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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.4 The Book of Judges/士師記

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092 ティチューバ13/まずは、一口

 くちぐちに叫び声があがり、ふりむいた村人たちはみな、空へたちのぼる黒煙を見た。魔女ウィッチを燃やした火刑のほのおがあげた濃灰色の煙とはことなる、まっくろな、悪意そのもののような黒色の煙である。


 知事が、うろたえた。


 教会に隣接する牧師館の貯蔵庫に、二十五人の死刑囚をうつしたばかりなのだ。

 村民全員をあつめて火刑をおこなうにあたり、連れてきた州民兵には、暴動をおさえるために広場を見張らせたかったのである。必然、村のはずれにあつめていた死刑囚の見張りは手薄にならざるをえない。これを解決すべく、知事は死刑囚どもを牧師館へとうつし、広場から見張ることも可能なように指図した。


 しかし、まさかそれが仇になるとは──。

 二十五人を火事でうしなえば、目星をつけている一四四人とあわせて一六九人の生贄を用意するという計画は、すべてご破算となる。知事はあせり、村人たちをかきわけかきわけ、教会へとたどりついた。


 盛大に燃えているのは、教会のまわりをぐるりととりかこむ藁束であった。油がふくまれているのか、ひどい悪臭と黒煙のせいで、近づくことができない。何度もむせ、目に染みて浮かぶ涙をしきりにぬぐいながら、知事は、教会の窓硝子のなかをのぞきこんだ。


 ──なんだ、これは……!


 驚愕した。

 なかにいたのは、エリザベス・パリス──ベティ、すなわち、“器”である。目を覚ましている──頭をかかえ、かきむしりながら、絶叫しているのだ。眼球をこぼしそうなほどに目を見ひらき、おそらく外れているのであろう顎から、いったい何回ぶんの断末魔をあげたらこうなるのかと思うほどつぶれた声で、苦悶をほとばしらせている。あきらかに、“埋め込み”をおこなった真述回路が、彼女の正気を焼きつぶしているのだ。


 そして、このベティを中央に、二十五人の死刑囚が、二重の円をえがくように配置されている。死刑囚たちは目かくしと猿ぐつわをされ、ひざまずいた姿勢で、うーうーとうなり声をあげつづけている。そして、そのあいだを、ただひとり自由に歩きまわっているのは……。


 ──あれは、“予備”の少女か……?


 アビー、であった。

 弾むような足どりのアビーは、なにかを持っている。嬉々とした顔で、手に持ったそれをささげもつ──きらりと、光をはねかえした。


 ──瀆神の短剣!


「──いかん、あの子を止めろッ!」


 知事は上ずった声で叫んだ。

 アビーがこちらをふりむく──うっすらと、笑う。そして、となえた。


「Hanc animam , quase , devora ,

 Domine Blasphemiae meae.」

(このものの魂を、どうぞお召し上がりください。

 わが冒涜の主よ。)


 言い終えると同時に、アビーはひとりの喉を裂いた。

 

 ……とめることは、できなかった。アビーはつぎつぎに、呪文と、喉を裂くのとをくりかえした。死刑囚たちは騒ぎ立てるでもなく、喉を裂かれ、突っ伏し、しずかに死んでいった。州民兵が教会の外で、刻一刻とおおきくなる火焔とたたかっているなかで、アビーは、たんたんとひとりひとりをささげていった。


「なんだ、なにが起きてる……?」

「ひとが、殺されてるぞ……!」

「あの子──魔女ウィッチだわ……!」


 教会のなかでおこなわれていることに、村人たちも気がつきはじめた。知事は命令をとばした──「ええい、野次馬どもを蹴散らせ! 教会のなかを覗かせるな!」

 しかし、その下知をうけた州民兵たちも、村人とともに、あぜんとした顔を窓硝子のなかへと向けはじめていた。彼らとて、職業的兵士ではなく、徴兵されただけの農民にすぎない。迷信ぶかさ、『魔女ウィッチ』をおそれる心では、村人たちとさして変わらない。


魔女ウィッチだ! 魔女ウィッチの子だーッ!」

「逃げろ逃げろ! 悪魔を召喚してるぞぉーッ!」


 何人かが金切り声をあげると、ついに混乱がまきおこった。村人たちはわれ先にと逃げ出しはじめ、その剣幕におされて州民兵たちさえも腰が引けはじめた。


「退くな! つづけよ! 教会をひらき、あの少女を止めるのだ!」

 知事が怒号するが、悲鳴のおおきさにかき消されていった。折悪しく吹いた風にあおられ、藁束のほのおがいきおいを増して燃え上がり、ついに教会の外壁を舐めはじめた。のこっていた州民兵たちも、これを見て「もうだめだ!」ときびすをかえしてしまった。


「おい、逃げるなきさまら! 命令不服従で処刑するぞ──ええい、逃げるなと言うに!」


 けっきょくひとりも止めることがかなわず、知事は歯噛みし、教会をふりむく。


 アビーのおこなう儀式は佳境にいたっていた。二十五人の喉を裂き終え、すっかり血みどろとなった短剣の、ぼたぼたと血がしたたりつづけるのを、中央の“器”──ベティのもとへと運んでゆく。


 すっかり正気をうしなった目で、ひらきっぱなしの口からあーあーといううなり声とともによだれを垂らしつづけるばかりとなったベティの、両頬を、アビーは片手でつかんだ。強制的に開けさせたベティの口のなかが、見える。……もはや、ひとの口腔ではない。葉も舌もなく、そのなかには無限とも見える暗黒がひろがっているのだ。


「Ex pacto , animas centum sexaginta novem obtuli .

 Domine Blasphemiae meae , Deus Desperations meae ,

 Vocem meam exaudi et in cospectu appare .」

(誓約にもとづき、()()()()()魂をささげました。

 わが冒涜の主、わが絶望の神よ、

 わが声に応えて、すがたをあらわしてください。)


 たどたどしいラテン語ののち、かかげた短剣からしたたる血のしずくが、ベティの、暗黒の口腔のなかへと吸い込まれてゆく。


「──いかん!」


 制止が、間に合うはずもなかった。


 *


 血をのみこんだとたん、ベティは目をつむり、またひらいた。眼球の代わりに、またしても、果てない暗黒が浮かぶ。

 いっしゅん、すべての音が消失した。


 ──失敗?


 アビーの心をよぎった疑念が、ことばになるかならないかのうちに、こんどは光がうしなわれた。まったき暗闇のなかで、まるで稲光がいっしゅんだけひらめいて辺りを照らしだすあのときのように、光は明滅し──そのかぎられたしゅんかんに、なにか巨大な影が立ち上がるのを、アビーは見た。


「あ」


 アビーの認識が追いついたときには、すでに世界はもとどおりの様相をとりもどしている。二十五人の屍体、教会ぜんたいをとりまくほのおの熱、じぶんが手にした血のしたたる短剣……すべてが、もとのままだった。


 ひとつだけが、ちがった。

 “影”が、実在していた。


 巨大な爬虫類の、ささくれだった鱗がならぶ肌がアビーの視界を占めていた。黒っぽい鱗は、その奥に橙色に発光する素肌をかくしていて、まるで冷えてかたまった溶岩と、その奥のマグマを見ているかのようだった。不規則に、乱雑な印象を帯びてならぶ鱗のところどころには、泡だったままにかたまったような瘤がいくつも寄りあつまっていて、巨体がわずかに身じろぎをするたびに、どろりとした黄色い胆汁めいた粘液をしたたり落としている。疥癬病みの野良犬をみたときとおなじ不快感が、増悪していく光景だ。

 目を上げてゆくと、天井すれすれの位置に頭がある。異常にちいさな頭部だ。引いて全体像を目に収めることができたなら、ずんぐりとした潰れた錐形のうえに、突起のような頭部がついているように見えただろう。

 極小の頭部がぐるりとあたりを見わたし──それによって、はじめて顔だちがアビーの目にも見てとれた。肥りすぎて、脂肪のたるみが山なりのシルエットをつくっている、禿頭の、老いた男の顔だった。ぶあつく、締まりのないくちびるは、にんまりとした笑みのかたちになっていて、その端から唾液のあぶくをたえず吹きこぼしている。笑んだかたちで垂れ下がった、目も、よくよく見てみれば、そのうっすらとしたすきまから油断なく周囲をうかがう視線が見える。その視線が、ふいに、下を向いた。


 見られたのは、アビーではない。

 ベティだ。


 アビーのとなりで、ベティはけんめいに背を伸ばしながら、ひろげた両腕を巨大な影めがけてなんども伸ばしつづけている。まるで、抱き上げてもらうことをせがむ幼児のように。


「あー、あー!」


 ベティの顔には、甘えるような笑みがうかんでいる──しかし、目、鼻、口のそれぞれから赤ぐろい血を垂れながしながらの表情には、凄絶なまでの切実さがあって、それがアビーの胸に厭悪のむかつきをもよおさせた。


   ()()()()()()()()


 巨大な影が、うなる。言語をかたちづくらぬそのひびきは、だが、それこそわが子に向ける慈愛のようなものをふくんでいる。禿頭の顔がにんまりとしたほほえみをうかべたまま、その巨大な腕が、ベティを持ち上げる。


「あっ」


 おもわず、アビーも声をもらしていた。


 巨大な影の、まるくふくらんだ腹部の中央が、ぐばりと横に裂けたのだ。……いや、裂け目、ではない。それは異常なまでにおおきな、“口”であった。不ぞろいな、とうていまともに噛み合わせられそうにない歯列が、口腔のなかすべて、舌や歯茎の上にまですきまなく生え揃っている、おぞましい、“口”。

 その口が、ベティをほおばる。

 くちびるのない口は、その中身を──くだけ、すりつぶされ、骨も筋も皮膚もない、たんなる赤黒い肉団子に仕立てあげてゆく中途のさまを、アビーの目にそのまま晒してしまった。しゅんかんに胃がでんぐりがえり、こらえる隙など一秒もないままに、アビーは嘔吐していた。


 ごくん。飲みくだす音。


 アビーは、ようやく気がついた。彼女がおこなった儀式は、ベティのからだに悪魔を降ろし、その超常のちからを自在に行使する“魔女”を仕立てあげるというものである。パリス牧師たちのほんらいの狙いもそれで、要するに、喚び出す儀式を仕切ったものがだれであるかによって、魔女となったベティの支配権が変わってくるのである。そこで、アビーはその支配権を横取りしようとした──それが、召喚した悪魔にベティがのみこまれたという時点で、かんぜんに、失敗に終わったわけだ。

 胃の中身をひっくりかえし終え、胃液のひとすじがくちびるの端から垂れ落ちて糸をひくばかりとなった状態のまま、アビーは思う。


 ──つまり。

 ──もう、だれにも止められない。


 アビーにとって幸運であったことに、嘔吐する少女に、巨大な影──「悪魔」は、食欲をそそられなかったらしい。禿頭の顔は、ほほえみをたたえていたくちびるを、わずかに逆Uの字に曲げて不快の意をしめすと、アビーを黙殺し、鈍重な足をふみだしはじめた。教会の建物が瞬時に破壊され、瓦礫の山と化して崩れ去り、陽の落ちた夜の村に、天を突く巨体がすがたをあらわした。


 君臨、した。


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