二章 再会と出会い
目の前に広がる荒野に、サラティータは立ち尽くした。
生まれ育ったイーファ島では見たことがない荒野をサラティータは呆然と見つめる。
「……ここ、大陸か……?」
小さく呟き、サラティータはエイリを見た。エイリも不安げに周囲を見渡している。
そのエイリの背後から傷のある男が彼女に手を伸ばしたのが見えた。
「――っ!? お前っ!」
エイリを守ろうとしたが一歩遅く、サラティータは声を上げた。光で出来た剣を構えた。
「おっと。小僧、動くなよ。この娘の顔に俺と同じ傷が付いちゃうぜ?」
下品な笑みを浮かべ、傷のある男が半月のように大きく曲がった剣をエイリに向けてサラティータを牽制する。傷のある男のその後ろを固めるように他の男達が立つ。
「その子に何かしたら、その子に手を出したことを後悔させてやる」
緑色の目で鋭く睨み、サラティータは隙を見つけたらいつでも飛び出せるように足に力を入れる。
「威勢がいいな、小僧。八年前の時の小僧みたいだな」
優勢だと感じた傷のある男は余裕の笑みを浮かべる。
エイリは身じろぎして、傷のある男から逃れようとするが、男の力で出来ずにいた。
「残念だが、俺達はこのままこの娘を連れて行く。そのまま動くなよ? 綺麗な肌に本当に傷が付いちゃうぜ?」
尚も牽制しながら、傷のある男はエイリを無理矢理引っ張って後退していく。
その時、激しい地鳴りの音がいくつも聞こえた。
エイリとサラティータ、男達も音が聞こえる方向へ顔を向けた。
向けると、砂塵を舞わせて十頭の馬がこちらへ近付いてきた。
馬は男達の周囲を取り囲むように止まった。
エイリとサラティータは目を見開いたまま、呆然と馬に乗る者達を見る。
馬に乗る者達はそれぞれ武装した兵士で、ただ一人だけ武装はせず、髪と同じ色の藍色の将校の服装をした青年がいた。
何処かの国の将校らしい青年は深い緑色の目で、五人の男達――特に傷のある男を睨むように見下ろしていた。
「……逃亡した盗賊のようだ。捕えろ」
静かに、しかし、しっかりとした声で青年は兵士に命じた。その声には暗い何かが含んでいた。
「はっ」
兵士達はそれぞれ武器を手に持ち、馬に乗ったまま五人の男達ににじり寄った。
「……ちっ……」
勝ち目がないと感じた男達はそれぞれ持っていた武器を地面に置いた。
「盗賊達を拘束しろ」
表情を変えることなく、青年は兵士達に命じた。
呆気なく降参する男達を呆然と見つめていたサラティータは我に返った。
「……っ?! エイリ、大丈夫か!?」
傷のある男から解放されたエイリに慌てて駆け寄り、サラティータは声を掛ける。
サラティータの声に、兵士達に指示をしていた青年が目を向ける。
「良かった……。エイリに何かあったら、アイス兄さんに会わす顔ないよ……」
微笑みながら頷くエイリを見て、サラティータは安堵の息を洩らす。
「良かった。本当に怪我がなくて……」
馬から下りた藍色の髪をした青年が心の底から安堵したように微笑しながら、エイリ達に近付いた。
「あ、あの、助けて下さってありがとうございます」
エイリと一緒に頭を下げなら、サラティータは青年に礼を述べた。
穏やかに微笑み、青年はサラティータを見下ろす。
イーファ島の中でも長身の部類に入るサラティータを見下ろす青年に驚きつつも、エイリとサラティータは次の言葉に耳を疑った。
「そんな他人行儀な言い方じゃなくていいよ、サラティータ」
「え……どうして、俺の名前を……!」
少しだけ警戒するように身構え、サラティータは青年を見る。いつでも光の剣が出せるように右手に力を込める。
「エイリも、久し振りだね」
そう言って、青年は嬉しそうに笑って、エイリを抱き締めた。
エイリは突然の青年の行動に対応出来ず、彼を呆然と見つめたまま固まった。サラティータも呆然と青年を見つめる。
「……俺だよ、アイシェルドだよ」
青年の囁くような優しい声に、エイリとサラティータは大きく目を見開き、息を飲んだ。
「……ア、アイス、兄さん?!」
「そうだよ。会いたかったよ、エイリ、サラティ」
嬉しそうに笑って、青年――アイシェルドはエイリを抱き締めたまま、サラティータの頭を子供にするように撫でた。
「良かった……アイス兄さん、無事だった……! って、ちょっと待った。どうして、アイス兄さんが兵士の人達を指揮してるんだ?! で、ここ何処なんだ!?」
突然のアイシェルドとの再会に喜びながらも、我に返ったサラティータは兄に問い詰めるように見上げた。
「ああ、そのことについては戻りながら話そうか。エイリ、俺の馬に一緒に乗る?」
首を傾げながら、アイシェルドはエイリに微笑み掛ける。エイリも小さく頷くと、アイシェルドは嬉しそうに彼女を抱き上げて自分の黒毛の馬に乗せ、自分も乗る。
「サラティもルーと一緒の馬に乗せてもらって。馬に乗るのは初めてだろう?」
「え、うん。え、ルーって誰?」
「そこの彼だよ」
アイシェルドは指で茶色の髪、紫色の目をした兵士を示した。
ルーと呼ばれた兵士は背筋を伸ばし、小さく会釈をした。
「あ、よろしく」
サラティータも会釈を返し、初めて馬に乗った。
サラティータが馬に乗ったのを確認し、アイシェルドは馬を進めた。
馬に揺られ、することがなくなったサラティータはどうにも落ち着かなくなり、きょろきょろと辺りを見渡した。
兄とエイリが乗る馬と自分とルーという兵士の馬の後ろには、盗賊を拘束した兵士達が続く。
「……あのさ、アイス兄さん」
小声で、隣で併走するエイリを前に乗せて、嬉しそうに笑うアイシェルドにサラティータは声を掛けた。
「ん? サラティ、何だい?」
「そろそろ教えてくれてもいいと思うんだけどさ、ここ何処だよ。あと、アイス兄さんはどうしてそんな将校みたいな格好してるんだ?」
「落ち着いて。ちゃんと話すから」
早口で尋ねる弟に苦笑して、アイシェルドは自分の前に座るエイリと弟に微笑む。
「まずここの名前だけど、ここはアイサリス公国という大陸の中央くらいに位置する小国だよ。この国の脇を通る大河を進むとイーファ島にも行けるよ」
「アイサリス、公国? 確か小国だけど、大国にも引けを取らない軍事力を持ってるとかって父さんが言ってたけど……」
思い出すように目を上に向けながら、サラティータは呟く。
「大国と引けを取らない軍事力というのはただの噂だよ。こっちはいつもいっぱいいっぱいだよ。あと、俺はこの国の公子の元に身を寄せているんだ」
「え、何で?」
「エイリと離れた後にそこの盗賊に殺されそうになったところを公子に助けてもらってね。恩返しをしている最中なんだ」
「恩返しって、何をしてるんだ?」
サラティータは眉を寄せて尋ねると、アイシェルドは少しだけ悲しげに笑う。
「この国と公子を守っているんだ」
「え? どういう意味だよ、アイス兄さん」
「詳しく話したいところだけど、着いたよ。ほら、あれがアイサリス公国の公子達が住む城、アイリード城だよ」
いつの間にか近くにある城を指差し、アイシェルドは弟と婚約者に声を掛ける。
初めて見る城を声もなく見上げ、エイリとサラティータはぽかんと口を開けた。
城門をくぐり、エイリとサラティータはきょろきょろと辺りを見回す。
薄い水色で統一された城壁と綺麗に整えられた庭、その奥に佇む城を呆然と見つめていると馬が止まった。
「さぁ、着いたよ。二人共ここからは歩いて行くよ」
馬から下りて、アイシェルドは未だ城を見つめるエイリ達に告げる。
「後で、ゆっくり案内するよ。その前に公子のところに行くよ」
エイリを抱き上げて馬から下ろし、サラティータが馬から下りたのを確認し、アイシェルドは微笑む。
馬を兵士のルーに預け、アイシェルドは城内に入る。入ると長い廊下が左右に広がっており、たくさんの扉が並んでいる。
初めて入る者は迷うこと必至の城内をアイシェルドは迷うことなく目的の場所へと歩いていく。
迷うことなく歩く兄の横顔を見つめ、サラティータは複雑な表情を浮かべる。サラティータのその表情に気付き、エイリは彼の袖を引っ張った。
エイリに袖を引っ張られたことに気付き、サラティータは何でもないと言うように笑みを浮かべた。
しばらくの間、廊下を歩き、階段を上り、また長い廊下を歩き、どんどん城の奥へと進んでいく。
廊下や階段ですれ違う度、使用人達やメイド、兵士達が珍しそうにこちらを見ていることにサラティータは気付いた。
「アイス兄さん、何であいつらこっちを見てるんだ?」
眉を寄せ、不快な表情で前を歩く兄に尋ねる。
「俺が人を連れて歩いてるからじゃないかな。エイリ、大丈夫?」
隣を歩くエイリを気遣いながら、アイシェルドは答えた。
「――違うよ。君達三人が珍しいから見ていたんだよ」
呆れたように返す低い男性の声が横から聞こえ、サラティータは驚きつつも身構えた。
「驚かせてごめんね、アイスの弟君。お帰り、アイス」
廊下の窓際にある長椅子に腰掛け、金色の髪に青い目の青年が微笑む。その彼の額には細かいところまで模様が刻まれた銀色の髪飾りがあり、落ち着いた色ながらも高級な布を使っているのが分かる服を着ている。
「ただいま」
「逃げた盗賊はどうだった?」
「ちゃんと捕えた。被害もなく捕まえられて良かった」
「そうか。また牢に入ってもらって、頭を冷やしてもらおう。立ち話も申し訳ないし、中に入るかい?」
金色の髪の青年はにこやかにエイリ達を見て、近くの部屋を指差す。
頷く三人に青年は微笑み、もう一度彼らを見る。
珍しそうに城の天井を見上げるエイリの長い赤い髪と、彼女を見つめる視線に気付き、警戒するサラティータ、その二人を連れてきたアイシェルド。
「本当に珍しいね」
部屋に入るなり、青年は穏やかにそう呟いた。エイリの長い赤い髪を見つめて。
警戒するようにエイリを守るように前に立ち、サラティータは右手に力を込めたまま青年を見据える。
「悪いけど、エイリは君には渡さないよ。ティラフェルト」
エイリをじっと見つめるティラフェルトという名の青年に、アイシェルドは笑顔で告げた。
「分かってるよ、アイス。君という婚約者がいるのに手は出さないよ。弟君も今にも噛み付きそうだし」
降参するように両手を上げ、ティラフェルトは苦笑する。
「じゃあ、何でエイリを見てたんだよ」
警戒を解かず、サラティータは目の前の金色の髪のティラフェルトに尋ねる。
「冷静で滅多に喋らない、群がらないと城内で噂されてるアイスが可愛い女の子と強そうな男の子を連れてるのを見たら、そりゃあ見るよ。アイスの婚約者は美人だから余計にね。まぁ、噂と言ってもちゃんと喋るし、冷静と見せかけて熱いけどね」
笑顔で長々とティラフェルトはアイスとサラティータをからかうように言う。
「……と、ところで、アイス兄さん。この人は誰? 俺達のこと知ってるみたいだけど」
からかわれていることに気付いたサラティータは拗ねた顔をしながら、兄に尋ねる。
「ああ、紹介が遅くなったね。彼はティラフェルト。アイサリス公国の公子で、俺の命の恩人。公子、弟のサラティータと婚約者のエイリ」
穏やかに微笑し、アイシェルドはエイリとサラティータにティラフェルトを紹介する。
「……え? 公子……?」
呆然と呟き、サラティータは兄と今、紹介された公子を見つめる。エイリも驚いているようで目を何度も瞬く。
「そんなに驚かれると何だか申し訳ないね。改めて、僕の名前はティラフェルト・ラルフリード・メルズ・アイサリス。名前も姓も長いから、僕のことはティランでいいよ。アイスもいつものように呼んで。それとも、弟君や婚約者のお嬢さんの前では格好つけたいのかな?」
からかうように笑みを浮かべ、ティラフェルトはアイシェルドの顔を覗き込む。
「そうじゃない。扉を開けっ放しの状態で、君のことをいつも通りに呼べると思うのか?」
腕を組み、アイシェルドは呆れた顔で尋ねる。
「別にいいじゃないか。君は友人なんだし」
「公私混同したくないだけだ。ただでさえ、君の近衛隊長に睨まれてるのに」
「それはただ目つきが悪いだけだよ。真面目なのもあるけど、気にしなくていいよ。あ、二人も僕のことはティランでいいからね」
にこやかにエイリとサラティータに手を振り、ティラフェルトは言う。そして、部屋に置いてある机に縋る。
「え、あ……はい」
初めて見た王族に、サラティータは緊張した面持ちで頷いた。
そのぎこちなく頷くサラティータにティラフェルトは苦笑する。
「そんなに緊張しなくても取って食べやしないよ。他の国は知らないけど」
「他の国も食べないよ。公子、弟と婚約者をからかうのをやめてもらおうか」
睨むようにアイシェルドはティラフェルトを見た。
「はいはい」
睨まれたティラフェルトは肩を竦めて、笑う。
アイシェルドとティラフェルトを交互に見て、エイリとサラティータは戸惑った表情で二人のやり取りを見守る。
その時、慌てた様子の兵士が声を上げて部屋に入ってきた。
「ティラフェルト様、報告します! 国境付近にルシザーク帝国の騎馬隊が近付いている模様です。数は二百です。詳しくは偵察に行った者が報告します。会議室にいらして下さい!」
息を切らしながら報告する兵士は指示を仰ぐようにティラフェルトを見つめる。
報告を聞いたアイシェルドも無言で公子を見つめる。
「……前回追い返してまだ二週間なのに、またか。分かった。すぐに行く。皆を集めて」
ティラフェルトは呆れたように息を吐き、兵士に指示を出す。
兵士は返事をして、すぐ部屋を後にした。
「あぁ、困ったな。向こうは大国だから兵士の補充は楽だけど、こっちは小国なんだからもう少し状況を考えて欲しいな」
「向こうは向こうの状況を考えて攻めてくる。それに向こうとしてはまだそんなに日にちは経っていない今だから好機と思ってるはず。俺でもそう考えるよ。君もそうだろう?」
「そうだけど……。大国の考えることは分からないよ、本当」
盛大に溜め息を吐き、ティラフェルトはエイリとサラティータの方に顔を向ける。
「……そういう訳だから、また後でゆっくり話そうね」
二人に微笑み、ティラフェルトは部屋を出た。
「あ、あのさ、アイス兄さん。今の話、どういう意味?」
「ああ、ごめん。よく分からなかったよね。今の状況を話すと、この大陸の地図を見たことあると思うんだけど、この大陸、カサルシア大陸は今、戦争が始まろうとしているんだよ」
「え、戦争?!」
驚きの声を上げ、サラティータは兄を見る。
アイシェルドは頷き、部屋にあったカサルシア大陸の地図をエイリとサラティータに見せて説明を始める。
「そう。この大陸の西にある大きな国、ルシザーク帝国が他の国を圧倒する為に始めようとしている戦争。その最初の戦争がルシザーク帝国の隣にあり、険しい山脈と深くて大きな森、大河を挟んで大陸の中央にあるこの国、アイサリス公国を吸収しようとしている戦い。アイサリス公国を吸収すれば、北にある大陸二番目の大国、ノーザンティア王国、南にあるミセトラ王国、ノーザンティア王国を挟んで東にあるクウェール王国を攻める足掛かりになる。だから、何度もルシザーク帝国はこちらに攻めてくる。そして、ミセトラ王国もルシザーク帝国に対抗する為にこちらを攻めてくる噂があるんだ」
「ノーザンティア王国、クウェール王国は攻めて来ないのか?」
地図を見つめ、サラティータは眉を寄せながら尋ねる。隣でエイリも熱心に地図を見つめる。
「ノーザンティアはアイサリスとは同盟を結んでるから、今のところは攻めることはないと思うよ。だけど、どうなるかは分からない。アイサリスがルシザークに吸収されればノーザンティアも攻めてくるかもしれない。クウェールは中立の立場を取ってるよ。そういう状況が十年前から続いている。そのとんでもない戦争が起きないように公子や公子を支える人達が尽力してるんだ。だから、公子はこの国の人達にとって希望なんだよ」
「公子の父親はどうしてるんだ?」
「公子の父君は十年前に病になり、五年前に亡くなったんだ。だから、今は公子しかこの国を治める人がいない。そんな状況を公子が俺を助けてくれた八年前に知って、公子に恩返しを、俺が出来ることを公子にと思ってイーファ島に帰れなかったんだ」
アイシェルドの言葉にエイリとサラティータは驚愕の表情を浮かべた。
「なっ、何で、そんなことしてるんだよっ! 別のことで恩返しすればいいじゃないか!」
身を乗り出し、サラティータは兄を見上げた。
「……そうだね。だけど、俺には光の盾があるし、癒しの力がある。戦いで傷ついた人達を少しでも癒せないかなって思ったんだ。二人や父さん、母さんには悪いと思ってるけど、見過ごせなかったんだ……」
申し訳なさそうに話す兄の言葉に、サラティータは押し黙った。
小さい頃から自分やエイリ、家族に兄は優しかった。そして、受けた恩はちゃんと返す律儀な性格で。
それは行方不明になって、アイサリス公国の公子のティラフェルトに助けられた時以降も変わらず、助けてもらった恩を必死に返していたのだろう。遠くのイーファ島にいる家族とエイリを思いながら。
そんな兄を想像し、サラティータは何も言えなかった。
イーファ島にいた自分達がアイシェルドを思っていたように、アイシェルドも生まれた島から遠いアイサリス公国で自分達を思っていた。それが言葉の端々に感じ取れた。
心配していたことを少し恨み言も含んで、絶対兄に言ってやろうとサラティータはこの八年間思っていたが、これでは言えない。
申し訳なさそうに俯くアイシェルドにエイリが彼の袖を引っ張る。
袖を引っ張るエイリに気付き、アイシェルドは彼女を見る。
「エイリ?」
少し驚いて目を瞬かせ、アイシェルドはエイリに声を掛ける。
エイリは何も言わず、ふわりと優しく微笑んだ。
優しく微笑まれ、アイシェルドは顔を赤くする。顔が熱くなるのが分かった。
そこでアイシェルドはふとあることに気付いた。
「エイリ、さっきから君の声を聞いてないけど、どうしたんだい?」
アイシェルドの問いに、エイリは悲しげに視線を落とす。
「アイス兄さん、エイリは……喋れないんだ」
喋れないエイリの代わりに、サラティータが話す。
「……え……?」
弟の言葉に、アイシェルドは大きく目を見開いた。
「どうして……?」
「八年前、アイス兄さんとエイリが行方不明になって、エイリだけイーファ島に戻ってきた時から喋れないんだ。その、アイス兄さんを置いてきてしまったショックで……」
言いにくそうに説明する弟の言葉を聞いて、アイシェルドは息を飲んだ。
俯くエイリをアイシェルドは見る。彼女は悲しげな表情を浮かべている。
「そんな……俺のせいで……」
一気に血の気が引くのをアイシェルドは感じた。震える手で、口を押さえる。口に触れる手が冷たい。
「俺が、外の世界が見たくて、あの時、エイリに扉を開けるよう頼んだから……」
震える手を強く握り締め、アイシェルドは後悔した。
白くなる程握り締めるアイシェルドの手を、細い、色白い温かい手が優しく包んだ。
アイシェルドは驚いて、顔を上げた。
先程まで悲しげに俯いていたエイリが、何度も首を振っていた。
アイシェルドの手を右手で握ったまま、エイリはサラティータに左手を差し出した。
差し出されたエイリの左手を握り、サラティータが頷いた。
エイリとサラティータの様子をアイシェルドは不思議そうに見つめる。
「エイリがアイス兄さんのせいじゃないってさ。力を制御出来ない自分のせいだから、アイス兄さんが気に病むことじゃないって言ってるよ」
サラティータが通訳すると、エイリもこくこくと何度も頷き、アイシェルドを安心させるように小さく笑う。
「言葉、分かるのかい? サラティ」
「喋ることが出来ない者の声を聞く力があるから。そのおかげで、行方不明になった理由とかが分かって、父さんや母さんが色々な国を探したり出来たんだ。流石にアイサリスの城までは探せなかったけど」
「そうか……」
「と、とにかくさ、アイス兄さんが元気で無事だったことが分かって、安心したよ! エイリも、良かったって言ってるよ」
俯くアイシェルドに慌ててサラティータは笑い掛けた。
エイリもサラティータの言葉に頷いて、微笑む。
「……ありがとう」
アイシェルドも笑みを浮かべ、細いエイリの手を両手で握る。
温かいエイリの手が彼女の心を表しているようにアイシェルドは感じた。
とても愛しく感じ、アイシェルドはエイリを抱き締めようと思い、動いたその時。
「アイス、少しいいか?」
「わっ、こ、公子?!」
不意にティラフェルトの声が聞こえ、アイシェルドはびくりと身を縮めた。
「ど、どうしたんだ?」
跳ね上がる心臓を落ち着かせようと胸を押さえ、アイシェルドはティラフェルトを見た。
「家族と婚約者との団欒のところ申し訳ないが、来てもらえないかな?」
からかうような言葉だが、真剣な表情をティラフェルトが浮かべていることに気付き、嫌な予感を感じたのかアイシェルドも顔を引き締めて恐る恐る尋ねる。
「何か、あったのか……?」
「……私の近衛のウルフがルシザーク帝国の騎馬隊と戦って負傷したらしい。今から城に戻ってくるようだから傷を診て欲しい。場所は医務室だ」
「分かった」
アイシェルドが頷くのを確認し、ティラフェルトは再び部屋を後にした。
「サラティやエイリはここで待ってて」
ティラフェルトの背中を見送り、アイシェルドはサラティータとエイリに視線を戻し、告げた。
「アイス兄さん、俺も行っていい?」
サラティータが自分より少し背の高い兄を見上げ、尋ねた。
背が二つ分低いエイリがアイシェルドの袖を引っ張り、サラティータと同じように主張した。
それを見て、アイシェルドは苦笑した。
「……いいよ。でも、公子の近衛は怪我をしてるみたいだから、エイリは着いたら出来れば傷や血を見ないように後ろを向いていて欲しいな」
アイシェルドの言葉に、エイリは頷いた。頷くのを見て、アイシェルドも満足したように頷く。
「じゃあ、一緒に行こうか」
ティラフェルトから聞いた場所、城の医務室にエイリ達が着くと、中から男の喚き声が聞こえてきた。
「何だ?」
何事かを喚く男の声に眉を寄せ、サラティータは兄を見上げる。
「……いつものことだから気にしないでいいよ」
そう言って、アイシェルドは医務室の扉を開け、中へと入る。
医務室に入ると、赤い色の髪、青い目をした青年が医師に向かって叫んでいた。
「――だからっ、さっきから言ってるだろ! 傷はいいから、早く公子に会わせろって」
青年は自分を押さえつけようとする医師の周りにいる助手らしい者達の手を振り払う。
服はところどころ切れていて、血塗れだった。
全身血塗れの青年を見て、エイリとサラティータは息を飲む。
彼の服装から重症に見えるのに、どうしてあんなにも動けるのか不思議だったが、それよりも、青年の容姿はどう見ても若い。サラティータと同じくらいの年頃でティラフェルトの近衛をしていることに驚いた。
「駄目です! そのような格好で公子に会わせる訳にはいきません! 傷だらけの格好を見られたら公子も驚きますし、心配されます!」
手で振り払おうとする青年を必死に医師が押さえようとする。
「だから、これは傷に入らないって言ってるだろ! 早く公子に報告しないといけないんだよっ!」
手を振り回しながら、青年は叫ぶ。
その姿を見て、アイシェルドは小さく息を吐き、青年に近付く。
「そんなに報告したいなら、大人しくしろ。傷治すから」
「ん? あ、アイス! 何で来たんだ?」
「公子に呼ばれた。ウルフが怪我してるから診て欲しいって」
「それは助かる! お前に治してもらう方が早いし、公子に報告しないといけないし」
時間が惜しいのか、ウルフという名の青年は安堵の息を漏らす。
アイシェルドが来たことで暴れるのをやめたウルフに医師達もほっと息を吐いた。
アイシェルドに傷を診てもらい、癒しの力で治してもらっているウルフは手持ち無沙汰になり、辺りを見渡した。
そこに見知らぬ顔の黒髪の少年と赤茶色の髪の少女が立っていることに気付き、ウルフはそちらに顔を向けた。
「そっちの二人はアイスの知り合いか?」
赤茶色の長い髪の少女をじっと見つめ、ウルフはアイシェルドに聞く。
「ああ。私の弟のサラティータと婚約者のエイリ」
ウルフの腕に光を当てて癒しながらアイシェルドは答える。
「……私って、今、アイス兄さん言ったよな?」
小声でエイリにサラティータが聞くと、彼女も驚いたのか戸惑ったようにゆっくり頷く。
「後で聞いてみような」
サラティータの言葉にエイリは頷いた。
「へぇー、二人がアイスの弟に婚約者か! 俺様はウルフ・シリスって言うんだ! よろしくな!」
手を上げて、やんちゃな少年が笑うようにウルフは破顔した。
「俺様のことはウルフって呼んでいいからなっ。えーっと、サラティータに、エイリ!」
ウルフは尚も笑顔を向け、エイリ達に話し掛ける。
エイリとサラティータはウルフに気圧されたのか、頷くことしか出来なかった。