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Perfect Insiders

作者: 葱田金鹿


   1


 S・Sはグラスに入った琥珀色の液体を飲みながら、ディスプレイの前の椅子に腰掛けた。

 手元のパネルに触れると、パイプグラフィックのスクリーン・セイバが消える。

 仕事を始めようと中断していたソフトを起動すると、


 You have new mail


 というアイコンが画面に表示された。

「ん?」

 S・Sは疑問に思いながらもそのアイコンをクリックした。もはや形だけの、第一世代と呼ばれているインターネット経由のメールだったからだ。

 あまりにも久しぶりのインターネットからのメールだったのでウイルス・チェッカーが起動する。しかし、それも一瞬で終わった。

 サブジェクトには『past message』とあった。

 S・Sはその古典的な手段で送られてきたメールを開いた。

「珍しいな」

 内容は英語だった。


 このメールを見ている貴方へ。

 私は過去の人間です。

 もしよろしかったら、返事をください。

 

「?」

 それだけだった。

 S・Sが確認すると、驚くことに送信時間はなんと二十世紀だった。

「へぇ、面白いじゃん」

 S・Sはそう呟いてからそのメールに解析用のパッチをあてた。

 数秒で解析が終わる。

 解析結果から、このメールは初期のコンピューターである、ノートブックと呼ばれる形式のハードのなかでも、割と基本的なソフトで出されたものだということがわかった。検索してみると、そのノートブックの生産された時代は、確かに送信時間と一致している。また、表示偽装の形跡は無かった。

「凝ってるなぁ」 S・Sは呟く。検索結果が正しいなら、そのハードは骨董品として相当値がついていることになる。

 大昔に、この手のメールが流行ったということをS・Sは知っていた。流行ったといってもほんの一時期で、それも携帯型の端末の話だ。チェーンメールというメールで、不特定多数を相手にした文。内容はホラーや都市伝説あたりを含んだ目的が不明なメールである。もしかしたら、自分のメールが世界中に回るのが面白いのかもしれない。所詮、歴史の断片でしかないのだから、S・Sにはどうでも良かった。

 インターネットに変わる新しいネットワークが確立されてから、個人のプライバシーに関するセキュリティレベルは飛躍的に向上した。今ではハッカーやクラッカーという言葉はあまり使われなくなり、ネットワーク犯罪はほとんどが絶滅したのだ。

 そもそもインターネットは匿名性に特化したメディアであり、管理者であるか、公共機関の法的な手続きが無ければ個人の特定ができない仕組みだった。そうして、インターネットが一般に普及してから百年の間に、その匿名性を利用したさまざまな問題が発生する。ネット犯罪と呼称がつけられたそれらは、当時の法的整備が不十分だったために、民間企業にチェックを頼むしか打開策が無かった。

 そして、その後インターネットに代わる新しいネットワークサービスが開発された。

 名称はMCR。

 MCRによるネットワークの利用に伴い、個人のIDを登録することで、ユーザー間でもある程度は個人の識別ができるようになり、データ上では全て履歴が残るようになった。しかし、プライバシーの問題上、それは本人ですら知ることは無い。ユーザーの全履歴は無人サーバーに記録される。物理的な位置は一般には知られていない。また、ソフト的に考えてもセキュリティレベルは超高度である。アクセスするには膨大な壁を越えなければいけないし、万が一そこにアクセスできても、履歴を参照するには特別なコードとソフトがいくつも必要だった。

 よって、今ではメインワークはMCRサービスであり、インターネットは形式上の過去の産物として、二次的なネットワークとして現代にも生き残っているが、利用者はよほどのマニアックなか、無法地帯を好む人間くらいだ。

 だからこそ、S・Sはこのインターネットから送られてきたメールに興味を持った。

 アドレスはS・Sの知らないものだ。それに山勘でアドレスを入れて、それが誰かの元に届くというのはありえない。つまり送信主はS・Sのアドレスを知っていたのだ。

 S・Sは真っ先に知人に連絡を取った。しかし、誰も知らないという。大体、S・Sの知人はそんなことをするほど皆暇ではない。

「うーん」

 S・Sはしばらく考えてから、そのメールに返事を出すことにした。


 メールを見ました。

 なかなかおしゃれなメールですね。

 ご用件は?


 メールを送った後、しばらく仕事はこなし、いくつかのプログラムを作った。

 S・Sは時間になったので別のハードで待ち合わせのカフェ・ネットに入った。



   2 



「ねぇ、オフで会わない?」

「え、また?」

 比較的大きなモールの中で、S・Sは隣を歩いているシータの横顔を見た。左耳についているピアスが印象的だ。もっとも、それはS・Sがネット・ショップでプレゼントしたものだった。

「ねぇ、駄目?」

「いや、駄目ってわけじゃないけどさ」

 シータとは一週間前にも会ったばっかりだ。オフラインでは年に数回しか人と会わないS・Sにとって、一週間というインターバルは劇的なまでに短い。

「だって、何するの?」

「何って、おしゃべりしたり、お茶したり・・・・・・・」

「おしゃべりなら今してるし、お茶ならこれから行くじゃん」

 今日の予定を取り出す。買い物先、レストラン、映画館、などの名称が表示されていた。

「だってさぁ、そんなのVP立てれば直ぐにできるじゃん」シータはS・Sの袖を引っ張った。「付き合ってるんだからさぁ、もっと、こう、ネットじゃできない事しようよー」

 ネットではできない事とはなんだろうか、とS・Sは考えた。

 ネットで選択すれば、映画だって買い物だって簡単にできる。食事だって、もうネットでできる時代なのだ。二人で同じ料理を注文すれば、目の前に同じ料理が同時に配達されるし、ドリンクも同様である。トーク・チャット、音声認識、何でもある。街中でいきなりプライベートスペースを作れば、簡単に二人っきりになれる。ネットでできない事とはなんだろうか。

「ネットじゃできないことって、何?」S・Sはシータに聞いた。

「え、それは・・・・・・」シータの顔が赤くなる。それが条件表示なのか、コマンドなのか、実際に赤くなっているのかは、S・Sには判断がつかない。

「そんなの、こんな所じゃ言えないよー。ほら、えっと、人と人との触れ合い、とか、目と目を合わせてー、うぅ、みたいな?」

「みたいな?」S・Sは首を傾げる。「シータさ、自分が何を言ってるか分かってないでしょ?」

「ふんだ」シータはS・Sの反対側に顔を背けた。「やっぱり、ソウジ君って冷たいね。私って、嫌われてるのかな」

 S・Sはコマンドを開く。

【抱き寄せますか? イエス/ノー】

 イエスをクリック。

【キスをしますか? イエス/ノー】

 イエスをクリック。

「これでも?」唇が離れてからS・Sは言った。

「ううん」シータは首を振る。先ほど以上に顔が真っ赤だ。「でも、不安になるよ」

「それは・・・・・・」S・Sは前を見て歩き始める。右手はシータの腰に回ったままだった。

「それは?」シータが首を傾げる。

「しょうがないんじゃない?」少しの沈黙の後に、S・Sは言った。

「ひどい! 何それ!」

「ごめんごめん」S・Sは笑いながら言う。「冗談だってば」

「冗談で許される冗談じゃなかったよ・・・・・・」シータの頬が膨れる。

「だからごめんって」

「許さない」

 シータの目が本気だった。

「ネットショップでまたなんか買ってあげるからさ」S・Sは一枚目の切り札を出す。

「ソウジ君ってさ、優しいよね」シータは瞬時に表情を変える。「そういうところが、私、好きだなぁ」

「現金だなぁ」

「私ってね、CPUみたいに単純じゃないの」

「いや、むしろ単純だと思うよ」

「それ、どういう意味?」



   3



 MCRサービスの発展によって、次世代ネットワークが発達。それに伴い、古くから言われていた仮想現実、いわゆるVRヴァーチャル・リアリティの技術が格段に進歩した。

 VRという概念が出てきたばかり頃は、仮想と現実の区別がつかなくなるなど、さまざまな問題が指摘された。しかし、それはVRに適応できない世代の言い分であり、次世代の人間、つまり生まれたときからVRに触れている世代にとっては、仮想現実という言葉の通りに、仮想と現実と区別するものではなかった。

「仮想現実は、いずれただの現実になります」

 二十一世紀初頭の有名な学者がそう言ったように、VRの環境で育った世代にとっては、仮想現実とは何の違和感もないモノだった。

 エネルギー問題が解決されてから数世紀。VR技術の発展と共に、世界から貧困や差別といった低俗な概念は無くなり、戦争はごく一部を残して地球上から消滅した。ごく一部残った戦争ですら、古代でいう戦争という意味は無く、どちらかといえば、ショーに近いものになっていた。

 そんな地球で実現した世界平和とは、とある国が発端だった。

 少子化という人口減少。世界の人口が増加傾向にある中で発生した問題だったが、これは珍しいことではなかった。他の先進国でも懸念されていたことであり、その国が何も対策を打たなかったために起こった、その国自身が原因で生じた問題だった。

 しかし、それが結果的には成功を招く。

 同じ時期、その国のシステム・エンジニアがあるサービスシステムを開発した。そのサービスシステムは画期的な発明だったが、世界的認められるにはあまりにも非現実的すぎたシステムだった。そこで、そのエンジニアは私財を全て投入し、そのシステムの向上に努めた。それが後のMCRサービスシステムの原型である。

 人口の減少。その国が特色としていた精密技術。MCRサービスシステム。そして、後に解決されるエネルギー問題によって、今の世界の原型がその国から出来上がっていったのだ。

 エネルギー問題が解決した人類は、まず自分たちの生活様式の改善を進めていった。人工の素材や繊維で出来上がった施設や交通は、完全に外と中を遮断したものであり、人々が歩くのはエネルギーを完全に遮断する素材でできたパイプトンネルのようなものや、それと同じ材料で作られた施設の中だけになった。それが今では世界中に膨大な長さで全てが繋がっている。衛生写真には緑黄色の陸の上に、光り輝くクモの巣が幾重にも広がっている様子が映し出されていた。これがライフ・ラインと呼ばれる現代都市の建造形態だった。

 そういう生活環境の中でも、MCRサービスは向上していった。それに伴う国際規模での法的整備。それによってネット犯罪は激減し、職場にいなくても仕事ができるようになる。その上、ライフ・ラインの発展に伴い、人間の移動手段は公共機関だけに限られていった。自動車、バイク、自転車といった乗り物は、一部の大富豪の所有を除いて自然消滅し、今では古代博物館に飾られている遺物でしかない。

 MCRサービスとライフ・ラインによって人間の移動回数が絶対的に少なくなり、無駄なエネルギーの消費も無くなる。結果、人と人との接点が希薄となっていったが、それはVRの向上によって解決された。

 仮想空間に街や店ができ、そこをユーザーが自分の3Dグラフィックスで歩けるようになったのだ。簡単に言えば、パソコンの中に外の生活が実現した、ということだ。

 仮想空間の映画館に行けば、映画が見られるし、ネットショッピングも簡単だ。飲食店に入って食事を注文すれば、実際に個人の下へ本物の食事が配達される。レンジ・パックというシステムだ。解析により出来上がったデータレシピの通りに、ライフ・ラインに一定間隔で配置されているディナー・システムが食事を作る。時間も意外と掛からない。

 さらに、昔で言う疑似体験プログラムの発展系である別のシステムによって、ほとんどの触覚や味覚、嗅覚などの五感を再現できるようになった。

 ほとんど現実世界と代わらない仮想空間。むしろ現実世界よりも仮想空間のほうが便利で、さまざまな可能性に満ちた広範囲の行動ができる。

 現実世界に代わり、仮想空間を通して、人間はある程度他人と接するようになった。人間同士の適度な接点が生まれたのだ。これがまた、上手い具合に滑らかな人口減少、つまり人口増加に歯止めを掛けた。

 そうして、ある程度、このような社会体系が確立したのが二百年前だった。

 今では、大昔に騒がれていた問題の、ほとんどが解決していた。



   4



 シータとのデートの翌日、S・Sの家のインターフォンが鳴った。

 S・Sはリビングの液晶パネルで相手を確認してから、セキュリティロックを外す。

「いらっしゃい」S・Sは微笑みながら開いたドアの先にいるシータを見た。

 セミロングで栗色のストレート。オンラインと同じように耳にはピアスをつけていて、服装も変わっていない。

「おじゃましまーす」

 シータがリビングに入ってくる。二度目だというのに、なかなか堂々としている。

「何飲む?」

「んーと、コーヒーかな」

 シータはリビングのソファに腰掛け、テーブルの上のスナックを摘んだ。

 S・Sはリモコンでコーヒーメイカーのスイッチを入れる。ミルク二杯、砂糖三グラムがシータのいうコーヒーで、それは入力済みだった。

 コーヒーができるまでの間に、シータの持ってきたファッション雑誌を二人で眺める。

「ほらこれ」シータが一人の女性モデルを指差した。「可愛いよね」

「そうかな、俺はこっちの方が好きだけど」

 S・Sは別のモデルを指差す。

「やっぱり? なぜか男の子はこっちの方が良いっていうんだよね」

「そうなの?」

「うん」シータは頷きながらスナックを摘む。テーブルの上にはもう殆ど残っていない。「なんでかな?」

「自分が着たいか、彼女に着てもらいたいかの違いじゃない?」S・Sが答える。

「あ、それ職場の先輩も言ってた」

 やがて、二つのカップをトレーに乗せて持っている女性が、リビングに入ってきた。

「あ、私のデザインしたやつ」

「うん、今年の新作」

 入ってきた女性の身長は百六十センチほど。肩まで露出されたピンク色のワンピースに白いレースのワンポイント。肩までかかる銀色の髪がウエーブしていて、色白の肌と対照な蒼い目が印象的な美しい女性。

 彼女は、シータにデザインされたキュアマだ。

 キュアマとは、自律型の二足歩行機で、古典的な表現をすれば介護関係の支援ロボットだ。

 S・Sの仕事はソフトとハードの両方を扱っている情報工学関係で、『キュアマ』と呼ばれる福祉支援ツールの制作をしている。

 対して、シータの職業はデザイン関係。デザイン関係というのは彼女が使った表現で、つまり、ファッションだけではなく、建築、造形、イラストなど幅広く活動しているのだと彼女は言う。

「会心の出来ばえだったからなぁ」そう言って、シータは自分のデザインしたキュアマに見とれていた。

 新作を作るにあたり、シータにキュアマのデザインを考えてもらったのだ。そもそもそれが、S・Sとシータが付き合うようになったきっかけである。

「失礼します」綺麗な発音で、新作のキュアマはシータの前にカップを置いた。

「ありがとう」シータは礼を言って、カップを持った。「貴女、お名前は?」

「テト、といいます」

「ありがとう、テト」

 テトは微笑んだ。その笑顔はシータがデザインしたものだったが、その完成度に、思わずシータは一瞬息を止めた。

 テトはS・Sにカップを手渡した後、S・Sに話しかける。

「ソウジ様、さきほどメールがありましたので、ご指示通り返信いたしました」

「そう。で、どうだった?」

「はい、ソウジ様のご想像通りの方でしたので、特に連絡も差し上げませんでしたが、よろしかったでしょうか?」

「大丈夫。内容は?」

「要約すると、ソウジ様とご一緒にお仕事がしたい、とのことです」

「それだけ?」

「はい」

「何回侵入してきた?」

「二十一回です」

「一時間に四回、暇だなぁ」

 S・Sはコーヒーを口に含む。熱いものが極端に苦手なS・Sでも飲める温度だった。

「何回くらいインで対処した?」

 S・Sはテトに訊ねる。インとは、キュアマであるテトが、手動ではなく直接ネットワークに繋ぎ、対応することであり、テトにもそうインプットされている。

「三回です。重大な被害は今のところありません」

 テトは自分の現状を述べる。独自のウイルスチェッカーと診断ツールを使用したのだろう。

「うーん。少し危ないかな。テト、俺のパワーワーク持ってきて」

「はい」

 深々と頭を下げてから、テトはリビングから出て行った。

「すごいね。本物の人間みたい」

 シータはカップを持ちながら呟く。

「私、キュアマって初めて見た」

「そうなの?」

 S・Sには意外だった。確かに現時点でのキュアマは介護医療分野でしか配属されていない。一般の、それも若い女性が見る機会は重大な病気にでもならなければ、そうそう無いだろう。そういえば見せたことが無かったかもしれない。

「本当に人間みたい」

「外見はね。中身は全然違う。人間よりも重いし、コンピューターの方が全然近い」

「外見もだけどさ。トークも」

「まあ、そこらへんが、プログラマの腕の見せ所だから」

 テトがS・Sの仕事道具を持ってリビングにやって来た。

「ごめん、シータ。少し待ってて」

「いいけど、何をするのかくらいは教えてよ」

「別に良いよ」S・Sはテトからパワーワークというオリジナルハードを受け取った。

「テト、ここに座って」

「はい」

 テトはS・Sの座っている隣に腰掛けた。ちょうど、シータの正面になる。

 S・Sはテトの手の平に小さな白い箱を乗せた。

「で、何やってんの?」シータは前かがみになってS・Sに訊いた。

「テトにウイルスとか、アタックの痕跡が無いか調べてる」

「何で?」

「昨日、シータとさデートする前に、変なメールが送られてきたんだよ。インターネットから」

「インターネットから? 珍しいね」

「そう。今じゃ誰も使っていないネットからのメールだから、少し興味があったんだけど、開けてみたらさ、送信時刻の日付が二十世紀だったんだよね」

「え、嘘」

「ほんとほんと」S・Sはパワーワークを使って、別のディスプレイにそのメールを表示した。

「あ、ほんとだ」座っていたシータは、それを見に行って呟いた。

「おかしいだろう? だから、解析したんだけど、別におかしいところは無かったわけ。メールにウイルスが入ってるわけでもないし、偽装されても無い。つまりさ……」

「本当に二十世紀から送られてきたの?」

「表示で言えばね。でも、確か百年くらい前に一度ネットワークが全部止まったんだ。ソフトワークの入れ替えが必要でね。時間にして確か、十分くらいだけだけど、それで一旦ネットの情報は全部リセットされてから、別のネットワークにバックアップされた」

 MCRサービスとインターネットを独立的に併用するために行なわれたネットワークの改変だった。

「だから、どうなるの?」

「だからさ、何百年もこのメールがネット上を漂う、っていうのはありえないんだ。それにもし漂えたとしても、返信ができないことになる」

「でも、返信できたんでしょ?」

「そうだよ」

「わけわかんない」シータは勢いよくソファに座った。一瞬、カップの中身がこぼれそうだったが、シータはそのことに気がついていないようだった。

「つまり、可能性として一番高いのは」

「何?」

「MCRの製作者、あるいはその関係者が、このいたずらメールを送ってきたってこと」

「え、なんでそうなるの?」

「だって、二次的な接触でメールが偽装されてないんだから、残った可能性は初めからそのメールがそういう表示で送信されたってこと」

「だから、わかんない」

「簡単に言えば、MCRの製作者には、不可能はないんだ」

「それはわかる。それがなんで過去からのメールに繋がるの?」

「MCRの製作者しか知らないコマンドで、メールを作ったんだよ。それは偽装でもなくて、完璧な『過去から送られてきたメール』っていうオリジナルになる」

「うーん、なんとなくわかったかも」

「MCRのマザーコンピューターへのアクセスレベルは特Sクラス。セキュリティレベルだけで比べれば、国防省のメインサーバーよりも高い」

「え、そうなの?」

「だから、MCRへのアタックは殆ど不可能なんだよ。だから当然、MCRのメールシステムの改竄もそれだけ難しい。たとえ送信時間だけを変えるとしてもね」

「へぇ~」シータは頷く。彼女が本当に分かっているかS・Sには判断がつかなかったが、それでも話を続ける。

「で、まあ、ともかく、もし製作者以外でこんなことができるやつなんているのかなって思ってたんだけど、アクセス経路から考えて、やっぱり製作者っぽいね」

「アクセス経路?」

「攻撃してきた相手の行動をこちらから追跡する。カウンターっていうんだけど、とにかく、そうやって探っていくと、最終的にはMCRのサーバーに入らなければいけなくなるんだ」

「あ、そう」シータは軽く頷く。どうやら限界を迎えたらしく、もう分からないという表情だった。

 S・Sはパワーワークの画面を見て溜め息をつく。

「ああ、やっぱりアタックを受けてる」

「え、テト、壊れちゃったの?」

「いや、全然軽度。これなら今直せる」

「ふーん、で、メールとか、アタックとか、結局なんだったわけ?」

「メールは素直に勧誘でしょ? あとは勝手に侵入して、こっちセキュリティレベルを測ってたみたい」

「すごいじゃん! MCRの製作者から勧誘されるなんて!」

「本当に製作者かどうかは分からないけど、本当だったら、まあ、光栄だね」

「で、受けるの?」

「保留」

「なんで? 私だったら飛びつくよ?」

「だってさ、きちんとしたオファーなら考えるけど、こんな権利の乱用みたいなアプローチの仕方なんて、いい印象なわけがない」

 S・Sはパワーワークをスリープさせた。

「よし、終わった。テト、これついでに片付けといて」

「わかりました」

 テトはパワーワークをS・Sから受け取り、また頭を下げてリビングから出て行った。

 リビングにはS・Sとシータだけ。

 外は既に暗い。

 S・Sは立ち上がってから、シータに言った。

「シータ、ベランダに出ようか」



   5



 二人がベランダに出ると、そこには綺麗なネオンが広がっている。

 緑色の、草木が映える近代都市。

 シータはS・Sの肩に寄りかかる。

「外、綺麗だね」

 シータは呟いた。

 しかし、所詮それは都心を映し出した映像に過ぎない。

 外、といっても厳密では外ではないのだ。ミクロ単位の薄い液晶と立体映像が人に幻想を見せているだけで、実際はそんなものは存在しない。

 しかし、そんな擬似的な産物で、人間は酔うことができる。

 アルコール、芸術、音楽、小説。

 人が酔えるものは人が作ったものだけ。

 この液晶の外に、本当の外側に、何があるのかS・Sは知らない。

 いや、S・Sだけでなく、シータも含めほとんどの人間が知らないだろう。

 しかし言い換えれば、外界とは人類にとって知らなくても良い程度の存在なのだ。

 たとえ、この液晶の外には砂漠が広がっていて、あらゆる生物が死滅していたとしても、人間には関係が無い。

 必要最低限の動物は様々な形で生かされている。そのほかの動物は本体が冷凍保存され、データには遺伝子などの情報が記録されている。

 ネットで博物館や動物園に行けば、現代の動植物だけではなく、旧石器時代の生き物も簡単に見ることが出来る。

 生物の情報をデータ化して、保存する。それをネットにグラフィックとして登場させる。

 仮想空間で生きる、という意味がそれだ。

 ユーザーだって、自分の情報を入力して、初めてユーザーとなりえる。

 それは、誰かが削除しない限り生き続けるものだ。現実空間と仮想空間での生物の違いはそれだけだろう。

 現実空間では、生物は栄養を摂取しなければ生きていけない。なんて億劫なシステムだろうか。ネット上の人間にはそんなことは必要ないのだ。身体が深刻なダメージ、つまり心臓が機能しなくなったら、脳が死んでしまう。ただモータが止まっただけなのに、バッテリィが切れただけなのに、メモリィが消去されるとはどういうことだろうか。まだ携帯型の電子端末の方が優秀な造りをしている。

 人間を支えているのは細い糸だ。それも無数にあり、一つでも切れてしまったらそこで終わってしまう。脆過ぎるだろう。

 しかし、仮想空間ではそんなことはありえない。

 グラフィックという身体が死んでも、感情、つまりリアクションデータはネットで生き続ける。

 いつか、現実の人間もそうなるかもしれない。事実、一部の研究機関では動物脳を独立させるシステムの開発に成功したと発表されている。

 心臓に、身体に依存しない頭脳。基礎機械工学分野では常識的なその構造に、ようやく人間は到達したのだ。

 これから人間も機械の歴史をたどるのだろうか。

 もしかしたら人間は機械になろうとしているのかもしれない。

 エアコンの効いたベランダで、S・Sはそんなことを考えた。

 現代では、人間はエアコンの効いた空間でしか生活していない。

 実際に外に出たことのある人間なんて、世界人口の一パーセントにも満たないのだ。

 なぜか?

 簡単である。そんな必要が無いからだ。

 人が外に出ることは、もうない。

 こうして、人類は内側へと発展していった。

 今ではネットの中にも独立したネットワークがいくつもあり、第三世代と呼ばれているシステムが既に起動していた。その中で、さまざまなソフトが絶えず誕生し、入れ替わっている。

 インストール、バージョンアップ、そして、アンインストール。

 誕生、成長、そして、死。

 まるで人間みたいに。

 やがて人々は気がつく。

 システムにおけるソフト。

 社会における人間。

 その違いは何処にあるのだろうか。

 システムと社会の違い。

 ソフトと人間の違い。

 動物と機械の違い。

 その差は一体何処にあるのか。

 血の巡る身体?

 そんな簡単に切れてしまう血管に頼った生存方法なんて、機械に比べたらまるで脆弱。

 笑うこと? 泣くこと? 怒ること?

 所詮、そんなのは感情を表す記号でしかない。

 今では感情表現でさえ、コマンドで再現できる時代なのだ。

 人間らしさ?

 人間らしさって、何だろう?

 感情は記号。知識は情報。身体は機械。

 全ての等式が成り立つ。

 しかし、人間は考えることができる。

 既に自律機械は誕生しているが、所詮、インプットされた判断に従っているだけだ。AIの処理速度なんて、人間の思考構造の複雑さに比べれば幼児以下だ。

 人間だけが、自らの思考判断に抗うことができる。

 そう、それだけが人間の証。

 心の底では憎みながらも、相手には笑って振る舞い、

 本当は離れたくないのに、あっさりと離脱する。

 悲しいのに笑えて、楽しいのに泣ける。

 その複雑な、アウトプットできない思考だけが人間の全てだろう。

 そして、その複雑な思考を持つのは、おそらく人間だけだ。

 人間だけが、心と身体を切り離せる。

 機械では、動かなくなる。

 しかし、いずれそれすらも再現されてしまうかもしれない。

 そんなことが可能だろうか?

 その問いに、答えられる人間はまだいない。

 思考こそが人間の全て。

 それを放棄したら、もう人間ではなくなる。

 これからも社会システムはさらに向上するだろう。

 その中で、人間は考え続けることができるだろうか?

 代替物を作り出したりはしないだろうか?

 思考の全てを、産業機械に明け渡すということはないだろうか?

 生命は、もうこのシステムの内側にしかいない。

 人間はまだ、システムの向上を続けている。

 一体、人間は何処に向かうのか。

 未来を見据えている人間がどのくらいだろうか。

 改善された生活の中で、人間の役目とは一体何だろう?

 その役目にいるのは、果たして人間だろうか?

 誰も、そのことを知らない。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。よろしければ感想だけでも頂けたら幸いです。

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