第7話 悪意(アイビー視点)
「本日はありがとうございました。とても楽しい一日でした」
家に着く頃には、すっかり夜になっていた。
馬車から降りたアイビーは、丁寧にヒューへ礼を述べ、静かに頭を下げる。
「こちらこそ。——じゃあ、また明日」
別れの挨拶を交わし、ヒューを乗せた馬車はそのまま夜の中へと走り去っていった。
彼の様子が、どこか元気を欠いていたのは——きっと気のせいではない。
そして、その原因が自分にあることも、アイビーは分かっていた。
それでも。
自分にはどうすることも出来ない。
否。どうもしないと、そう決めたのだ。
家族への土産が入った紙袋を手に、アイビーは家へと入った。
廊下を抜け、階段を上り、自室の扉を閉める。
机の上に紙袋を置くと、ようやく小さく息を吐いた。
袋の中を覗けば、真っ先に目に飛び込んできたのは——赤。
アイビーはそっと、それを取り出す。
赤い、赤い、一輪の薔薇。
彼に伝えることの出来なかった、恋慕のかけら。
離れていくと決めた身でありながら、想いだけを告げようとするなど、ただのエゴに過ぎない。
そう自分に言い聞かせ、踏みとどまった結果として、これはここにある。
名残を惜しむように、愛おしさを押し殺すように、薔薇の花弁を指先でなぞっていると——。
不意に、ドアが開く音がした。
はっとして振り返ると、そこには義妹のジェマが立っていた。
「——お義姉様、お父様がお話があるって。客間で待ってるわ」
「……そう。ありがとう、今行く」
こんな夜更けに、いったい何の用だろう。
疑問に思いながらも、アイビーは薔薇を机に置き、客間へ向かうため部屋を出た。
廊下を進み、階段を下りようとした、そのとき——。
ドンッ、と背中に強い衝撃が走る。
身体は抗う間もなく前のめりになり、視界が大きく揺れた。
何が起きたのかを理解するよりも早く。
全身が容赦なく床へと叩きつけられた。
頭部から、ぬめりとした感触が伝わってくる。
血だ——。
赤い、赤い血。
それは、薔薇の色にひどく似ていた。
彼に渡すことの出来なかった薔薇の色。
そして、ヒューが自分に贈ろうとしていた薔薇の色に。
——ああ、ヒュー様……ごめんなさい。貴方の気持ちに気付いていながら、私は……。
意識は次第に薄れ、思考は霞んでいく。
後悔だけが胸に重く残り、そのままアイビーは、これまで歩んできた人生を、断片的に振り返った。




