087 ティチューバ8/ふたりのサラ
「きょうは、ここまでにしましょう」
パリス牧師が言う。
「あしたから、このつづきをはじめます。ひと晩、とっくりとかんがえなさい、ティチューバ。真実を語るのと、白を切りつづけるのと、どちらがよりおそろしいことなのかをね」
地下室の扉が、とざされた。
ちいさな蝋燭のともしびに、黒ずんだ二本の親指が照らし出されていた。おまえは全身を小きざみにふるわせていた。背骨をつらぬきとおすような痛みは、そうしてもまったく目減りすることはなかったが、からだはどうしてもふるえた。
──この暗さで、よかった。
おまえはそう思った。明るければ、黒ずんだ指が仔細に見えてしまう。台無しにされた肉体を見るおそろしさに、いまのじぶんは耐えられないだろう。気をうしないそうではあったが、痛みそれ自体が、覚醒状態におまえをとどめおいていた。
やがておまえは、とほうもない時間をかけて、ようやくのことで上体を起こした。引き裂かれた服の山を、傷ついた指でおそるおそるあさり、そこから革の小袋をひとつとりだした。中身を、床に開ける。
割れたボタン、焦げたマッチ棒、絡まった糸玉、ネズミの小骨、ちびた鉛筆、虫の抜け殻、先端の折れた針──ひさしぶりに見る、それはヘレンの骨投げの道具だ。すべてをかきあつめ、てのひらに握りこみ、目をつむった。
呪いを、よびさます。
投げた。
*
翌朝、地下室をおとずれた牧師らを、まっすぐに背を伸ばして床に座ったおまえが出むかえた。パリス牧師が、わずかに目を見ひらく。彼のまえではつねに背をまるめて過ごしていたから、おまえがそうしてまっすぐに立てるのだとは知られていなかったはずだ。
もう、かまわなかった。いまや、なにを隠す必要もなかったから。
牧師らがなにごとかを口にするまえに、おまえは口火を切った。
「サラ・グッド。サラ・オズボーン」
「……なんだと?」
「わたしとともに魔女集会に参加した『魔女』の名です」
それから、もういちどだけ、卑屈そうな顔をよそおった。
「……自白すれば、減刑をみとめていただける。そうでしたわね、旦那さま」
「ああ」
「すべてを打ち明けますわ。よろしいですか」
「ああ。主もきっと、正直に語るものには慈悲をお与えくださるはず──」
「主、では意味がありません。わたしは、あなたの確約を必要としています。どうか、公的な記録には、『ティチューバは魔女ではなかった』とご記載を」
「……報告を、いつわれと?」
「できないとおおせなら──」
おまえがとりだしたのは、ネズミの小骨の先端をするどくけずったものだ。昨晩とがらせたものを、おのれの喉元にぐいっと当てがう。
「──わたしはこのまま、口を閉ざします。真相は闇のなか。……助命は、乞いません。記録だけ無実とあれば、それでよいのです。どうか確約を」
「分かった!」
町の牧師が割って入った。パリス牧師が、ぴくりと眉をふるわせた。
「おまえの言うとおりとしよう。ただし、助命は叶わないぞ」
「それで、かまいませんわ」
では、とおまえは語りはじめる。
ふたりの無実の人物──サラたちをおとしいれるための、毒の嘘を。
*
狂熱が、あおられた。
おまえの告発と、アビーによる証言とが突きあわされ、『真相』が捏造された。サラ・グッドとサラ・オズボーン──ふたりのサラは、状況をまるで飲み込めないままに捕縛され、例のすさまじい『尋問』を受けはじめた。牧師らはすでにサラたちを魔女と決めてかかっていたから、容赦はなかった。
種々さまざまな証言が、あつめられた。
──サラ・グッドは、ひとの家のまえでひとりごとをつぶやいていた。あれは呪言に他ならない。
──サラ・オズボーンは夫に先立たれているが、みずから呪い殺したのである。
──サラは教会に来なかった。
──サラは意味深長な目くばせをした。
──サラが夜中になにかを埋めているのを見た。
──サラが子供にケーキを手渡しているのを見た。
──サラは。
──サラが。
瑣末な、なんてことのない日常の風景が、悪意をもとに歪められ、再解釈され、そのひとつひとつが、ふたりのサラが魔女であることの「うたがいようのない証拠」として承認されてゆく。
法廷はもはや、小説家のもちいる罫紙のごときものに成り下がっていた。
サラたちのしごくもっともな反論は、例外なく封殺された。魔女めが、口先で丸め込もうとしてやがる──傍聴席でだれかがとばしたその野次を、裁判官であるパリス牧師じしんが、「もっともである。被告は発言をやめなさい」として採用してしまうにいたっては……どの国のどの時代の法学に照らし合わせても、まっとうな裁判と呼べるものではなかったろう。
輪をかけてひどいのは、少女たちによる証言だ。あの日の降霊会に参加していた、例の少女たちである。ひとりひとりがべつに呼び出されて証言をさせられると、彼女らの話はすぐに食いちがいを見せた──
「ティチューバとふたりのサラとが、みんな降霊会にいたわ!」
「ふたりのサラに声をかけられて降霊会に参加したの! ティチューバなんて見なかったわ!」
「サラはひとりよ! グッド? オズボーン? ……知らないわ!」
……いつ退廷を命じられてもおかしくないような、すっとんきょうな証言が重ねられた。しかし、だれも失笑をもらしたりはしなかった。少女たちが涙ながらに恐怖の一夜を語ると、みなが涙目でうなずきながら、同情を寄せるのだった。
ある七歳の少女にいたっては、このように語った──「サラたちは牙を剥き出したの! そう、人狼よ──それで、ベティを頭からばりばりと噛み砕いてしまったのよ!」……その少女が証言台にのぼる数分ほどまえに、当のベティが証言台に立っているのを見ていた人びとは、さすがになにも言いはしなかった。
七歳の少女が証言台を下りたのち、パリス牧師は立ち上がった。
「ご覧になりましたか? このように、少女たちはひどく混乱させられ、また場合によっては幻覚を信じこまされ、虚偽を虚偽とも知らずに発言させられている! これこそ、彼女らが呪術によってあやつられていることの、まぎれもない証拠であり、このたび告発されたる女どもが魔女であることの、うたがいようもない証明であると申せましょう!」
喝采、であった。
後年の洞人教会における賛美集会であっても、これほどの熱狂、これほどの全面的肯定はなかっただろう。パリス牧師の論告は、もはや裁判手続きにおけるありようをはるかに逸脱し、伝道集会の演説のようになっていた。パリス牧師がまくしたて、法壇の天板を拳でたたきまくりながら並べることばのひとつひとつに、傍聴席の村人たちがいちいち合いの手を入れた。「そうだ!」「そのとおり!」「アーメン!」「神に祝福を!」「ハレルヤ!」
このとき、被告席に立たされていたサラ・グッドは、蒼白となった顔をうつむかせ、ふるえる両手をかたく組み、ただ祈っているように見えた。
「ゆえに! われわれセイラム住民は、この魔女による紊乱をけっして赦しはしない! 満身の宗教的熱情をこめて、この魔女めに、死罪を求刑するものであります!」
割れんばかりの拍手が、裁判所を満たした。
槌の音で静粛をうながすべき裁判官は、この場合、両腕をひろげて喝采を浴びているパリス牧師本人である。だれも、止めるものはいなかった。よしんば公正さをそなえたものがその場にいて、ほとんど騒動にまで発展しつつある事態を収拾すべく、群衆にまとめて退廷命令を出したとしても、だれひとりしたがいはしなかったろう。むしろよけいな刺激をすれば、詰めかけた傍聴人たちがそのまま暴徒へと転じ、被告席に立つ“魔女”をみずからの手でくびろうと、私刑にのりだすやもしれなかった。
最終弁論となった。
うながされて、いちどは立ち上がったサラ・グッドの公選弁護人も、傍聴人たちの敵意に満ちた注視をうけて、見るもむなしく萎縮し、ひとことふたことを口のなかでぼそぼそとつぶやいたぎり、早々に腰を下ろしてしまった。
そのしゅんかん、勝利を確信した傍聴人たちからは歓声が起きた。
弁護人当人さえもが、なにをかんちがいしたものか、その歓声に満足げな微笑で応える始末であった。
結果は有罪──死罪、である。
サラ・オズボーンも、同様であった。
町から雇い入れられた弁護士も、この村の総意のまえにはまともな弁論もできず、ただ依頼人が、人びとの喝采のなかでひとりすすり泣く声を、隣で聴いていることしかできなかった。




