089 ティチューバ10/肉のかたまり
くずれゆく村のありさまを、おまえは屋敷の地下室からながめつづけていた。
拘禁状態を解かれることはむろんなかったが、“主犯”であるふたりのサラが見つかり、それ以後もつぎつぎと魔女の告発があいついでいるせいで、見すぼらしい洞人の召使などはあとまわしにされていたのだ。
とうぜんのことながら、おまえに対しわざわざ村の状況をつぶさに語って聞かせるような物好きもいなかったが、おまえには“目”があった。
人びとが噂をささやきかわす場、あるいは告発にもとづいてひとが逮捕されるその現場に、つねにちいさくふるえる一掴みほどの肉のかたまりが潜んでいるのだ。ぽっちりとその中央にあいたひとつの目玉が、すべてを見届けているのだ。十五にもたっする肉のかたまりがつねにおまえに情況を知らせつづけているために、この地下室の洞人が、すべてを把握しているただひとりの存在になっているという事実に、だれも気づいてはいない。
このときも、またひとつ──
ちいさな肉のかたまりが、夜中の村を足早に横断してゆく人影をとらえていた。
霧の濃い、夜だ。
だれからともなく夜間外出は暗黙の禁止事項となっていたから、もやの濃い薄くらがりをゆくものは、ほかにいない。肉のかたまりは目玉をぎょろりと剥き、人影が、村唯一のホテルに裏口から入ってゆくさまをみとめた。それから、肉のひだを蠕動させながら、そのあとを追っていった。
ホテルのなかで、灯りがともっているのはスイートだけだった。
肉のかたまりはうっすらとひらいた扉のすきまからなかに入り、視線のとどかないソファのしたへと身を落ちつけた。
震動を、感じている。
肉のかたまりはいくどか全身をよじらせ、その端に、人間の耳をこしらえた。とたんに、ひとの話し声が耳にとどきはじめる。
「──これでは、“蠱毒”の成立にはとうてい足りん」
譴責の主は、いかにも立場ある指導者といったたたずまいの男だ。セイラムではまず見ない暗赤色の布地で仕立てた、金糸刺繍入りのジャストコート、その肩口まで落ちかかる髪粉をはちた白い巻き毛といった外見で、むっちりとした指には印章指輪がはめられている。王権と総督府の威光を、一身に体現する立ちすがたである。
「二十五人、だと! ほんらいの想定である一六九人とかけはなれた数字だ──せめて、告発された一五〇人全員に死罪を申しつけるぐらいはしたらどうなんだね、パリス君」
「申し訳のしようもございません、閣下」
さきほどの人影──パリス牧師が、ひくい声で応える。
「ですが、一五〇人をまるごと死罪にするというのは、いささか無理がございまして……。いくら魔女狩りの熱狂が順調に盛り上がっているとは申しましても、村の十人にひとりをそのまま吊るすということになれば、あまりに反発が大きすぎましょう。村人の矛先があやまってこちらに向けられでもしたら、そちらのほうがよほど始末が悪い。……ほんらいの想定とちがうと申しますなら、そもそも、魔女狩りの熱がこの村とその近郊でとどまってしまったというのは、あまりに想定外の事実です。すくなくとも郡ぜんたい、可能なら州ぜんたいに燃えひろがるというのが、われわれの計画でしたものを……」
「ふん、“主犯”がはやくにさだまりすぎたのだ」
閣下と呼ばれた巻き毛の男が、吐き捨てる。
「はじめのうち、“魔女”の正体は宙ぶらりんにしておかねばならなかった。だれが魔女だか分からないという不信を揺籃に、恐怖はおおきく育ち、告発の連鎖を生み出すのだ。わかりきったことであろうが? 村のうとまれものの女など、交友関係もせまいに決まっておるし、あがる名前もせいぜい十数人が関の山だ。そこから連鎖がはじまったとしても、こんなちいさな村なら、おなじ名がくりかえし上がるだけに決まっておる。主犯さえ決まっておらなんだら、こんなせまい騒動にはならなかったのだ」
「かえすことばもございません、閣下」
「いまかんがえるべきは、次善の策であろう。エリザベス──おまえの娘の“仕上がり”は、どうなのだ?」
「そちらは、いたって順調であります。“埋め込み”処置はすでに終えました。いまは薬で、一日の大半を眠ってすごしておりますが、ひとたび目を覚ませば、真述回路は作動し、人格の廃絶はすみやかにおこなわれ、エイレナウスいうところの“器”は、すぐに完成にいたります。目算では、十二時間以内」
「予備の娘がいただろう? そら、おまえの兄の……」
「アビー──アビゲイルです」
「そちらは、“埋め込み”は終えたか?」
「……なるほど。試験用、という意味ですな。ただ、現状の二十五人で試してみる、というのはよいかんがえとは申せません。すでに誓約の儀において、一六九人をささげることは誓ってしまっておるのです。二十五人で強行したとなれば──」
「召喚されたものが、それを誓約やぶりと判断することは、避けられん、か。『主なるあなたの神をこころみてはならない』──“悪魔”であっても、この至言は同様であるか」
じゅうぶんであった。
おまえは肉のかたまりの制御をとめた。肉は焚火のほのおに炙られすぎた肉片がそうなるように、黒く焦げ収縮してゆき、一片のごみくずへと成り果てた。
とたんに、おまえの視界は地下室の壁をとらえ、耳はどこかでしたたり落ちる水滴の音だけをとらえた。拘束されたからだをすこしよじり、こわばった背筋をのばした。
──狂気では、なかった。
──狂気の沙汰、惑乱の果ての、たくまれざる愚行。そうしたものでは、なかったのね。かんぜんに、醒めていたのね。正気のまま、死はもくろまれたのね。
──つまり。
──この連中は、わたしたちではなかった。エイレナウスのたぐいだったんだわ。
──なら。
おまえの肉体が、ごきばりばきめしゃ──と音をたてて、全身の骨をこなごなにくだいた。ぐにゃぐにゃの肉だけで、ぬるりと拘束を離れてゆく。筋肉が、それ単体でうごめき、蠕動し、床を這って鎖をぬけだしてゆく。肉のかたまりと、寸分たがわずおなじ動きによって。
それから、おまえの肉のなかで骨が再構成されていく。
足の裏からはじまり、脛、膝、太もも、骨盤、背骨と順ぐりに骨がつくられてゆき、つくられた端からおまえは立ち上がってゆく。下半身だけが確固と立ったまま、ぐにゃりと垂れ下がっていた上半身が、しだいに骨を得て、まともな立ちすがたに接近していく。しまいに脛骨が完成し、おまえの首はしっかりと肩のうえに落ちついた。こうして、すべての拘束からのがれたおまえが、かたちづくられたのだ。
おまえはふりむく。
地下室の扉を見る──伸びた背すじは、老いた召使ティチューバの、五十過ぎのものではなかった。せいぜいが三十そこそこの、うつくしい立ちすがた──『魔女』ティチューバに、ほかならなかった。
──なら、もうなにもためらう必要など、ないのね。
*
地下室から歩み出たおまえを、濃霧が待ちかねていたかのようにつつみこむ。そのなかを、おまえははやい足どりで決然と闊歩する。
だれもいない夜のなか、物陰より這い出るようにして、ひときわちいさな影たちがあらわれる。群がり、ひしめき、おまえをとりかこみ──やがて、おまえが下を指しているのに気がつくと、“それ”へと身を投じる。
おまえのうごきに追従する“それ”は、影にしか見えない。
しかし、影などではない──“それ”は、うすくビスケットのようにひきのばされた、肉のかたまりだ。表面が波打つのは、脈動ゆえである。もしも間近に見るものがいたなら──その人は嘔吐をもよおさずにはおれなかったろう。
おまえは歩く──
うごめく肉、影に擬態したおぞましい“それら”をひきつれて。
村の家々を抜け、ちいさな畑を越えてゆく。村にともったわずかな灯火もなくなり、あたりはまっくらだ。地面をふみしめる音に、ざくざくという霜のくだける音が混じるようになる。あたりに畑と果樹園ていどしか見当たらなくなり、民家はなくなった。そのなかにひとつだけ、石づくりの建物が見つけられる。
うめき声が、聞こえている。
苦痛と苦難をたえしのぶ、すすり泣きとうなるような声が、まるで家屋そのものが泣いているように聞こえているのだった。
村共有の、根菜貯蔵庫だ。
冬場の根菜や干し肉、塩漬け魚を保管するためにつくられた建物である。地面より半分しずんだ位置から石が積み上げられ、屋根は土と草でおおうことで保温性をたかめている。ふだんは錠などかけられておらず、村のだれもがすきなときに食物の出し入れをできるようになっているが──いまは、鉄の錠前が二重にかかり、ぶあつい木の扉がかたくとざされていた。
おまえは手をかざす。
ふたつの錠前へ。
足元より這いのぼった肉が、その錠前へとちかづき、つつみこむ。急速に、収縮した。ごぎゅっという音が、肉にさえぎられてくぐもってひびいた。肉がはなれ、おまえの足元へとそそくさともどってゆくと、圧砕された錠前が、後を追うように落ちていった。
扉がひらく。
ひいいいい──!
いやああああ──!
おまえを出むかえたのは、悲鳴だった。
つづいて懇願の声が投げかけられる──申し訳ございません、お許しください、お許しくださいませ、もうなにも知りません、いまお話しします、わたくしはどの名でも申し上げます、マーサ、レベッカ、タビサも魔女です旦那さま、もうやめてください、たすけてください、お慈悲を、『鉄の靴』はもういや、わたしは、わたくしは……。
おまえは、立ち止まった。
立ち尽くすほか、なかった。
糞尿と血のにおいが鼻を刺すせいでも、ランタンのちいさな火に照らされた女たちの影が石壁にのび、まるで地獄の情景のようにもだえ苦しんでいるせいでも、なかった。
おまえは、じぶんの罪に打ちのめされていたのだ。
──ああ。
──なんて、こと。
閉じ込められ、魔女としての判決をくだされ、死刑を待つばかりとなったこの二十五人の女たちを──ここまで壊したのは、じぶんにほかならないのだ。
──わたしが、手を、くだした。
心臓をにぎりしめる後悔の痛みは、そのまま死んでしまえるならと願うほどの強烈さだった。なぜじぶんはここにきたのだろう、といまさらながら思った。助けようと思って来たのだ。いまならまだまにあうと、生きているからまにあうとばかり、思っていたからだ。なにが、まにあうものか。
両手首を後ろ手に縄でしばられ、石壁に打ちこまれた鉄環にくくりつけられるようにして拘束された二十五人のありさまは、無惨としか言いようのないものだった。
からだのいたるところがつぶされ、焼かれ、切断されている。赤い傷跡、青いあざになっている箇所はまだましで、黒ずみ、ねじくれた一部分についてはもう二度と使いものになることはないだろうと思われた。とりわけひどいのは恐怖と極度の心労で、頭皮がのぞくうえにざんばらに切りきざまれた髪の、そのしたにある顔だった。それらは、もはや顔とよべる代物ですらなくなっていた──目も鼻も耳もくちびるもないのに、なぜ顔などとよぶことができるというのか。空っぽの眼窩は、それでもおまえを見つめ、どうしたらさらなる苦痛からのがれることができるかを見きわめようと、けんめいになっていた。
──これが、わたしのやったことだ。




