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第4話 青年伯爵とアイビー・フォレスト

 それから五年の月日が流れ——。

 季節は春。

 柔らかな陽光が大地を照らし、芽吹いた若草と花々が、冬の名残を押し流すように色付いている。


 十八歳となったヒューは、少年の面影を残しつつもすっかり大人の体つきになっていた。

 今でも彼は月に一度、欠かさず孤児院を訪れている。


 かつては煩わしく感じていた子供達の喧騒も、長く通い詰めるうちに気にならなくなった。

 それどころか、楽しげに響く笑い声を、微笑ましく思えるようになっている。

 自分が大人になったことも、要因の一つかもしれない。


 中庭の花畑に腰を下ろし、ヒューはただぼんやりと空を仰いでいた。

 耳に届くのは、遠くで遊ぶ子供達の弾むような声と、胸に静かに沁み入るような澄んだ歌声。


 歌っているのは、ヒューの隣に座る淡い桃色の髪を持つ令嬢。

 十八歳になったアイビー・フォレストである。


 元々整った顔立ちの彼女は、成長とともにあどけなさを脱ぎ捨て、誰もが目を奪われるほどの美しさを纏うようになっていた。

 柔らかい桃色の長髪は陽の光を受けて優しく輝き、緩く編み込まれた毛先が肩口に流れている。


 大きな淡紅の瞳は湖水のように深く澄んでおり、伏せられるたび長い睫毛が影を落とした。

 白磁のような肌とほっそりとした肢体は、花々に囲まれてなお際立ち、静かに存在するその姿は、一輪の花そのもののようだった。


「……やはり残念だな。お前がコンテストで歌う姿を見られなかったのは」


 囁くようにローゼングラスの祝歌を口ずさみながら、近くの少女と並んで花冠を編んでいるアイビーに視線を向け、ヒューは言葉を零す。


「——仕方のないことです。ドレスが破れてしまっては」

 アイビーの声音には未練や悔しさは感じられず、全く気にしていない様子だった。


 ことの発端は数日前のこと。

 二人が通う学園で、最も美しい女性を決めるコンテストが開催された。


 アイビーも出場する予定だった。

 しかし当日、何者かの手によって、彼女が着用するはずだったドレスが無残にも破かれてしまったのだ。


 コンテストで着るドレスには厳密な規定があり、別のドレスで参加を——というわけにはいかない。

 そのためアイビーは棄権をやむなくされたのだ。


「元々、周りに勧められて参加を決めただけですから。私としては観客席からジェマの勇姿をじっくり見られて、むしろ良かったくらいです」


 アイビーは、完成した花冠を見せてくる少女に柔らかな微笑みを向けながら答える。

 コンテストの優勝者は、彼女の義妹であるジェマとなった。


 本人が義妹の優勝を祝している手前口には出さないが、ヒューとしてはアイビーが表彰台に立つ姿が見たかったというのが本音。


 少女は出来上がった花冠を大事そうに抱え、一人の少年のもとへと駆け寄る。

 そして背伸びをして、その冠を少年の頭にそっと載せる。


 今度は少年が、花で編んだ小さな指輪を取り出し、少女の左手の薬指にはめた。

 少女が嬉しそうに顔を綻ばせる。

 とても微笑ましい。

 ヒューも思わず、口元を緩めてその光景を眺めていた。


「……私達も、そろそろ将来について考えなければなりませんね」

 アイビーが戯れる少年少女から目を離さぬまま、ぽつりと呟く。

 その横顔はどこか憂いを帯びているように見えたが、ヒューにはその理由が分からない。


「引く手数多だろう、お前は。気の合う相手を選べばいい」

 ヒューの言葉に、アイビーはほんの少し寂しげな笑みを浮かべる。


「そうですね……。ですが選択肢が多いと、それはそれで悩んでしまいます。贅沢な悩みですが……」


 風に揺れた桃色の髪を、彼女はそっと耳にかける。

 その仕草を眺めながら、ヒューはふと考えてしまった。


 その選択肢の中に、自分は含まれているのだろうか、と。


 ——こんなことで気弱になるな。

 胸中に芽生えた不安を押し隠し、ヒューは話題を切り替える。


「まあ、ゆっくり考えればいいさ。……ところで話は変わるが、次の休み、何か予定はあるか?」

「……? いえ、特には」

「それなら、ローゼングラスへ行かないか? 昔、約束しただろう。結局今の今まで果たせずじまいだったが……。丁度祝祭も開かれる時期だ。——どうだ?」


 ヒューはさりげなく、しかし心の内では息を詰めながら、アイビーの表情を窺った。

 一瞬きょとんとした彼女は、やがて目を見開き、そして柔らかく微笑む。


「——ぜひ、連れていってください。ずっと足を運びたいと思っておりました」


 彼女の言葉にヒューは内心でホッとする。

「そう言ってもらえて良かった。細かい打ち合わせはお前の家で行おう。ラッセルにもきちんと了承を取らなければならないしな」


 そう言うとヒューは立ち上がり、自然な動作でアイビーに手を差し伸べた。


「——はい」

 アイビーはその手を取り、静かに立ち上がる。

 身長は、いつの間にやらこちらの方が高くなっていた。

 春の風が二人の間を吹き抜ける。

 穏やかな昼間の出来事であった。


 ◇


「——ローゼングラスか、懐かしいなぁ。そこで告白したんだよ。お前の父さん」


 フォレスト邸を訪れ、書斎でラッセルにこれまでの経緯を説明すると、彼は実にあっさりと了承してくれた。

 その後アイビーは一足先に客間へ向かった。後程、そこで改めて打ち合わせをする予定だ。


「それは……初耳だな」

 思わずそう返すほどに、ヒューは内心で驚いていた。

 まさか父も、自分と同じように行動していたとは。


「ハハッ、あいつは相当シャイだったからなぁ」

 ラッセルは懐かしむように目を細める。

 父とは長い付き合いだったからだろう。その声音には温かな親しみが滲んでいた。


「……っと、あまりアイビーを待たせちゃ悪いな。続きはまた今度にしよう」

「ああ、そうさせてくれ。ではここで失礼する」

 ヒューは軽く頭を下げ、書斎を後にした。


「ヒュー様!」

 客間へ向かう途中、廊下で明るい声に呼び止められる。

 振り返ると、そこにはジェマが立っていた。


「お義姉(ねえ)様から聞きましたわ。ローゼングラスへ行かれるのでしょう? 私も連れて行ってくださいませ!」


 期待に満ちた眼差しを向けられ、ヒューは戸惑いとともに苦笑する。

「駄目だ。お前はその日、学年行事だろう?」

 むぅと頬を膨らませ、ジェマが不満を露わにするが、こればかりはどうしようもない。


 ヒューはやれやれといったふうに肩をすくめた。

「また別の機会に連れて行ってやるさ。じゃあな」


 会話を終わらせて再び歩き出す。

 早くアイビーのもとへ行かなければ。

 心臓は、これから待つ旅路へ期待と、そこで行おうとしている行為への緊張で高鳴っていた。




 彼女に想いを募らせて早五年。

 これまで何度も胸の内を打ち明けようとしたが、そのたびに怖気づき、言葉を飲み込んできた。


 だが今年、ヒューはついに一世一代の決断を下す。

 ローゼングラスの祝祭の場で、アイビーに想いを伝え、婚約を申し込もう——と。


 ラッセルを通して話を進めれば、彼女はきっと令嬢として首を縦に振るだろう。

 だが、それでは意味がない。

 それは彼女自身の意思ではなく、立場ゆえの選択に過ぎない。


 欲しいのは形だけの関係ではない。

 彼女自身の心だ。


 ——大丈夫だ、きっと上手くいく。

 心の中で自分を励ましながら、ヒューはアイビーが待つ客間へと急いだ。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

面白い・続きが気になると思った方はブクマや評価★を入れて頂けると大変嬉しいです!


それでは引き続き、楽しんで頂けたら幸いです!

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