085 ティチューバ6/うらないのぎしき
――地下室。
そう悟ったしゅんかん、いやな予感がぞわりと沸き立ち、おまえの肌を総毛立たせた。まるで皮膚のしたに、無数の黒蟻が這いまわっているかのような悪寒だった。
パリス牧師は、朝から不在にしていた。
南西に数マイル離れた町、ダンヴァースで信徒の孫が病死したのだ。葬儀で、悲嘆に暮れる信徒たちになぐさめを与えなければならなかった。また合わせて、三ヶ月ぶんの教会記録簿を筆記係に届けてしまうつもりだと、牧師は語っていた。「二、三日留守にする。あとを頼むよ、ティチューバ」羊毛の外套をはおって出かけていく牧師を見おくった、まさにその夜のことだった。
晩冬、である。
地面にはふみかためられた氷と、泥まじりの雪がのこっている。農作業が本格化するにはまだ早いから、子供たちは日射しのあるあいだは村のなかを駆けまわってあそぶ。だが日が落ちてだいぶ経ついまになっても、アビーとベティのすがたが見えないのだ。
「このままじゃ、せっかくのディナーが冷めちまうよ」
料理番にそう言われると、おまえも墓地の掃除をしていた恰好のまま、屋敷内をさがしまわるほかなかった。
外にはいない、とわかっていた。
午後のお茶の時間をだいぶん過ぎた時分になって、アビーとベティが、村の少女たちをぞろぞろとひきつれて、どこかこそこそしたようすで屋敷の裏口をくぐったのを、見ていたからだ。だというのに、どの部屋をのぞいても、十数人の少女たちのすがたは見えない。一行のなかに男の子がいないことはたしかめてあったので、よからぬおこないを心配する必要はなかったが……それにしても、あれほどの人数が、いったいどこにひそんでいるのか。
やがてとほうに暮れたおまえは、なにげなく墓地掃除用のエプロンと革手袋を脱いでひとまとめにし、それを裏口の戸棚にしまいこんだ。ふと隣に目線をやり――地下室につづく扉が、うすくひらかれているのを見たのだ。
――地下室、だわ。
おまえはふたたびそうじぶんに言って聞かせた。
この地下室は、ふだん、つかってはいない。ほとんど物置のようにあつかわれていて、ろくすっぽ掃除もされないから、埃っぽく、壁からは水が染み出していて湿気もひどい。
少女たちが好んでもぐりこみたがる場所とは、とうてい思われない。
しかし、扉からは弱い光が線状に漏れ出ていて、なかからはひそやかなささやき声が聞こえていた。
なにか、いやだった。
おまえは背すじをざわざわとのぼってくる不快感を、無視することができない。ひさかたぶりの感覚だ。三十年まえに、“あの屋敷”であじわった感覚だ。曲がり角のむこうに、ばけものが待ち受けているときの、あの重圧。
階段をゆっくりとくだった。
うすくひらいた扉へと、手をかける。
きしむ音を立てないよう、ゆっくりと開けた。足音を殺し、置かれた古い家具のあいだを縫うようにして、光のほうへと近づいてゆく。声はかけなかった――いまあそこでなにがおこなわれているのかを、先に見なくてはならないと思った。
あぶなっかしいバランスで積みあげられ、寄せられた家具のなかに、すこしひろくとられた空間があって、蝋燭のほのおがちらちらとその中央でまたたいている。少女たちはそこにいた――円形にならべられた十三脚のダイニングチェアに、それぞれ腰かけていたのだ。
人数は、十二人だった。
十三脚めの椅子は、空いている。
十二人のまえには背もたれのない丸椅子がひとつ、テーブルのように置かれていて、そのうえにスープ皿が置かれている。ただし、注がれているのがスープではなくたんなる水だ。なにかとろみのある半透明のものが、その水面ちかくに浮かべられている。卵白だ、とおまえは見て取る。
すわる少女たちの顔は、しずかな昂揚に満ちていた。糸紡ぎの夜に、手をうごかしながらささやき声を交わすような、罪のない昂揚に見えた。しかしそのなかで、不安と怯えで顔をひきつらせるベティと、瞳のなかに蝋燭のほのおをうつし、まるでそれが心中からわきあがる業火であるかのように見えるアビーの、喜悦としか形容のできないありさまとは、浮き上がって見えた。
「しっ。しずかに」
アビーの声が、少女たちのひそひそとしたおしゃべりの声を、やませる。
「はじめて」
少女たちが、なにかをいっせいにとりあげた。
蝋燭のほのおを、“刃”がきらりと照りかえしたことで、“それ”が銀器の果物ナイフであるとおまえにもわかった。少女たちは片腕を天井に向けてさしあげる。袖がまくられ、むきだしになった天人の、しらじらとした肌に、赤いリボンが結ばれている。ナイフの刃が、そのリボンをなぞり、断ち切っていく。そのしたの肌をも、薄皮一枚切り裂きながら。
うめき声が、あがった。
ちいさな苦痛とともに、リボンは切り離される。数滴の血が、ぼたぼたとスープ皿へと垂らし入れられた。卵白のなかに、赤いしずくが染みをつくり、ひろがり、散っていく。
「ベティ」
アビーの声がかかる。ベティが立ち上がった。中央に置かれた蝋燭の容器に、ぶつぶつとなにごとかをつぶやきながら、血の染みたリボンを投じる。
蝋燭のほのおが、ぱっと燃え上がり、投じられたリボンを狂喜しながら飲みこんでいった。
「マーシー」
「メイ」
「サラ」
「アン」
「スザンナ」
「マーサ」
「デボラ」
「ハンナ」
「レイチェル」
「ジョアンナ」
呼ばれるたび、その少女がリボンを火へと投じてゆく。
「そして……アビー」
さいごにじぶんの名をよび、アビーは立ち上がった。
「Abajo , abajo , mi señor.
Ven por el hilo que sangra ,
Bebe de la copa de los hijos ,
Tama tu nombre , y lavántet .
(おお おお わが主よ
血の糸をたどってきたれ
子らの杯を飲み干し
その名を喰らいすがたを現せ)
つぶやく声は、こんどははっきりと聞きとれた。おまえはようやく理解する。その耳慣れぬ異国のひびきが、しかし、その“呪わしさ”によって、どういうものを意味しているのかを、たちまちに把握する。
──喚ぼうと、している。
「やめなさいっ!」
声をはりあげて物陰をとびだしたおまえを、少女たちが驚愕の表情でふりむいたとたん──中央のほのおが、ぼおっとひとさかり燃え上がり、そして消えた。しゅんかんの印象だけを暗闇にのこして、そのあとを漆黒のなかに塗りこめてしまった。
沈黙。
それから灯りが明滅する。
数秒おきに、またたきひとつにも満たない時間だけほのおが燃え、そのさなかに周囲を照らし出した。おまえは見る──そのひらめくいっしゅんのなかに、おぞましい顔、無数の目鼻口をでたらめに顔面にはりつけたようなすがたがうつり、そして少女たちのあいだを舌なめずりしながら闊歩しているさまを。まるで品さだめをするような、そのものほしそうな顔つきを。
──悪魔。
直感し、すぐさま腕をあげていた。
おまえの“呪い”がほとばしる──下ばたらきの老洞人ティチューバの肉体を構成していた呪いの一部が消え、肉と血と骨とがほどけるようにばらばらなものへと還元し、床に落ちようとするのを、ふたたび呪いにより撚りあげ、槍のかたちへと成形した。その先端を、悪魔の顔の中央へと突き立てた。
ぎゃうあうおうおうおう、と赤子のような悲鳴をあげて、悪魔はその完成間近であった受肉体をばらばらにし、その結合を成そうとしていた呪いが宙に拡散し、雲散霧消した。
さきほどからずっと聞こえていた、家がきしむようながりがりという音がやみ、蝋燭はなにごともなかったかのように、あたりを照らし出す。
「きゃあああああああああっ!」
耳をつんざく悲鳴。ベティの声だった。
ベティはおまえを見ていた。おまえの腕が変形したもの、肉によってかたちづくられた槍を見ていた。おくれて気がついたらしく、ほかの少女たちも悲鳴へと加わってゆく。おまえはとっさにからだの陰にその肉の槍をかくし、ふたたび呪いの操作によって、“それ”をたんなる腕へともどした。
アビーと、目が合った。
好奇のほのおを瞳にともし、アビーはおまえの腕を見ていた。これまでの彼女が見せたこともないほどの、峻烈なよろこびが、その目のなかにはまたたいていた。しかし即座にアビーはそのほのおを消した──意図的に、だろう。代わりに、さぐるような目、“この召使はなににどれほど気がついたのか”を問うような色をうかべ、またそれはいつわりの恐怖を宿した。
「なんてこと!」
アビーは、少女たちをふりむいて叫んだ。
「ティチューバが、降霊会をこわしてしまった──悪魔が、呼び出されてしまったわ!」
……この金切り声が、すべての騒動の幕を上げた。




