095 ティチューバ16/二十五と六百十二の呪い
「悪魔」の断末魔がとぎれてしばらくすると、村のあちらこちらから、生きのこりの村人たちが這い出してくるのがわかった。村じゅうに散らばった“肉のかたまり”たちの目玉はそれをとらえていた。
おまえにとっても意外であった。小悪魔たちが、あれほどに縦横無尽の活躍をしても、一五〇〇人を上回る村人のうち、捕食されたのは六〇〇人少々にすぎなかったのだ。怪我を負ったり、全身を恐怖の残滓でふるえさせつづけているものも多く、五体満足とは言いがたかったものの、大半が生き残っていた。
すんでのところで難をのがれていた村人たちは、二倍に質量を増した呪塊を、遠巻きにながめて、危険なのか安全なのかをたしかめようとしている。その視線の何割かは、呪塊のまえに立つおまえ自身にも向けられていた。
「あ」
おまえが気がついてふりむくと、村人たちもいっせいにそちら──教会のほうをふりむいた。いかにも焦ったようすだったが、おまえが目を留めたのが、瓦礫の山から這い出してきた少女だとわかって、いくぶん安堵したらしかった。
アビー、である。
まだ生きていたとは、おまえにも正直思いもよらなかった。てっきり教会が崩れたときにつぶされたか、そのまえに「悪魔」に喰われていたものとばかり思っていた。四肢のひとつもうしなわず、足をいくぶん引きずるていどの軽傷ですむというのは、よほど幸運にめぐまれていたのだろう。
「アビー」
「……ティチューバ!」
アビーの目は、光をうしなっていない。これほどの破滅をひきおこした張本人とは思えないほど、目をきらきらとかがやかせている。埃とすり傷にまみれているというのに、うつくしいとさえ形容できるほどだ。
足をひきずりながら駆け寄ってくると、アビーはおまえに抱きついてきた。大人に甘える子供のうごき。おまえは抱きかえさず、さりとて突きはなすでもなく、ただ、されるがままになっていた。
「ああ、すごいわ──ほんとうにすごい! ティチューバ、わたし信じていたのよ! この村にいるひとたちのなかで、あなただけはほんものの魔女なんだって、信じていたの! なんてすてき──夢みたいだわ!」
アビーはおまえを、かがやく瞳で覗き込む。
「ねえ。わたし、とちゅうでわかったのよ──あなたは“同類”だって。あなたからは血のにおいがするもの。他人の死を呼吸して生きてきた人間のにおいがするんだもの。ううん、かんちがいしないで。もちろん褒めてるのよ──あなたみたいなひとに、わたし、ずっと憧れてきたんだもの!
ねえ、そうなんでしょう?
あなたは、魔女なんでしょう?
流血を愛し、死に親しみ、悪魔と戯れ、霊魂をもてあそび、断末魔に酔い、腐臭をまとい、人びとの絶望を浴びて生きる、あのえらばれたひとなのでしょう?
わたしはね、ティチューバ、ずっとほんものの魔女になりたかったのよ! わたしがパリス叔父さまたちに利用されてるとおもった? ううん違うわ、わたしはあのまぬけのベティとはちがうの──利用してるのは、わたしのほうだったのよ! ねえ、わたしうまくやれたかしら? あなた好みの地獄になっていたかしら? そうよ、気づいた? あの悪魔召喚の儀式が破綻することは、もともと想定できていたのよ。だって生贄が足りないのに、交渉ができるほどの高位の悪魔が喚べるはずがないものね。でも、なかなかのショーにはなったでしょう? あれだけの死を演出できるなんて、わたしもちょっとしたものでしょう? お気に召した? なら、わたしを連れていって。わたしを、魔女にしてよ。お願い──わたし、なんでもするわ!」
「……なんでもする、と?」
おまえが問いかえす。「ええなんでも!」と声をうわずらせるアビーの頬は、期待に紅潮している。
「では、」とおまえは言いはなつ。「あなたがささげた二十五人と、悪魔が喰い殺した六百十二人を、生きかえらせなさい」
アビーは、目をまるくした。
やがて、その目がすうっと細められ、失望と侮蔑と怒りが、少女の眉根と口もとをゆがめさせた。
「……ざんねんだわ。ほんと、ざんねん。
あなたはそんなつまらない、良心的で、通俗的な、型に嵌まったものいいをしないって、思ってたのに。道徳や倫理なんてものにとらわれず、ありとあらゆるものから超越した存在だって信じてたのに。勘が、はずれちゃったみたい」
「ええ、かんちがいだわ。とんだ、かんちがい」
おまえは呪いをよびおこした。
呪塊がぶるぶるとふるえ、いくつもの肉の玉をつぎつぎと排出してゆく。呪塊が質量をみるみるうちに減らしていきながら、狂ったようにぼこんぼこんと玉を吐き出しつづけるさまに、さしものアビーも身をふるわせながら目を見ひらいていた。
おびただしい数の肉の卵が、出そろった。その数はじつに、六百十二個。
教会の瓦礫ががらがらとくずれ、砂にまみれ灰色になった“もの”が、ずるずると這ってきて、おまえの目のまえへと居並ぶ。その数は、じつに二十五体。
「わたしが、もののたとえで言ったとでも? あなたがやったことのとりかえしのつかなさをお説教するために? ずいぶん、良心的で、通俗的な、型に嵌まったものの捉えかたをするのね。そんなばかげたことで時を浪費するつもりは、ないの。
あなたが言ったのでしょう、ほんものの魔女になりたい、と? なら、魔女になにができるのかぐらいは、知っておかないとね」
六百十二個の肉の卵が、いっせいに孵化をする。「悪魔」に食い殺された六百十二人の村人が、死んだときのすがたのまま、嬰児のように血にまみれた裸で、あらわれた。
二十五体のものが、全身を揺さぶって身をおおっていた砂埃をふるい落とす。アビーがささげた二十五人の囚人が、あらわれた。
アビーの顔面は、いまや蒼白だった。
よみがえった大量の死者たちにかこまれ、「これ、あなたが……?」とつぶやく。応える代わりに、おまえは舌をこれみよがしに突き出し、舐めるそぶりをした。アビーの隣にいた死者が、べろおりと、少女の頬を舐めあげた。つめたい、死人の舌で。
「ひ──」
アビーは声をもらし──
そして、笑った。
どこか悲鳴に似た、むりにひきしぼるような、狂騒的な笑いだった。
「あ、ははははは……! あはははは……! すごい──すごいわ! わたしの勘はまちがってなかた──あなたは、すさまじい魔女だわ! ……それで、これからどうするの? この死者どもに、生きのこりの村人を襲わせる? 最高ね、さぞかし刺激的な地獄になるわ。ねえねえ、わたしもいつか、“これ”を教えてもらえるの? わたし“これ”がやりたいわ──だって、こんなにも冒涜的なのだもの!」
「いいえ。“これ”は、教えることなどできないものよ。わたしの存在そのものに絡みついたものだから。“これ”を、ちからだと思う? だとしたらそれも、とんだかんちがい──“これ”はね、呪いなの。
わたしを魔女とよぶのは、だから、ほんとうはまちがい。
わたしはただの、呪いのかたまり」
なにを言っているのかわからない、という顔のアビーに、とつぜん死者たちがにじり寄った。少女の四肢を、数人ずつの死者がおさえつける。とたんに恐怖にあおられたように、アビーは抵抗をしめす。しかし十代はじめの少女の細腕で、十数人の腕をふりほどけるはずもなかった。
「ちょっと、やめてよ……!」
アビーのからだが、持ち上げられた。四肢のうごきのすべてを、かんぜんに封じ込められたまま。
「いや、なにするの──やめさせてよ、ティチューバ!」
「魔女を習いたい、と言ったわね、アビー。授業をしてあげるわ。……呪いはね、つねに指向性を持っているの。呪いは、なにかを呪わしいと思う感情が結晶したものだから。わたしのなかにある呪いは、だから、いつもわたしを責めさいなむわ。一秒ごとに呪いが脳味噌を掻き混ぜ、一秒ごとに呪いがその傷を回復させる、そのくりかえしが、永遠につづく苦痛が、わたしの人生。呪いどうしが獲物であるわたしを奪い合っているために、ふしぎと均衡が保たれ、そのせいで苦痛を終わらせることさえできないのが、わたしの運命。これが、あなたが魔女とよぶ存在の、正体よ。
……それでね。呪いは、だからわたしにとってもかんぜんに制御できるものではないの。たとえばいま、わたしはこの場の支配権を掌握してはいないのよ。いま、その死者たちを動かしているのは、あなたが死なせた霊魂たち、そのもの。
では、ここで問題。
いま、二十五と六百十二の呪いは、いったい、どちらを向いているのかしら?」
「やめて──うそ、そんな、嘘でしょう……?」
「あなたよ、アビゲイル・ウィリアムズ」
すべての抑えを、おまえはときはなった。
二十五と六百十二の呪いは、その屍体をうごかし、思うがままにふるまい、引き裂き、ほとばしる血を、その全身に浴びたのだった。
*
呪いは、まだ、終わらなかった。
二十五と六百十二の呪いは、セイラムじゅうを駆けずりまわり、のこる千人ばかりの生存者たちもつぎつぎと仲間にくわえていった。一五〇〇を超える死は、あまりに背負いがたいものであったが──“数百万の死”にくらべれば、まだちいさい数字であった。
これは、必要だった。
未来視が、そう告げていたから。
「しかた、ないわ」
おまえはぽつりとつぶやき──この日、かんぜんに滅び去った村を、あとにした。
*
疲れていた。
もう、人間と、その悪意にはこりごりだった。
おまえと呪塊とは、ある洞窟へたどりつくと、その奥をさらに掘りすすめ、土のなかで横たわった。呪塊におまえはからだをあずけた。肉塊が、おまえのからだをまた溶かし、胎児のすがたに成形し──そのまま、肉の子宮のなかに、孕みなおした。
──三百年。
おまえはそう決めて、からだを丸めた。
──一九九九年に、目覚めよう。この世のすべてが終わる、その日に。
*
だが。
その眠りは、想定よりも一〇〇年もまえに、破られることとなった。
*
「やあ、ティチューバ」
肉の子宮を斧で切り裂き、胎児のすがたのおまえをとりあげたのは、まだ少女というほうが似つかわしい年齢の洞人だ。
「すごい、においだな。こんなところで、よくも二百年も眠れたものだ」
「あう──」
あなたはだれ、と訊ねたつもりが、ことばにならない。胎児のすがたであったことに気がついて、おまえはからだを成形しなおさねばならない、とかんがえる。
だが、その必要はない。
なぜなら、「声」があるからだ。
なぜなら、わたしがわたしであるからだ。
「──わたしの名は、グレイス」
こうして、わたしは、おまえに出会った。




