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路傍の神  作者: 立花
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志乃

 折からの雨で、川は酷く増水していた。

 茶色く濁った川は鉄砲水のようになり、このままでは氾濫するのも時間の問題と思われた。一度ひとたび反乱すれば、普段川の恩恵に預かっている小さなこの山村は、あっという間に飲まれてしまうだろう。

 殊に、この雨はおかしかった。

 ざあざあと激しい音を立てながら、大きな雨粒が次から次へと降り注ぐ。そんなことが、もう三日も続いている。

 志乃しのは、灰色の分厚い雲を眺めながら、顔を雫で濡らした。

 空の異常も、このままでは畑の野菜がやられてしまう事も、今の志乃には些細な事のように思われた。

 冷たい雨水に混じって、ぬくい雫が頬を流れ落ちていく。涙も雨も一緒になって、志乃を濡らしていく。

 このまま水になって川に流されてしまえば、あの濁流の一部になれれば、切り裂くような寂しさや辛さはなくなるのだろうか。

 水になって、何もかも飲み込んでもみくちゃにしてしまえば。


 ふらり、と足を川の方へと踏み出した。

それを咎めるように、遠くから志乃を呼ぶ声が聞こえた。

「お志乃! 何をしている。風邪を引くぞ」

 ばしゃばしゃと池のようになった道を、三件隣の幼なじみが志乃の側へと駆け寄ってくる。

「又左さん」

 志乃の空っぽの顔を見た幼なじみは、顔を少し強ばらせて志乃の腕を取り、ぐいと引っ張った。

「村長がよんでる」

 それだけ言うと、そのままぐいぐいと腕を引き、村長の屋敷へと志乃を引きずるように連れて行った。


 村長の家は煌々と灯りが点されて、そこだけ別世界のように暖かだった。

 木の戸を閉めれば激しい雨音は僅かに遠くなり、その分外と切り離される。

 しとどに濡れそぼった志乃は土間に通されて、地面の土を濡らした。

 髪から、着物から、ぽたりぽたりと雫を垂らす幽鬼の様な志乃を、村長は痛ましげに見やった。

 明るく、朗らかな娘であった。五件先まで弾けた笑い声が聞こえてくるような、快活でよく笑う娘であった。

 その志乃が幽鬼の様になったのは、五日ばかり前のことだ。

 言い交わしていた若者と、両親を一度に失った。

 その死に様は、奇妙の一言に尽きた。

 熱に浮かされるように譫言うわごとを発しながら、ざぶざぶとまだ穏やかだった川に許嫁が入っていったのが六日前。

 次の日の夜には志乃の両親が同じ様にざぶざぶと自ら川に身を沈めた。取り乱し、気の病にかかる志乃をあざ笑うように、四日前に下流から水に膨れた三人の遺体が引き揚げられた。

 そうして志乃はいよいよ幽鬼の様になってしまった。

 志乃を哀れに思うものの、このまま村を放ってもおけない村長は、隣村から占いをよくするという婆に話を聞きに言った。

 この雨はどう考えても異常だ。異常な雨なら何か理由があって降っており、理由があるなら止められるかもしれぬ。その村長の思いつきは婆の占いに肯定された。肯定されはしたが、しかし余りにむごい結果であったのだ。

 婆は言った。

「直前に、川に身を沈めて亡くなった身内を持つ娘が居るじゃろう。その娘を川主様に捧げよ」


 その娘は川主に魅入られておる。川主が娘を欲したが為、娘の身内が次々川に呼ばれたのじゃ。娘は自ら川に入るようにな。この雨もその一環じゃて。娘を川に呼んでおる。

 娘がその身を捧げるまでこの雨は止まぬぞ。


 志乃の顔を見つめる村長の頭に、婆の言葉が響いた。身内を失った娘を、人柱に立てる。

 志乃が余りに哀れで、呼び出したはいいが村長はなかなか口を開くことができなかった。

 けれど、志乃を差し出さねば村は飲まれるだろう。 幽鬼のような志乃は、既に黄泉の国に捕らわれている様に見えた。

 水面に消えた、両親と若者に。

 哀れに思うなら、逝かせてやればいいのかもしれぬ。一人取り残された痛みより、愛する家族の元へ逝かせてやったほうが……。

 如何に自分に対して言い訳をしようにも、志乃をみぎわに追い込む罪悪感は消えぬ。けれど、村を救うために、この罪を犯さねばならぬ。

「志乃。越村の婆がいうにはな、川主様が暴れていらっしゃっる故の雨だそうじゃ。沈めるためには、妻を差し出さねばならぬ。志乃……お前に頼むことの酷さをよう分かって居る。儂を恨んでくれ」

 川主というのは、川に奉られる神の事だ。みづちであると言われている。

「川主様を鎮めにゆけばいいのですね」

 面をあげた志乃は、微笑みを浮かべていた。

 長雨の後、太陽をみた百姓の如き笑みだと、村長は思った。

「すぐにゆきます」

 戸を開けて、激しく降り続ける雨に躊躇することなく志乃は身を晒し駆けてゆく。

 外で話を聞いていた幼なじみが思わず止めようとするのにも気づかず、轟々と流れる川に一目散に駆けてゆき、そのままの勢いで濁流に身を投げた。

 

 ああ、これで。

 もう痛くない。



 激しい雨音に、志乃が落ちた音に気づく者はなく、ただ、事を知っている村長と幼なじみだけが、志乃を飲み込んだ濁流に、泣きながら手を合わせたのであった。


 夜が明ける頃には雨の勢いは弱まり、太陽が登り切る頃には嘘のように晴れ間がのぞいていた。


 その頃には、皆志乃が人柱になったことを知っており花が手向けられた。

 いくら探しても志乃の遺体は上がることはなく、志乃は神の国で川主の妻になったのだと誰もが思った。


 川主の祠には志乃の使っていた櫛が奉納され、川主の妻として奉られることとなった。



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