魔導士ミーシャと奇妙な男
「誰アンタ」
それが、最初に発した言葉だった。
この国には、庶民でも王宮勤めができる役職がある。
例えば、宮廷薬剤師。あるいは、王宮付き文官。
王宮に務められれば、それぞれに差はあれど給与が格段に跳ね上がる。しかも名誉ある王宮勤めは、庶民の間でも憧れだった。
そんな中で、宮廷魔導士は他とは少し格が違う。
魔導士になれる選ばれた人間の中から、さらに選ばれた人間が就くことが出来る、とても狭き門なのである。
ミーシャ・ディケンズは、今日からそんな宮廷魔導士の一員だった。
正直ミーシャには、自分が優秀だという自覚は随分と前からあった。
魔導士になりうる素質のある人間は、この国では軒並み魔法学校に入れられる。貴族と庶民は一線を画してはいるが、学校が違っても与えられる教育はあまり変わらなかった。
そんな庶民の魔法学校の中にいて、ミーシャはひとり、圧倒的に飛び抜けていた。
魔法能力には、潜在能力が如実に現れる。
圧倒的魔力を内に秘めたミーシャには、やっかみ交じりの揶揄が非常に多かった。
庶民で魔法能力が開花する人間の確率は、血をつなぐ貴族と比べると格段に少なかった。それだけでなく、強い魔導士の血を代々受け継ぐ貴族とは違い、突発的に現れることの多かった庶民の魔導士は、貴族よりも格段に魔力が弱いのが常だった。
貴族の方が圧倒的に魔力が強く、そして魔導士になれる確率も高い。魔導士の出身の階級が同等なのは、庶民と貴族の人口比のお陰だということは一目瞭然だった。
だから優秀だったミーシャは、貴族の御落胤なのだろうとやっかみ交じりに揶揄されることがかなり多かった。貴族と違って庶民にとっては、浮気は何よりも軽蔑すべき対象だ。そんな風に噂され、ミーシャは根も葉もない噂で度々蔑まれた。
そんなわけで、ミーシャは自分が優秀であると、随分前から自覚していた。
しかし、宮廷魔導士として推薦で召喚された時は、流石に何かの間違いだろうと思っていた。
自分は、王宮の魔導士に目をつけられるようなことはなにもしていない。
それに、いくら庶民の魔法学校で優秀だったとは言え、貴族と比べれば普通かそれ以下だろうと言うことは、言われなくても思っていたし、分かっていた。
卒業したら、実家に戻って治療師としてでも働こうと思っていた、その矢先だった。
しかし、召喚を無視するわけにもいかずに王宮に出向いてみれば、それはどうやら間違いではなかったようで。
2,3の質問とミーシャにとっては簡単な実践をこなしただけで、おそらく普通に庶民が宮廷魔導士になる時よりもはるかに簡素な試験をしただけで、ミーシャは寝食付きの高給職を手に入れた。
呆然と驚きながら、ミーシャは実家に手紙を書いた。
そうして、今日がミーシャの宮廷魔導士としての初出勤日だった。
(うーん迷った)
ちなみに言うと、ミーシャは魔法以外のあれこれについては、中々からっきしな人間だった。
広々と明るい、優雅さが滲み出る庭園に目を惹かれながら、ミーシャはぼんやりと考えた。
(どうやってここに出てきたのかが分からないし、どういけばどこに出るのかも分からない)
…つまり、わりと崖っぷちだった。
そんなときだ。
「あれ?きみ?」
男にしては高く、女にしては低い声が聞こえて、ミーシャは緩慢に振り返った。そして、
(…たぶん、男)
と判断する。それから、ミーシャは無感動に言い放った。
「誰アンタ」
男は、一言でいえば普通じゃなかった。
長い長い、腰まで届くような髪を一つに縛り、女でも着けるのを躊躇うような、しゃらしゃらとした金のピアスを付けている。身に付けるローブは一目で高級なものと分かるが、しかし意味が分からない紋章がいろいろと縫い付けてあった。
文官ではないな、とミーシャはそれだけは判断できた。
にっこにっこと妙に人好きのする、ミーシャから見れば胡散臭い笑顔を浮かべる顔は、その笑顔以外は特に特徴もない。平凡な顔立ち。あえて言うならその肌は酷く白くて、明るい太陽の下が恐ろしいほど似合っていなかった。
しかし、他のすべてを差し置いて何よりも目を引くものがあった。色だ。
男は、真っ青な髪の毛と真っ青な目をしていた。濃い青だ。それは、黒や茶色や、よくて赤色までしか存在し得ないこの国で、異色どころではない、異常だった。
「きみ、そのローブの感じからすると、宮廷魔導士かな。見たことないから、新人さん?」
ミーシャの質問を完全に無視した青い男は、聞いておきながら声に確信を伴っていた。ミーシャは頷きながら、なかなか詳しいらしいこの食えない男は誰だ、ともう一度考えてみた。
「アンタ、誰よ」
彼はミーシャの荒い口調など全然気にも止めないようで、相変わらずにっこにっこと妙に胡散臭く笑っていた。この男の口調は、貴族だ。わざと怒らせるようにお膳立てしたにも関わらず、少しも気にしないその様子に、ミーシャは逆に無性に腹が立った。
「きみ、どうしてこんなところにいるの?もしかして、迷ったのかな?」
男は再びミーシャの質問を完全に無視してきて、それを聞いてミーシャはいろいろ諦めた。この男は正体を現したくはないらしい。だからミーシャも、遠慮なく口調を改めることを諦めた。
「貴方の言う通り、迷いました。ここはどこ?私、部屋から出てそれほど歩いてないはずなんだけど」
きっと、この男は宇宙人に違いない。深い青い髪なんて、隣国にもあり得ないし、さっきから話が全く通じないし、そもそも、笑顔以外の表情が、ない。
そう結論づけたミーシャがそう言うとすぐに、男は笑みを引っ込めて真剣な表情でそっか、と呟いた。表情はあったらしい。
「きみ、飛んじゃったんだね」
「…」
わけが分からない。不満をそのまま沈黙に乗せると、相変わらずのにっこりに戻ったその男は、僕が連れていくよ、と胡散臭くそう言った。
「ぅえっ!」
言うが早いか男はミーシャの腕をひっ掴むと、いきなり空間転移を始めた。ついた場所は目的の広間で、ミーシャが一言しか発せないままの早業だった。
(…うそ)
ミーシャは呆然と思った。この男、かなりの腕の魔導士だ。なんてことだ、とミーシャは思った。…たぶん、上官のひとりだった。しかも、かなり偉い位置の。
空間転移魔法を人を連れて行える人間を、ミーシャは産まれて初めて見た。とても高度なこの魔法は、魔法学校でも最上級生になるまで教わらない。“バラけ”てしまうからである。
そもそも、この魔法は空間から空間を移動する魔法なので、優秀な人ほどピンポイントで移動が出来る。ミーシャは魔法学校では飛び抜けて優秀とは言っても、部屋の中に間違いなく到達出来る確率は1/3といったところだ。それをなんの躊躇いもなく、そして人を伴って。
恐ろしいほどの才能を持つこの魔導士に、自分は何という態度を、とミーシャは頭を抱えた。さっきまで無駄ににっこにっことしてたのは、ミーシャをどう虐め抜くか考えていたに違いない。
そんなミーシャを気に止めることもなく、男は変わらない胡散臭さでじゃぁね、と軽く言った後、ミーシャからあっさりと離れた。
「ユーフィリアさま!」
自分を離した彼のことを半ば悄然としながらミーシャが見送っていると、彼に近付いて来た茶髪の魔導士が慌てたようにそう叫んだ。彼の呼ぶ先があの青い男だと気が付いて、ミーシャは思わず考えた。
(えっ、女かよ)
それが、希代の魔導士リヒャルト・ユーフィリア・フォン・シュヴァイニッツと、彼の右腕ミーシャ・ディケンズの、決して華々しくはない出会いだった。
女性名を抱く青い男が、ミーシャにとって最高で最凶の上司になることを、ミーシャはまだ、知らなかった。
読んでくださりありがとうございました!
電車に乗っている時間だけで書かれた強者ですので、どうかお手柔らかに…
てゆうか、次作は〜という宣言を毎回破っているのはもう平身低頭です。いえ、ちゃんと書きます!
感想評価その他諸々、いただけると嬉しいです!