家にお邪魔したい。
でも、初めは諦め混じりだった。
自分は所詮『篭の中の鳥』。
人間がいなければ生きられず、カゴの外には出られない。
ここでの生活は悪くない。
そう思っていた。
だがしかし、ある日のこと。
ピーちゃんはミカちゃんに餌を貰っていた。
餌箱の中の穀物をくちばしで摘んで食べていた。ピーちゃんは機嫌よくミカちゃんに向かって鳴く。
「ピー!」
「ふふっ。おいしい?よかった」
ミカちゃんも元気良くピーちゃんが餌を平らげる姿に頬を緩めて優しげな目をしている。
のどかな優しい時間だ。
その時、玄関の方からどたばたと音を立てながら「ただいまー!」という声が聞こえた。
ミカちゃんは「おかえりー!」と返事をして、部屋の入口に向かう。
すると、ドアが元気良く開いてミカちゃんの弟タカシくんが入ってきた。
タカシくんとミカちゃんは鉢合わせて喋り始めた。タカシ君の手には何かある。
あれは…とピーちゃんがそれに気付くと目を剥いて驚いた。
「おかえり。タカシ。どったの?」
「へへー!ねえちゃん!これ見てよ!」
タカシくんは手の中をミカちゃんに自慢げに見せる。
「いやだ!ミミズじゃない!」
「へへーん。ピーちゃんにあげるんだー!」
ピーちゃんは「よっしゃー!」とばかりに高く声をあげる。タカシくんへの求愛行動に近い。
いまやピーちゃんの頭の中はミミズでいっぱいだ。一度ビタキさんが手土産に持ってきてくれたミミズはそれはそれはもう美味しかった。
天然で熟成された肉汁。締まりのある噛みごたえかと思いきや口の中で溶けていくとろみ。よく養分を蓄えた泥のトッピングも香りを引き立たせていた。
ミカちゃんが普段くれるちゃちな餌とはまるで次元が違う。ピーちゃんは今幸せの絶頂にあった。
だが、ミカちゃんの反応は冷酷だった。
「ダメよ」
「なんでだよ!ねえちゃん!」
「ピーちゃんに汚らわしい虫なんて食べさせないよ!」
「そんな!」
「ピー(ミカー!コノヤロー!テメー!)」
ピーちゃんは、この日、檻からの脱獄を決意した。
…
ピーちゃんは、それから脱獄計画を考えていた。
このカゴはまるで円蓋を持つ大聖堂のような形だ。
出口は正面に一つしかなく、ピーちゃんはそこから出るしかない。
そこでスズメさんに相談してみることにした。
「ピー?(どうすりゃいいかな?スズメさん?)」
「チュンチュン(可愛く鳴いてご主人様におねだりしな)」
「ピー?(おねだり?)」
「チュンチュン(あんたは愛玩動物なんだろ?なら、ご主人様はあんたの可愛さにやられてイチコロよ!)」
「ピー!(なるほど!)」
よくわからなかったが、スズメさんが言うならそうなんだろう。
ピーちゃんは早速実行することにした。
「ピー!(ミカちゃん!ここ開けてよ!)」
「あら、ピーちゃん。どうしたの?」
「ピー!(この出口、開けてってば!)」
「餌が欲しいの?ダメよ。まだ時間じゃないでしょ!食いしん坊なんだから」
「ピー!(ミカー!コノヤロー!テメー!)」
作戦は失敗だった。
そもそも言葉は通じないのである。
飼い主とペットの絆で伝わるとかそんな都合の良い話ではないのだ。
ピーちゃんはそのことに気づかなかったが、とりあえず失敗したのはスズメさんのせいだと思った。
やっぱり、公園に居着くようなやつはダメだ。
ワイルドさが足りない。
今度はカラスさんに相談することにした。
「ピー?(どうすりゃいいかな?カラスさん)」
「カー(人間共にはハンガーストライキとやらがあるらしい)」
「ピー?(ハ、ハンガース…な、なに?)」
「カー(餌を食すな。小鳥よ。自らの命をもって、意志を貫け!)」
「ピー!(なるほど!)」
よくわからなかったが、カラスさんが言うならそうなのだろう。
ピーちゃんは早速実行することにした。
「ピー!(ミカちゃん!今日は餌要らないよ!)」
「あれ?いつもはがっつくのに…そういえば、鳥も見られ過ぎたらストレス感じるってママが言ってたな…」
「ピー!(い、いらないってば!やめて!目の前に置かないで!)」
「…今日はゆっくり食べさせてあげよう。えへへ。ピーちゃん、またあとでね!」
「ピー!(ミカー!コノヤロー!ウメー!)」
作戦は失敗だった。
そもそも、ピーちゃんに餌が我慢できたのか?
いや、できない。ピーちゃんにはそんな忍耐力はない。
ミミズ一匹で脱獄を決意する卑しい小鳥である。
ピーちゃんは無論そのことに気づかなかったが、とりあえず失敗したのはカラスさんのせいだと思った。
やっぱりゴミを漁るようなやつはダメだ。
優雅さが足りない。
今度はビタキさんに相談することにした。
「ピー?(どうすりゃいいかな?ビタキさん?)」
「チチッ(餌を入れた隙を狙うのです。私の友よ)」
「ピー?(隙?)」
「チチッ(餌を入れる瞬間、扉は開かれます。その瞬間、飛び立ちなさい。私の友よ)」
「ピー!(なるほど!)」
よくわからなかったが、ビタキさんが言うならそうなのだろう。
ピーちゃんは早速実行することにした。
「ピー!(よっしゃー!ミカちゃんきたー!)」
「ピーちゃん、いつもより元気だな。お腹空いたのかな?」
「ピー!(ミカちゃんはよ!そこ開いて!いいねー!焦らさないで!)」
「はいはい、ご飯ですよー。開けるから暴れないでねー」
「ピピー!(ミカ、敗れたり!)」
「あっ!ピ、ピーちゃん!?」
作戦は成功した。
今まで鳥かごの中で使われることのなかったその翼を大きく広げ、ピーちゃんは鳥の本分を、自由を得ようとしていた。
作戦自体は成功していた。
しかし、ピーちゃんは知らなかった。
ピーちゃんの翼はもう…
翼が空を切って身体を浮かばせていたのは、最初の数瞬だけだった。
ピーちゃんの身体は下がっていく。
「ピー!?(え!?なんで!?)」
ピーちゃんが悲鳴をあげる。
ピーちゃんとて作戦の全てをスズメさん達に委ねていたわけじゃない。
ピーちゃんは来る日も来る日も狭いカゴの中で翼を羽ばたかせて、檻の外で飛ぶ日に備えていた。
「ピー!(そんな、やだよ!)」
懸命に翼を羽ばたかせて、天に縋る。
ピーちゃんのカゴを尋ねる友達に飛び方を何度も教わった。
物覚えの良い方ではないから何度も聞いてしまったけど、みんな辛抱強く答えてくれた。
「ピー!(外で、自由に、飛び回るんだ!)」
それでも、身体は地に堕ちていく。
最後のチャンスだった。
次はないかもしれない。
スズメさんとおじいさんの米粒を、カラスさんとゴミ捨て場に、ビタキさんの森に、それがピーちゃんの夢だから。
諦めたくない!
翼を羽ばたかせて!
「ピー…(いやだよ…)」
ピーちゃんは地に堕ちた。
堕ちても、なお飛ぼうとした。
翼を羽ばたかせて。
そんなピーちゃんを、ミカちゃんは拾いあげる。
「ピーちゃん…」
ミカちゃんは少し泣いていた。
ピーちゃんの言葉はわからないが、ピーちゃんの羽ばたく姿に何かを感じたか…それくらいの絆があるのかもしれない。
「…ミカ、どうしたの?」
ママが部屋に入ってきた。
ミカちゃんの声を聞こえたのだろう。
「…ピーちゃん、飛べないの?」「…そうよ。ピーちゃんはね、翼をちょっと切って、飛べないように手術したの」
「そんな…そんなの酷いよ!なんで…!?」
ミカちゃんは泣いていた。
ピーちゃんがどうしてこんな目にあうのか、ミカちゃんにはわからなかった。
ピーちゃんが幸せになれるなら、側からいなくなっても許せるくらいには愛を注いでいたつもりだから。
「…ここはペット禁止だから。部屋の中を飛び回っても困るわ。ピーちゃんの一生をここで面倒を見る覚悟もあったから、ね。泣かないで、ミカ」
「そんな、そんなの、ピーちゃん、かわいそう、だよぉ」
ピーちゃんはもう疲れて眠っていた。
頑張って羽ばたいていたが、そもそもピーちゃんには体力はない。カゴの中にずっと居たのだから、しょうがないことである。
ミカちゃんは泣きながら、ピーちゃんをカゴに入れた。
ピーちゃんは器用にも宿り木に腰掛けるように眠っていた。
ママに肩を抱かれてミカちゃんは部屋を出ていく。
この夜、ミカちゃんは一つの決断をする。
…
ピーちゃんの目論みは失敗に終わった。
今回はビタキさんのせいだとは思わなかった。
ピーちゃんが飛べなかったのがいけなかったのだ。
ピーちゃんは三羽の友達にお礼を言った。
脱獄は諦めると言うと、残念そうな顔をしていた。
「チュンチュン(あんたとあの爺のブツを食いたかったんだけどな)」
「カー(ふん。まだリーインカーネーションがあるさ。来世で共に飛べば良い)」
「チチッ(人間の咎で飛べないだなんて悲しいです。それでも、貴方は私の友。また冬と共にお訪ねします)」
翼はないけれど、三羽のかけがえのない友がいることがピーちゃんは嬉しかった。
「ピー(ありがとう!みんな!)」
それから、すごく嬉しいことが一つあった。
タカシ君がこっそりミミズをくれたのだ。
「へへーん。ねえちゃんはわかんねえだろうけどさ、ピーちゃんはミミズ好きなはずだって」
「ピー!(んほおおお!とろける!ジューシー!極楽のあじぃぃぃ!)」
ピーちゃんはそれ以来タカシ君に夢中である。
ピーちゃんは飛べなくなってしまったけれど、たとえカゴの中でも割と幸せだった。
…
After
ピーちゃんの羽ばたきはミカちゃんに一つの思いを生み出した。
人間のわがままで奪ってしまったピーちゃんの翼と自由。
ミカちゃんはどうにかしてそれに報いたかった。
その思いは、時が経ってピーちゃんがカゴの中からいなくなってしまっても続いた。
ピーちゃんが大好きで、鳥が大好きで、動物が大好きだ。
だから、動物を助ける仕事に就きたい。
ピーちゃんからは奪ってしまったから、貰った分だけ他の動物達に分け与えよう。
ミカちゃんはそう思って、道を進み始めた。
ミカちゃんの思いはピーちゃんから翼を貰って、広い大空を飛んでいく。