第13話 永遠(とわ)にその手を離さない【完】
「アイビー……。君の過去の行いは、決して君自身の責任ではない。ウィンザー伯爵なら、きっとすべてを受け入れてくれるだろう。だからどうか、君自身の幸せを——」
ホールの穏やかな声は切実さを帯びていた。
ヒューはドアの前で固まったまま、二人のやりとりに耳を傾ける。
「……たしかに、そうかもしれません。ウィンザー様はお優しい方ですから」
ここまで口にした後、アイビーは一度言葉を区切る。
一言一句聞き漏らすまいと、耳に全神経を集中させているためか、その後の静かな息遣いも聞こえてきた。
「ですが、それではだめなのです。私自身が、それを許せないから。私自身が、愛する人の隣に立ち、触れて、幸せに生きる人生を……許容することが出来ません」
その言葉を聞いた瞬間に、雷に撃たれたような衝撃が走り、思考がガラガラと崩れる。
ヒューは気付いたのだ。
自分が大きな勘違いをしていたことに。
今までずっと、過去の経験から異性に恐怖心を抱いているのだと、そう思い込んでいた。
だから彼女は婚姻を避けているのだと。
だが違った。
それはもっと深く、もっと根深いもの。
彼女自身が自分を呪い、幸せから遠ざけてしまうほどの、強い自己否定——。
今なら分かる。
彼女が時折見せる、寂しげな顔。
先程自嘲気味に笑った意味を。
——何が彼女のためだ。
ヒューは唇を噛み、拳をぐっと握り締めた。
——分かっていた気になっていただけだ、俺は……。
彼女の選択を尊重しているようで、実際のところは踏み込むことを恐れ、楽な場所に逃げていただけ。
その行いは独りよがりでしかなかったのだと、今になって思い知らされる。
後悔が胸を締め付ける中、室内から足音が近付いてくる気配を感じ、ヒューは慌ててその場を離れた。
客間の扉が開き、アイビーが廊下へ出てくる。
その背をヒューは曲がり角の陰から眺めた。彼女はそのまま、中庭へと向かっていく。
——いいのか、このままで。
このまま、彼女が過去に囚われ続けたままで。
——いやだめだ、そんなのは……!
ならば、やるべきことは一つ——。
ヒューは意を決し、後を追うように中庭へと駆けた。
夕空の下、花畑の中央で佇んでいたアイビーが、気配に気付き振り返る。
「ウィンザー様……」
柔らかな風が吹き抜け、淡桃の髪と、藍色の髪の間をすり抜けていく。
「——……好きだ」
バクバクと脈打つ心臓。
ひりつく喉。
そんな状態で絞り出した声は、あまりにも小さい。
けれど、アイビーにはきちんと届いたようで、時間にして一秒にも満たない沈黙の後のち、アイビーの瞳がゆっくりと見開かれる。
「お前が……自分自身を好きになれなくても……。俺は……——!」
声も、身体も、情けないほどに震えていた。
ローゼングラスで言おうとしていた台詞は、完全に頭から抜け落ちている。
途中から彼女を見ることさえ出来なくなり俯く。
それでもヒューは、必死に言葉を紡いだ。
「昔も、今も、この先も——」
長年、胸に秘めていた想いを、彼女に届けるために。
「俺は、お前のことを愛して——」
駆け寄る気配——。
気付けば、白い腕がヒューの首の後ろへと回されていた。
一ミリの隙間もない距離。
胸元に伝わる、彼女の確かな体温が、震える身体を包み込む。
「好き……大好き……愛しています……! ヒュー様!!」
今まで一度も耳にしたことのないほど、感情をむき出しにした声だった。
彼女の想いが、溢れ出ている。
「貴方と……家族になりたいと、ずっと思っておりました……!」
途端、ヒューの胸に込み上げてきたものが、ついに堰を切った。
視界が滲み、熱い雫が頬を伝う。
言葉にならない歓喜と安堵を抱えたまま、ヒューはアイビーを強く、強く抱き締めた。
二度と離さぬと誓うように。
◇
「——ひとまずは、ご両親に報告しなければな」
馬車に揺られている間も、身体の火照りはなかなか引かなかった。
隣に座るアイビーの顔を見る勇気も出ず、ヒューは窓の外、次第に黒へと染まりゆく空をただ眺める。
――人のいないところで言うべきだったな……。
つい先程の自分の行動を思い返し、内心で深く反省する。
一部始終を見ていたホールから温かな視線を向けられたときには、さすがに顔から火が出る思いだった。
子供達や職員がその場にいなかったことが不幸中の幸いか。
もし居合わせていたら、きっと平静を装うことなど出来なかっただろう――そんなことを考えながら、ヒューは小さく息を吐いた。
「あの、ヒュー様……」
か細い声に呼ばれ、ヒューはゆっくりと首を向ける。
アイビーは俯いたまま、耳の先まで赤く染めていた。
「本当によろしいのですか? 私なんかで……」
ちらり、と不安げに視線を向けながら、アイビーが躊躇いがちに問いかけてくる。
あの後、彼女は自分の過去を全て打ち明けてくれた。
こちらが既に知っていることを彼女は知らない。だからこそ、隠したままでは不誠実だと思ったのだろう。
それに対しヒューは、「問題ない」と、はっきりと答えた。
「さっき言った通りだ。出自も過去も、関係ない。全てを知った上で、俺は……お前に隣にいてほしい」
「ですが……」
「くどい」
やや強めに言い切ると、ヒューはアイビーの左手をそっと取った。
驚きに小さく息を呑む彼女をよそに、ポケットから取り出したのは、花の指輪。
中庭の花畑に咲いていた花で編んだものだ。
「俺が生涯添い遂げたい相手は、お前だけだ」
ヒューは彼女の薬指にゆっくりと指輪を嵌めた。
子供騙しだとヒュー自身も思っているが、今はこれしか用意出来ない。
「近いうちに本物を用意する。だから今はこれで——」
言葉の途中で、ヒューは息を呑んだ。
視線を彼女の手元から顔へ戻すと、淡紅の瞳がまるで宝物でも貰ったかのように、花の指輪を見つめていたから。
「——今日は、人生で最高の日です」
指輪を愛おしげに撫でながら、再び両眼を潤ませるアイビーに、ヒューは優しく微笑む。
フォレスト邸に到着するまでの間、二人はずっと手を繋いだまま。
永遠の愛を誓うように、離さなかった。
完
これにて完結です。
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それではまた、次回作もご期待頂けたら嬉しいです!




