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聖 絶 大 戦【第4章開幕】  作者: 木村太郎
Vol.4 The Book of Judges/士師記

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083 ティチューバ4/ごはんは、のこさずたべましょう

 ――終わりが近づいている。


 おまえは、気がつく。


 ばけものは、数を減らしている。

 足音、這いずる音、それらが曲がり角の向こうから聞こえてくる回数が、減っていた。けっして隠れ上手とは言えないおまえがなんとか生きのこれているのも、そのためだろう。


 けれど代わりに、これまで聞いたことがないほど巨大な質量がうごく音を、おまえは聞いていた。

 ばけものとばけものの戦いだった。

 ばけもの同士が出くわすと、二体はたがいにいびつな口をがばりと開き、そのぶよぶよとした肉に噛みつきあうのだ。やがてかたほうの肝が噛みやぶられ勝者が決まると、敗者の肉はこころゆくまで味わわれ、勝者はそのぶんの質量をまるごと増す。


 こうして肥大化をつづけた肉のかたまりが、いまや最後の一頭にまで減っているのだ。おまえを除く、十五の呪い(カース)とその苦痛をひきうけながら。


 ――いったい、どうしたらいいの。


 なにも分からず、ただすすり泣くしかなかった。


 もう、ヘレンはいない。

 じぶんを助けてくれるものは、だれひとりのこっていない。


 じぶんで、じぶんを助ける?

 できるわけがない。

 だって、あのばけものはあんなに大きいのだ。あんなにおそろしいのだ。


 きっとわたしは、身をすくませてしまう。

 逃げ出すことさえできず、ただ、ばけものに喰らわれる苦痛を強いられるしかないのだ……。


   “に  げて”


 おまえは、はっとする。


 ヘレンは、わたしを助けてくれた。

 じぶんが呪い(カース)にのみこまれる可能性が高いのに、なんどもなんども“占い”をして、わたしを逃がそうとしてくれた。そうしてさいごには、みずからが犠牲になってでも、()()()()()()()のだ。


 なぜ、ヘレンがあれほどまでに良くしてくれたのか、おまえには分からない。想像もできない。けれども、おまえは思う。()()()()と思う。


 ――わたしのいのちは、ヘレンに()()()()ものだ。


 そう、思う。


 だから、死ぬわけにはいかない。

 すくなくとも、生きることをみずから打ち捨ててはいけない。()()()()()()()()()()()()()()()()()――そう、思う。


 おまえは立ち上がる。

 いのちがすでにじぶんの、じぶんだけのものではないのだという思いが、おまえの足にちからを与えている。涙をぬぐった。浮かび上がる涙の粒を、そのつど拭き取っていった。赤く充血した目を、らん、と部屋の扉へと向けた。


 ばけものの音が、廊下の向こうに聞こえている。

 まだこの部屋のまえに達するまでには時間がある。


 扉のまえに立った。

 ふう、ふう、と深呼吸をする。

 ひと息に、扉をひらいて、その外へと飛び出した。


 背後で、ばけものがさわぎたてる。


   ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っ。


 おまえはふりかえりもせず、走る。

 べちゃぐちゃぬちゃ、という粘着質な足音がおまえのあとに追いすがってくる。恐慌がこみあげてきそうになるのを押し殺した。頭のなかに屋敷の構造図を思い浮かべた。逃げまどうなかでしぜんと覚えた屋敷のなかに、目的地がひとつある。そこを目指し、ただ走った。


 たどりついた。


 むわっとした死臭に、とたんにこみあげそうになる吐き気を、ぎりぎりのところで飲み込む。

 廊下だ。

 他のところよりもすこしだけ幅広につくられていて、さしわたしは、洞人ドワーフの大人がふたり両腕をのばしたぐらいはある。そこにべったりと血が塗りつけられ、何体分もの“食べかす”が落ちているのだ。

 五体満足な屍体は、ひとつもない。肉片とよんでしまうには大きなかたまりが、ごろりと落ちている。目をそむけたくなる本能を、おまえは押し殺した。


 ――だって、このひとたちは“味方”なんだから。


 そうして、念じる。

 ひとすじの鼻血が、ゆっくりと垂れはじめる。


   ()()()()()()()()()()()()()()()()っ。


 ばけものが、そこに追いついてきた。

 そのすがたを見て、おまえは悔いる――物音につられて、そちらを見てしまったことじたいを、悔いる。


 巨体が、廊下の横幅いっぱいを埋め尽くしていた。

 ぶよぶよとした脂肪が床と壁のすきまを埋め、“食べかす”のひとつにその端が達したとたん、ぶるりと一度ふるえてから肉のひだを伸ばすようにしておおいかぶさり、粘性の跡をひきながら飲み込んでいった。海底に住む軟体動物の捕食風景にも似ている。


 そこから視線を見上げると、天井にほどちかいところに頭部が見て取れる。しかしそこには目も口吻もなく、ただ肉に切れ目を入れただけにも見える口だけが、ぱかりと開いていた。唇もないのに、端がひきさかれたように持ち上がっているせいで、どこか笑っているようにも見える。この肉塊のばけものがかつて人であったことをしめす名残として、人体の部品のいくつかが、赤黒い肉のなかからいくつかとびだしてはいたものの、顔の皮膚はほとんどのこっていない。


 いや、ひとつ、あった。


「ヘレン……」


 おまえのつぶやきに応えてか、ばけものが高らかに吠える。


   ()()()()()()()()()()()()()()()っ。


 おまえの顔が、硬直する。

 しかしすぐに、くちびるをひきしめた決意の表情に、とってかわった。


 ヘレンは、いない。

 もう、いない。

 あのなかにヘレンがのこっているなどと、思ってはならない。


 ヘレンは、じぶんのなかにいる。

 “それこそ”がヘレンなのだ――そう、思いなす。


 そうして――

 呪い(カース)を、ときはなつ。


 “食べかす”たちがいっせいに立ち上がった。両足がそろっていないものは腕をつかい、腕を持たないものは額を床につけた。声帯がのこっている何体かが咆哮し、巨体のばけものへと殺到してゆく。

 全身に“食べかす”たちが食らいつき、肉のあちこちを噛まれ、巨体のばけものは苦悶に身をよじらせる。


   ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 しかし、ながくは保たない。

 ばけものは“食べかす”の歯や爪や骨を突き立てられながらも、それらを肉の圧力で押しつぶし、すぐさま肉のひだのなかにかれらを飲みこみはじめる。喰うものと喰われるものが、瞬時に逆転した。巨体のばけものは落ちつきをとりもどし、ゆうぜんと“食事”を再開する。肉のなかから、骨を折るぱきぼきぐしゃ、という音が、くぐもってひびいてきた。


「く――!」


 おまえは何体かのこしてあった“食べかす”を、ふたたび鼻血が垂れるのをかんじながらあやつった。じぶんのまえに“食べかす”をかさね、肉で壁をつくる。

 無駄だった。

 巨体のばけものはいきおいづいたように肉壁へと食らいつくと、それをまるごとぺろりとのみこんだ。巨大な口が、また、にんまりと笑った。


   ()()()()()()()()()()()()()()()


 ――ヘレンっ……!


 おまえは絶望の表情をうかべ――

 そして――

 巨大な口が――

 おまえをひと息に――


 *


 沈黙。


 ただひとつとなった肉のかたまり、巨体のばけものはすべてをのみこみ、ほんのひととき、無音の時間が生ずる。

 しかしそれは、数秒と保たない。

 ぎぎぎぎ……という不気味な轟音。破断する音、破砕される音。ちぎられ、くだかれ、崩れる音。

 壁が、床が、天井が、踏み板が、手すりが、たんすが、額縁が、絨毯が、梁が、漆喰が、レンガが、窓枠が、ガラスが、寝台が、扉が、蝶番が、長椅子が、衣装棚が、食器棚が、姿見が、作業台が、食卓が、燭台が、鎖が、柱時計が、十字架が、獣の剥製が、シャンデリアが、カーテンが、煙突が、屋敷に存在するありとあらゆるものが――こまかい破片と化して、巨体のばけものへと殺到する。そのひとつひとつが、殺意をともなって。


   ()()()()()()()()()()()()()()()


 屋敷のすべてが崩落し、あたり一帯に大轟音をひびかせながら瓦礫の山へと化してゆく。粉塵が舞い散り、すべての視線からおまえたちをさえぎった。崩落の音がすぎさり、ちいさな破片のひとつひとつがおちつくべきところにおちつくと、待ちかねたように、粉塵の霧は晴れた。


 おまえが、立っていた。

 ぴくりともうごかなくなった巨体のばけものを、瓦礫のうえから見下ろして。


 ……おまえの呪い(カース)は、“屍体をあやつる”というものではない。“すべての命なきものをあやつる”――それこそが、おまえに刻まれた呪い(カース)だ。屍体も、物体も、すべてが対象である。


 ひゅー……ひゅー……。

 おまえが息を荒げる音だけが、のこっていた。


 じぶんの呪い(カース)の対象が、無生物()()()であることは、本能的に理解していた。猫が、じぶんのとおりぬけられるすきまを理解するように、熊が、みずからの爪で小動物をたやすく切り裂けると知るように、ただ、確信していた。けれども、だからといって、ここまでの規模でできるとは、想像もしていなかった。これほどのちからを行使できるとは、思いもよらなかった。


 おまえは、みずからの限界を超えていたのだ。

 だから必然の帰結として、()()は起こる。


 ひゅー……ひゅー……。

 ひゅー……ひゅー……。

 ごぼり。


 呼吸のなか、なんの予兆もなくとつぜんに、血は噴き出した。鼻と口、その両方からおびただしい量の血がほとばしり出る。やぶれた臓器、溶けた筋肉、それらすべてを吐瀉物として、血にまじえて吐き出した。おまえの全身は巨体のばけものにのみこまれた寸時のあいだに血みどろになっていたけれど、それらをも上塗りするような、それはそれは濃い血だった。、


 ――あ。

 ――いのちが。


 つぎからつぎへとあふれ出る血の水たまりに、おまえは突っ伏していた。

 頭が痛い。

 割れるような痛みというのではなく、脳をぐちゃぐちゃにかきまわされる痛みだ。手を触れる。頭蓋骨がふくらんだり収まったりするのが、わかった。変異をとげようとしている。呪いが、おまえを飲みくだそうとしている。


 べちゃ、という音。

 顔を上げた。


 巨体のばけもの、おおきな肉のかたまりが、おまえのまえに歩み出ている。どうでもいい、と思った。このまま喰らうなら喰らえばいい、と思った。このたえがたい痛みを消し去ってくれるなら、もうなんでもいいと。


 しかし、違った。

 肉のかたまりは、突起のひとつ、腕のように伸びた一本を、じぶんの肉のなかへとふかぶかと埋め込んでゆき、そこからなにかを掴みだした。赤黒く、ぷるぷるとした、なにか。


 ――肝、だ。


「し   かた   ない の」


 さしだされていた。

 おまえの口もとへ、あてがうようにして。


「ああ」

 おまえは言う。

「ヘレン──」


 おまえは口を開け、肝へとかじりついた。

 

 そのおまえをまるごと、巨体のばけものの肉がやさしくおおいかくすようにして──のみこんだ。


 *


「ああ! 最悪の結末だ──想定しうるなかで、最低の終わりかたを引き当ててしまいました!」


 エイレナウス・フィラレテスは、瓦礫のなかでぴくりともうごかなくなった肉塊を見つけると、そう叫んで防疫マスクのくちばしを天に向けた。


「まさか、さいごの一匹になることもなく、二匹のまま、相打つかたちで共倒れしてしまうとは──失敗だ! とんだ失敗もあったものですよ!」


 ヒステリックにわめきたてる師に、口もとだけをおおう簡易な防疫マスクを身につけた若い学生たちが、おそるおそる声をかける。


「先生……お気の毒です、まさか屋敷がこんなありさまに……」

「アカデミーの方に、なんと説明すれば……」

「はッ! アカデミー? あんな連中は放っておきなさい──しょせん本国にたいする劣等感をあつかいかねて、見返すためにだぶついた資金をよこすしか能のないぼんくらどもです! それよりも──ああ! かえすがえすも惜しい! 見ましたかあなたたち──この肉塊がさいごにもうすこし余力をのこしておいてさえいたなら! 肝をさしだすだまし討ちであの女の子をのみこんだ時点で、蠱毒は成っていたはずですのに!」


()()()()()()()()()()()


 エイレナウスが、ふりむく。

 この錬金述師アルケミストが声の主──巨体のばけものの死骸を視界にとらえたしゅんかん──その肉のかたまりから伸びた何本もの触手が、学生たちのことごとくをとらえ、みじかい悲鳴をあげさせたかとおもうと、すぐにまたその声をとぎれさせた。学生たちは、肉のなかに飲み込まれたのである。


 骨が折れ、肉がとりこまれる、おぞましい音がした。


 エイレナウスがマスクの内側で顔をひきつらせていると、肉のかたまりは咀嚼と消化を終え、また沈黙する。さきほどまでの命なきすがたではありえない、全身の肉をはらわためいた蠕動によってふるわせているさまは、グロテスクな光景を見慣れたエイレナウスですら、目をそむけたくなるような酸鼻なものであった。


 と。

 肉塊が、()()()


 巨大な肉切り包丁をあてたようにすうっと縦に筋が入り、そのままぱっくりと左右に割れたのだ。次いで、そこからひときわちいさな丸い肉塊が、ぼろりとこぼれ出る。


 いや、肉塊ではない。


 胎児の姿勢に身をまるめた、ひとだ。

 エイレナウスはそれが、さいごにのこった例の少女だと、気がつく。少女はいましがた生まれ落ちたもののように、身には布きれひとつまとっておらず、全身が赤い血に濡れていた。


 少女──おまえが、立ち上がる。

 意志ある瞳が、エイレナウスを見た。


「はは──はははははははっ! すごい、すばらしい、なんということだ! 蠱毒は成っていた──あなたが勝者だったということなのですね! この肉のばけものはあなたが従えたと? なんというおそるべき結末だ! ああ! 呪人ンザンビよ! あなたの誕生を、とにかくいまは言祝ぎましょう──」

()()()


 肉の触手が、エイレナウスのマスクの口もとを押さえた。そのままぐるりと上部から巻きつきはじめ、いっしゅんのちに錬金述師アルケミストの肉体はかんぜんに拘束されていた。


「──んぐっ!」

「……なにもわかっていないひとのお話は、聞きたくないの。頭痛に障るから。……この子、“ヘレン”が、わたしをだまし討ちしたと、そう言ったわよね? とんだ、かんちがい。ヘレンは、ほんとうにわたしをたすけてくれたのよ。じぶんをさしだしてでも、守ってくれたのよ。あなたが、つまらないかんちがいで、ヘレンをけがさないで」


 触手がうごめき、エイレナウスをひざまずかさせる。

 六歳の少女の目線に合うよう、膝立ちの姿勢を強いられていた。おまえは手を伸ばし、エイレナウスの防疫マスクを取り去った。


 驚愕と恐怖に目を見張る、青白い、やせた青年の顔があらわになった。


「……なんだ。つまらない、お顔。もっとおそろしいお顔をしていると、そう思っていたのに」

「はは、は……! これは期待はずれで申し訳ない……! ただ、この私が与えられるものは、きっとお気に召しますよ……栄光、です! あなたは史上はじめて、人為的に生み出された呪人ンザンビだ。それも理論にもとづく、再現性の高いやりかたでね。すばらしい発見なのですよ──まさに、真述ロジック史、いや人類史がくつがえされるほどの功績だ! 私とともに行きましょう、大真述都市ロンドンへ! あなたは世界でもっとも有名な人物になるのですよ。富も、名声も、もちろん身分だって手に入れられる! 洞人ドワーフがかつて味わったためしのない立場だ。なんでも望むものを手に入れられますよ。なにが欲しいですか? 言ってごらんなさい──いったい、あなたはなにが望みです?」

「もう、言ったわ」

「これからです、これから私たちの栄光ははじまるのですよ! ……ああ、さてはじぶんがやってしまったことを悔いているのですね? そりゃあ、そうでしょう──なにも分からなかったとはいえ、立派な天人ヒューマンの学生を何人も死にいたらしめてしまったとなれば、後悔はひとしおでしょう。しかし気にすることなどない、学問の発展に()()()犠牲はつきもの、どちらが価値のあるいのちなのかをかんがえれば、乗り越えるのはたやすいものです。人類の発展という視座から見てごらんなさい。彼らのような凡俗どもを十人や二十人ばかり殺したところで、私の功績はいささかも揺るがないのですよ! ……おっと、私と()()()()功績でしたね、ついつい言いまちがえてしまいまして──」


 ぐちゃ。めきり。


 狂騒的にまくしたてる声は、それでとぎれた。

 つづいて、肉のかたまりがあらたな屍体をのみこんでゆく音がして、それきり、しずかになった。


「ありがとう。()()がかなったわ」

 おまえは言う。

「ようやく、()()()くれた」


 それから、肉のかたまりへと向きなおる。

 数名分の大人の体積をくわえ、ひと回り以上おおきくなったかたまりは、おまえに向かってぶるりと身をふるわせる。


「……発ちましょう、ヘレン」


 瓦礫の山をいちど見わたして、おまえ──“呪塊ブロブ”ティチューバは言った。


「ここは、あまりに呪わしいから」



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