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第3話 少年伯爵とアイビー・フォレスト

 その後も、ヒューは月に一度の頻度で孤児院へ足を運んだ。

 訪れるたびに、アイビーに歌を頼んだり、たわいのない会話を交わし合う。


 彼女は聞き上手なうえ、平民の子供にしては驚くほど教養があり、話していて退屈することはなかった。

 通い詰めるうちに、かつては煩わしく感じていた子供達の喧騒にも少しずつ慣れていく。


 そうして月日は流れ——。

 気付けば季節は移り、雪が降りしきる冬の盛りを迎えていた。


「伯爵様は、ローゼングラスに行かれたことがあるのですね」

 暖炉の火が揺れる客間で、互いにソファへ腰掛けながら談笑していたときのことだ。

 話題は、いつしか二人の母の出身地である村——ローゼングラスの話へと移っていた。


「ああ。小さい頃に何回か。丁度、祭りが開かれている時期にな」


 ローゼングラスの祝祭は、春に行われる。

 花の咲き誇る季節、村中が色とりどりの花布で飾られ、広場には屋台が立ち並ぶ。

 楽師達が集い、豊作祈願の祝歌とともに人々が踊り明かす——そんな祭りだ。


「今でも鮮明に覚えている」

 ヒューは懐かしむように目を閉じた。


 立ち並ぶ屋台から漂う匂い。

 笛や弦楽器を奏でる奏者達。

 音楽に合わせて、歌い、笑い、踊る人々の輪。


「きっととても楽しいのでしょうね。……私も、いつか行ってみたいです」

 アイビーが暖炉の火を見つめながら呟く。


 これまでの会話で判明した。

 彼女は、ローゼングラスに行ったことがないという。


「……連れて行ってやろうか?」

 気付けばそんな言葉がこぼれた。


「え——?」

 アイビーが僅かに目を見開き、はっきりと驚いた表情を浮かべる。


「今年の祭りの日、久しぶりに行こうと思っていたところなんだ。……だから、良かったら一緒にどうかと」

 視線を逸らし、ぶっきらぼうに言い添える。


「……よろしいのですか?」

「ああ。一人くらい増えたところで、大したことない」


 視線を戻すと、アイビーは嬉しそうに小さく笑っていた。

「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」


 普段は感情を表に出さない彼女が、こうして時折見せる笑顔。

 それがどうしようもなく、ヒューの心を惹きつけた。


 旅の打ち合わせは次に訪れたときに行うことに決め、この日はそこで失礼した。


 そしてひと月後。

 ヒューは再び、孤児院を訪れた。


 外には今も雪が積もっているが、降雪は幾分か落ち着いている。

 白く染まった景色の中を歩きながら、ヒューの胸は妙に高鳴っていた。


 今日は、あくまで打ち合わせだけだ。

 それだけだというのに、心が弾むのを止められない。


 ——……子供みたいだな。


 内心でそう笑いながらも、今から彼女と一緒に出かける未来を想像して、自然と口元が緩んでしまう。


 ところが——。


「伯爵様、少しお伝えしたいことが……」


 顔を合わせたアイビーは、何故か浮かない表情をしていた。


 胸中に小さな不安が芽生える。

 何かあったのだろうか。


 ヒューは案内されるまま客間へ通され、そこで彼女から話を聞いた。


「養子縁組?」

「はい。先日、フォレスト伯爵家の養子になることが決まりました。貴族の家の娘になるということで、これから作法を学ばなければなりません。ですので……旅行の約束は、白紙とさせてください」

 どこか申し訳なさそうに、アイビーが告げる。


「……そうか」

 残念だと思ったのは、ほんの一瞬。

 彼女には、これから裕福で安定した暮らしが約束される。

 それを思えば、素直に喜ばしいことだと感じた。


「フォレスト家とは縁がある。旅行に行く機会なら、またいくらでも作れるだろう。だからあまり気にするな。——せいぜい励め、立派なレディになれるように」

 口にして、ヒューは小さく笑う。


「……はい。ありがとうございます」

 アイビーもまた微かに笑み、頭を下げる。


 その仕草を見つめながら、ヒューはふと想像した。

 令嬢となった彼女の姿を。


 上質なドレスを身に纏い、整えられた所作で微笑むアイビー。

 今よりも少し大人びて、けれど芯の静けさは変わらないままの彼女。


 ——きっと、よく似合うのだろうな。


 ヒューはそう思いながらも、胸の内に漂う感情を、まだ実感出来ずにいた。


 ◇


 それから数週間後、アイビーは貴族令嬢としての作法を一通り学び終え、孤児院を巣立っていった。


 飲み込みが非常に早く、当初の予定よりも短い期間で修了したという。

 指導を受け持った教師は彼女を絶賛していた。


 次に彼女と再会したのは、養子縁組先であるフォレスト伯爵家の邸宅で開かれた、盛大なパーティーの席だった。


「よぉ、ヒュー。久しぶりだな。元気にしてたか?」

 会場に足を踏み入れるや否や、陽気な声が飛んでくる。

 声の主はフォレスト伯爵家当主、ラッセル・フォレスト——アイビーの養父となった男だ。


「ああ、変わりない。そちらもご息災のようで何より」

「ははっ、堅いな相変わらず」

「ヒュー様ー!」

 ラッセルとたわいないやりとりを交わしていたところに、一人の令嬢がこちらへ駆け寄ってくる。


 淡い水色のドレスに身を包み、金糸のように輝く髪を高く結い上げている。

 大きな瞳には年相応の愛らしさがあった。


 ラッセルの実娘、ジェマ・フォレスト。

 年はヒューより一つ下で、アイビーにとっては義妹にあたる少女だ。


「お久しぶりです! またお会い出来て、とても嬉しいですわ!」

「ああ、久しぶりだな」

 ジェマの言葉に応じた後、ヒューは視線を巡らせた。


「ところで、アイビーはどこだ?」

 その問いに、ラッセルが会場の一角を指差す。

 数人の男女が輪になって談笑している、その奥——。


 人と人の隙間から見えたアイビーの姿に、ヒューは思わず息を呑んだ。


 淡い紫色のドレスは身体の線を上品になぞり、胸元と裾には繊細な刺繍が施されている。

 長い髪はゆるく編み込まれ、後れ毛が白い首を柔らかく縁取っていた。

 澄んだ淡紅の瞳は長い睫毛に縁取られながら静かな光を湛えている。

 頬には薄く薔薇色の化粧が差され、唇には控えめな艶が添えられていた。


 この場に集うどの令嬢よりも。

 誰よりも、美しい。


「あの通り、すっかり注目の的だ。いやぁ、父親として鼻が高い」

 ラッセルが腕を組み、誇らしげに笑う。


 ヒューは彼女と談笑していた貴族達が、一段落して離れていくのを見計らって移動した。

 人の流れを縫うようにして、アイビーのもとへと歩み寄る。


「杞憂だったな。随分と上手く溶け込んでいるじゃないか」

 声をかけると、アイビーは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに見慣れた無表情に戻した。


「ウィンザー様……。ご無沙汰しております」

 背筋を伸ばしたまま、ドレスの裾を軽く持ち上げ、優雅に膝を曲げる——。

 そのカーテシーは、つい最近まで孤児院で暮らしていたとは到底思えないほどに洗練されていた。


「所作も完璧だ。……立派な貴族令嬢になったな」

 素直に褒めたつもりだったが、アイビーはどこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせる。


「本当ですか? 先程から周りの方に見られている気がして……。何か粗相をしているのではないかと、少し心配で」


 ヒューは思わず「ハハ」と小さく笑った。

「そりゃあ、こんなに綺麗な娘がいたら誰だって見る——」


 ——……今、自分はなんと言った?


 さらりと口にした言葉を反芻した途端、じわりと頬が熱くなる。

 まさか自分が、こんなにも浮ついたことを、しかも人前で言うなんて——。


「いや……その……」

 今は違うと否定するのも、本心に反しており言葉が詰まる。


 そんなヒューの様子を見て、アイビーの表情がふっと崩れた。

「フフ……ッ」


 零れた笑い声とともに、彼女は顔いっぱいに笑みを広げる。

 これまでにも小さく微笑む姿は何度か見てきたが、こんなふうに屈託なく笑うところは初めてだった。


「本当に——可愛らしい方ですね、ウィンザー様は」


 心臓がきゅっと掴まれたように締めつけられる。

 鼓動がやけに大きく響き、呼吸の仕方すら分からなくなる。


 ——ああ、そうか。


 このときようやく、ヒューは悟った。

 自分はずっと前から彼女に恋をしていたのだと。

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